2026/08/23 - 2026/08/23
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スネフェルさん
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岩村城からの戻り時、やたらと日本大正村の案内板を見かけたので行ってみることにしました。
犬山にある明治村のようなテーマパークを想像していたのですが、意に反して古い街並みのある街、という風情のエリアでした。
なので、見物は基本は無料。
大正と謡ってはいるものの、テーマパークではないので、露骨に「大正」を主張してはいませんでした。
なんとなく古いかな、といった程度
個人的には「大正」より「明智光秀」の痕跡の方が心惹かれました。
大正ロマン館の背後には明智光秀が生誕したのはこの明知城が鎮座します
江戸初期に廃城にされたため、明智氏の痕跡は城からは消えていますが、明智氏ゆかりの地、という誇りと痕跡はこの地に残っていました。
予備知識無しでの訪問でしたが、思わぬ発見があり、楽しい訪問となりました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
-
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いい雰囲気の倉脇の小道を進みます
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大正路地、というらしいです
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石畳はさらに続くので進んでみます
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左側の板張りの家屋はちょっと良い雰囲気
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いわゆる洋風建築が見えてきました
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昔の町役場らしい
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旧町役場に入ってみます
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ちょっと昭和の小学校の廊下の雰囲気
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昔の事務所スペースでしょうか・・・
特定郵便局レベルの事務スペースみたいな広さ -
レコード盤再生機
役場に元々あったものではなく、寄贈されたものでしょう -
あ~!
昔ありましたね、こういう剥製!
最近、みませんね
信楽焼ではなく、剥製の狸ですね -
2Fが立ち入り禁止。
個人的には標識が気になる・・・(笑) -
大正村絵画館
ここはスルー -
こちらに行くと明知城跡のようですが、スルー
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大正ロマン館が見えてきました
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明知光秀像がありました
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ここは朝ドラの舞台になったみたい
(朝ドラは見ないので・・・)
中に入ってみます -
博物館というか、地域の歴史を学べる展示がありました
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東三のは国衆(地場の土豪)が結構多かったみたいですね
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武田信玄従属期の東美濃
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武田・織田衝突期
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織田家勢力圏下時代
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武田家が盛り返した時期
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織田家の反抗
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本能寺の変以後。
最近、「戦国小町苦労譚」を読んでいるので、鬼武蔵のキーワードにちょっと萌えます(笑) -
小牧長久手の戦いのとき
考えてみれば、ここと小牧は近いですね -
明知城の模型もありました
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明知光秀ゆかりの地の展示
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明知城想像図
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雛人形(?)の展示
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レトロな時計群
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こちらは今や見かけなくなった掛け時計
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ことらも掛け時計
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レトロな西洋人形
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色々な形のアコーディオン
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こちらもアコーディオン
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現代でもよく見かける形式のアコーディオンもありました
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斜め鍵盤のアコーディオン
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こちらは単独展示のアコーディオン
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歴史がありそうなピアノ
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テープ式のオルゴール
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ローチェストならるミドルチェスト?
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帆船模型と絵皿
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レトロ館外に展示されていたこれまた古い車
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レトロ館の山側にあった古民家
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三宅邸だっそうです
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ちょっと門みたいなオブジェがありました
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明知陣屋跡のようです。
陣屋というから明知”藩”があったのか、と思いましたが明知領の石高は6500石
交代寄合(知行1万石未満でありながら譜代大名なみの待遇)の明知家の知行地だったようです
永正5年(1508年)8月に今川軍が松平家を攻めた時、松平方として戦った記録があるようですが、国衆の性で明知家は武田についたりもしています
そsれでも譜代格にはなるんですね -
街中に普通に止まっていたマツダ・キャロル
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龍護寺にやってきました
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ここは明智光秀の霊廟があります
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霊廟前景
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明智氏の系図と龍護寺の説明文
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明智光秀出生地の碑がありました。
ここで生まれ、ここに祀られているんですね -
立派な碑ですが、説明文はありませんでした
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お牧の方の墓に行ってみました。
お牧の方は明知光秀のご母堂です。
丹波の八上城で人質となり、織田信長と波多野氏の対立のあおりを受けて磔にされて命を落としました。
とはいえ、ここは美濃。
どうやって遺骸を運んできたのでしょうか? -
お牧の墓と伝わる、と言うことですが、検証はされていないようです
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明智公の母親は八上城攻略時に人質として入ったものの、信長の心変わりにより処刑されてしまったようです。
まぁ、史実ではないようですが・・・
八上城落城は天正3年。
本能寺の変は天正10年。
仮に復讐だとすると、かなり気の長い話となります。 -
お牧の方の墓所の説明文。
四年ごとに「甘酒祭り」を里人が開催し、供養してきた、とあります。
処刑が事実かどうかは別にして、お牧の方、言い換えると明智氏が地元の人に慕われていた証左でしょう。
明知は「鬼武蔵」と言われた森長可が領主だった時期もありますが、江戸期は遠山家の支配下でした。
前領主がわっ擦れられないほど、苛政だったのでしょうね。 -
この石が墓石のようです
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お牧の方の墓所の説明文
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明智駅までやってきました
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明知鉄道の列車。
カラフルです -
おまけ
大正村にあったマンホール
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