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今から20年ほど前、JR常磐線の石岡駅から鉾田まで鹿島鉄道という小さなローカル私鉄線がありました。<br />首都圏の鉄道ながらレトロなデイーゼルカーの走るささやかなローカル線でした。<br />赤字のために2007年3月末で廃止になったときにお名残で乗りに行きました。<br /><br />今回久しぶりに鹿島鉄道の廃線跡をたどってみました。<br />なかなかハードな廃線跡めぐりになりました。

鹿島鉄道廃線跡を「ローカル路線バスの旅」

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2026/08/15 - 2026/08/15

122位(同エリア264件中)

あおし

あおしさん

今から20年ほど前、JR常磐線の石岡駅から鉾田まで鹿島鉄道という小さなローカル私鉄線がありました。
首都圏の鉄道ながらレトロなデイーゼルカーの走るささやかなローカル線でした。
赤字のために2007年3月末で廃止になったときにお名残で乗りに行きました。

今回久しぶりに鹿島鉄道の廃線跡をたどってみました。
なかなかハードな廃線跡めぐりになりました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 上野駅からJR特急「ときわ」で約1時間。<br />石岡駅に到着。<br /><br />石岡市は人口約7万人、茨城県では13番目の地味な市です。<br />人口約27万人の県都・水戸市、人口約24万人の研究都市・つくば市、人口約15万人の日立製作所の本拠、日立市と異なり、全国的な知名度もなく、石岡市を知らない人も多いことでしょう。<br />

    上野駅からJR特急「ときわ」で約1時間。
    石岡駅に到着。

    石岡市は人口約7万人、茨城県では13番目の地味な市です。
    人口約27万人の県都・水戸市、人口約24万人の研究都市・つくば市、人口約15万人の日立製作所の本拠、日立市と異なり、全国的な知名度もなく、石岡市を知らない人も多いことでしょう。

    石岡駅

  • 今は地味になってしまった石岡市ですが、古代では現在の茨城県である常陸国の国府(今でいう県庁)が置かれ、常陸国の中心都市として栄えていました。<br />常陸国は全国の「国」の中で格の高い「上国」とされ、その長官・国守である「常陸国司・常陸守」は代々親王が就任するほどでした。<br />日本鳥類保護連盟総裁で、「鳥はお好きですか」と聞かれて、「『焼き鳥』大好きです!」と高市さんがやらかした常陸宮(正仁親王)様の由来も、常陸国が親王が常陸国司・国守だったことに由来します。<br /><br />西暦940年、坂東で武勇の名をとどろかせていた平将門はここにあった常陸国府を襲撃しました。<br />ここに「平将門の乱(承平天慶の乱)」が始まりました。<br />

    今は地味になってしまった石岡市ですが、古代では現在の茨城県である常陸国の国府(今でいう県庁)が置かれ、常陸国の中心都市として栄えていました。
    常陸国は全国の「国」の中で格の高い「上国」とされ、その長官・国守である「常陸国司・常陸守」は代々親王が就任するほどでした。
    日本鳥類保護連盟総裁で、「鳥はお好きですか」と聞かれて、「『焼き鳥』大好きです!」と高市さんがやらかした常陸宮(正仁親王)様の由来も、常陸国が親王が常陸国司・国守だったことに由来します。

    西暦940年、坂東で武勇の名をとどろかせていた平将門はここにあった常陸国府を襲撃しました。
    ここに「平将門の乱(承平天慶の乱)」が始まりました。

    常陸国府跡 名所・史跡

    平将門が襲撃した国府があった場所です by あおしさん
  • 現在、常陸国府の跡には小学校があり、校内には石岡市の郷土資料を展示している「ふるさと歴史館」があります。<br />小学校の校内にあるので、場所がわからず、正門は閉まっているし、入館にちょっと迷いました。

    現在、常陸国府の跡には小学校があり、校内には石岡市の郷土資料を展示している「ふるさと歴史館」があります。
    小学校の校内にあるので、場所がわからず、正門は閉まっているし、入館にちょっと迷いました。

    石岡市立ふるさと歴史館 美術館・博物館

    常陸国府跡にある無料の郷土資料館。小学校の中にあり、少々戸惑いました by あおしさん
  • すぐ近くには常陸国の総社である「常陸國總社宮」もあります。<br />今は地味な神社ですが、この神社の9月に行われるお祭り、その名も「おまつり」は「関東三大祭」の1つで、とても活気があり、見ごたえのあるお祭りです。

    すぐ近くには常陸国の総社である「常陸國總社宮」もあります。
    今は地味な神社ですが、この神社の9月に行われるお祭り、その名も「おまつり」は「関東三大祭」の1つで、とても活気があり、見ごたえのあるお祭りです。

    常陸国総社宮 寺・神社・教会

  • 江戸時代は、常陸府中藩2万石の城下町となりました。<br />「府中藩」とは、常陸の国府が置かれていたことに由来します。<br />徳川御三家で、「水戸黄門」で知られる水戸藩の支藩で、代々徳川家一門の松平氏が藩主になりました。<br />城はなく、陣屋がおかれて、その正門・陣屋門だけが現在も残っています。

    江戸時代は、常陸府中藩2万石の城下町となりました。
    「府中藩」とは、常陸の国府が置かれていたことに由来します。
    徳川御三家で、「水戸黄門」で知られる水戸藩の支藩で、代々徳川家一門の松平氏が藩主になりました。
    城はなく、陣屋がおかれて、その正門・陣屋門だけが現在も残っています。

    石岡の陣屋門 名所・史跡

  • 明治時代でも、石岡市は県都水戸市に次ぐ人口が2番目の都市でした。<br />関東大震災や大火などもありましたが、そのたびに市街地の町並みは再建され、現在もレトロな昭和初めの建物が残っています。

    明治時代でも、石岡市は県都水戸市に次ぐ人口が2番目の都市でした。
    関東大震災や大火などもありましたが、そのたびに市街地の町並みは再建され、現在もレトロな昭和初めの建物が残っています。

  • 関東大震災やその後にあった大火のあと建てられた「看板建築」の建物です。<br />「看板建築」とは、木造建築ながら、大火などにも耐えられるようにモルタルやタイル、銅板などで西洋風に装飾し、あたかも建物の正面に大きな看板を取り付けたような建物を言います。<br />建築費もさぞかし高額になったでしょうけど、当時の石岡の繁栄ぶりを偲ばせます。

    関東大震災やその後にあった大火のあと建てられた「看板建築」の建物です。
    「看板建築」とは、木造建築ながら、大火などにも耐えられるようにモルタルやタイル、銅板などで西洋風に装飾し、あたかも建物の正面に大きな看板を取り付けたような建物を言います。
    建築費もさぞかし高額になったでしょうけど、当時の石岡の繁栄ぶりを偲ばせます。

    久松商店 名所・史跡

    「看板建築」の建物です by あおしさん
  • 市内を2時間ほど散策したあと、石岡駅へ戻ります。<br />国府跡や市街地のある石岡駅西口と反対側の東口にはバスターミナルがあります。

    市内を2時間ほど散策したあと、石岡駅へ戻ります。
    国府跡や市街地のある石岡駅西口と反対側の東口にはバスターミナルがあります。

    石岡駅

  • かつてこの場所には鹿島鉄道の石岡駅がありました。<br />ホームだけはなく、車両基地や鹿島鉄道の本社などもあり、鹿島鉄道の拠点となっていました(2007年3月)。

    かつてこの場所には鹿島鉄道の石岡駅がありました。
    ホームだけはなく、車両基地や鹿島鉄道の本社などもあり、鹿島鉄道の拠点となっていました(2007年3月)。

  • 鹿島鉄道が廃止されたあとは、バスが代替交通になりました。<br />石岡駅から通称「かしてつバス」(関東鉄道バス)に乗ります。<br />途中の常陸小川駅まではほぼ30分に1本、2本に1本は茨城空港に直通しています。

    鹿島鉄道が廃止されたあとは、バスが代替交通になりました。
    石岡駅から通称「かしてつバス」(関東鉄道バス)に乗ります。
    途中の常陸小川駅まではほぼ30分に1本、2本に1本は茨城空港に直通しています。

  • 鹿島鉄道の廃線跡は、石岡駅から途中の四箇村駅まで約5キロは、バス専用道として整備されました(かしてつBRT)。<br />かつての駅跡のバス停もきれいな待合室が整備されています。

    鹿島鉄道の廃線跡は、石岡駅から途中の四箇村駅まで約5キロは、バス専用道として整備されました(かしてつBRT)。
    かつての駅跡のバス停もきれいな待合室が整備されています。

  • BRT区間の途中駅、玉里駅に途中下車してみます。<br />現在は小美玉市、平成の大合併前は玉里村の駅です。<br />小美玉市の「玉」は玉里村に由来します。<br /><br />かつての鹿島鉄道の駅の跡のバス停は、「〇〇駅」と名付けられています。

    BRT区間の途中駅、玉里駅に途中下車してみます。
    現在は小美玉市、平成の大合併前は玉里村の駅です。
    小美玉市の「玉」は玉里村に由来します。

    かつての鹿島鉄道の駅の跡のバス停は、「〇〇駅」と名付けられています。

  • かつての玉里駅は、最後は駅舎もない無人駅でしたが、単線の鹿島鉄道で、列車交換のできる駅でした。<br />

    かつての玉里駅は、最後は駅舎もない無人駅でしたが、単線の鹿島鉄道で、列車交換のできる駅でした。

  • 現在も玉里駅は、「単線」のかしてつBRTで、バスの交換ができる「駅」になっています。

    現在も玉里駅は、「単線」のかしてつBRTで、バスの交換ができる「駅」になっています。

  • 玉里駅からかしてつBRTに乗り、小美玉市の「小」である旧小川町の中心部でバスを降りました。<br />

    玉里駅からかしてつBRTに乗り、小美玉市の「小」である旧小川町の中心部でバスを降りました。

  • 旧小川町の中心市街地にはこの町の氏神様である素鵞神社がありました。<br />祀られている神様は古来からのこの地元の神様らしく知らない神様ばかりでした。

    旧小川町の中心市街地にはこの町の氏神様である素鵞神社がありました。
    祀られている神様は古来からのこの地元の神様らしく知らない神様ばかりでした。

    素鵞神社 寺・神社・教会

    旧小川町の氏神様 by あおしさん
  • この神社前に旧小川町の郷土資料館があるので、立ち寄りました。<br />資料館の江戸時代の小川町の船着き場のジオラマ。<br /><br />旧小川町は江戸時代は、江戸~利根川につながる園部川の河岸が舟の集積地として栄えました。<br />ここを経由して、江戸、利根川からの諸荷物が水戸へ運ばれました。<br />この小川の河岸には舟が常時50隻も停泊していたそうです。<br /><br />現在では旧小川町に茨城空港があります。

    この神社前に旧小川町の郷土資料館があるので、立ち寄りました。
    資料館の江戸時代の小川町の船着き場のジオラマ。

    旧小川町は江戸時代は、江戸~利根川につながる園部川の河岸が舟の集積地として栄えました。
    ここを経由して、江戸、利根川からの諸荷物が水戸へ運ばれました。
    この小川の河岸には舟が常時50隻も停泊していたそうです。

    現在では旧小川町に茨城空港があります。

  • 現在の園部川。<br />往時の賑わいは偲べませんでした。<br /><br />鹿島鉄道のガーター鉄橋が廃線後20年も経過したのにまだ残っていました。

    現在の園部川。
    往時の賑わいは偲べませんでした。

    鹿島鉄道のガーター鉄橋が廃線後20年も経過したのにまだ残っていました。

  • 旧小川町中心部から2キロほど、ぶらぶらとまち歩き。<br />途中に鹿島鉄道の駅跡、小川高校下駅跡がありました。<br />ホームや待合ベンチや屋根は残っていましたが、雑草に覆われていました。

    旧小川町中心部から2キロほど、ぶらぶらとまち歩き。
    途中に鹿島鉄道の駅跡、小川高校下駅跡がありました。
    ホームや待合ベンチや屋根は残っていましたが、雑草に覆われていました。

  • 鹿島鉄道時代の小川高校下駅です。<br />ホームにはは小川高校の生徒さんの手によるイラストが描かれていました。<br />小川高校ではこの駅を通学に使っている生徒が多かったこともあり、鹿島鉄道の廃止の前には、「かしてつ応援団(鹿島鉄道沿線中高生徒会連絡会)」の中心として存続運動をしていました。<br />小川高校は鹿島鉄道廃止後、学校も閉校しました。

    鹿島鉄道時代の小川高校下駅です。
    ホームにはは小川高校の生徒さんの手によるイラストが描かれていました。
    小川高校ではこの駅を通学に使っている生徒が多かったこともあり、鹿島鉄道の廃止の前には、「かしてつ応援団(鹿島鉄道沿線中高生徒会連絡会)」の中心として存続運動をしていました。
    小川高校は鹿島鉄道廃止後、学校も閉校しました。

  • かしてつバスの小川駅バスターミナルへ。<br />ここから南下して玉造町へ向かいます。<br /><br />かしてつバスは石岡駅からこの小川駅までは茨城空港行きも含めて30分に1本、バスがありますが、この駅から先は、1日3本しかバスがありません。<br />鹿島鉄道のころは1時間1本列車があり、代行バスもしばらく1時間に1~2本あったのが、交通需要が無くなってしまったのでしょうか。

    かしてつバスの小川駅バスターミナルへ。
    ここから南下して玉造町へ向かいます。

    かしてつバスは石岡駅からこの小川駅までは茨城空港行きも含めて30分に1本、バスがありますが、この駅から先は、1日3本しかバスがありません。
    鹿島鉄道のころは1時間1本列車があり、代行バスもしばらく1時間に1~2本あったのが、交通需要が無くなってしまったのでしょうか。

  • 鹿島鉄道時代は常陸小川駅がありました。<br />無人駅がほとんどの鹿島鉄道の中では玉造駅、終点の鉾田駅と並ぶ主要駅で、駅員さんも駅舎もある駅でした。

    鹿島鉄道時代は常陸小川駅がありました。
    無人駅がほとんどの鹿島鉄道の中では玉造駅、終点の鉾田駅と並ぶ主要駅で、駅員さんも駅舎もある駅でした。

  • 駅構内は列車交換のできる駅で、1日の利用者も多かったようです。<br /><br />今は駅舎も取り壊され、乗り場のある広場のようなバスターミナルになってしまいました。<br />ホームや線路はともかく駅舎だけでもバス待合所として残しておいてほしかったかな。

    駅構内は列車交換のできる駅で、1日の利用者も多かったようです。

    今は駅舎も取り壊され、乗り場のある広場のようなバスターミナルになってしまいました。
    ホームや線路はともかく駅舎だけでもバス待合所として残しておいてほしかったかな。

  • 玉造町へ向かうバスからは霞ケ浦が見えます。<br />霞ケ浦は琵琶湖について日本では2番目の大きな湖です。<br />

    玉造町へ向かうバスからは霞ケ浦が見えます。
    霞ケ浦は琵琶湖について日本では2番目の大きな湖です。

  • 鹿島鉄道はこのあたりでは道路よりさらに霞ケ浦沿いに走っていて、車窓を楽しませてくれた区間でした。

    鹿島鉄道はこのあたりでは道路よりさらに霞ケ浦沿いに走っていて、車窓を楽しませてくれた区間でした。

  • 小川駅から玉造町の「駅」である玉造駅へ到着。<br />バスの終点です。<br />

    小川駅から玉造町の「駅」である玉造駅へ到着。
    バスの終点です。

  • かつてこの場所にはやはり鹿島鉄道の主要駅である玉造町駅がありました。<br />かつては駅舎もあり、駅員もいる有人駅で、玉造町の玄関駅でしたが、今は駅舎なども撤去されて、広場と住宅が何軒か建てられていました。

    かつてこの場所にはやはり鹿島鉄道の主要駅である玉造町駅がありました。
    かつては駅舎もあり、駅員もいる有人駅で、玉造町の玄関駅でしたが、今は駅舎なども撤去されて、広場と住宅が何軒か建てられていました。

  • 鹿島鉄道時代の玉造町駅です。<br />鉄道時代は「玉造町」駅でした。<br />今は駅跡は広場と空地になってしまいました。<br /><br />さて、この玉造町駅跡から終点の鉾田駅までは鹿島鉄道廃止代行バスは最近廃止されてしまいました。<br />そこで、残る約12キロは歩くことに。<br />普段運動不足の私には少々自信はなかったけど、「ローカル路線バスの旅」で蛭子 能収さんは70歳近くまで10キロ以上、よく歩いていたことだし、私も挑戦です。

    鹿島鉄道時代の玉造町駅です。
    鉄道時代は「玉造町」駅でした。
    今は駅跡は広場と空地になってしまいました。

    さて、この玉造町駅跡から終点の鉾田駅までは鹿島鉄道廃止代行バスは最近廃止されてしまいました。
    そこで、残る約12キロは歩くことに。
    普段運動不足の私には少々自信はなかったけど、「ローカル路線バスの旅」で蛭子 能収さんは70歳近くまで10キロ以上、よく歩いていたことだし、私も挑戦です。

  • 廃線跡は20年も経過すると、雑草や林に埋まってしまい、わからなくなってしまっていました。<br />とりあえず地図を見ながら廃線跡に沿って道を迷いながら歩きます。<br /><br />途中でガーター鉄橋跡がありました。<br />最近までガーター鉄橋がかかっていたようですが、さすがに撤去されてしまったようです。

    廃線跡は20年も経過すると、雑草や林に埋まってしまい、わからなくなってしまっていました。
    とりあえず地図を見ながら廃線跡に沿って道を迷いながら歩きます。

    途中でガーター鉄橋跡がありました。
    最近までガーター鉄橋がかかっていたようですが、さすがに撤去されてしまったようです。

  • 農村の中の道を歩いて約4キロ、住宅がコンビニ、高校が見えてきました。

    農村の中の道を歩いて約4キロ、住宅がコンビニ、高校が見えてきました。

  • かつてここには榎本駅がありました。<br />この駅は現在の茨城空港、かつては航空自衛隊百里基地への燃料輸送基地の駅で、この駅まで燃料を積載した貨物列車が発着し、この駅から基地までパイプラインが引かれていました。<br />そのため、駅構内は広く、多くの貨物列車も停車していたようです。<br />2001年に列車輸送が廃止されて、それも鹿島鉄道廃線の理由の1つになりました。<br /><br />写真の車両は1957年(昭和32年)製の車両。<br />当時は正面が2枚窓が最先端のセンスで、国鉄の東海道線などでも多くこのような車両が作られました。<br />鹿島鉄道廃線時には、この車両もレトロで貴重な車両でした。

    かつてここには榎本駅がありました。
    この駅は現在の茨城空港、かつては航空自衛隊百里基地への燃料輸送基地の駅で、この駅まで燃料を積載した貨物列車が発着し、この駅から基地までパイプラインが引かれていました。
    そのため、駅構内は広く、多くの貨物列車も停車していたようです。
    2001年に列車輸送が廃止されて、それも鹿島鉄道廃線の理由の1つになりました。

    写真の車両は1957年(昭和32年)製の車両。
    当時は正面が2枚窓が最先端のセンスで、国鉄の東海道線などでも多くこのような車両が作られました。
    鹿島鉄道廃線時には、この車両もレトロで貴重な車両でした。

  • 現在は駅の跡は空地になっていました。<br />ただ、一部には住宅が建設されていました。

    現在は駅の跡は空地になっていました。
    ただ、一部には住宅が建設されていました。

  • この駅前には県立玉造工業高校があります。<br />当時は通学生は鹿島鉄道を使っていましたが、代行バスも廃止されて公共交通機関が無くなり、どうやって通学しているのでしょう。<br />駅から高校前の通学路には廃業したらしい商店もありました。<br />私も高校生のころは、夕方まで運動部で練習して、帰りにはこういう商店によって、友人たちとコーラなどを飲んでいたものです。<br />仕事明けのビールならぬ、練習明けのコーラでした。

    この駅前には県立玉造工業高校があります。
    当時は通学生は鹿島鉄道を使っていましたが、代行バスも廃止されて公共交通機関が無くなり、どうやって通学しているのでしょう。
    駅から高校前の通学路には廃業したらしい商店もありました。
    私も高校生のころは、夕方まで運動部で練習して、帰りにはこういう商店によって、友人たちとコーラなどを飲んでいたものです。
    仕事明けのビールならぬ、練習明けのコーラでした。

  • 榎本駅跡からは、大きな道路から離れてクルマ1台通れるくらいの細い道を農村地帯の中を歩いていきます。<br />このあたりでは目標になるようなものもなく、何度も道に迷いました。

    榎本駅跡からは、大きな道路から離れてクルマ1台通れるくらいの細い道を農村地帯の中を歩いていきます。
    このあたりでは目標になるようなものもなく、何度も道に迷いました。

  • 榎本駅から約2キロ、本来なら20分ほどで歩けるはずが、40分ほど歩いて借宿前駅跡が見つかりました。

    榎本駅から約2キロ、本来なら20分ほどで歩けるはずが、40分ほど歩いて借宿前駅跡が見つかりました。

  • ここには借宿前駅がありました。<br />農村地帯の中のホーム1本単線の小さな無人駅でした。<br />1日の利用者もほとんどいなかったようです。

    ここには借宿前駅がありました。
    農村地帯の中のホーム1本単線の小さな無人駅でした。
    1日の利用者もほとんどいなかったようです。

  • 借宿前駅はホームと待合室が残っていました。<br />またホームのある場所の線路のあった後も雑草などがありませんでした。<br />駅の先は雑草や林で覆われています。<br />駅の場所は伐採や草むしりをしてくれている人がいるのでしょうか。

    借宿前駅はホームと待合室が残っていました。
    またホームのある場所の線路のあった後も雑草などがありませんでした。
    駅の先は雑草や林で覆われています。
    駅の場所は伐採や草むしりをしてくれている人がいるのでしょうか。

  • 駅のホームから。<br />目の前にある商店も今は廃業しているようで、自動販売機だけが動いていました。<br />ここで麦茶のペットボトルを購入。

    駅のホームから。
    目の前にある商店も今は廃業しているようで、自動販売機だけが動いていました。
    ここで麦茶のペットボトルを購入。

  • 借宿前駅跡まで半分の6キロ歩きました。<br />途中道を間違えたりしたので、7キロくらいかな。<br />なんだか足や腰が痛くなってきました・・・<br />足を引きずりながら、畑の中を道をゆっくり歩きます。

    借宿前駅跡まで半分の6キロ歩きました。
    途中道を間違えたりしたので、7キロくらいかな。
    なんだか足や腰が痛くなってきました・・・
    足を引きずりながら、畑の中を道をゆっくり歩きます。

  • 田畑地帯から民家が増えてきたところで、巴川駅跡へ。<br />駅名になった巴川は近く流れる川です。<br />

    田畑地帯から民家が増えてきたところで、巴川駅跡へ。
    駅名になった巴川は近く流れる川です。

  • 鹿島鉄道時代の巴川駅。<br />広い場所にホーム1本の無人駅でした。<br /><br />現在はこのホームも撤去されて空地になっていました。

    鹿島鉄道時代の巴川駅。
    広い場所にホーム1本の無人駅でした。

    現在はこのホームも撤去されて空地になっていました。

  • 空地の反対側の廃線跡は道路になっているようです。<br />ほかの道に比べると新しい道でした。

    空地の反対側の廃線跡は道路になっているようです。
    ほかの道に比べると新しい道でした。

  • 巴川駅からさらに巴川を渡って、民家の密集する場所の裏手に坂戸駅がありました。<br />この駅は林の中に埋まるようにホームと待合室が残っていました。<br />

    巴川駅からさらに巴川を渡って、民家の密集する場所の裏手に坂戸駅がありました。
    この駅は林の中に埋まるようにホームと待合室が残っていました。

  • 駅名標まで残っていました。<br />もっとも廃線廃駅になって20年なのに、その割には新しい感じがしました。<br />誰かが手製で作ったのでしょうか。

    駅名標まで残っていました。
    もっとも廃線廃駅になって20年なのに、その割には新しい感じがしました。
    誰かが手製で作ったのでしょうか。

  • 借宿前駅とこの坂戸駅は大きな道が接続していません。<br />ホームなどがのこっているのは、重機が入ることができず、結果として残ったのかもしれません。<br />歴史的な史跡や城跡なども案外こういう理由で残っているのかも。

    借宿前駅とこの坂戸駅は大きな道が接続していません。
    ホームなどがのこっているのは、重機が入ることができず、結果として残ったのかもしれません。
    歴史的な史跡や城跡なども案外こういう理由で残っているのかも。

  • 坂戸駅の近くに日帰り入浴施設「ほっとパーク鉾田」があります。<br />ここには鹿島鉄道の車両が保存されていました。

    坂戸駅の近くに日帰り入浴施設「ほっとパーク鉾田」があります。
    ここには鹿島鉄道の車両が保存されていました。

    ほっとパーク鉾田 温泉

    鹿島鉄道の車両が保存されていました by あおしさん
  • 「鉾田駅」の駅名標は当時鉾田駅で使われていた駅名標のようです。<br /><br />玉造駅から歩くこと約10キロ。<br />足はガタガタ、痛いし、腰も痛くなってきたので、ここで温泉に入ってひとやすみ。<br />源泉かけながし、黒い温泉でした。<br />それにしても蛭子さん、70歳近くまで、「ローカル路線バスの旅」で10キロ以上歩いていたなんてすごい!

    「鉾田駅」の駅名標は当時鉾田駅で使われていた駅名標のようです。

    玉造駅から歩くこと約10キロ。
    足はガタガタ、痛いし、腰も痛くなってきたので、ここで温泉に入ってひとやすみ。
    源泉かけながし、黒い温泉でした。
    それにしても蛭子さん、70歳近くまで、「ローカル路線バスの旅」で10キロ以上歩いていたなんてすごい!

  • ほっとパーク鉾田でひと休みして、さらに2キロ歩いて、関東鉄道鉾田バス停へ到達。<br />鉾田営業所もあるのですが、現在では路線バスはすべて廃止になってしまい、このバス停に発着するのは1日数本の東京行きの高速バスだけになってしまいました。<br />

    ほっとパーク鉾田でひと休みして、さらに2キロ歩いて、関東鉄道鉾田バス停へ到達。
    鉾田営業所もあるのですが、現在では路線バスはすべて廃止になってしまい、このバス停に発着するのは1日数本の東京行きの高速バスだけになってしまいました。

    鉾田駅

  • この鉾田バス停前に鹿島鉄道の終点・鉾田駅がありました。<br />最近までホームは残っていたようですが、重機で撤去中のようでした。<br />駅があったことを偲ばせるものは残っておらず、空地になっていました。<br />

    この鉾田バス停前に鹿島鉄道の終点・鉾田駅がありました。
    最近までホームは残っていたようですが、重機で撤去中のようでした。
    駅があったことを偲ばせるものは残っておらず、空地になっていました。

  • 鹿島鉄道時代の鉾田駅。<br />昭和14年に建てられた風情、貫禄のある駅舎で「関東の駅・百選」にも選ばれました。<br />鹿島鉄道廃線後もバスターミナルの待合場所として使われ、保存の声もあったようですが、老朽化で撤去されてしまいました。<br />当時は鹿島鉄道は副業で、この駅で「たい焼き」も売っていました。

    鹿島鉄道時代の鉾田駅。
    昭和14年に建てられた風情、貫禄のある駅舎で「関東の駅・百選」にも選ばれました。
    鹿島鉄道廃線後もバスターミナルの待合場所として使われ、保存の声もあったようですが、老朽化で撤去されてしまいました。
    当時は鹿島鉄道は副業で、この駅で「たい焼き」も売っていました。

  • いかにもローカル線の終点らしい風情のあった駅でした。

    いかにもローカル線の終点らしい風情のあった駅でした。

  • ほっとパーク鉾田に保存されていた車両が鉾田駅に到着したところ。<br />1936年(昭和11年)、戦前製造された車両でした。<br />鹿島鉄道が廃止された2007年まで70年、現役車両として走っていました。

    ほっとパーク鉾田に保存されていた車両が鉾田駅に到着したところ。
    1936年(昭和11年)、戦前製造された車両でした。
    鹿島鉄道が廃止された2007年まで70年、現役車両として走っていました。

  • 鉾田駅前にあったコンクリート製の廃墟。<br />何かの店だったと思いますが、何の店が思い出せませんでした。

    鉾田駅前にあったコンクリート製の廃墟。
    何かの店だったと思いますが、何の店が思い出せませんでした。

  • その隣にある中華料理店。<br />鹿島鉄道があったころは駅前の飲食店としてにぎわっていたことでしょう。<br />この建物も廃墟になっていました。

    その隣にある中華料理店。
    鹿島鉄道があったころは駅前の飲食店としてにぎわっていたことでしょう。
    この建物も廃墟になっていました。

  • 鉾田駅前の市街地。<br />鹿島鉄道全盛期には駅前商店街としてにぎわっていたでしょうけど、今は廃業したらしい店がほとんどの寂しい町並みになっています。

    鉾田駅前の市街地。
    鹿島鉄道全盛期には駅前商店街としてにぎわっていたでしょうけど、今は廃業したらしい店がほとんどの寂しい町並みになっています。

  • 鉾田駅跡からさらに2キロ、結局玉造駅から14キロ歩き通して、鹿島臨海鉄道・新鉾田駅へ。<br />鹿島臨海鉄道は1985年(昭和60年)に開通した全線高架のあたらしい鉄道です。<br />茨城県の県都・水戸駅と鹿島神宮駅間の間を走っています。<br />今日は鹿島スタジアムでJリーグのナイター試合があるようで、最寄り駅の鹿島サッカースタジアム駅ではたくさんの人が集まっていました。<br />鹿島スタジアムも明るく照らされていて、廃線跡とは別世界のようでした。

    鉾田駅跡からさらに2キロ、結局玉造駅から14キロ歩き通して、鹿島臨海鉄道・新鉾田駅へ。
    鹿島臨海鉄道は1985年(昭和60年)に開通した全線高架のあたらしい鉄道です。
    茨城県の県都・水戸駅と鹿島神宮駅間の間を走っています。
    今日は鹿島スタジアムでJリーグのナイター試合があるようで、最寄り駅の鹿島サッカースタジアム駅ではたくさんの人が集まっていました。
    鹿島スタジアムも明るく照らされていて、廃線跡とは別世界のようでした。

    新鉾田駅

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