2026/06/14 - 2026/06/14
-位(同エリア307件中)
松本伸雄さん
丹波の戦国武将赤井直正の本拠
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丹波市春日歴史民俗資料館でスタンプをいただきました。これから登る黒井城。標高356mの猪ノ口山
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黒井城下館の興禅寺。門前の石橋をはさんで、東西にのびる長さ約80mの水郷を、古くから「七間堀」と呼んでいます
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楼門(山門)、近年、法縁のある京都府宮津市の智源寺から移設された
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お福の腰掛け石、本堂の右側にある平たい大石で、よちよち歩きのお福(のちの春日局)が腰をかけて遊んだ石
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お福産湯の井戸、深さ1.7m清らかな水をたたえています
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イモリが2匹いました
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明智光秀の重臣斎藤利三は、光秀の丹波平定後黒井城を与えられ城主になった。幼名お福が生まれ、のちに春日局として徳川家光の乳母に任命された
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こちらは、急坂コースです
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われわれは、もちろんなだらかコースです
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竹の手入れがされています
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黒井城の正確な築城時期は不明であるが、1335年(建武2)に赤松貞範が足利尊氏から丹波氷上郡春日部荘を与えられたのが始まりといわれる
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木の根道 赤松氏の黒井城は、16世紀前半には荻野氏に奪われ、荻野氏は同族である赤井氏より優位に立っていた
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石踏の段へ 赤井時家の次男である直正は、1554年(天分23)、黒井城主荻野秋清を暗殺して黒井城を奪取した。赤井(荻野)直正は「悪右衛門」と恐れられた猛将であった。悪は、悪者ではなく強い人の意である
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城下にあった薬師如来堂の門を移設しました
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故黒井城主赤井公の碑。裏に彫った光秀の字は全部消されています
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門の内側から城下町を見る。福知山線、黒井駅方向
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石踏の段は広いです
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岩盤の上を歩きます
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東曲輪の石垣。主郭部の入口にあたる東曲輪の石垣には、右側隅角部が後に積み足されている形跡があります
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信長は1575年(天正3)、明智光秀に丹波平定を命じた。光秀は黒井城を包囲して2ヶ月にわたったが、八上城主波多野秀治が反旗を翻し、光秀軍敗走。1577年(天正5)光秀は細川藤孝の増援を得て再び丹波へ侵攻。1578年(天正6)直正が病死、翌年八上城が攻略され孤立した黒井城は落城した
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三の丸の石垣
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二の丸の石垣
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本丸と二の丸の間の空堀
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本丸虎口右側の石垣
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崩壊しつつある虎口の石段を守るスチール階段
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本丸の看板左上角が明智光秀が陣を構えた山
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別名「保月城」
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西曲輪
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本丸から空堀越しの二の丸
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城下町
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道の駅丹波おばあちゃんの里で、丹波黒豆の枝豆を買いました、今夜はビールだ おわり
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