2026/04/08 - 2026/04/08
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マリアンヌさん
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サンドイッチマンの帰れマンデーだったか番組で川越を訪れていました。桜シーズン前の新河岸川の船に特別に乗せてもらっていました。
実は高校時代を川越で過ごしましたが、今更ですけれど新河岸川がそんな場所を流れていることを知りませんでした。もしやまだ花筏が見れるかもと出かけました。
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まずは、川越八幡神社へ。
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参道をお花が飾る。
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川越八幡神社。
1000年祭まであと4年との幟が立っていた。
長元3年(西暦1030年)源頼信公によって、豊前国(現在の大分県)宇佐八幡宮からこの地に勧請された、悠久の歴史を有する神社とのこと。 -
いつも花手水がきれい。
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足元に水占いの花手水。
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御神木の隣に丸い絵馬。
お稲荷さん、可愛い像がちょこんと座っていた。 -
一挙に氷川神社裏の新河岸川へ。
ここに新河岸川が流れていることを知らなかった。 -
桜がまだ少し咲いていた。
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この桜は満開だった。
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なかなかの風情。
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花筏は・・・?
微妙な感じで堰にたまってる。 -
とりあえず花筏でしょうか。
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これが帰れマンデーでみた桜の季節限定の船ね。
もう終了みたいだった。 -
川沿いを散策。
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うーん。少し来るのが遅かった感じ。
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桜は、だいぶ散ってしまったような様子。
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この一角は風情がある。
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氷川神社に続く道、旧上尾街道との案内があった。
上尾街道は、ここから東に水田地帯を貫いて入間川、荒川の流れを渡り上尾宿(現在の上尾市)に至る中仙道の脇往還としても大切な役割を果たしていたそう。 -
鳥居のある正面から氷川神社へ。
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HPより。
「川越氷川神社の創建は今から約1500年前、古墳時代の欽明天皇二年(541年)。室町時代の長禄元年(1457年)、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として篤く崇敬され、 江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より特別の計らいを受けたそう。」 -
吊り灯籠がいい雰囲気。
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いつもながら観光客で賑わっていた。
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鯛みくじにサツマイモみくじまで。
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そぞろ歩きしていたら、ミニ盆栽店を見かけた。
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この界隈は、弁天横丁というらしい。
明治26年の大火後に形成された、弁天様が祀られる参道沿いの路地。かつて芸者さんの置屋が多く立ち並び「芸者横丁」と呼ばれた花街だったそう。 -
築100年以上とも言われる横丁奥の「麻利(あさり)弁天長屋」。
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長屋の一番奥は、時代劇に出て来そうな鰻屋。
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その奥にも食堂があった。
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目的のお店に向かう途中、カフェや古民家フレンチを見かけた。
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モダン亭太陽軒。
前から来てみたかった。 -
平成16年に国登録有形文化財に指定された大正ロマンよ洋館。
特徴的な外観の色漆喰塗りが、独特の雰囲気を醸し出している。 -
ステンドグラスが美しい。
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灯りもアールデコなどレトロ感に満ちている。
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大正ロマン洋食セットをいただいた。
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最後にステンドグラスを見回して。
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川越城 中ノ門堀跡。
戦いの際、敵が西大手門 (市役所方面) から城内に攻め込んだ場舎を想定して造られているそう。 -
西大手門から本丸 (博物館方面) をめざして侵入した敵は中ノ門堀を含むむ3本の堀に阻まれて直進できない。進撃の歩みが緩んだところに、城兵が弓矢を射かけ鉄砲を撃ちかけるしくみだったそう。
明治時代以降、川越城の多くの施設、建物が取り壊される中、中ノ門堀跡は旧城内に残る唯二の塀跡とのこと。 -
川越城 本丸御殿。
川越市HPより。
「河越城(江戸期以後を川越城と表記する)は、扇谷(おうぎがやつ)上杉持朝の命を受け家臣太田道真・道灌父子らが長禄元年(1457)に築城したことに始まる。」慶應義塾 図書館旧館 名所・史跡
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「享徳3年(1454)、関東管領上杉憲忠を殺害した鎌倉公方足利成氏は、戦乱の中下総古河(こが)を居所としたが、相模に拠点を置く持朝は南関東の支配を確立するため、武蔵の中央である河越の地に築城したと考えられる。
以後、約80年間扇谷上杉氏6代の居城となったが、その姿は概ね方形に堀を巡らすいくつかの「方形居館」からなると考えられている。」 -
老体詰所、使番詰所。
「天文6年(1537)、北条氏綱による河越攻めに始まる河越合戦で勝利した北条氏は、天文15年、俗に「河越夜戦」と称される戦いで両上杉氏と古河公方勢の反撃を退けた。以後50余年間、河越城は北条氏の武蔵国支配の一翼として小田原城の支城となり、天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入府するまで軍事・経済面で重きをなした。」 -
「江戸時代に城郭は拡張され、幕府の大老、老中などの要職を兼ねる親藩・譜代の大名、8家21人が城主を務め幕末・明治維新に至った。城跡内には、国内に2例のみ残る本丸御殿があり、他に家老詰所、三芳野神社、土塁、富士見櫓跡、中の門跡と堀跡などが残存する。」
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渡り廊下を渡って家老詰所へ。
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奥の間で家老たちが詮議かな。
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ちょっとリアルでびっくり。
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部屋が細かく分かれている。
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お庭拝見。
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散り際の桜。
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城に桜は、似合う。
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広間。36畳あるそう。
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重要文化財 紫裾濃甲胃(むらさきすそごかっちゅう) 写
昭和60年(1985)頃製作 (寺田勝廣氏製作) 原資料は東京都青梅市の武蔵御嶽神社が所蔵 。昭和44年頃、資料を調査して製作されたそう。
紫糸威鎧(むらさきいとおどしよろい)
昭和50年(1975)(寺田勝廣氏製作)
子供用に製作された大鎧。 -
建具として入れられた杉戸は 藩の御用絵師船津蘭山が描いたものだそう。
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意匠も美しい。
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本丸御殿に隣接する初雁公園には、遅咲きの桜が咲いていた。
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弁天横丁に戻り、カフェ二軒堂へ。
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古民家リノベーションのカフェ。
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レトロな雰囲気で心地よい。
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カレーなどもあるのだけど、ランチを食べた後だったので、チーズケーキとコーヒーをいただいた。
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2階には展示スペースがあり、個展が開かれていた。
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そぞろ歩きを続けて。
稲荷小路の本宗稲荷神社。 -
小路を抜けて。
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蔵造りの街並みへ。
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大沢家住宅。
呉服太物を商っていた近江屋半右衛門が寛政4年(1792年)に建てた蔵造りの店舗。明治26年の川越の大火でも焼失から免れ、国の重要文化財に指定されている。平成元年から4年間にわたって大規模な修復工事が行なわれ、建築当時の姿に復元。
一見すると重厚ながらも地味にも感じる外観は、藩政時代のこと、川越城より目立ってはまずいという配慮から。
川越大火で焼失を免れたことから、川越商人が蔵造りの商家を建設するきっかけになった建物。
明治16年の番付表『川越繁盛店萬代鏡』では行司役の筆頭に西村半右衛門の名が記されていることから、その繁栄ぶりがわかるそう。
西村家も近江(滋賀県)から直接、川越にやって来たのではなく、江戸を経由したのだと推測できるが、川越の近江商人の歴史や足取りは定かでないそう。
豚さんが屋根の上を歩いてるのは、豚料理の店らしい。 -
タイムスリップしたような街並み。
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川越のランドマーク「時の鐘」。
寛永年間(1624年~1644年)に、川越城主・酒井忠勝(さかいただかつ)が建てたのが最初で、現在の鐘楼は、川越大火の翌年、明治27年の再建。
明治の川越の大火の時、義捐金を寄贈、時の鐘の銘文には渋沢栄一翁の名前が刻まれたそう。 -
スターバックスも街並みに溶けて。
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1893年(明治26)に発生した川越大火では、当時、埼玉県随一の人口を誇った川越町(現・川越市)の全戸数3315戸のうち、1302戸を焼失。
時の鐘も焼け落ちたが、悲惨な大火から、蔵造りの大沢家住宅など9 軒の土蔵造りが焼け残ったため、延焼を防ぐ耐火建築として蔵造りが見直されたそう。
川越の城下町は、商人町を含め、寛永15年(1638年)の川越大火直後に藩主となった松平信綱(まつだいらのぶつな)が町割りを行なったものだそう。 -
城下の商業要素の集中した上五ヵ町(本町、江戸町、喜多町、高澤町、南町)を商人町、下五ヵ町(鍛冶町、多賀町、志義町、上松江町、志多町)を職人町と定めたのだそう。
高校時代の友達の家は志多町にあり文化財に指定され、改装出来ず大変と言っていたなぁ。 -
ワークショップなどで使われている蔵。
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鰻屋さんだけど、猫や魚のオブジェが目を引く。
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菓子屋横丁へ。
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フランスパンに模したふ菓子。
名産川越いもを使用した芋せんべい、芋けんぴ、私の好物の芋なっとう。 -
再び蔵造りの街並み通りへ。
平日だけど観光客で賑わっていた。 -
埼玉りそな銀行川越支店(旧国立八十五銀行)大正7年(1918年)
明治5年に国立銀行条例が制定されたのを受け、埼玉県随一の商都として繁栄していた(人口も当時は埼玉県一)川越の豪商たちは渋沢栄一に銀行設立を請願。
さらに明治11年、川越藩の御用商人だった豪商の綾部利右衛門(あやべりうえもん/屋号「麻利」)、黒須喜兵衛(呉服商)、横田五郎兵衛(よこたごろべえ/米穀商)、山崎豊(やまざきゆたか/菓子商、4代目山崎嘉七)たちは、大蔵卿・大隈重信に国立銀行設立願を提出し、12月17日、川越町南町177の横田五郎兵衛邸屋敷の一角を借りて、第八十五国立銀行が誕生します。
これが、埼玉県初の国立銀行で、筆頭株主は綾部利右衛門と黒須喜兵衛のふたり。 -
陶舗やまわ(有形文化財「原家住宅」)
角地に建ち、ひときわ目を引く重厚な建物は、川越大火直後の明治26年築の蔵造り。
川越大火直後に、呉服商を営む山本平兵衛が建てた蔵造りの店舗。原家住宅として川越市の有形文化財に指定されている。
陶舗やまわは、瀬戸物屋として明治38年(1905)、東京の王子で創業し、大正9年(1920)に川越に出店。 -
お洒落な雑貨やさん。
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浮き細工の小物がきれい。
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亀屋本店(山崎家住宅)
老舗の和菓子店。浅間山が噴火した天明3年(1783年)の創業(初代は信州中野の出身)で、現存する店蔵は、明治27年、5代目・山崎嘉七の建築。
昔から亀屋と言えば「最中」だった。 -
山吉ビル(現在は歯科医院)
旧山崎家別邸や現埼玉りそな銀行(旧八十五銀行)同様、保岡勝也の設計。
県内初のデパート建築で。イオニア式の柱やレリーフ、ステンドグラスなどの装飾も見事、残念ながら観光客は入れない。
アートカフェエレバート
外観は洋館で内部は土蔵造りの和洋折衷という造りが印象的な建物。
「桜井鉄砲店」として大正4年(1915年)に建てられ、その後「田中家住宅」「田中屋美術館」を経て、現在のカフェとなっているとのこと。
立ち寄ろうとしたら定休日だった、残念。 -
川越商工会議所。
昭和2年(1927年)武州銀行川越支店として建造された。その後、昭和45年に川越商工会議所が譲り受け、以後事務所として使用しており、平成10年登録文化財となったそう。
設計は前田健二郎氏。前田氏はここ以外にも、武州銀行浦和支店、高島屋日本橋店、京都市立美術館などの設計を手がけているとのこと。
ちなみに川越商工会議所は、1900(明治33)の創立で埼玉県内では一番最初に設立されたそう。 -
亀屋山崎茶店。
菓子屋の亀屋と繋がっているのかな。 -
原田家住宅(明治27年建造:川越市指定有形文化財)
すごく立派な蔵造りが目を引いた。
面している通りは、江戸時代~太平洋戦争まで米問屋が軒を連ね、なんと取引額は県内でトップ。中でも特に繁盛していたそう。 -
日本聖公会川越キリスト教会。
桜が咲いていた。 -
うなぎ林屋。
築130年以上の建物は、かつて米の卸問屋であり、 当時、蔵までの米の出し入れにはトロッコが使われていた。 そのトロッコレールは現在も店内に残っているそう。
仲町観光案内所。
明治26年の川越大火直後に焼失を免れた現在の大沢家住宅など数軒の蔵造りや東京の日本橋界隈の商家を参考に、煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)が建てた蔵造り商家を博物館に再生したもの。 -
大正浪漫夢通りへ。
鯉のぼりが飾られていた。 -
ここにも看板建築。
シマノコーヒー大正館(昭和8年建造)は、喫茶として営業している。映画のセットのような外観が人気とのことで、立ち寄ったら列が出来ていて断念。
伊勢屋さんは洋品店。 -
上はカフェHILL PINE'S ESPRESSO。
下のカフェは、1901 TEA SALON。
訪れる度、定休日で入れたことがない。 -
熊野神社。
茅の輪くぐりがあった。 -
半日だったけど、春の川越そぞろ歩き、新たな発見もあり楽しかった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2026/04/14 08:39:13
- 貴重な資料。。。
- ☆川越と聞けば、例の火の見やぐらから見下ろす昔の街づくりしか思い浮かばなかったので、これほど子細な江戸情緒を感じる街だとは。。。
☆川越にYMCA時代の友人が住んでいるのだけれど、訪れたことが無い。これから行ってみようかしら?
☆都会と故郷を同時に味わえる素敵な街ですね。よくぞ発見!写真技術もなかなかのものですね。いつも感心する~see you~
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- 川岸 町子さん 2026/04/14 08:13:04
- 芋なっとう
- マリアンヌさん、おはようございます。
川越街歩き、さすが慣れていらっしゃいます(^_-)
桜の季節ももちろんきれいなシーンの連続ですね!
いきなりですが、芋なっとうは何でしょうか?
気になります。
大正浪漫通りの伊勢屋さん、確か以前は地元で人気の和菓子屋さんだったお店でしょうか?
何度か買い物した記憶です。
町子
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