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山梨県北杜市&#8203;白州町白須の「道の駅はくしゅう」、その北側の杜の中に鎮座するのが白須 若宮八幡神社です。<br /> 道の駅に駐車し徒歩1~2分の距離になります。

山梨県北杜市白州町『白須 若宮八幡神社』

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2026/06/12 - 2026/06/12

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旅行記グループ 甲斐國一宮巡拝

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kimi shinさん

山梨県北杜市​白州町白須の「道の駅はくしゅう」、その北側の杜の中に鎮座するのが白須 若宮八幡神社です。
 道の駅に駐車し徒歩1~2分の距離になります。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 山梨県北杜市白州町白須の「道の駅はくしゅう」、その北側の杜の中に鎮座するのが白須 若宮八幡神社です。<br /> 道の駅に駐車し徒歩1~2分の距離になります。

    山梨県北杜市白州町白須の「道の駅はくしゅう」、その北側の杜の中に鎮座するのが白須 若宮八幡神社です。
     道の駅に駐車し徒歩1~2分の距離になります。

  • 社地南側の細い通り沿いに若宮八幡神社は社頭を構えています。

    社地南側の細い通り沿いに若宮八幡神社は社頭を構えています。

  • 社頭脇の由緒。<br /> 仁徳天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、武田家代々崇敬された神社で、境内に町指定天然記念物のモミの巨木がある。

    社頭脇の由緒。
     仁徳天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、武田家代々崇敬された神社で、境内に町指定天然記念物のモミの巨木がある。

  • 若宮八幡神社社頭の全景。<br /> 小高い丘の入口から石段が伸び、その上の社殿に続く。

    若宮八幡神社社頭の全景。
     小高い丘の入口から石段が伸び、その上の社殿に続く。

  • 鳥居の前を守護する狛犬は、毬持ち・子持ちのもので、平成2年に寄進された若いものです。

    鳥居の前を守護する狛犬は、毬持ち・子持ちのもので、平成2年に寄進された若いものです。

  • 阿形の背後に古そうな手水鉢があり、その奥に複数の石の社が祀られています。

    阿形の背後に古そうな手水鉢があり、その奥に複数の石の社が祀られています。

  • ここには社名不明の五社が祀られています。

    ここには社名不明の五社が祀られています。

  • 嘉永四年(1851)に寄進された鳥居には、「若宮八幡宮」の額が掲げられている。

    嘉永四年(1851)に寄進された鳥居には、「若宮八幡宮」の額が掲げられている。

  • 鳥居をくぐると、入母屋・銅葺の拝殿が建つ。

    鳥居をくぐると、入母屋・銅葺の拝殿が建つ。

  • 拝殿に額はなく、比較的新しい三枚の奉納額が掛けられ、中央の額には信玄の姿が描かれています。

    拝殿に額はなく、比較的新しい三枚の奉納額が掛けられ、中央の額には信玄の姿が描かれています。

  • 境内は二段構成となっており、下段に拝殿・幣殿、上段には覆屋が建てられ、その右手に社名不明の石祠が祀られています。

    境内は二段構成となっており、下段に拝殿・幣殿、上段には覆屋が建てられ、その右手に社名不明の石祠が祀られています。

  • 覆屋内の本殿は流造で、本殿左側の斜面にも石祠が祀られています。<br /><br />白州町誌(1986)の当社解説は以下。<br /> 「若宮八幡神社(旧郷社)<br />鎮座地 白須1598番地<br /> 祭神 仁徳天皇・神功皇后・応神天皇<br />祭日 九月二十三日<br />由緒 <br /> 『岐北神社誌』には、後醍醐天皇の御子・守邦親王の時代に勧請・創建されたと記されています。<br />一方、『甲斐社記』では「勧請の時期は年暦が分からない」としつつ、伝承として、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が任国の折に神主・石田道麿へ命じ、宮原の北側に白須八幡宮を鎮座させたとあります。<br /> これ以降、武田家の祈願所として代々厚く尊崇されました。<br />永禄年間(1558~1570)には、白須刑部少輔義政が馬場信房と協力し、現在地へ遷座して社殿を造営しました。<br /> 徳川氏の治世においても崇敬を受けたと伝えられています。<br />明治四年に上知となり、明治六年には郷社に昇格して社勢は大いに栄えました。<br /> しかし、明治四十年(1907)九月十六日の祭典で、提灯の失火により本殿・拝殿が全焼しました。<br />その後、明治四十三年五月にようやく再建され、大正三年(1914)四月二日に神社財産登録の許可を受け、現在に至っています。<br /><br />若宮神主殿<br /> 社殿建造物 仮本殿・拝殿・石灯籠・石鳥居<br />宝物 <br /> 青銅神鏡一面、掛軸一軸(宗良親王白須松原を詠める御歌、阪正臣書)、額面三面。<br />境内末社 <br /> 琴平社・東照宮社・道祖神社・稲荷社・山神社・八坂社・熊野社・秋葉社・愛宕社・石尊社・春日社。<br />その他<br /> 境内にモミの巨木がある。<br />根回り6.5m、目通り幹囲5.84mの規模であったが、落雷で幹部は中断、南枝が伸びているが、幹の内部は空洞。町の天然記念物に指定されている。」<br /><br />創建時期や、当初の鎮座地とされる「宮原」が現在のどこにあたるのかは明確ではないが、永禄年間(1558~1570)当地に遷座したようだ。

    覆屋内の本殿は流造で、本殿左側の斜面にも石祠が祀られています。

    白州町誌(1986)の当社解説は以下。
     「若宮八幡神社(旧郷社)
    鎮座地 白須1598番地
     祭神 仁徳天皇・神功皇后・応神天皇
    祭日 九月二十三日
    由緒 
     『岐北神社誌』には、後醍醐天皇の御子・守邦親王の時代に勧請・創建されたと記されています。
    一方、『甲斐社記』では「勧請の時期は年暦が分からない」としつつ、伝承として、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が任国の折に神主・石田道麿へ命じ、宮原の北側に白須八幡宮を鎮座させたとあります。
     これ以降、武田家の祈願所として代々厚く尊崇されました。
    永禄年間(1558~1570)には、白須刑部少輔義政が馬場信房と協力し、現在地へ遷座して社殿を造営しました。
     徳川氏の治世においても崇敬を受けたと伝えられています。
    明治四年に上知となり、明治六年には郷社に昇格して社勢は大いに栄えました。
     しかし、明治四十年(1907)九月十六日の祭典で、提灯の失火により本殿・拝殿が全焼しました。
    その後、明治四十三年五月にようやく再建され、大正三年(1914)四月二日に神社財産登録の許可を受け、現在に至っています。

    若宮神主殿
     社殿建造物 仮本殿・拝殿・石灯籠・石鳥居
    宝物 
     青銅神鏡一面、掛軸一軸(宗良親王白須松原を詠める御歌、阪正臣書)、額面三面。
    境内末社 
     琴平社・東照宮社・道祖神社・稲荷社・山神社・八坂社・熊野社・秋葉社・愛宕社・石尊社・春日社。
    その他
     境内にモミの巨木がある。
    根回り6.5m、目通り幹囲5.84mの規模であったが、落雷で幹部は中断、南枝が伸びているが、幹の内部は空洞。町の天然記念物に指定されている。」

    創建時期や、当初の鎮座地とされる「宮原」が現在のどこにあたるのかは明確ではないが、永禄年間(1558~1570)当地に遷座したようだ。

  • 拝殿の向かいに聳えるモミの巨木。<br /> 落雷により主幹は途中で失われてしまったが、脇の枝から上に向け伸び続けている。<br />樹齢は書かれていなかったが、落雷前の樹高がどれほどのものだったか知りたいところです。

    拝殿の向かいに聳えるモミの巨木。
     落雷により主幹は途中で失われてしまったが、脇の枝から上に向け伸び続けている。
    樹齢は書かれていなかったが、落雷前の樹高がどれほどのものだったか知りたいところです。

  • 若宮八幡神社の社頭から左へ進むと、別の参道と思われる鳥居が立っています。<br /> 当初、脇参道かと思っていたが、石段を上ってみるとどうやら違うようだ。

    若宮八幡神社の社頭から左へ進むと、別の参道と思われる鳥居が立っています。
     当初、脇参道かと思っていたが、石段を上ってみるとどうやら違うようだ。

  • 昭和17年寄進の鳥居をくぐると一対の常夜灯が立てられていました。

    昭和17年寄進の鳥居をくぐると一対の常夜灯が立てられていました。

  • この辺りは若宮八幡神社の境内にも繋がっていますが、参道は更に上へ伸びています。<br /> 参道左側に解説板が立てられていた。

    この辺りは若宮八幡神社の境内にも繋がっていますが、参道は更に上へ伸びています。
     参道左側に解説板が立てられていた。

  • 「旭嶽皇大神宮社前宮。<br />祭神 天照大神・成田不動明王<br /> 由緒 口伝によれば、成田山不動明王のお告げにより、開祖酒井鉄次郎(天神霊神)崇敬者と計り地蔵嶽中腹旭嶽に社殿を建立、御祭神二柱を勧請し祭祀したが、老若者の参詣困難なため、昭和10年(1935)現在地に大教正伊奈波弘宜 前宮を造営し国家太平家内安全を祈願した。<br />春宮祭 4月20日<br /> 末社 八方神社他6社。」<br />昭和10年に建立された前宮とあるが、文中にある「地蔵嶽中腹旭嶽に社殿」がどこにあたるのか分からない。<br /> 「老若者の参詣困難」……?、この参道の方角には赤岳があるが、地蔵嶽は知らない。<br />解説の後方に聳える甲斐駒方面には地蔵ヶ岳はあるが、向きが違うように思える、……良く分からない。

    「旭嶽皇大神宮社前宮。
    祭神 天照大神・成田不動明王
     由緒 口伝によれば、成田山不動明王のお告げにより、開祖酒井鉄次郎(天神霊神)崇敬者と計り地蔵嶽中腹旭嶽に社殿を建立、御祭神二柱を勧請し祭祀したが、老若者の参詣困難なため、昭和10年(1935)現在地に大教正伊奈波弘宜 前宮を造営し国家太平家内安全を祈願した。
    春宮祭 4月20日
     末社 八方神社他6社。」
    昭和10年に建立された前宮とあるが、文中にある「地蔵嶽中腹旭嶽に社殿」がどこにあたるのか分からない。
     「老若者の参詣困難」……?、この参道の方角には赤岳があるが、地蔵嶽は知らない。
    解説の後方に聳える甲斐駒方面には地蔵ヶ岳はあるが、向きが違うように思える、……良く分からない。

  • 上に続く石段の先の常夜灯、ブッシュの先に複数の石の社の姿が見られます。<br /> それが前宮なんだろうか。<br />確かめにいこうか?<br /> いやいやローカットのスニーカーでブッシュに分け入る度胸はない、ここまでにしておこう。

    上に続く石段の先の常夜灯、ブッシュの先に複数の石の社の姿が見られます。
     それが前宮なんだろうか。
    確かめにいこうか?
     いやいやローカットのスニーカーでブッシュに分け入る度胸はない、ここまでにしておこう。

  • 諦めて道路に戻り若宮八幡神社の杜の全景を収める。

    諦めて道路に戻り若宮八幡神社の杜の全景を収める。

  • 杜の西側の田畑の先には甲斐駒方面の山々が迫る。<br /><br />山梨県北杜市白州町『白須 若宮八幡神社』<br />創建 / 諸説あり<br />当地への遷座 / 永禄年間(1558~1570)<br />祭神 / 仁徳天皇、神功皇后、応神天皇<br />境内社 / 琴平社・東照宮社・道祖神社・稲荷社・山神社・八坂社・熊野社・秋葉社・愛宕社・石尊社・春日社<br />例祭日 / 九月二十三日<br />所在地 / 山梨県北杜市白州町白須1598<br />参拝日 / 2026/6/12

    杜の西側の田畑の先には甲斐駒方面の山々が迫る。

    山梨県北杜市白州町『白須 若宮八幡神社』
    創建 / 諸説あり
    当地への遷座 / 永禄年間(1558~1570)
    祭神 / 仁徳天皇、神功皇后、応神天皇
    境内社 / 琴平社・東照宮社・道祖神社・稲荷社・山神社・八坂社・熊野社・秋葉社・愛宕社・石尊社・春日社
    例祭日 / 九月二十三日
    所在地 / 山梨県北杜市白州町白須1598
    参拝日 / 2026/6/12

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