2026/04/11 - 2026/04/24
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51年振りの沖縄旅行
令和8年4月16日(木)
那覇市在住の友人Kさんが多忙の仕事の合間を縫って1日車で案内してくれまた。
1970年(昭和45年) 本土復帰2年前の沖縄を旅して
https://4travel.jp/travelogue/11237030
- 同行者
- 友人
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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令和8年4月16日(木)道の駅かでな
屋上の展望所からは、広大な嘉手納基地を一望でき、想像を超えるスケールと戦闘機の轟音に圧倒された。 -
令和8年4月16日(木)
嘉手納基地は、沖縄県の中部に位置する東アジア最大級の米空軍基地であり、約3,700mの滑走路2本を備える米国の安全保障上の最重要拠点。 -
令和8年4月16日(木)
嘉手納基地は嘉手納町、沖縄市、北谷町(2市1町)にまたがる面積: 約19.85平方キロメートル(広大な敷地に飛行場地区や居住地区、学校やゴルフ場などの施設を完備)
第18航空団のホームベースとして、防空や偵察、輸送などの総合的な任務を担う太平洋地域の要石。 -
令和8年4月16日(木)
最近の動向と課題パラシュート降下訓練、本来は伊江島で行う合意だったが、例外措置として基地内での訓練が繰り返されており、2026年7月29日にも今年6度目の訓練が実施され地元の反発を招いている。
トラブルと抗議: 2026年7月27日には着陸後のF22戦闘機に消防隊が出動するトラブルが確認されるなど、運用を巡る安全面の懸念や騒音問題が続いている。 -
令和8年4月16日(木)
ボーイング P-8A ポセイドン(Boeing P-8A Poseidon)
用途: アメリカ海軍などが運用する、旅客機ボーイング737-800をベースに開発された高性能な対潜哨戒機。
特徴: 機体側面には「NAVY」の文字とアメリカ軍の国籍マークが描かれており、尾翼や機首には機体番号「014」 -
令和8年4月16日(木)嘉手納基地
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令和8年4月16日(木)嘉手納基地
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令和8年4月16日(木)嘉手納基地
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昭和45年4月3日(金)嘉手納基地
当時、基地内の撮影は固く禁じられていたが、近くに消防署があり中に入って署員に屋上から写真を撮っても良いかと訊いたらOKだった。 -
昭和45年4月3日(金)
ヒッチハイクした車から嘉手納空軍基地を撮る。
嘉手納基地におけるB-52戦略爆撃機に関連する主な出来事として、1968年の飛来、爆発・墜落事故、およびその後の撤去が挙げられる。
歴史的経緯と事故ベトナム戦争時の飛来: 1948年頃からの運用を経て、ベトナム戦争時に出撃拠点等として利用された。
墜落・爆発事故: 1968年11月19日未明、嘉手納基地内でB-52爆撃機が離陸に失敗して墜落し、搭載爆弾に引火して大爆発・炎上した。
この重大事故を契機に、地元住民や琉球立法院による猛烈な反対運動が起き、同機の即時撤去が強く要求された。 -
昭和45年4月3日(金)ヒッチハイクした車から嘉手納空軍基地を撮る。
垂直尾翼の形状から戦略爆撃機B-52と思われる。
B-52 は、アメリカ空軍が運用する長距離戦略爆撃機。
愛称は「成層圏の要塞」を意味し、最大約32トンの爆弾や核・通常ミサイルを搭載できる能力を持つ。
1955年(初飛行は1952年)乗員数:通常5人航続距離:約16,000km(空中給油により拡張可能)エンジン:8基のターボファンエンジンを搭載。
冷戦期から現在に至るまで、アメリカ空軍の主力戦略爆撃機としてベトナム戦争や湾岸戦争などに参加。
半世紀以上運用されており、近代化改修を経て2050年代まで使用される予定。
2026年6月15日には、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で試験飛行中の機体が離陸直後に墜落する事故が発生している。 -
令和8年4月16日(木)
残波岬灯台 入場券
エレベーターが無く狭いらせん階段は暑くて疲れた。 -
令和8年4月16日(木)
残波岬灯台 入場券裏面 -
令和8年4月16日(木)残波岬灯台
紺碧の空と海に白亜の灯台がそびえ立つ、読谷村が誇る日本有数の景勝地!
南西諸島随一の高さ約31m(地上から灯塔の頂部まで)を誇る残波岬の象徴ともいえる白亜の大型灯台。
参観灯台で上まで登ることができ、灯台上からは、東シナ海の見晴らしが良く晴れていれば、粟国島、渡名喜島、久米島などを望むこともできる。
展望台からの360度のパノラマビューはまさに絶景!! -
令和8年4月16日(木)残波岬公園
高さ30mの断崖絶壁が約2kmにわたって続く残波岬。
岩にぶつかり白い飛沫を激しくあげる波の様子は沖縄の海では珍しく勇壮で男性的な風景である。
晴れた日には慶良間諸島も眺望でき、沖縄本島で夕日が最後に沈む場所として知られる絶景スポット! -
令和8年4月16日(木)残波岬公園
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令和8年4月16日(木)残波岬公園
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令和8年4月16日(木)残波岬公園
曇りがちの空模様だったがようやく晴れてきて海の色が鮮やかなコバルトブルーになって来た。 -
令和8年4月16日(木)残波岬公園
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令和8年4月16日(木)残波岬公園
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令和8年4月16日(木)残波岬公園
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令和8年4月16日(木)
勝連城跡入場券
15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利(あまわり)の居城として有名な勝連城。
自然の断崖を利用して築城され、難攻不落の城といわれていた。
沖縄有数の景勝地で、その城壁は優雅な曲線を
描き、女性的な美しさを感じさせる。
頂上に登ると太陽に輝く真っ青な太平洋が一望
できる。
歴代の城主のうち、15世紀に活躍した「阿麻和利」は海外貿易により勝連に繁栄をもたらした。
2000年にユネスコの世界遺産に登録。 -
令和8年4月16日(木)
勝連城跡 案内マップ
勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最期まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利が住んでいた城として有名である。
城は、沖縄本島の中部勝連半島の根元に位置する丘陵上に築かれている。一の曲輪からは、北は金武湾を囲む北部の山々やうるま市の離島を望むことができ、南は知念半島や久高島、護佐丸の居城であった中城城跡が一望できる景勝地になっている。
勝連城跡の標高は約60m~98m。総面積は11,897㎡。城壁は、自然の地形を巧みに利用しながら、石灰岩の石垣をめぐらせている。
北西の最高部から一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪と各平場が階段状に低くなり、再び南東側の東の曲輪で高くなっている。
城が立地しているこの場所一帯は、長い間人々が活用してきた土地である。 -
令和8年4月16日(木)
勝連城跡 案内マップ
勝連城跡の考古学的な発掘調査は、1960年に始まり現在まで続けられている。
整備も昭和52年度より、石積の修復工事を主とした整備を行っている。
これまでの発掘調査により、勝連城跡からはさまざまな遺物が出てきている。
城跡の崖下からは、貝塚が発見され、先史時代後期末から古代人の生活地として利用され、13世紀前後より城塞としての体裁を整えたと考えられている。
また城跡内からは中国の陶磁器が大量に見つかり、他にも東南アジアの陶磁器類、朝鮮の陶磁器、大和系の瓦も発見されている。
他にも、遠く熱帯に住むオウムの骨や中国の貨銭が見つかっている。
これらの発見された資料から勝連城の城主が他の国々と交易を行い、一時期、海外交易の拠点として壮大な力をもち、栄えていたことがわかる。
その栄えていた様子をうたった詩が沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」にありますが、その詩では、勝連が大和の京や鎌倉に例えられている。 -
令和8年4月16日(木)
勝連城跡 全景 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 四の曲輪
四の曲は輪勝連城の中で最も広い面積をもつ曲輪。
曲輪内に五箇所の泉があり、泉を守るように四の曲輪の城壁が巡っていて、城壁の南側には南風原御門、北側には西原御門があったと考えられており、現在では両門の跡と門に続く石畳道が確認出来る。
また2014年の調査で、二の曲輪くるわの舎殿しゃでんと同様の建物跡がここで見つかりました。当時、石畳道を上り城門をくぐった人々は、眼前にそびえ立つ気高き勝連城の圧倒的迫力に息を飲んだことでしょう。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡
四の曲輪から三の曲輪城壁 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡
四の曲輪から三の曲輪城壁 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡
勝連城跡三の曲輪城壁を撮る -
令和8年4月16日(木)勝連城跡
三の曲輪から金武湾方面 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 三の曲輪
四の曲輪から続く長い石畳道を上り、かつてあった四本柱の門跡を抜けると三の曲輪が広がり、三の曲輪の広い空間は、政治的な儀式などが行われていたと考えられている。かつては、多くの配下の者を前に、様々な指示を出す按司の姿が見られたでしょう。
発掘調査では、石積みを何回か修復したことや、石積み以前には柵列があったことなど、沖縄のグスクの歴史を知る上で、重要な発見がありました。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 三の曲輪 御庭(うなー)
御庭とは、三の曲輪くるわに広がる空間のことで、前方の二の曲輪には政治が行われたと考えられる舎殿があり、これを御庭からあがめる空間配置は、首里城をはじめ、多くのグスクにおいて同様の構造が見られる。
儀礼の場として使われており、グスクにおいて最も重要な場所の一つと言える。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 三の曲輪四脚門
四の曲輪から細く長い石畳道を上りつめたところに、かつて内郭の門があり、
発掘調査したところ、礎石と壁には“ほぞ穴”と考えられる、四箇所のくぼみが確認された。
このことから三の曲輪城門は、四本の柱で屋根を支える四脚門(薬医門やくいもん)であったと考えられています。薬医門は、東京大学の通称“赤門あかもん”(正式名称:旧加賀屋敷御守殿ごしゅでん門/国指定重要文化財)が有名ですが、16世紀以降の寺の門にも多く見られる構造。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 三の曲輪四脚門
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 勝連城跡二の曲輪
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 二の曲輪
二の曲輪には、勝連の政治上、最も重要な建物があったと考えられている。
周辺から瓦が出土することから、当時、首里城や浦添城などでしかみられない瓦葺屋根の建物があった可能性がある。
現在では、その礎石跡を地上に復元しており、建物の大きさを知ることができる。また、一の曲輪に続く石畳道も残っており、当時の人々の足跡を感じることができる。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 二の曲輪と平安座島
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 二の曲輪 平安座島 中城湾
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 中城湾方面
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 金武湾方面
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪下石段
一の曲輪階段は、敵軍による侵入などの勝連城有事の際の、“最終防御ライン”としての役割を担っており、城内に攻め入った敵が一挙に侵入できないよう、上るにつれて階段幅が徐々に狭まる構造となっている。
また、石積みに沿わせた道から敵の横腹を突いて撃退する仕組みなどの様々な仕掛けにより、少ない兵力でも敵軍と互角に戦える工夫が見られる。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪から二の曲輪 三の曲輪を撮る
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪
標高約100m、勝連城内で最も高い位置に築かれた曲輪。
周囲360度見渡すことができ、周辺離島や本島北部の山々、南部の知念半島まで望むことができる。
更に宿敵・護佐丸の居城である 中城城も確認することができ、眺望の美しさだけでなく、軍事要塞としての特徴も備わっている。
発掘調査より出土した遺物は、海外交易により得られた質の良い品々であったことから、かつて一の曲輪には、宝物殿のような建物があったと考えられている。 -
令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 一の曲輪
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 中城湾 平安座島
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令和8年4月16日(木)勝連城跡 うるま市街並み
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令和8年4月16日(木)
勝連城跡から平安座島 -
昭和45年4月3日(金)与勝半島 屋慶名港から平安座島(へんざじま)を撮る
平安座島は面積5.44km2、周囲約7km、標高115.6mの低平な島である。
与勝半島と平安座島の海域は遠浅で、干潮時に徒歩で往来可能であったが、離島苦の解消は島民にとって積年の願いであった。
過去には1753年に親子が平安座島へ渡る途中に暴風雨に遭遇し帰路を見失い、満潮時に流され溺死した事故が起こっている。また戦後にはアメリカ軍が改造した海上トラックも通行していた。1968年(昭和43年)にアメリカの石油会社ガルフ社が平安座島に進出した際、島の大半を貸与する代わりに、1972年(昭和47年)にガルフ社の負担で全長約4.75kmの海中道路を完成させた。しかし、開通後には金武湾内の海流が変化し、土砂堆積などの問題が発生した。 -
令和8年4月16日(木)果報バンタ
果報バンタはうるま市与那城の宮城島にある絶景スポット。
沖縄の方言で「崖」という意味のバンタ。
その名の通り、宮城島の標高の高い場所にある岬とそこから見える幾重にも広がる青の世界は絶景。
美しい景色と心地よい海風を感じながらゆっくりとした時間を過ごすことができる。 -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ言葉の由来
果報(かふう)とは沖縄の言葉で「幸せ」や「良い知らせ」を意味する。
バンタは沖縄の言葉で「崖」や「岬」を意味。
崖の下に広がるのは「ぬちの浜」。満月の夜には、ウミガメが産卵に訪れることもあるのだそうです。静かに波が打ち寄せる様子を眺めていると、時間がゆっくり流れていくような感覚に包まれとか。 -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ
果報バンタ(かふうばんた)とは、沖縄の言葉で「幸せ岬」という意味。
うるま市の宮城島にある、美しい海が見下ろせる有名な絶景はパワースポット。
高さが約70メートルある崖の上から、青く輝くきれいな海を一望できる。 -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ
ぬちまーす観光製塩ファクトリー(命御庭)」では、塩ソフト、うみそらソフト、ミックスソフトの3種類のソフトクリームが販売されており、名物の「ぬちまーす塩ソフトクリーム」は650円で味わえます。生乳のコクとまろやかな塩味が特徴の人気メニューです。 -
令和8年4月16日(木)
果報バンタ
沖縄の方言で、命のことを「ぬち」、塩のことを「まーす」と言います。生命に必要な海洋成分に着目し「命の塩」(ぬちまーす)と名付けました。ぬちまーすの原材料は沖縄県宮城島の太平洋側の海水のみ。
食べたのはミックスソフトクリームです。 -
令和8年4月16日(木)
うるま市浜比嘉島ムルク浜 ライオン岩
角度が悪いのかライオンには似てなかった。 -
令和8年4月16日(木)
ホテル浜比嘉島リゾート レストラン -
令和8年4月16日(木)浜比嘉大橋 平安座島
raise244のテラスから撮りました。
浜比嘉大橋は、うるま市の平安座島と浜比嘉島を結ぶ、全長900メートルの橋。
1997年2月7日に開通しました。 -
令和8年4月16日(木)
うるま市勝連浜 raise244
カフェラテを注文した。
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