2024/11/14 - 2024/11/16
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ちゃおさん
12時半、新潟港フェリー乗り場を出た佐渡汽船カーフェリーは、ゆっくりと河口を下って行く。海と川を隔てる細長い堰堤が左舷にずッと続いているが、波も無く、その水面すれすれの堰堤が無ければ、どこまでが川で、どこからが海との区別も付かない。そんな堰堤上を歩いている人もいる。散歩しているに違いないが、風もなく、好天で、大海原の上を歩くような気持ちで足取りも軽く、気分は良さそうだ。
500m~800m程続いたか、その堰堤も終わり、海に出る。右舷には新潟の工業地帯、コンビナートの煙突なども見える。40数年前の新潟大地震、この地区の工場群が倒壊し、大きな炎を上げていた。この時の地震を契機に、首都圏でも直下型地震の危険が叫ばれるようになり、首都圏の防災意識が高まったが、その効果と言えるのか、15年前の三陸大震災の時は、首都圏では市原五井の石油タンクが燃えただけで済んだ。その後、山古志地震とか中越地震等、この地方を幾度となく大きな地震が襲ってきたが、新潟大地震程の大きな被害は出ていない。
船の左舷に回ると、前方に佐渡の島が見えて来た。遠くに霞んで見える島影程度と思っていたが、それは影ではなく、緑に覆われた現実の島だ。陸地からはそれ程遠くない距離だ。明治時代以前、小船で渡ることもそれ程困難ではなかっただろう。島の人が新潟側を何と呼んでいるのか知らないが、北海道や沖縄の人のように、内地とか本土、という呼び方はしていないだろう。単に湊と呼んでいたのかも知れない。
以前、愛媛の今治に行った時、港の埠頭にいた人が、途中の大三島、因島を経由して尾道へ向かう海上航路を、「フェリーで本土へ行く」という言い方をしていたが、四国の人々に取っては今も尚、本土という言い方をしているのか・・。途中に幾つもの島があっても、本州との距離は遠かったのだ。
船の後方を見ると陸地が見える。最初は能登半島がぐっと押し出てきているかと思ったが、それにしても、能登がこんな近くである筈はない。矢張り新潟だろう。そう、出雲崎だ。以前、弥彦神社にお参りし、その裏にある弥彦山に上るべき、神社の裏の山道を進んで行ったら、雪が残っていて、進むにつれて雪が深くなり、途中で諦めて引き返したが、この弥彦山の山頂から、直ぐ下の日本海、更にその先の佐渡島を見たいと思っていた。出雲崎。海から見るとこの名前はよく理解できた。弥彦山の高みは大きな厚雲のように海に張り出していた。
乗船から約2時間、島がどんどん近づき、島の東側に沿って北上する。集落とか、道路、そこを通行する車なども見えるようになってきた。島流しされた罪人も同じような島の光景を見ていただろう。前方の海外線が複雑に入り組んできて、浅い湾のようにもなっている。3時、両津港に着岸した。初めて足を踏み入れる島だ。まだ夕食までには多少の時間がある。早速レンタカーを借りて、付近の観光をしてみよう。
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