2026/04/28 - 2026/05/05
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イナザイルさん
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今年のGWはポーランドへ。
念願だったアウシュビッツを訪れるという緊張と高揚が入り混じった旅の始まりだったが、クラクフもワルシャワも想像以上に美しく、歩くだけで心が満たされる街だった。
利用したのはポーランド航空。
人生初の“ヨーロッパ直行便”に胸を躍らせつつ、仕事を終えてそのまま成田へ直行。翌朝にはワルシャワに降り立ち、「時間を最大限に使える完璧な旅程だ」と思ったのも束の間、航空券を取った後にまさかの転勤が決まるというオチまでついた。
旅の流れはこんな感じ。
4月28日 移動(セントレア-成田-)
4月29日 移動(-ワルシャワ-クラクフ)、ヴァベル城見学
4月30日 クラクフ旧市街、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所
5月1日 ヴィエリチカ岩塩抗、シンドラーのホーロー工場、クラクフ旧市議
5月2日 カジミエシュ地区、クラクフ旧市街散策、移動(クラクフ-ワルシャワ)
5月3日 ワジェンキ宮殿、文化科学宮殿
5月4日 ワルシャワ旧市街、移動(ワルシャワ-)
5月5日 移動(ワルシャワ-成田)
歴史の重みと街の美しさが同居するポーランドで、濃密な時間を過ごすことができた旅だった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- LOTポーランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
-
アウシュヴィッツ強制収容所。
クラクフ本駅集合のツアーに参加した。
本当は個人手配で行きたかったが、遅い時間に限定されるようなので、ツアーを選択。
ただし、ガイド無しで、詳しく説明が書かれた母国語のガイドブックを配布してもらい、それを見ながら個人で見学するタイプ。
結果、個人で周れば良かった…オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
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まずはユーデンランぺを見学。
ここはガイドが案内してくれた。
死の門に線路が引き込まれる前、アウシュヴィッツ強制収容所に到着したユダヤ人たちが最初に降ろされたのがユーデンランペ。 -
ガス室や火葬場はナチスが証拠隠滅のため破壊したため廃墟として残っている。
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このパネルはビルケナウに到着したユダヤ人がどのように“選別”されたかを説明している。
囚人たちは貨車から降ろされ、線路と収容所の間の空き地に集められた。
そこでSS医師による“選別” が行われた。
労働に使えると判断された人は、一時的に生かされ強制労働へ。
労働不能と判断された子ども・高齢者・病人などはそのままガス室へ送られた。
この絵は囚人が密かに描き、瓶に入れて埋めたもの。 -
イチオシ
「死の門」。
続いてビルケナウを見学。
1941年以降に建設された大規模な絶滅収容所。
アウシュヴィッツ強制収容所群はアウシュヴィッツⅠ(第一収容所)とビルケナウ(アウシュヴィッツⅡ)に分かれていて、犠牲者の90%はビルケナウで殺害された。ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
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監視塔。
SS隊員が常駐し、逃亡者や不審な動きを監視していた。
監視塔は囚人に「逃げられない」という心理的圧力を与える役割もあった。
収容所の支配構造を象徴する建物。 -
死の門を通ってビルケナウ敷地内へ。
ここからは自由に見学。
渡されたガイドブックは英語で、薄っぺらい… -
「木造のバラック=囚人収容棟」が果てしなく続く。
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本来は50頭の馬用の厩舎だが、三段ベッドが両側に並んでいる。
1つの寝台に5~7人が押し込まれ、1棟に400人以上の囚人が詰め込まれた。 -
解放当時の写真。
光はほとんど入らず、藁や布が散乱する劣悪な生活環境だった。 -
収容所は広大で、周囲は二重の有刺鉄線フェンスで囲まれていた。
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囚人は日中、建設作業、道路工事、農作業、遺体処理、工場での強制労働などを行い、夜になるとバラックに戻ってきた。
今は静かに佇むその姿が、当時の過酷さを物語っていた。 -
続いてアウシュヴィッツⅠへバスで移動する。
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アウシュビッツ I は展示が整っていて歴史を理解する場所。
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当時の様子を説明しているパネル。
思わず見入ってしまった。 -
解放から数日後、女性囚人たちが実際に生活していたバラック内部の様子。
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「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の門の前で、解放の“再現シーン”を撮影した様子。
1945年1月27日の解放当日は混乱が大きく、写真が一枚も撮られなかったため、後日ソ連軍の記録班が解放の瞬間」を再現して撮影した。
解放の瞬間の写真の多くは再現シーンらしい。 -
アウシュビッツ I に残るレンガ造りのバラックは、囚人たちが日々を過ごした居住棟。
囚人たちはここで眠り、点呼を受け、飢えと病気に耐えながら生活していた。 -
この展示は、アウシュビッツで囚人が毎日経験した“強制労働の一日”を、元囚人コシチェルニャクが描いた記録画。
朝は「ARBEIT MACHT FREI」の門をくぐって労働へ向かい、夕方には疲れ果て、ときには仲間の遺体を運びながら帰ってきた。 -
アウシュビッツ I の正門に掲げられた「ARBEIT MACHT FREI」。
門の「B」の文字がわずかに歪んでいるのは、看板を作らされた囚人が密かな抵抗として、あえて正しくない形にしたらしい。
嘘の標語への、静かな反発の痕跡だった。 -
立入禁止区域を示す警告標識。
ドクロのマークが示す通り、この先へ踏み込めば電流か銃弾で命を落とした。
囚人たちは毎日この看板を目にしながら、自由が完全に奪われた現実を思い知らされた。 -
ビルケナウとは違い、収容所にしてはしっかりして整った施設だと思ったが、もともとはポーランド軍の兵舎だった建物をナチスが収容所として転用した。
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Block15を見学。
アウシュビッツで迫害されたポーランド人の歴史を伝える展示棟。
教師や神父、知識人など多くのポーランド人が、占領下で逮捕され収容された。
ユダヤ人より前に大量に収容されたのはポーランド人だった。 -
この写真は、亡命ポーランド政府のシコルスキ首相が、チャーチルやド・ゴールと共に戦い続けたことを示す歴史的資料。
アウシュビッツで多くのポーランド人が犠牲になった一方で、国としての抵抗も途切れることなく続いていた。 -
囚人服を着た人影の彫刻が、鏡の中で果てしなく続いていく。
顔のない彼らは、名前も尊厳も奪われた囚人たちの象徴。
終わりの見えない行列は、アウシュビッツで失われた無数の命を静かに語っていた。 -
ザモシチ地方から連行されたポーランド人の少女たち。
ナチスはポーランドのザモシチをドイツ人入植地にする計画(ゲルマン化政策)を進めていた。
少女たちは、ただ「ポーランド人だった」という理由だけで追放・収容された。
無表情のままカメラを見つめる姿が、奪われた未来の重さを静かに伝えていた。 -
赤い三角形に「P」と番号が記されている。
アウシュビッツに送られたポーランド人政治犯の識別パッチ。
政治的に危険とみなされて収容所へ運ばれた。 -
Block11。
床に薄い毛布が並ぶだけの小さな部屋。
ここはアウシュビッツで囚人が罰として寝かされた懲罰房。
囚人は些細なことで懲罰房に入れられた。
点呼で動いた
労働が遅い
監視兵の命令を聞き間違えた
他の囚人を助けた
食べ物を拾った
こうした理由だけで、数日~数週間ここに閉じ込められた。 -
粗末なベッドと薄い布団が並ぶ。
ここにいたのは収容所の囚人ではなく、ゲシュタポに逮捕された一般市民。
彼らはこの部屋で即決裁判を待ち、多くは死刑を宣告された。 -
Block 10 と Block 11 の間にあるこの壁は、アウシュビッツで数千人が銃殺された「死の壁」。
即決裁判の後、囚人たちはここに立たされ、命を奪われた。
今は花束とろうそくが静かに並び、犠牲者を悼む祈りの場となっている。
処刑されたのは
ポーランド人の抵抗運動家
一般市民
ソ連兵捕虜
収容所内で「違反」とされた囚人。 -
ガス室へ送られる前に奪われた人々の眼鏡。
眼鏡は「再利用できる資源」として分類され、持ち主が殺された後も“物”として扱われた。 -
障害を持つ人々から奪われた義足・義手・装具。
彼らは到着後すぐに“働けない”と判断され、ほぼ全員がガス室へ直行させられた。 -
アウシュビッツに到着した人々は、新しい生活が始まると信じて、食器、鍋、コップなど生活用品を持ってきた。
しかし実際には、到着直後にすべて没収され、持ち主は選別され、多くがその日のうちにガス室へ送られた。
食器は「再利用できる物資」として分類され、こうして山のように積み上げられた。 -
長い廊下の両側に、靴が果てしなく積み上げられていた。
その圧倒的な量が、失われた命の大きさを表していた。 -
靴はすべて、アウシュビッツに到着した人々から没収されたもの。
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山のように積まれたスーツケースには、「FANTL」「Margarete」など、持ち主の名前が今も残っていた。
人々は荷物が返されると信じて、自分の名前を書いてアウシュビッツに来た。
しかし持ち主は戻らず、スーツケースだけが残った。 -
アウシュビッツに連れてこられた子どもたちの衣服。
子どもは「働けない」と判断され、その日のうちにガス室へ送られた。 -
フェンスには高圧電流(約6000ボルト)が流れていた。
触れれば即死で、囚人の中には絶望の末にフェンスへ向かった人もいた。 -
感傷に浸ったまま、集合時間に合わせて出口へ。
-
外に出た後、重大なことに気づく。
集合時間を間違えた…
40分ほど早く出てきてしまった…
さらにはガス室を見学し忘れた…
集合時間に合わせて終盤、駆け足で回った末路。
クローズ間際のため、もう引き返せない。
いまだに後悔している…
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