2024/05/23 - 2024/05/25
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ちゃおさん
戦前の舞鶴は軍港として栄えたが、軍港以外にも大陸との玄関口で、飛行機の無い時代、人々はこの舞鶴を経由して大陸、欧州への往来をしていた。第2次大戦時、ナチスに迫害された亡命ユダヤ人の多くも、舞鶴にたどり着き、日本に逃げて来た。軍港と同時に重要な商業港でもあったのだ。
日本が戦争に敗れ、多くの日本人が中国、満州、半島に取り取り残され、60万人を越える将兵が捕虜としてシベリアに送られた。終戦の翌年から帰還事業が始まり、その後段階を追ってシベリア抑留兵の帰還も進んで来た。二葉百合子の「岸壁の母」はこの頃の舞鶴港を舞台にした帰還兵を待つ母親の心情を歌ったもので、その哀調を帯びた歌詞は、国民の涙を誘った。
そうここは埠頭とか波止場などではなく、岸壁だ。しっかりとしたコ幅広のンクリート造りの岸壁が総延長、数百mにも及び、巨大艦船が横並びで何隻も係留できるような頑丈な造りになっている。アイガー北壁はアルプスの山の中の壁だが、ここは港湾を遮断する海の壁だ。歌詞を作ったのが誰かは知らないが、ここが桟橋や波止場などではなく、岸壁と表現したのは、実際、ここに立てば理解できるだろう。
湾内クルーズ船を下りて、この長い岸壁を東の端にある引き上げ記念館に向かって歩く。何時の頃に出来たのか、岸壁に沿って古めかしい倉庫群が並んで建っている。戦前からのものだろう。江戸時代の北前船時代から、ここにはこうした海産物倉庫があったに違いない。この岸壁の端、行き止まり付近に記念館があった。実際の引き上げ記念館はこの先のずっと先の丘の上、金ヶ崎公園の上にあって、今の自分の足では到底行けない。この小さな記念館を見て、西舞鶴に引き返すことにした。
- 旅行の満足度
- 4.5
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