2026/09/06 - 2026/09/06
195位(同エリア321件中)
あおしさん
埼玉県は人口は約700万人、全国都道府県では第5位、人口密度は第4位の首都圏の県です。
そんな人口の多い埼玉県ですが、山間部秩父地方は過疎地域になっていて、9月30日、1日5往復、乗客がほとんどいない秘境路線バス路線が9月末で廃止が決まりました。
どんな路線か興味が出たので、雨の日でしたが、日帰りで行ってみました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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秩父へは大手私鉄の西武秩父線で向かいます。
西武秩父線は西武自慢の特急電車ラビューがおおむね1時間に1本運行されていますが、山間部を通るローカル線でもあります。
かつてアメリカの「ハゲタカファンド」が西武の株式を買い占めて経営参加をしてきたときに、西武秩父線の廃線をぶち上げて、地元では大騒ぎになったこともありました。
普通電車は1時間に2本、首都圏では珍しいボックスシートの4両編成の電車が使われています。東飯能駅 駅
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首都圏の飯能駅から約1時間、西部秩父駅に到着しました。
特急電車の発着ホームは観光客でにぎわっていますが、普通電車からはパラパラとお客が降りるくらいで閑散としています。大手私鉄西武鉄道のローカル線です by あおしさん西武秩父線 乗り物
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西武秩父駅は商業施設「西武秩父駅前温泉 祭の湯」と一体となっていて、日帰り温泉、レストラン、おみやげ物店などがあり、観光客でにぎわっています。
西武秩父駅 駅
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ここで少し腹ごしらえ。
たこ焼きと秩父名物の秩父の名産の味噌を塗ったじゃがいもを食べました。西武秩父駅と一体となった日帰り温泉、商業施設です。 by あおしさん西武秩父駅前温泉 祭の湯 温泉
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後これから行くところは田舎でコンビニもなさそうなので、秩父の名産のおにぎりセットも念のため買っておきます。
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西武秩父駅はバスターミナルにもなっていて、このあたりの交通の拠点です。
まずはここからバスで秩父市の隣の小鹿野町行のバスに乗ります。
バス会社は西武鉄道バスの子会社で、秩父一帯でバスを運行している西武観光バスです。令和8年9月30日廃止になる小鹿野~長沢線に乗りに行きました。 by あおしさん路線バス (西武観光バス) 乗り物
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西武秩父駅から約1時間、小鹿野町の中心にある観光交流館前でバスを降ります。
観光交流館は小鹿野町の観光の拠点です。
建物は明治時代以来の旅館の建物で、宮沢賢治も宿泊したことがあるそうです。
この建物の裏手には宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩碑がありました。小鹿野観光の拠点です by あおしさん小鹿野町観光交流館 名所・史跡
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小鹿野町の名物「わらじカツ丼」。
ロース・モモ肉2枚のカツがわらじのように大きいので、この名前がつきました。
タレで漬け込んでいるのでソースをかける必要はなくそのまま食べられます。
交流館の食堂で食べられました。 -
小鹿野町は古代から記録に出てくる古い町です。
第12代景行天皇の王子・日本武尊が道に迷ったときに鹿が現れ道案内をしてくれた後、力尽きて死んでしまいました。
日本武尊はその鹿を憐れみ、祠を建てたことが小鹿神社の始まり、小鹿野町の始まりとされています。
その後この地域には平安時代から鎌倉時代にかけて平将門の一族で生き残った将門の次女を母とし、平将門の後継者を誇った平将恒に始まる秩父氏がこのあたりを地盤にして関東の有力豪族として栄えました。
秩父氏はその後武蔵の国(現在の埼玉県、東京都)の平野部に進出して、一族が分家となって深谷市畠山を地盤とする畠山重忠、埼玉県川越市を地盤とする河越重頼、東京都渋谷を地盤とする渋谷重国、ほかに江戸重長、葛西清重などは源頼朝の鎌倉幕府成立に大いに貢献しました。
現在では東京渋谷は大都会、秩父は田舎の小都市のイメージですが、当時は秩父は秩父一族の本拠の「都会」、渋谷は僻地の未開の開拓地だったのです。
小鹿神社は秩父氏一族の守護神社となっていたことでしょう。日本武尊以来の由緒ある神社です。 by あおしさん小鹿神社 寺・神社・教会
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小鹿神社では鹿がたくさん飼われていました。
雨だったので鹿たちも雨宿りをしていましたが、エサを出すと群がってきました。
おなかが空いていたのかな。小鹿神社のすぐ隣にありました by あおしさんおがの鹿公園 公園・植物園
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小鹿野町は江戸時代から明治時代にかけても養蚕業で、秩父地方の中心として栄えていました。
ただ、鉄道がとおらなかっため、やがて都市化が遅れてしまいましたが、結果として古い町並みが残っています。
この和菓子店は江戸時代の創業とありました。 -
この建物は江戸時代の創業だった醤油屋だったお店です。
現在は酒店として営業しています。 -
この加藤家の建物も蔵のある歴史を感じさせる建物です。
おそらく養蚕の商売をしていたのでしょう。
現在は廃業しているようです。 -
この加藤家の脇から入る路地は神社につながります。
小鹿野の町にはこのような路地が多く見られます。 -
明治初め創業の越後屋旅館。
初代の宿主が新潟県の生まれだったので、「越後屋」を名乗ったとか。
明治時代、日露戦争で有名な乃木希典大将もこの旅館に泊まったことがあるとか。 -
さて、小鹿野の中心から今回乗りにきた長沢行のバスに乗ります。
お客はわたしも含めて男性4人。
いずれも目的はわたしと同じようでした。
運転手さんもさきほど西武秩父駅から小鹿野まで運転していた70歳くらいのおじいさんがこのバスも運転していました。 -
バス停には9月30日でこの長沢行のバス路線が廃止されることが案内されていました。
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このバスは山の中の細い道をどんどん山奥に向かっていきます。
途中に見えたダム湖。 -
森のような中の道路を走る場所もあります。
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細い道を進んでいくと、民家が数軒の集落があり、そこにバス停があります。
もっとも乗り降りがないのでひたすらバス停を通過していますけど。 -
小鹿野から約340分。
終点の「長沢」に到着しました。
わずか5分ほどで折り返し。
おじいさんの運転手と少し話をしましたが、昔は小学生から高校生などが通学に使っていたりでそれなりに利用者はいたそうですが、現在は子供がいなくなり、本当に利用者はいないそうです。
もしかしたらこのおじいさんの運転手が引退なので、9月末で廃止になったのかも。
私以外の3人の方は折り返しのバスに乗っていきました。 -
ボロボロになった待合場所。
それでも屋根があり、雨が降っていたので助かりました。 -
折り返しのバスを見送って、次のバスまで1時間半。
1日5本しかないので、次のバスが最終便です。
その間、このあたりを歩いてみることにしました。 -
長沢バス停から少し山奥に歩いていくと、集落がありました。
感覚的には民家は50軒ほど。
ただ、半分以上は空き家のようでした。 -
この集落の人々は養蚕で生活していたようで、2階建ての養蚕農家らしい大きいな家が多く見られました。
この家は蔵が2つもあり、かつては相当儲かっていたのでしょう。
現在は空き家になっていました。 -
長沢バス停に戻り、隣のバス停まで歩きました。
1キロほど歩くとやはり集落があり、養蚕農家の建物もありましたが、半分以上は空き家になっているようです。 -
そのバス停から最終の小鹿野行のバスに乗ります。
運転手はさっきと同じおじいさんの運転手。
「戻ってきたね」という表情でにこやかに笑っておられました。
最近はわたしのような目的の乗客ばかりなのでしょう。
この最終便のお客さんはわたし1人でした。西武秩父駅 駅
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この旅行記へのコメント (1)
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- へびおさん 2026/09/13 18:31:31
- おがの
- あおしさん
こんばんわ。
生まれも育ちも埼玉、父が秩父出身のへびおと申します。
秩父方面は埼玉住みでもなかなか行きづらい場所。
小鹿野も名前は勿論知っていますが、行ったことはありませんでした。
あんなに風情のある町並が残っているのですね。
小鹿野の名前の由来も知れて勉強になりました。
三峰や宝登山も日本武尊に関連する話が残っていますが小鹿野もそうだったんですね。
しかも神社に鹿まで飼われているとは。
バスの廃線は寂しいですね。
運転手さんも最後に色々な人に乗ってもらって嬉しかったのではないでしょうか。
私もいつか機会があれば小鹿野に行ってみたいと思います。
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