2026/05/14 - 2026/05/14
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hijunoさん
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大塩平八郎の遺跡を以前から訪ねてみたいと思っていました。
まず、訪れたのは大塩平八郎が反乱軍を率い、最初に大塩軍が大砲を打ち、当たったところが槐の樹があったところ。
ここは、大塩邸向かいの家 東組与力 浅岡助之丞の裏庭にあった槐の樹だったそうで、樹齢は200年の樹だったそうです。
昭和59年に車の排気ガスにより枯れてしまったそうです。
伐採されたあと、若木が植えられたそうですが、それもなぜか、無くなり、あらたに三代目の若木が植えられています。
そして、大塩平八郎の私塾だった洗心洞の跡へ。
荒れ果てていて、ちょっと残念。
大塩平八郎の遺跡はいくつかあるので、あとで少しずつ訪ねていきたいと
思ってます。
その後造幣博物館、周辺の旧桜宮公会堂と泉布観を見学を外から見学。
川べりを散歩しました。
泉布観、旧桜宮公会堂の美しい建物を眺めました。
明治の西洋風建物って、優雅だけれど、どこか新しい日本が始まるというような気合を感じます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 自家用車 徒歩
-
まず、訪れたのが大塩平八郎の槐の樹の跡。
いまは、道路がすぐそばにあり、車の往来があります。
教科書で習った大塩平八郎の乱ですが、忘れたことも多いので、もう一度調べなおしました。
1837年、大阪町奉行所の元与力 大塩平八郎と門人が江戸幕府に対して起こした反乱。
当時、天保の大飢饉が発生し、元与力で陽明学者だった大塩平八郎が人々の救済を働きかけましたが、奉行所は拒否、自らの蔵書を売るなどしてお金を工面し困窮の人々を助けていました。
米の不足、物価の高騰の中、豪商は利益をむさぼり、幕府も困窮の人々の救済もしない、、このことで、とうとう大塩平八郎と門人、農民たちが奉行所や豪商を倒すべく挙兵します。
すぐに幕府軍に鎮圧され、大塩平八郎は養子とともに自決。
本与力という幕臣の立場の大塩平八郎の乱は、大きな衝撃だったようで、社会に影響を与えます。 -
説明も石碑の横に書いてありました。
若木を植えたときに、建てられた石碑のようです。 -
今も槐の樹が植えられていますが、こちらは三代目。
最初の樹は昭和59年に排気ガスで枯てしまったそうで、次に植えた若木はなぜか無くなり、こちらは三代目の槐の樹。
大塩平八郎が反乱軍を率い、最初に大塩軍が大砲を打ち、当たったのが槐の樹。
ここは、大塩邸向かいの家 東組与力 浅岡助之丞の裏庭だったそうで、そこにあった槐の樹でした。樹齢は200年の樹だったそうです。
槐の樹、今は元気にそびえたってました。 -
大塩平八郎の私塾跡を探そうと歩いてましたら、こんな時計のようなものがありました。
日時計のようですが、、、 -
下のほうには、よく読めないですけれど、時差表?
どんなふうに使うのかな、、
説明板はありません。 -
塀に埋め込まれた、「造幣局用地」。
このあたりには、造幣局があります。
そして、造幣局や大塩平八郎の遺蹟が沢山あります。 -
川崎東照宮跡。
確か小学校の入り口横にある石碑。 -
説明によると、徳川秀忠の名に寄って、家康を祀る神社が各地に建てられ、ここもその一つだったようで、小学校の敷地にあったようです。
豊臣氏への思慕を絶つためともいわれています。
大塩平八郎が挙兵した際には集合場所にもなった、、と何かで観ました。
その乱の際には焼失したといいます。
1873年に廃絶、その後移築し、再建されています。 -
大塩平八郎の私塾があった場所へ向かいます。
-
ここかな、、、
草むらになっているけれど、、、 -
大塩平八郎の私塾 洗心洞の跡です。
石碑があります。 -
読みにくいですが、説明板もありました。
大塩平八郎は大阪東奉行所の与力で、その役宅で塾を開き「陽明学」を
教えています。
1824年~1827年の間の開塾だったようです。
1830年には与力を辞職。
1832年頃から、全国的にも飢饉がおこり、大阪でも1836年~1837年の頃は飢饉が特にひどかったようです。
大塩平八郎が救民を呼びかけますが、奉行所や豪商は利益をむさぼり、何もせず、大塩平八郎は自分の蔵書を売り、人々の救済に当たります。
1837年には大塩平八郎が弟子や農民らと挙兵、救民をかかげて幕府軍と戦いますが8時間という短時間で鎮圧されます。 -
石碑の裏にも説明がありますが、草木でよく見えず、、
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大塩平八郎の乱は多くの影響を与え、30年後には明治維新です。
大塩平八郎の書物などは、のちの吉田松陰や西郷隆盛にも影響を与えたといいます。 -
近くの煉瓦がとてもレトロで綺麗でした。
学校の敷地と造幣局の敷地を分けているようです。 -
造幣博物館に向かいます。
ここにも、造幣局用地と古い石表示。 -
造幣博物館へ。
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門から入って、、
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入ってすぐに、大塩平八郎の邸宅跡がすぐ近くにあったことや、造幣局のかつての門などが残っていること、造幣局の応接の建物だった泉布観(道をへだてて)などの説明がありました。
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そうそう、ここは「造幣局の桜ぬけ」で有名です。
毎年桜の季節にはにぎわいます。
いまは、新緑のみ。新緑も美しい~ -
「桜の通り抜け」の案内もありましたよ。
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「桜の通り抜け」の由来が書かれていました。
ちょっと読みにくいです。。
調べましたら、、
江戸時代の藤堂幡の蔵屋敷にあった里桜を造幣局が土地と受け継ぎ、
1883年から敷地内の桜並木を一般に見学できるようにしたことが由来。
春の風物詩です。 -
桜門。
桜のなまえが付けられています。 -
正門と詰所が当時のまま残されています。
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石碑がありました。
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正門。
明治4年に造幣局が創業した当時の正門。
詰所は道を隔てたところにある、造幣局の応接の建物 泉布館と同じ設計者のイギリス人のウォートルスの設計だそうです。
正門の衛兵が詰めていました。 -
詰所。
可愛い建物でした♪ -
創業当時のガス灯も残されていました。
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長谷川為治の胸像があります。
大蔵省、太政官を経て、1893年から1914年まで造幣局長。 -
明治天皇聖躅(めいじてんのうせいちょく)の碑がありました。
明治天皇も訪れた場所。 -
桜の木々の間を通って、
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博物館の入り口付近に、創業期の印刷機などが展示されていました。
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解説もあります。
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こちらはフランスのトネリエ圧印機、
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こちらはドイツのウールホルン圧印機。
二つとも非常に貴重なもので、世界的にも保存されている者が少ないそうで、機械遺産に認定されています。 -
博物館へ。
煉瓦の建物がきれい。
1911年に火力発電所として建てられた建物。 -
入ってすぐ。
明治6年ごろの造幣局(当時は造幣寮と呼ばれていました)の様子が模型で。広いです。
当時の敷地は約18万㎡、現在は10万㎡だそうです。
見学はフリーです。 -
日本の貨幣制度に貢献した人物たち、、、
由利公正や五代友厚などの肖像がありました。
由利公正は坂本龍馬とも交流があったことでも知られていますが、
新政府で新貨幣の製造準備を指揮しています。
五代友厚は造幣機械の輸入に尽力するなど。 -
明治4年・1871年に造幣寮が操業を開始、巨大な西洋風の建物が建ちます。
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ビデオもありました。
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当時の最新の機械設備や、
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明治新政府の新しい貨幣を造った人物。
加納夏雄。
優れた彫金の技術を持っていた人です。 -
加納夏雄が造った貨幣。
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精密機械に優れた人物も。
造幣寮で、天秤や大時計、計数機などを製作。
明治の初めに、こんな優れた人物が造幣を支えていたなんて、
知りませんでした。。 -
造幣局の道を隔てたところにある、泉布観。
かつての造幣寮の応接所としてつくられています。
明治天皇も滞在したことのある建物。 -
お雇い外国人たち。
ガウランドは、古墳の研究でも知られています。 -
明治のはじめ、近代的な貨幣を造ることは、他の産業も推進させることになったのですね~
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豊臣秀吉のが造らせたという、天正菱大判と天正長大判。
貴重なものだそうです。 -
大判もこんなに種類があったんですねー
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安土桃山時代~江戸時代~幕末の頃の貨幣。
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桜の通り抜けのメダルもあるんですね~毎年桜の種類が異なり。
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外へ。
桜の季節が終わると静かなんですね~ -
煉瓦と樹々の緑が美しい~
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明治18年に洪水があったようで、標石がありました。
すぐそばに大川。 -
煉瓦も初期のころの積み方。
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藤棚がありました。
100年を超える古木。
明治天皇は明治5・10・31年の三回にわたり行幸、その際に生け花として使われた藤の花を挿し木にして育てた藤棚だそうです。 -
入り口付近にショップがありました。
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道路を経て、桜之宮公園へ。
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ここには造幣寮のころの応接所があります。
泉布観。 -
洋風の佇まい。
1871年 明治4年に創業した造幣寮(造幣局)の応接所として建てられています。
設計はアイルランド出身のウォートルスで、造幣寮の建物などを設計したあと銀座の煉瓦街なども設計するなどした、幕末から明治初期にかけての外国人技術者です。泉布観 名所・史跡
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説明がありました。
正面は大川で、当時は船運が盛んでした。
創業の翌年には明治天皇がここを訪れた際に、「泉布観」と名付けています。「貨幣の館」という意味だそうです。
明治天皇は明治10年、31年にも訪れています。 -
イチオシ
ベランダもお洒落です。
石柱も。
パステルのピンクも可愛い。 -
中には入れません。
パンフレットに写真がのっていて、みてみますと、8個もの暖炉があるそうです。
鹿鳴館が明治16年の竣工ですから、こちらはもっと早い時期に建てられた建物。 -
ちょっと写真が悪くて、はっきりわからないのですが、、、
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説明によると、煉瓦小屋。
古い煉瓦の積み方のようです。
造幣寮の建物のひとつ。 -
明治天皇の行幸の石碑がありました。
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すぐお隣に旧桜宮公会堂。
正面に見える玄関は、もとは造幣寮鋳造所の厳寒でした。
昭和10年にこの玄関を利用して背面に鉄筋コンクリートの建物を建設して
明治天皇記念館として竣工。 -
イチオシ
ものすごく立派なファサードで、まるでヨーロッパに来たかのような気持ちになりました♪
お隣にある泉布観と同じ設計者 ウォートルスによるものです。旧桜宮公会堂 グルメ・レストラン
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説明がありました。
トスカナ式円柱がギリシャ建築を思わせます。
戦後は公会堂や図書館として使われていましたが、2007年以降は閉鎖。
その後、日本庭園なども再生され、現在は、結婚式場やレストランとして利用されています。 -
堂々としたたたずまい。
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目の前には大川。
美しい景色です。
桜の季節も観てみたいなぁ~毛馬桜之宮公園 公園・植物園
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イチオシ
うっすらと色合いも綺麗♪
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イチオシ
入り口。レストランや結婚式場に。
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イチオシ
レストランを利用しないと、中は見学できないようです。
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周囲の日本庭園も再生されています。
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苔もきれい。
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池もありましたよ。
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とても静かです。
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説明。
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泉布観からも眺めることができたんですねー
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新緑も美しい~
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お隣にある泉布観。
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気持ち良いので、暫く散策♪
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建物まわりをぐるり、、
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大川のほとりを歩きます♪
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ベンチもあって休めます~
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かつては荷を積んだ船が行き交っていたんですねー
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近くのOAP PLAZA へ。
夫がこの近くで用事があるため、私はここでしばらく休むことにしました。 -
上島珈琲。
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どの席にしようかな、、
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やはり大川の眺めがみたい、、
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冷たいアイスコーヒーをいただきました。
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落ち着いた雰囲気でした。
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建物を出て、
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外に出ると、このような説明と門柱が。
このOAP 大阪アメニティパークは旧三菱金属大阪精錬所の跡地に建っています。
明治24年に製錬所ができ、そのあと明治29年に三菱合資会社が払い下げを受けています。
金、銀、銅など非鉄金属の製錬の創業を約100年続けていました。
こちらの門柱は明治時代に製錬所が建設された当時のものだそうです。
造幣局も洋風建築の建物群も、明治時代になり、何とか西洋に追いつこうとする意気込みが伝わってくるような場所でした。
最後までお付きあいいただいて、ありがとうございます^^
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