2026/09/23 - 2026/10/02
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xindeさん
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ドイツ周遊10日間のツアーに参加しました。ドイツにはいちど仕事で立ち寄ったことがあるだけで、観光は初めて。観光という観点だと、ドイツはフランス、イタリア、あるいはスイスほどは人気がないかも知れません。しかし神聖ローマ帝国以来の豊かな歴史と文化を持つ国ですから、見どころも多いはず。
入りと出はルフトハンザ航空で南部のミュンヘン。そこからライプツィヒ、ドレスデン、ベルリン、シュベリーン、ハンブルク、ブレーメン、ケルン、リューデスハイム、ハイテルベルク、ローテンブルク...と巡ってミュンヘンから帰国します。
予定されていたライン川クルーズは渇水、水位低下のため、運航中止となりましたが、それ以外はおおむね天候に恵まれて良い旅になりました。
3日目、ドレスデンからベルリンへ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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(続き)3日目午前10時半すぎ、ドレスデンを発って首都ベルリンに向かいます。
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バスで北に走り、3時間ほどかかります。
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途中でトイレ休憩。ドライブインにはガソリンスタンド、カフェ、売店などが付いていることが多い。
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ドライブインのトイレはほとんどが有料。1ユーロのところが多い。
トイレ入り口にこのような機械が置いてあり、お金を入れるとバーが開く。タッチ式のクレジットカードも使えます。レシートが出てきて、買い物をするとき、このレシートを見せると1ユーロ分値引きしてくれたりする。 -
ベルリン市街に入り、バスから見つけた”イスタンブール・スーパー”。
ドイツにはトルコからの移民が多いと聞いていたが、なるほどと思う。
ライプツィヒでの現地ガイドの古屋さんによれば、ケバブは特にお金のない学生などにとっては割安な、定番の食べ物になっているそうです。 -
車窓から見かけたヘルムート・フォン・モルトケ(大モルトケ)の記念碑。
プロイセン・ビスマルク時代の伝説的軍人・参謀総長で、対デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争でプロシャを勝利に導き、ドイツ統一に貢献した。 -
午後1時半、ベルリン市内のレストランで昼食。
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店内。遅いせいか、すいている。
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さっそく ビール④ バイエルン地方の代表的銘柄のひとつ、パウラナー。これは白ビール。日本でもバイツェンとして飲まれている。英語だとベルジャン・ホワイト(ベルギーの白)などという。普通のビールは大麦麦芽が原料だが、小麦を主原料とするとこうなる。やや白濁しており、フルーティ。
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スープ、甘みがあるので、カボチャかと思ったが、人参だそうです。とてもおいしいです。
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仔牛肉とマッシュルームのクリーム煮。ビーフストロガノフに近い。
左の副菜は食感はニョッキみたいだが、シュペッツレという卵の入ったパスタだろう。 -
デザートはバーバリアン・クリーム(ババロア)。バーバリアンはバイエルンの英語読み。ババロアはフランス語。
食事を終えてバスに乗り、市内中心部・ブランデンブルク門方面へ。 -
バスの車窓から見た”戦勝記念塔”。てっぺんは黄金の勝利の女神ヴィクトリア。対デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争、3つの戦争の勝利を記念するもの。いずれも19世紀中ごろ、日本でいえば明治維新のころの話。
下のほうの青い帯は翌日から開催されるベルリン・マラソンの飾り付け。 -
戦勝記念塔と同じく緑地ティーアガルテンにあるリヒアルト・ワグナーの記念碑。ワグナーの足元の彫刻は彼の楽劇の登場人物だそうです。
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ベルリン・フィルのコンサートホール。大ホールと小ホール(右)。
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街路樹の黄葉。この日のベルリンの気温は15度くらい。(出るときの東京は25度くらいだった)
その後ろに見えるは虐殺されたユダヤ人の慰霊碑(通称ホロコースト記念碑)。 -
バスを降りてホロコースト記念碑を通り抜ける。
なんの飾りも文字もない直方体のブロックな並んでいる。 -
敷地の中央部の地面は低くなっており、高さをそろえるためブロックは徐々に背が高くなり、4メートルに達する。
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低くなった中央部分ではブロックの林の迷路みたいになる。
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ホロコースト記念碑とブランデンブルク門の間にある米国大使館。
正面入り口はブランデンブルク門側にある。 -
米国大使館の熊の人形。
ドイツ語で熊はBar(ベア)だそうで、ベルリンという名は熊に由来する。それで各国大使館はその国らしい恰好の熊を飾るそうです。日本大使館の熊はサムライスタイル? -
かつて東西ベルリンの境界でもあったブランデンブルク門。
我々は東ベルリン側に立ってる。周囲には大勢の観光客がいる。 -
門の上に4頭立ての馬車に乗る勝利の女神ヴィクトリア。
元は18世紀に”平和の門”として作られたが、ナポレオンがベルリンを占領した際、この彫刻が気に入ってフランスに持ち去った。その後普仏戦争でプロイセンが勝利するとフランスからこれを取り返した。以来、平和の門は勝利の門となる。
第2次大戦で彫刻は空爆と市街戦で破壊されたが、西側に石膏型が残っていたので、東西協力して修復された。しかし今の形に完全に蘇ったのは東西統一後。 -
ブランデンブルク門を背にして、旧東ベルリン側を見たところ。この通りはベルリン中心部を東西に走る”ウンター・デン・リンデン”という通り。ブランデンブルク門附近は歩行者広場になっている。
左はフランス大使館。右はベルリン随一の歴史ある高級ホテル、”ホテル・アドロン”。マイケル・ジャクソンほか多くのセレブが泊まったところ。 -
ブランデンブルク門を抜けて旧西側へ。門をすぐ出たところの地面にある線。ここに”ベルリンの壁”ができていた。(すなわち、ブランデンブルク門そのものは東側に属した)
第2次大戦後、ドイツは東西に分断され、首都ベルリンは戦勝国4か国(米・英・仏・ソ)が分割統治することになった。が、ソ連側統治の東ベルリンから米・英・仏統治の西ベルリンに逃れるひとがあとを絶たなかった。そこでソ連は1961年突然東西間に壁を築いた。 -
ブランデンブルク門の西側に面して広大な緑地(ティーアガルテン)がある。
ブランデンブルク門に向き合って十字架が並ぶ。 -
十字架には西側に逃亡をはかって殺された人々、身元のわかっているひとの顔写真が貼られている。中には1989年に亡くなったひとも。あと数か月待てば壁はなくなったのに...
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ブランデンブルク門の北西にあるドイツ連邦議会議事堂。かろうじて壁の西側になる。
EUの旗とドイツ国旗がひるがえる。 -
連邦議会議事堂正面に回ってきました。
1933年、国会議事堂は放火によって全焼、その後の第2次大戦の爆撃と市街戦で廃墟となったうえ、東西ドイツの分断により手つかずとなった。
東西ドイツ統合後、首都がボンからベルリンに戻されたことに伴い、連邦議会議事堂が再建され、1999年に完成した。
屋上ドームに特徴がある。予約すればこのドームまで入れるらしい。高級レストランもあるとか。 -
午後4時半、バスに戻って、ベルリン大聖堂に向かいます。
ウンター・デン・リンデン通りでバスの車窓から見た”アンペルマン”(信号男)の店。元々は東ドイツの歩行者信号機の進め、止まれ、のキャラクターデザインですが、これをあしらったグッズが人気のドイツ土産になっている。 -
ベルリン国立歌劇場。これもウンター・デン・リンデンに面しています。
ウンター・デン・リンデンを直訳すると”菩提樹の下”、だそうです。 -
ドイツ大聖堂。面した道路は狭くて、これ以上下がれなかったので、巨大な大聖堂を見上げるような写真になった。
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立派な入り口。有料のようですが、ツアー代金に入っている。
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豪華な祭壇。
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祭壇を囲むイエスの生涯が描かれたステンドグラスの1枚。
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天井ドーム。
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天井をアップで撮ると...
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パイプオルガン。
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プロイセン王フリードリヒ1世の金ぴかの棺。17世紀後半から18世紀初頭のひと。
大聖堂を出て... -
ベルリン大聖堂の向かいにある”フンボルト・フォーラム”。元はベルリン王宮であったが、第2次大戦で破壊され、統一後複合文化施設として再建された。
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同じく〝旧博物館”が樹木越しに見えている。新博物館も付近にある。
ベルリン大聖堂ほかいくつかの博物館などはベルリン市街を東西に流れるシュプレー川の中州にあり、この中州は”博物館島”と呼ばれる。1999年、世界文化遺産に登録。 -
シュプレー川の観光船。
続いてまたバスに乗って”イーストサイド・ギャラリー”に向かいます。 -
イーストサイド・ギャラリーとは何か? ブランデンブルク門から南東にあります。
アンペルマン(信号男)。元は東ドイツのものでしたが、今はドイツ全土でみられるようです。 -
イーストサイド・ギャラリーとはベルリンの壁の一部、約1.3キロを残して、それをキャンバスに見立てて、公募によって壁画を描かせたもの。
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イーストサイド・ギャラリーで最も有名な一作。ソ連の指導者ブレジネフと東ドイツの指導者ホーネッカーが実際にキスした写真をもとにしたもの。抑圧国家の首脳ふたりによる”社会主義兄弟愛のキス”という、おぞましい作品。
日本をモチーフにした作品もありましたが、写真を撮りそこねました。
続いて、チェックポインント・チャーリーへ移動。 -
車中から。”赤の市庁舎”。19世紀半ばに建てられたものですが、現役のようです。
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テレビ塔。旧東ドイツが威信をかけて作った。高さ368メートル。
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チェックポイント・チャーリー。東西ベルリン境界の、米国側の検問所のひとつとして最も有名だったものを再現している。
米軍ではAを聞き取りやすくするためアルファ、Bをブラボー、Cをチャーリー、Dをデルタ、などと使う。C検問所のこと。 -
ポインント・チャーリーそばの看板。”米国領はここまで”と3か国語(英語・ロシア語・フランス語)で書いてある。
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米側ポイント・チャーリーが極めて簡素だったのに対して、当時の東ベルリン側の監視所はこんなだった、という写真。西に逃げようとしたら、撃たれる。
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附近の壁の跡に埋められたプレート、”ベルリンの壁 1961-1989”。
西ベルリンを囲む壁は155キロに及んだ。壁ができる以前の話ですが、飛び地になっている西ベルリンをソ連が封鎖したとき、米大統領トルーマンは”ベルリン大空輸”によって必要物資の送り続け、封鎖を無効化した。
その後、ケネディ大統領は西ベルリンを訪れ、”私はベルリン市民だ”とドイツ語で演説し、自由ベルリン市民との連帯を訴えた。 -
ポインント・チャーリーの脇にはちゃっかりと関連グッズの土産物屋。
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ポインント・チャーリー近くで、盛装した人々が結婚を祝っていた。このあと、彼らは何台もの車分乗し、クラクションを鳴らし続けて行進した。ドイツではよく見られる光景らしい。
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ベルリン観光を終え、午後7時前、夕食のレストラン。なんとガード下。有楽町か新橋に来たみたい。実際ときどき電車のゴトゴトいう響きがある。
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内装、壁の絵はアールデコ。1920年代、ワイマール時代のベルリンを想起させる。当時ベルリンはヨーロッパで最も享楽的・退廃的な街だった。(日本もエログロナンセンスのころ)
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ビール⑤ ”ベルリナー・キンドル”(ベルリンの子供)という地ビール。ピルスナー・タイプ。
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店の外に出ていた看板。確かにベルリンの子供だ。
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野菜サラダ。イタリアだとオイル&ビネガーを自分でかけるスタイルが多いようだが、ドイツではサラダにドレッシングがかかっている。
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厚みのあるハンバーグにようなもの。フリカデレ、というようです。添乗員さんからは肉団子と紹介されましたが。マッシュルームのクリームソースがかかっている。普通においしいです。
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デザート。ベリーのコンポートにホイップクリームがかかっている。
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8時過ぎ、食事を終えて外に出ると、テレビ塔がライトアップされている。浅草から見るスカイツリーみたい。
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夜9時、ベルリン郊外シュパンダウの”ガーナーホテル”にチェックイン。(写真は翌朝撮ったもの)
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部屋はこんな感じ。バスタブなし、湯沸かし器はあった(と思う)。
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そろそろ寝ようという時刻、タンタンという音がくりかえされたので、工事かなにかかと窓から首を出すと花火でした。方向的に市内中心部で、かなり遠い(写真はかなりアップで撮っている)。
実はこの日、9月25日(金)の翌日・翌々日にベルリン・マラソンが開催された。その前夜祭の景気づけだったのだろう。(土曜日はハーフマラソン、日曜はフルマラソン)。マラソン開催のため、市内各所ではすでに交通規制が行われていた。
3日目終了。この日は15千歩ほど歩いた。 -
4日目、午前6時半すぎの朝食。パンはどこも平均的においしいです(特にまずくはない、という意味)。特に左上の堅めのパンがおいしかったです。
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レストランは最上階16階にあり、展望はいい。
遠く東側の朝焼けにテレビ塔が見える。 -
塔のある建物はシュパンダウの市庁舎。
レストランにはトレーニング姿の韓国の(ちょっと年配の)ご婦人が数名。多分ベルリン・マラソンに参加するのだろう。 -
8時前、チェックアウトして出発。この日の行程は...
まず A.シュヴェリーン、それからB.ハンブルク、C.ブレーメンヘ。
シュヴェリーンまで3時間ほど。シュヴェリーンまでが旧東ドイツ領。ハンブルク、ブレーメンからは旧西ドイツ領で、以後は最後まで旧西ドイツ領内での移動となる。 -
車中ではしばしば太陽光パネルを見かけました。
この日の朝のベルリンの気温は5度。今回の旅行中で一番寒かったです。以後は徐々に気温が戻り、ミュンヘンあたりの最高気温は28度まで上がりました。 -
また発電風車もよく見た。ドイツは脱原発したものの、ウクライナ戦争以来のエネルギー価格高騰で苦慮しているようです。
ガソリン価格は地域によってことなるようですが、リッター2.3ユーロ(約400円)くらい。 -
2時間ほど走って休憩。こちらではバスやトラックのドライバーさんの休息時間に細かい規則があるようです。どこのドライブインでも多くのトラックが駐車している。ここのトイレはなぜか無人・無料でした。
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10時半すぎ、シュヴェリーン城に到着。わりと最近、2024年に世界遺産に登録されております。
周囲が湖に囲まれ、出島のようなところに建っている。 -
19世紀半ば、この地方(メクレンブルク=シュヴェリーン大公国)の君主フリードリヒ・フランツ2世が建てたもの。ネオ・ルネサンス様式。
現在はメクレンブルク=フォアポンメルン州の州議事堂としても使われている。 -
ファザードに飾られたいる騎馬像は、スラブ系の族長ニクロトという人物。12世紀のひと。元来この地域(北東ドイツ)はスラブ系民族の土地で、君主メクレンブルク家はニクロトの直系子孫であることを誇りとしていた。
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ここでは城内には入らず、周辺を30分ほど自由散策します。
お城の背後にある庭園に立つのはフリードリヒ・フランツ2世の騎馬像。この城を建てたひと。高さ9メートルもある。 -
庭園は広大で、遥か遠くまで行けるが、凝った造園・装飾はなさそう。
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黄葉の前で。
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城正面は州議事堂の入り口となっているため、見学者入り口は正面から右手裏側になっている。有料。
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裏に回って、湖沿いの遊歩道を歩き、湖越しに見る。”湖上の宝石”とも”北のノイシュヴァンシュタイン城”とも言われる。
この城もノイシュヴァンシュタイン城もそうですが、19世紀半ば、もはや近代といえる時期に建てられている。日本でいうなら、明治期に戦国時代風の城を作り、天守閣を建てるようなもの。美しくはあるが、かなり時代錯誤。 -
お城正面附近に戻ってきました。正面右手にあるシュヴェーリン戦勝記念塔。てっぺに黄金の大地の女神。
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湖越しに正面右手を見たところ。
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こちらは左手から見たところ。黄金のドームがはっきり見える。
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お城の向かいの、陸地側にある”シュヴェーリン州立美術館”。
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30分では足りなくて、ほぼ全員が集合時間に遅れ気味になりました。
11時20分、ボートハウスのレストランで昼食。 -
ビール⑥ バイエルンのベネディクティナーという醸造所の白ビール。
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ビール⑦ こちらは家内が頼んだもの。同じ醸造所のピルスナー。但し、300ミリリットル。
生ビールは300と500、あるいは300と400、大小選べるようです。(ミュンヘンに行くと1リットルも普通にある)
レストランでの値段は500ミリリットルで5ユーロ前後でした。 -
魚のパンフライ。またティラピアかな? ピラフ添え。
またしてもソーセージ&ポテトという予想ははずされた。これがドイツ人の普通の食事なのか、旅行会社の策略なのか? いずれにせよ、歓迎! -
ドイツ名物のアップル・シュトルーデル。
12時半、食事を終えて次の目的地、ハンブルクへ。
(以下、続く)
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