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東京・京橋にあるArtizon Museumで開催されていた『モネ没後100年 クロード・モネ―風景への問いかけ』展を鑑賞してきました。<br /><br />2026年はクロード・モネの没後100年にあたる記念すべき年だそうで、今回はオルセー美術館の協力により、オルセー所蔵のモネ作品41点を含むモネを知るには欠かせない作品が多数展示されています。会場ではル・アーヴル、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーといった、モネの創作を語るうえで重要な場所とそこで創作をした時代を軸に、風景画家としての歩みをたどっていくような展示になっていました。<br /><br />そしてほとんどの作品が撮影できるというのもうれしいことでした。それで、せっかく観られたんだから旅行記を書こうと思ったのですが、簡単なことではなかったです(笑)作品の批評なども参考にさせてもらって、特に観たかった作品や印象的だった作品を中心にまとめてみました。<br /><br />備忘録のような旅行記ですが、適当に読み飛ばして見ていただければうれしいです(^^)♪<br /><br />

東京でモネの風景を旅する♪ Artizon Museum『モネ没後100年』展へ

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2026/03/04 - 2026/03/04

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akiko

akikoさん

東京・京橋にあるArtizon Museumで開催されていた『モネ没後100年 クロード・モネ―風景への問いかけ』展を鑑賞してきました。

2026年はクロード・モネの没後100年にあたる記念すべき年だそうで、今回はオルセー美術館の協力により、オルセー所蔵のモネ作品41点を含むモネを知るには欠かせない作品が多数展示されています。会場ではル・アーヴル、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーといった、モネの創作を語るうえで重要な場所とそこで創作をした時代を軸に、風景画家としての歩みをたどっていくような展示になっていました。

そしてほとんどの作品が撮影できるというのもうれしいことでした。それで、せっかく観られたんだから旅行記を書こうと思ったのですが、簡単なことではなかったです(笑)作品の批評なども参考にさせてもらって、特に観たかった作品や印象的だった作品を中心にまとめてみました。

備忘録のような旅行記ですが、適当に読み飛ばして見ていただければうれしいです(^^)♪

  • 東京駅から八重洲通りを歩いて10分足らずで、アーティゾン美術館に到着!23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」の低層部に美術館はあり、展示室は4-6階の3フロアだそう。

    東京駅から八重洲通りを歩いて10分足らずで、アーティゾン美術館に到着!23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」の低層部に美術館はあり、展示室は4-6階の3フロアだそう。

  • 美術館の1F~2Fは大ガラスで囲まれていて、前には、金属製の大型オブジェ《無数の星座がうまれる》が設置されていました。昼と夜で異なる表情をみせるそうで、夜間は無数の穴から内部の光がこぼれ、星座のように輝くのだそうです。

    美術館の1F~2Fは大ガラスで囲まれていて、前には、金属製の大型オブジェ《無数の星座がうまれる》が設置されていました。昼と夜で異なる表情をみせるそうで、夜間は無数の穴から内部の光がこぼれ、星座のように輝くのだそうです。

  • そして、現在開催中のモネ展の広告看板やイラストバナーがあちこちに...。

    そして、現在開催中のモネ展の広告看板やイラストバナーがあちこちに...。

  • エントランスが見えてきました。中に入っていきましょう!

    エントランスが見えてきました。中に入っていきましょう!

  • 「ARTIZON」(アーティゾン)は、「ART」(アート)と「HORIZON」(ホライゾン:地平)を組み合わせた造語で、時代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取っていただきたい、という願いが込められているそうです。<br /><br />前身は旧ブリヂストン美術館をで、創設者である石橋正二郎氏が、1952年に東京・京橋のブリヂストンビル2階に美術館を開設し、自ら収集したコレクションを公開したのが始まりだとのこと。

    「ARTIZON」(アーティゾン)は、「ART」(アート)と「HORIZON」(ホライゾン:地平)を組み合わせた造語で、時代を切り拓くアートの地平を多くの方に感じ取っていただきたい、という願いが込められているそうです。

    前身は旧ブリヂストン美術館をで、創設者である石橋正二郎氏が、1952年に東京・京橋のブリヂストンビル2階に美術館を開設し、自ら収集したコレクションを公開したのが始まりだとのこと。

  • ここから「クロード・モネ―風景への問いかけ」展の会場になります。<br /><br />本展は、オルセー美術館の全面協力による展覧会で... 全11章(セクション)に分けられ、ル・アーヴル、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーといった、モネの創作を語るうえで重要な場所とそこで創作をした時代を丹念に辿ることができるようになっているとのことでした。

    ここから「クロード・モネ―風景への問いかけ」展の会場になります。

    本展は、オルセー美術館の全面協力による展覧会で... 全11章(セクション)に分けられ、ル・アーヴル、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジヴェルニーといった、モネの創作を語るうえで重要な場所とそこで創作をした時代を丹念に辿ることができるようになっているとのことでした。

  • モネの風景画家としての歩みをたどる本展の構成は以下の通りでした。<br /><br />セクション1:モティーフに最も近い場所で<br />      ─ノルマンディーとフォンテーヌブローで制作した1860年代のモネ<br />セクション2:写真室1: モティーフと効果<br />セクション3:《かささぎ》とその周辺─雪の色<br />セクション4:風景画と近代生活<br />      ─「飾られた自然と、都市の情景」<br />セクション5:四季の循環と動きのある風景<br />      ─「ここが私のアトリエだ」(クロード・モネ)<br />セクション6:1880年代の風景探索<br />      ─「表現された感覚の驚くべき多様性と大胆な新しさ」<br />       (オクターヴ・ミルボー)<br />セクション7:ジャポニスム<br />セクション8:連作─反復─屋内風景<br />セクション9:写真室2: 効果と反射<br />      ―写真による風景、夢見た風景<br />セクション10:写真室3: ジヴェルニーの庭のクロード・モネ<br />      ─エティエンヌ・クレメンテルのオートクローム<br />セクション11:池の中の世界 ─睡蓮

    モネの風景画家としての歩みをたどる本展の構成は以下の通りでした。

    セクション1:モティーフに最も近い場所で
          ─ノルマンディーとフォンテーヌブローで制作した1860年代のモネ
    セクション2:写真室1: モティーフと効果
    セクション3:《かささぎ》とその周辺─雪の色
    セクション4:風景画と近代生活
          ─「飾られた自然と、都市の情景」
    セクション5:四季の循環と動きのある風景
          ─「ここが私のアトリエだ」(クロード・モネ)
    セクション6:1880年代の風景探索
          ─「表現された感覚の驚くべき多様性と大胆な新しさ」
           (オクターヴ・ミルボー)
    セクション7:ジャポニスム
    セクション8:連作─反復─屋内風景
    セクション9:写真室2: 効果と反射
          ―写真による風景、夢見た風景
    セクション10:写真室3: ジヴェルニーの庭のクロード・モネ
          ─エティエンヌ・クレメンテルのオートクローム
    セクション11:池の中の世界 ─睡蓮

  • 【セクション1】モティーフに最も近い場所で─ノルマンディーとフォンテーヌブローで制作した1860年代のモネ<br /><br />セクション1では、コローやブーダンら少し前の世代の絵画も一緒に展示され、1850年代の終わりから1860年代半ばにかけて、若きモネの自然主義的アプローチによる風景画が生まれた過程を辿るとのこと。<br /><br />モネがその師ブーダンに出会ったのは1856年のこと。モネは後年「自分が画家になれたのは、ブーダンのおかげです」と言っていたそうです。<br />モネは幼少期をノルマンディー地方のル・アーヴルで過ごし、早くから絵の才能を示しました。18歳の時に風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会い、戸外での油絵制作を学びました。<br /><br />作品《アルクの谷》シャルル=フランソワ・ドービニー

    【セクション1】モティーフに最も近い場所で─ノルマンディーとフォンテーヌブローで制作した1860年代のモネ

    セクション1では、コローやブーダンら少し前の世代の絵画も一緒に展示され、1850年代の終わりから1860年代半ばにかけて、若きモネの自然主義的アプローチによる風景画が生まれた過程を辿るとのこと。

    モネがその師ブーダンに出会ったのは1856年のこと。モネは後年「自分が画家になれたのは、ブーダンのおかげです」と言っていたそうです。
    モネは幼少期をノルマンディー地方のル・アーヴルで過ごし、早くから絵の才能を示しました。18歳の時に風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会い、戸外での油絵制作を学びました。

    作品《アルクの谷》シャルル=フランソワ・ドービニー

  • モネの才能を見出していたブーダンは、モネに油絵を教え、外へ連れ出し自然を良く観察して、外光の中、その場で絵を描くことを教えました。既に、チューブに入った絵の具が販売されており、ブーダンとともに外へ出かけて描き、モネの絵画はここで育まれていったそうです。<br /><br />ブータンは&quot;印象派の父&quot;と呼ばれ、海辺や空の表現にとくに優れ、ノルマンディー地方を拠点に“海と空”を描き続けました。この作品は空が大きく描かれ、右下には、小さく川で洗濯する女性が3人が描かれています。<br /><br />作品《洗たく女のいる風景》ウジェーヌ・ブーダン

    モネの才能を見出していたブーダンは、モネに油絵を教え、外へ連れ出し自然を良く観察して、外光の中、その場で絵を描くことを教えました。既に、チューブに入った絵の具が販売されており、ブーダンとともに外へ出かけて描き、モネの絵画はここで育まれていったそうです。

    ブータンは"印象派の父"と呼ばれ、海辺や空の表現にとくに優れ、ノルマンディー地方を拠点に“海と空”を描き続けました。この作品は空が大きく描かれ、右下には、小さく川で洗濯する女性が3人が描かれています。

    作品《洗たく女のいる風景》ウジェーヌ・ブーダン

  • 【セクション3】《かささぎ》とその周辺─雪の色<br /><br />モネは、幾度も雪からインスピレーションを受けて作品を描いています。1869年に描かれたく《かささぎ》には、桃色や紫がかった葉、青みを帯びた灰色の垣根や黒いかささぎの影など、そこかしこに白という&quot;色についてのモネの探求&quot;の成果があらわれているんだそうです。<br /><br />作品《かささぎ》クロード・モネ

    【セクション3】《かささぎ》とその周辺─雪の色

    モネは、幾度も雪からインスピレーションを受けて作品を描いています。1869年に描かれたく《かささぎ》には、桃色や紫がかった葉、青みを帯びた灰色の垣根や黒いかささぎの影など、そこかしこに白という"色についてのモネの探求"の成果があらわれているんだそうです。

    作品《かささぎ》クロード・モネ

  • この作品は私は初めて見ました。真っ白な雪景色が描かれていて、よく見ると、木の柵の上に1羽の鳥、かささぎが!雪原に陽が当たり輝いている風景が本当に美しいと感じました。白色の世界だけど、いろんな色で光や影が表現されていて、とても印象に残る作品の一つになりました。<br /><br />この作品は、モネ没後100周年に合わせ、オルセー美術館が収蔵作品をいくつか修復に出したうちの1点で今回の展覧会に間に合うように修復が完了。きれいに修復されたピカピカの本作が収蔵先のオルセー美術館よりも先に、アーティゾン美術館での公開となったそうです。

    この作品は私は初めて見ました。真っ白な雪景色が描かれていて、よく見ると、木の柵の上に1羽の鳥、かささぎが!雪原に陽が当たり輝いている風景が本当に美しいと感じました。白色の世界だけど、いろんな色で光や影が表現されていて、とても印象に残る作品の一つになりました。

    この作品は、モネ没後100周年に合わせ、オルセー美術館が収蔵作品をいくつか修復に出したうちの1点で今回の展覧会に間に合うように修復が完了。きれいに修復されたピカピカの本作が収蔵先のオルセー美術館よりも先に、アーティゾン美術館での公開となったそうです。

  • 雪に覆われたオンフルールの風景と、道をゆく荷車が静かな雰囲気で描かれています。オンフルールというと、美しい旧港や可愛らしい木組みの家の街並みを思い浮かべますが、雪が積もる風景は初めて見ました。<br /><br />作品《オンフルールの雪原を行く荷車》クロード・モネ

    雪に覆われたオンフルールの風景と、道をゆく荷車が静かな雰囲気で描かれています。オンフルールというと、美しい旧港や可愛らしい木組みの家の街並みを思い浮かべますが、雪が積もる風景は初めて見ました。

    作品《オンフルールの雪原を行く荷車》クロード・モネ

  • 50代のモネが北欧ノルウェーで、雪景色の中のコルサース山を題材に、時間帯や天候によって変化する光を描き分けたシリーズ作品の1つだそう。<br />山の色が優しいピンクやオレンジが使われ、陽が当たった山が浮き出ているように見えています。モネは浮世絵からたくさんのヒントを得たそうですが、この山を葛飾北斎の「富岳三十六景」のようなイメージで捉え、連作として描いたんだとか。<br /><br />作品《雪中の家とコルサース山》クロード・モネ

    50代のモネが北欧ノルウェーで、雪景色の中のコルサース山を題材に、時間帯や天候によって変化する光を描き分けたシリーズ作品の1つだそう。
    山の色が優しいピンクやオレンジが使われ、陽が当たった山が浮き出ているように見えています。モネは浮世絵からたくさんのヒントを得たそうですが、この山を葛飾北斎の「富岳三十六景」のようなイメージで捉え、連作として描いたんだとか。

    作品《雪中の家とコルサース山》クロード・モネ

  • 1880年の冬、厳寒でセーヌ川が凍り、全体が霜で覆われた冬の朝を描いた作品。何が描かれているかわかりにくいですが、遠くにはポプラ並木があり、手前には打ち捨てられた小舟や霜が降りた草むらが淡い色で表現されています。<br /><br />冬の冷たい空気感、霜が降りた風景、そして光によって白や青、ピンクが混ざり合う色彩の移ろいが見事に表現されている作品だそうです。<br /><br />作品《霜》クロード・モネ

    1880年の冬、厳寒でセーヌ川が凍り、全体が霜で覆われた冬の朝を描いた作品。何が描かれているかわかりにくいですが、遠くにはポプラ並木があり、手前には打ち捨てられた小舟や霜が降りた草むらが淡い色で表現されています。

    冬の冷たい空気感、霜が降りた風景、そして光によって白や青、ピンクが混ざり合う色彩の移ろいが見事に表現されている作品だそうです。

    作品《霜》クロード・モネ

  • 【セクション4】風景画と近代生活  ─「飾られた自然と、都市の情景」<br /><br />1871年、モネはパリ近郊のセーヌ川沿いの町アルジャントゥイユに移り住みました。当時のアルジャントゥイユは鉄道の発達によってパリから気軽に訪れることができる行楽地として人気があり、セーヌ川ではヨットやボート遊びを楽しむ人々でにぎわっていました。モネはこうした新しい都市近郊のレジャー文化や、川辺で過ごす人々の穏やかな日常を数多く描くようになります。<br />モネは妻カミーユと長男ジャンとともに、この地で束の間の穏やかな家庭生活を送っていました。<br /><br />作品《アルジャントゥイユの係船池》クロード・モネ

    【セクション4】風景画と近代生活 ─「飾られた自然と、都市の情景」

    1871年、モネはパリ近郊のセーヌ川沿いの町アルジャントゥイユに移り住みました。当時のアルジャントゥイユは鉄道の発達によってパリから気軽に訪れることができる行楽地として人気があり、セーヌ川ではヨットやボート遊びを楽しむ人々でにぎわっていました。モネはこうした新しい都市近郊のレジャー文化や、川辺で過ごす人々の穏やかな日常を数多く描くようになります。
    モネは妻カミーユと長男ジャンとともに、この地で束の間の穏やかな家庭生活を送っていました。

    作品《アルジャントゥイユの係船池》クロード・モネ

  • セーヌ川の川べりでしょうか、画面のいたるところに点在する人々。日傘を差し、白いドレスをなびかせて川べりの道を歩く人たちや、芝生に腰を下ろして語らうグループ、そして舟に乗っている人たちもいます。<br />空が広く描かれ、人物はごく小さく描かれているだけですが、柔らかな陽光と、人々の楽しげなざわめきがそのまま閉じ込められているように感じました。

    セーヌ川の川べりでしょうか、画面のいたるところに点在する人々。日傘を差し、白いドレスをなびかせて川べりの道を歩く人たちや、芝生に腰を下ろして語らうグループ、そして舟に乗っている人たちもいます。
    空が広く描かれ、人物はごく小さく描かれているだけですが、柔らかな陽光と、人々の楽しげなざわめきがそのまま閉じ込められているように感じました。

  • 左から<br />作品《サン=ドニ島》アルフレッド・シスレー<br />作品《ヴォワザンの村の入口》カミーユ・ピサロ<br />作品《舟》クロード・モネ

    左から
    作品《サン=ドニ島》アルフレッド・シスレー
    作品《ヴォワザンの村の入口》カミーユ・ピサロ
    作品《舟》クロード・モネ

  • 1870年にはモネはカミーユを妻に迎えます。そしてカミーユと共に滞在した土地を風景画に描いています。<br /><br />この作品《トゥルーヴィルのロッシュ・ノワール・ホテル》はフランスのノルマンディー地方にあるトゥルーヴィルの海辺のホテルを題材にしています。このホテルは19世紀のリゾート地として知られ、上流階級の人々が休暇を過ごす憧れの場所でした。1870年の夏、モネがトゥルーヴィルで過ごした際に描かれた風景画。<br /><br />まず第一印象は明るくて思わず心惹かれる風景だと感じますが、作品の解説では、&quot;モネは海辺の明るい光と風の流れを感じさせる筆遣いで、この地の活気と開放感を見事に描写。ホテルの白い外壁に反射する光、遠くに見える波打ち際、そよぐ旗の動きが、まるで今にも風が吹き抜けるようなリアルな表現を生み出している&quot;とのこと。

    1870年にはモネはカミーユを妻に迎えます。そしてカミーユと共に滞在した土地を風景画に描いています。

    この作品《トゥルーヴィルのロッシュ・ノワール・ホテル》はフランスのノルマンディー地方にあるトゥルーヴィルの海辺のホテルを題材にしています。このホテルは19世紀のリゾート地として知られ、上流階級の人々が休暇を過ごす憧れの場所でした。1870年の夏、モネがトゥルーヴィルで過ごした際に描かれた風景画。

    まず第一印象は明るくて思わず心惹かれる風景だと感じますが、作品の解説では、"モネは海辺の明るい光と風の流れを感じさせる筆遣いで、この地の活気と開放感を見事に描写。ホテルの白い外壁に反射する光、遠くに見える波打ち際、そよぐ旗の動きが、まるで今にも風が吹き抜けるようなリアルな表現を生み出している"とのこと。

  • 作品の一部を拡大すると、ホテルの傍には多くの男女が出てきています。この人物たちの存在は人気の避暑地の賑わいが感じ取れます。<br /><br />また画面の左上には大きな旗が高く掲げられていますが、この旗が翻る様子は素早いタッチで描写され、確かに、&quot;まるで今にも風が吹き抜けるようなリアルな表現を生み出している&quot;のがわかります。

    作品の一部を拡大すると、ホテルの傍には多くの男女が出てきています。この人物たちの存在は人気の避暑地の賑わいが感じ取れます。

    また画面の左上には大きな旗が高く掲げられていますが、この旗が翻る様子は素早いタッチで描写され、確かに、"まるで今にも風が吹き抜けるようなリアルな表現を生み出している"のがわかります。

  • 私はこの作品をぜひ見てみたいと思っていました。ちなみに、日本で公開されるのは今回が初めてだそうです。<br /><br />これは、モネがアルジャントゥイユに住んでいた頃、自宅の庭の様子を描いた作品です。食事を終えたばかりのテーブルがそのまま残され、テーブルの奥には帽子をかぶった女性の姿が見えます。また左下には、幼い息子ジャンが遊んでいる様子も描かれています。<br />木々の間から差し込む木漏れ日が地面や白いテーブルクロスの上にやさしく落ち、庭全体が明るい光に包まれています。日常の何気ないひとときを切り取った場面ですが、家族が過ごす穏やかな午後の空気や、静かで平和な昼下がりの雰囲気がよく表れている作品だと感じました。<br /><br />作品《昼食》クロード・モネ

    私はこの作品をぜひ見てみたいと思っていました。ちなみに、日本で公開されるのは今回が初めてだそうです。

    これは、モネがアルジャントゥイユに住んでいた頃、自宅の庭の様子を描いた作品です。食事を終えたばかりのテーブルがそのまま残され、テーブルの奥には帽子をかぶった女性の姿が見えます。また左下には、幼い息子ジャンが遊んでいる様子も描かれています。
    木々の間から差し込む木漏れ日が地面や白いテーブルクロスの上にやさしく落ち、庭全体が明るい光に包まれています。日常の何気ないひとときを切り取った場面ですが、家族が過ごす穏やかな午後の空気や、静かで平和な昼下がりの雰囲気がよく表れている作品だと感じました。

    作品《昼食》クロード・モネ

  • 部分的に拡大してみました。<br />上:テーブルの奥で佇む帽子をかぶった女性たち<br />中:食事を終えたばかりのテーブル<br />下:テーブル横で遊ぶ幼い息子のジャン<br /><br />引いて見ると、絵の中に溶け込んでわかりにくいですが、近づいて見ると、テーブルの上や積み木で遊ぶジャンの周りに木漏れ日が落ちているのがよくわかります。

    部分的に拡大してみました。
    上:テーブルの奥で佇む帽子をかぶった女性たち
    中:食事を終えたばかりのテーブル
    下:テーブル横で遊ぶ幼い息子のジャン

    引いて見ると、絵の中に溶け込んでわかりにくいですが、近づいて見ると、テーブルの上や積み木で遊ぶジャンの周りに木漏れ日が落ちているのがよくわかります。

  • モネは、1877年にこの有名なサン=ラザール駅を描き、連作も11点制作したのだそう。この連作は印象派としては画期的な試みで、同じ場所を異なる光や時間帯で繰り返し描くという、後の「積みわら」や「睡蓮」の連作につながる手法の原点になったとのこと。<br /><br />絵を見てみると、駅の構内に青い煙を上に吐き出す機関車が入ってきています。そしてその煙はガラス屋根の下では白っぽく色を変え、列車の向こうには駅舎の外に広がるパリの街が見えます。そして、近代的な建材であるガラスと鉄を駆使して建てられたこの駅は、まさに近代都市パリの象徴だったそうです。<br /><br />私は昨年春に、このサン=ラザール駅からモネの終の住処となった地、ジヴェルニーに向かいました。今では蒸気機関車は電車に置き換わり、駅に対して特別な思いはしませんが、19世紀にイギリスに登場した蒸気機関車はほどなくしてフランスにも上陸し、もくもく煙を吐きながら力強く走る機関車とこの近代的な駅は、絵の題材としてモネの心を捉えたのでしょうね。<br /><br />作品《サン=ラザール駅》クロード・モネ

    モネは、1877年にこの有名なサン=ラザール駅を描き、連作も11点制作したのだそう。この連作は印象派としては画期的な試みで、同じ場所を異なる光や時間帯で繰り返し描くという、後の「積みわら」や「睡蓮」の連作につながる手法の原点になったとのこと。

    絵を見てみると、駅の構内に青い煙を上に吐き出す機関車が入ってきています。そしてその煙はガラス屋根の下では白っぽく色を変え、列車の向こうには駅舎の外に広がるパリの街が見えます。そして、近代的な建材であるガラスと鉄を駆使して建てられたこの駅は、まさに近代都市パリの象徴だったそうです。

    私は昨年春に、このサン=ラザール駅からモネの終の住処となった地、ジヴェルニーに向かいました。今では蒸気機関車は電車に置き換わり、駅に対して特別な思いはしませんが、19世紀にイギリスに登場した蒸気機関車はほどなくしてフランスにも上陸し、もくもく煙を吐きながら力強く走る機関車とこの近代的な駅は、絵の題材としてモネの心を捉えたのでしょうね。

    作品《サン=ラザール駅》クロード・モネ

  • 1878年6月30日は、パリ万博を記念した国家の祝祭日。フランス全土で初めて公式に祝われたこの日、モネはパリのモントルグイユ街の建物の上階からこの光景を見下ろして描きました。<br /><br />作品《モントルグイユ街、1878年6月30日の祝祭》クロード・モネ

    1878年6月30日は、パリ万博を記念した国家の祝祭日。フランス全土で初めて公式に祝われたこの日、モネはパリのモントルグイユ街の建物の上階からこの光景を見下ろして描きました。

    作品《モントルグイユ街、1878年6月30日の祝祭》クロード・モネ

  • この作品もぜひ観たいと思っていました。赤・白・青のフランス国旗が、両側のビルから無数に掲げられています。解説をみると、&quot;旗は風にはためくまま大胆に描かれ、画面全体が躍動しているようです。通りを埋め尽くす人々は、ごく小さく曖昧なタッチで描かれているが、作品に生き生きとした彩りを与えお祭りの熱気が感じ取れる&quot;とのこと。<br /><br />近くで見ると、人物が多く描かれていますが、大胆な筆づかいがよくわかりました。引いてみると、祝日の賑わいがよく出ていてカラフルなフランス国旗がはためいていることで華やかさも出ているのがわかりました。

    この作品もぜひ観たいと思っていました。赤・白・青のフランス国旗が、両側のビルから無数に掲げられています。解説をみると、"旗は風にはためくまま大胆に描かれ、画面全体が躍動しているようです。通りを埋め尽くす人々は、ごく小さく曖昧なタッチで描かれているが、作品に生き生きとした彩りを与えお祭りの熱気が感じ取れる"とのこと。

    近くで見ると、人物が多く描かれていますが、大胆な筆づかいがよくわかりました。引いてみると、祝日の賑わいがよく出ていてカラフルなフランス国旗がはためいていることで華やかさも出ているのがわかりました。

  • 【セクション5】四季の循環と動きのある風景─「ここが私のアトリエだ」(クロード・モネ)<br /><br />1879年、最愛の妻カミーユが32歳の若さで病死。モネは悲嘆の中、パリを離れヴェトゥイユという小さな村に移り住みます。この絵はその翌年に描かれたとされています。画面の半分以上を占めるセーヌ川の水面は、金色と青白い光が無数の短い筆触で描かれていて、川面に揺れる光のきらめきがよく感じられます。<br /><br />広大な川の中央に、小さなボートに乗る二人の人物。その小ささが、自然の広大さと人間の孤独・儚さを際立たせ、カミーユを亡くしたモネの心情が重なって見えるという解説もありました。なるほど、ですね!<br /><br />作品《ヴェトゥイユのセーヌ川》クロード・モネ

    【セクション5】四季の循環と動きのある風景─「ここが私のアトリエだ」(クロード・モネ)

    1879年、最愛の妻カミーユが32歳の若さで病死。モネは悲嘆の中、パリを離れヴェトゥイユという小さな村に移り住みます。この絵はその翌年に描かれたとされています。画面の半分以上を占めるセーヌ川の水面は、金色と青白い光が無数の短い筆触で描かれていて、川面に揺れる光のきらめきがよく感じられます。

    広大な川の中央に、小さなボートに乗る二人の人物。その小ささが、自然の広大さと人間の孤独・儚さを際立たせ、カミーユを亡くしたモネの心情が重なって見えるという解説もありました。なるほど、ですね!

    作品《ヴェトゥイユのセーヌ川》クロード・モネ

  • 1879年9月、カミーユは32歳で亡くなりました。この絵は、妻カミーユが亡くなった時に描かれた作品です。<br />モネにとってカミーユは妻であると同時に若からの絵のモデルだった人。「カミーユの死顔を見ながら、無意識のうちに筆を取っていた」「かつてあれほどいとおしんだ女性の死の床で、、、私はもはや動かなくなった彼女の顔に、死が加え続ける色の変化を機械的に写し取っている自分に気づいた」と後年のモネはその瞬間を振り返ったそうです。<br /><br />カミーユは次男のミシェル出産後、体調を崩し徐々に衰えて行ったんだそうです。モネ夫妻は教会で結婚式を挙げていなかったため、アリス・オシュデの勧めで8月31日カミーユの病床にヴェトゥイユの司祭を招いて、カトリックの教義の下で婚姻を認められたあと、9月5日にカミーユは亡くなったのだそうです。<br /><br />カミーユの顔や身体は白く曖昧に描かれていて、まるで光の中に溶けていくようにも見えました。その姿はどこかウェディングドレスをまとっているようにも感じられ、静かな別れの時間とともに、不思議な安らぎのようなものも漂っているように感じました。

    1879年9月、カミーユは32歳で亡くなりました。この絵は、妻カミーユが亡くなった時に描かれた作品です。
    モネにとってカミーユは妻であると同時に若からの絵のモデルだった人。「カミーユの死顔を見ながら、無意識のうちに筆を取っていた」「かつてあれほどいとおしんだ女性の死の床で、、、私はもはや動かなくなった彼女の顔に、死が加え続ける色の変化を機械的に写し取っている自分に気づいた」と後年のモネはその瞬間を振り返ったそうです。

    カミーユは次男のミシェル出産後、体調を崩し徐々に衰えて行ったんだそうです。モネ夫妻は教会で結婚式を挙げていなかったため、アリス・オシュデの勧めで8月31日カミーユの病床にヴェトゥイユの司祭を招いて、カトリックの教義の下で婚姻を認められたあと、9月5日にカミーユは亡くなったのだそうです。

    カミーユの顔や身体は白く曖昧に描かれていて、まるで光の中に溶けていくようにも見えました。その姿はどこかウェディングドレスをまとっているようにも感じられ、静かな別れの時間とともに、不思議な安らぎのようなものも漂っているように感じました。

  • この作品は、モネが妻カミーユの病死や経済的困窮など、個人的に困難な時期を過ごしたヴェトゥイユで描かれた一連の風景画の一つ。冬の雪が積もった寒々とした風景ですが、セーヌ川の水面にその景色の映り込みが独特のタッチで描かれています。<br /><br />作品《ヴェトゥイユの雪景色》クロード・モネ

    この作品は、モネが妻カミーユの病死や経済的困窮など、個人的に困難な時期を過ごしたヴェトゥイユで描かれた一連の風景画の一つ。冬の雪が積もった寒々とした風景ですが、セーヌ川の水面にその景色の映り込みが独特のタッチで描かれています。

    作品《ヴェトゥイユの雪景色》クロード・モネ

  • 【セクション6】1880年代の風景探索─「表現された感覚の驚くべき多様性と大胆な新しさ」<br /><br />1880年代、モネはしばしば家族を残してフランス各地へ出かけて風景画を描いたそうです。こうして各地へ出向くことで、モネはさまざまな地形や季節、光のもとで自らの芸術を試していきました。<br />旅先でも光、天候、季節などで風景が変化するのに注目し、「連作」という手法を確立していったのでそうです。<br /><br />1886年9月から11月まで滞在したブルターニュ地方沿岸の島ベル=イル(ベリール島)を訪れ、厳しい自然環境に魅了されました。天候が悪い日にもあえて外に出て、激しい嵐の様子を戸外でスケッチし、現地で描くことにこだわりました。激しく砕け散る波、暗くドラマチックな空、切り立った岩肌のコントラストが特徴で、自然の生命力やその一瞬の表情(光と色彩)を捉えているのが見どころだそうです。<br /><br />作品《嵐、ベリールの海岸》クロード・モネ

    【セクション6】1880年代の風景探索─「表現された感覚の驚くべき多様性と大胆な新しさ」

    1880年代、モネはしばしば家族を残してフランス各地へ出かけて風景画を描いたそうです。こうして各地へ出向くことで、モネはさまざまな地形や季節、光のもとで自らの芸術を試していきました。
    旅先でも光、天候、季節などで風景が変化するのに注目し、「連作」という手法を確立していったのでそうです。

    1886年9月から11月まで滞在したブルターニュ地方沿岸の島ベル=イル(ベリール島)を訪れ、厳しい自然環境に魅了されました。天候が悪い日にもあえて外に出て、激しい嵐の様子を戸外でスケッチし、現地で描くことにこだわりました。激しく砕け散る波、暗くドラマチックな空、切り立った岩肌のコントラストが特徴で、自然の生命力やその一瞬の表情(光と色彩)を捉えているのが見どころだそうです。

    作品《嵐、ベリールの海岸》クロード・モネ

  • ノルマンディー地方のヴァランジュヴィルにある断崖上の小屋を描いた油彩画で、海面は光を反射してきらめき、空と溶け合って境界が曖昧になっています。穏やかな午後の陽光が海と断崖を優しく包む色彩の変化を、特徴的な筆致で捉えた名作だとか。<br /><br />作品《税関吏の小屋、午後の効果》クロード・モネ

    ノルマンディー地方のヴァランジュヴィルにある断崖上の小屋を描いた油彩画で、海面は光を反射してきらめき、空と溶け合って境界が曖昧になっています。穏やかな午後の陽光が海と断崖を優しく包む色彩の変化を、特徴的な筆致で捉えた名作だとか。

    作品《税関吏の小屋、午後の効果》クロード・モネ

  • この作品は、高知の北川村「モネの庭マルモッタン」で見た記憶があります。<br />モネの庭には、「ボルディゲラの庭」というエリアがあり、その庭は光り輝くモネの作品から発想した、世界で1つの庭なんだそうです。HPには次のように書かれています。<br /><br />&quot;43歳の時にルノワールと旅した地中海のボルディゲラ。その光と色彩に魅了され、興奮とともに描き上げた30点以上の作品。「光による色彩」に強い印象をうけたそれらの作品は、その後の創作活動を知るうえでの重要なポイントだと言われています&quot;<br /><br />作品《ボルディゲーラのヴィラ》クロード・モネ

    この作品は、高知の北川村「モネの庭マルモッタン」で見た記憶があります。
    モネの庭には、「ボルディゲラの庭」というエリアがあり、その庭は光り輝くモネの作品から発想した、世界で1つの庭なんだそうです。HPには次のように書かれています。

    "43歳の時にルノワールと旅した地中海のボルディゲラ。その光と色彩に魅了され、興奮とともに描き上げた30点以上の作品。「光による色彩」に強い印象をうけたそれらの作品は、その後の創作活動を知るうえでの重要なポイントだと言われています"

    作品《ボルディゲーラのヴィラ》クロード・モネ

  • この作品は、オランダのチューリップ畑が描かれたものです。モネがこのようなオランダの風景を描いていたのは知りませんでした。<br /><br />作品《オランダのチューリップ畑》クロード・モネ

    この作品は、オランダのチューリップ畑が描かれたものです。モネがこのようなオランダの風景を描いていたのは知りませんでした。

    作品《オランダのチューリップ畑》クロード・モネ

  • 近寄って、じっくり観てみました。近くで見るとチューリップの形はなく、赤や黄色の絵の具のタッチが並んでいるだけ。でも少し離れると、突然そこに満開の花畑が現れる。この『近づくと消えて、離れると見える』という不思議な体験が、印象派の面白さなんですね!

    近寄って、じっくり観てみました。近くで見るとチューリップの形はなく、赤や黄色の絵の具のタッチが並んでいるだけ。でも少し離れると、突然そこに満開の花畑が現れる。この『近づくと消えて、離れると見える』という不思議な体験が、印象派の面白さなんですね!

  • この絵は、この展覧会の広告のメインビジュアルとして紹介され、私も観たいと思っていた作品でした。<br /><br />モネは「日傘を持つ女」を3点描きました。1作目《散歩、日傘をさす女》は、アルジャントゥイユで妻カミーユと息子ジャンが草原を歩く場面で、日傘を持ち、左向きに振り返るカミーユが描かれています。風になびくスカートなど軽やかで、明るい雰囲気が感じられる作品です。<br /><br />でもこの作品は、カミーユが亡くなってから描かれたもので、人物は右向きに変わり、顔はほとんど描かれていません。モデルは義理の娘シュザンヌだそうですが、モネはあえて顔を描かなかったようです。解説によると、それはこの絵が「特定の誰か」ではなく、風と光の中に立つ人物そのものを描こうとしたからではないか、とのこと。<br /><br />いずれにしても、モネがカミーユのことを忘れられず、もう一度あの幸せだった時のことを思い出しながら同じモチーフで描きたいと思ったのでしょうね~<br /><br />作品《戸外の人物習作―日傘を持つ右向きの女》クロード・モネ

    この絵は、この展覧会の広告のメインビジュアルとして紹介され、私も観たいと思っていた作品でした。

    モネは「日傘を持つ女」を3点描きました。1作目《散歩、日傘をさす女》は、アルジャントゥイユで妻カミーユと息子ジャンが草原を歩く場面で、日傘を持ち、左向きに振り返るカミーユが描かれています。風になびくスカートなど軽やかで、明るい雰囲気が感じられる作品です。

    でもこの作品は、カミーユが亡くなってから描かれたもので、人物は右向きに変わり、顔はほとんど描かれていません。モデルは義理の娘シュザンヌだそうですが、モネはあえて顔を描かなかったようです。解説によると、それはこの絵が「特定の誰か」ではなく、風と光の中に立つ人物そのものを描こうとしたからではないか、とのこと。

    いずれにしても、モネがカミーユのことを忘れられず、もう一度あの幸せだった時のことを思い出しながら同じモチーフで描きたいと思ったのでしょうね~

    作品《戸外の人物習作―日傘を持つ右向きの女》クロード・モネ

  • 【セクション7】 ジャポニズム<br /><br />モネは20代半ばに、輸入品の包装紙として使われていた浮世絵と偶然出合い、そこから日本美術への関心が深まっていったそうです。やがて多くの浮世絵を収集し、西洋画にはない自然の見方を培いました。<br /><br />浮世絵から学んだのは色彩の鮮やかさだけではなく、大胆な構図、地平線の配置、季節の移り変わりへの意識など、西洋画にはない自然の見方がモネの風景画に大きく影響していきました。<br /><br />またその影響は絵画にとどまらず、ジヴェルニーの自邸庭園にも及びました。池に日本風の太鼓橋をかけ、藤やアイリスを植えるなど、生活そのものの中に日本への憧れが持ち込まれました。<br /><br />作品《江戸名所 御茶の水》歌川広重

    【セクション7】 ジャポニズム

    モネは20代半ばに、輸入品の包装紙として使われていた浮世絵と偶然出合い、そこから日本美術への関心が深まっていったそうです。やがて多くの浮世絵を収集し、西洋画にはない自然の見方を培いました。

    浮世絵から学んだのは色彩の鮮やかさだけではなく、大胆な構図、地平線の配置、季節の移り変わりへの意識など、西洋画にはない自然の見方がモネの風景画に大きく影響していきました。

    またその影響は絵画にとどまらず、ジヴェルニーの自邸庭園にも及びました。池に日本風の太鼓橋をかけ、藤やアイリスを植えるなど、生活そのものの中に日本への憧れが持ち込まれました。

    作品《江戸名所 御茶の水》歌川広重

  • 【セクション8】 連作─反復─屋内風景<br /><br />1890年代になるとモネはひとつのモチーフを単独で描くことはほとんどなくなりました。ポプラ並木や大聖堂など同じテーマに基づく一連の絵、『連作』を描くように...。<br /><br />モネは無限の美しさを秘めた自然を愛し、自然が変わる姿に強い生命力を感じていました。朝と夕方、春夏秋冬など時間と季節の移ろい、光の変化によって刻々と移り変わる風景を観察し、それをキャンバスに映し出そうと努めました。同じモチーフを異なる条件下で何度も描くことで、一瞬の印象を捉え、自然の魅力を表現できると考えていたのでした。

    【セクション8】 連作─反復─屋内風景

    1890年代になるとモネはひとつのモチーフを単独で描くことはほとんどなくなりました。ポプラ並木や大聖堂など同じテーマに基づく一連の絵、『連作』を描くように...。

    モネは無限の美しさを秘めた自然を愛し、自然が変わる姿に強い生命力を感じていました。朝と夕方、春夏秋冬など時間と季節の移ろい、光の変化によって刻々と移り変わる風景を観察し、それをキャンバスに映し出そうと努めました。同じモチーフを異なる条件下で何度も描くことで、一瞬の印象を捉え、自然の魅力を表現できると考えていたのでした。

  • この「ポプラ並木」この連作は、1891年の夏から秋にかけて、フランスのジヴェルニー近郊を流れるエプト川沿いの風景を題材に24作、制作されました。当時、これらのポプラが競売にかけられ伐採される危機にありましたが、モネは木が切り倒されないよう自らお金を払って競売を遅らせ、制作を続けたというエピソードがあるのだそうです。<br /><br />作品《ポプラ並木、風の日》 クロード・モネ

    この「ポプラ並木」この連作は、1891年の夏から秋にかけて、フランスのジヴェルニー近郊を流れるエプト川沿いの風景を題材に24作、制作されました。当時、これらのポプラが競売にかけられ伐採される危機にありましたが、モネは木が切り倒されないよう自らお金を払って競売を遅らせ、制作を続けたというエピソードがあるのだそうです。

    作品《ポプラ並木、風の日》 クロード・モネ

  • 1892年と翌93年、モネはルーアンに数週間滞在して、ルーアン大聖堂を主題にした作品を手がけました。そして連作30点として結実。モネの関心は建築の正面に向けられ、曇った日や晴れた日、夕べや朝など、光の具合によって色が変わる光景が描かれました。<br /><br />作品《ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽》 クロード・モネ

    1892年と翌93年、モネはルーアンに数週間滞在して、ルーアン大聖堂を主題にした作品を手がけました。そして連作30点として結実。モネの関心は建築の正面に向けられ、曇った日や晴れた日、夕べや朝など、光の具合によって色が変わる光景が描かれました。

    作品《ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽》 クロード・モネ

  • モネは「すべては変千万化する、石でさえも」という言葉を残しています。風景、光、空気、そして自分自身も含め、あらゆるものは一瞬も同じ姿にとどまらず、変わり続けているということで、最も堅く、変化しないものの代名詞である「石」でさえも、当たる光の量や時間帯、周囲の環境によってその表情を変えるということを表現しようとしました。<br /><br />また、彼は「いかに光が素早く走り去り、色も持って行ってしまうことか。色はどんな色でも、1秒、長くても3~4分しか続かない」と嘆いたそうですが、その瞬間、瞬間を捉えることに挑戦していたのだそうです。<br /><br />作品《ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光》 クロード・モネ

    モネは「すべては変千万化する、石でさえも」という言葉を残しています。風景、光、空気、そして自分自身も含め、あらゆるものは一瞬も同じ姿にとどまらず、変わり続けているということで、最も堅く、変化しないものの代名詞である「石」でさえも、当たる光の量や時間帯、周囲の環境によってその表情を変えるということを表現しようとしました。

    また、彼は「いかに光が素早く走り去り、色も持って行ってしまうことか。色はどんな色でも、1秒、長くても3~4分しか続かない」と嘆いたそうですが、その瞬間、瞬間を捉えることに挑戦していたのだそうです。

    作品《ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光》 クロード・モネ

  • モネは息子ミシェルが留学していた英国のロンドンに滞在し、「国会議事堂」の連作を描き始めます。これはサヴォイ・ホテルからテムズ川越しに見た国会議事堂を描いた連作の一つで、ロンドンの霧がつくりだす、複雑な光の効果が描かれているのだそうです。夕暮れ時のオレンジ色の空が霧の向こうに広がり、その光がテムズ川の川面に映り込んでいて、とても幻想的な作品となっています。<br /><br />作品《ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光》 クロード・モネ

    モネは息子ミシェルが留学していた英国のロンドンに滞在し、「国会議事堂」の連作を描き始めます。これはサヴォイ・ホテルからテムズ川越しに見た国会議事堂を描いた連作の一つで、ロンドンの霧がつくりだす、複雑な光の効果が描かれているのだそうです。夕暮れ時のオレンジ色の空が霧の向こうに広がり、その光がテムズ川の川面に映り込んでいて、とても幻想的な作品となっています。

    作品《ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光》 クロード・モネ

  • 1908年、2番目の妻アリスとともに初めてヴェネツィアを訪れました。2カ月ほど滞在して、のちにおよそ30点の作品を制作したそうです。<br /><br />夕日に染まる海に浮かぶのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。教会の向こう側に沈みゆく太陽の燃えるような光が、空、水面、教会を輝かせています。海の色は水平線に向かうほど赤みを増し、教会はシルエットで表わされていて、観てると風景の中に吸い込まれていくような気がしたのでした。<br /><br />作品《黄昏、ヴェネツィア》 クロード・モネ

    1908年、2番目の妻アリスとともに初めてヴェネツィアを訪れました。2カ月ほど滞在して、のちにおよそ30点の作品を制作したそうです。

    夕日に染まる海に浮かぶのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。教会の向こう側に沈みゆく太陽の燃えるような光が、空、水面、教会を輝かせています。海の色は水平線に向かうほど赤みを増し、教会はシルエットで表わされていて、観てると風景の中に吸い込まれていくような気がしたのでした。

    作品《黄昏、ヴェネツィア》 クロード・モネ

  • 【セクション10】写真室3: ジヴェルニーの庭のクロード・モネ─エティエンヌ・クレメンテルのオートクローム<br /><br />このセクションでは、エティエンヌ・クレメンテルが制作したカラー写真・オートクローム(Autochromeは、1907年にリュミエール兄弟が実用化した、世界初の商業的なカラー写真技法)が紹介されていました。

    【セクション10】写真室3: ジヴェルニーの庭のクロード・モネ─エティエンヌ・クレメンテルのオートクローム

    このセクションでは、エティエンヌ・クレメンテルが制作したカラー写真・オートクローム(Autochromeは、1907年にリュミエール兄弟が実用化した、世界初の商業的なカラー写真技法)が紹介されていました。

  • モネは、パリの北西約80キロ、セーヌ川とエプト川の合流点に位置するジヴェルニーの景色に心奪われ、1883年にそこに移り住みました。モネは「ここに理想の庭を作りたい」との抱負を抱き、四季折々の光と色、そして自然の移ろいを感じられる庭を自分の手で作りあげていきました。<br /><br />彼はすぐに家や花壇に手を加え始め、花の種類や色を緻密に計算し、あたかも絵画のパレットのように、異なる色合いや高さの花々を混植したのだそうです。<br /><br />作品《ジヴェルニーのモネの庭》 クロード・モネ

    モネは、パリの北西約80キロ、セーヌ川とエプト川の合流点に位置するジヴェルニーの景色に心奪われ、1883年にそこに移り住みました。モネは「ここに理想の庭を作りたい」との抱負を抱き、四季折々の光と色、そして自然の移ろいを感じられる庭を自分の手で作りあげていきました。

    彼はすぐに家や花壇に手を加え始め、花の種類や色を緻密に計算し、あたかも絵画のパレットのように、異なる色合いや高さの花々を混植したのだそうです。

    作品《ジヴェルニーのモネの庭》 クロード・モネ

  • 「ジヴェルニーの自邸の前のクロード・モネ」カラー写真<br /><br />この写真は、ジヴェルニーのモネの家でも飾られていました。自ら作り上げたガーデンの前に立つ、在りし日のモネの写真です。

    「ジヴェルニーの自邸の前のクロード・モネ」カラー写真

    この写真は、ジヴェルニーのモネの家でも飾られていました。自ら作り上げたガーデンの前に立つ、在りし日のモネの写真です。

  • モネは「花の庭」と「水の庭」を造りました。まず花の庭を造園し、次に隣の土地を購入し、セーヌ川支流の水を引いて睡蓮の咲く池をつくりました。ジヴェルニーの庭は彼の創造の源泉となり、「睡蓮」連作などの多くの名作を生み出す舞台となりました。<br />

    モネは「花の庭」と「水の庭」を造りました。まず花の庭を造園し、次に隣の土地を購入し、セーヌ川支流の水を引いて睡蓮の咲く池をつくりました。ジヴェルニーの庭は彼の創造の源泉となり、「睡蓮」連作などの多くの名作を生み出す舞台となりました。

  • 他にも、このような写真が展示されていました。

    他にも、このような写真が展示されていました。

  • 【セクション11】池の中の世界 ─睡蓮<br /><br />1893年、ジヴェルニーの自宅の南側に土地を広げて池のある「水の庭」を造りました。池を描き始めたのはその後の1895年頃で、それまでの自然の風景とは異なり、自ら設計した庭を描くという新たな創作が始まります。花々の色や配置、池の形まで計算されたこの庭は、自然に秩序を与えたモネ独自の世界でした。<br /><br />作品《睡蓮の池、緑のハーモニー》 クロード・モネ

    【セクション11】池の中の世界 ─睡蓮

    1893年、ジヴェルニーの自宅の南側に土地を広げて池のある「水の庭」を造りました。池を描き始めたのはその後の1895年頃で、それまでの自然の風景とは異なり、自ら設計した庭を描くという新たな創作が始まります。花々の色や配置、池の形まで計算されたこの庭は、自然に秩序を与えたモネ独自の世界でした。

    作品《睡蓮の池、緑のハーモニー》 クロード・モネ

  • この作品は、「水の庭」に再現した日本風の太鼓橋を中心に、豊かな緑やしだれ柳、睡蓮が光と色彩のハーモニーを見事に表現。刻一刻と変化する水面の光や、周りの樹々が水面に映り込む様子が描かれています。<br /><br />モネが描いた「睡蓮」の連作は、油彩画だけで250点あるといわれていますが、私はこの作品が一番好きです。それにしても、この風景をジヴェルニーの「水の庭」で見たかったです°°・(&gt;_&lt;)・°°

    この作品は、「水の庭」に再現した日本風の太鼓橋を中心に、豊かな緑やしだれ柳、睡蓮が光と色彩のハーモニーを見事に表現。刻一刻と変化する水面の光や、周りの樹々が水面に映り込む様子が描かれています。

    モネが描いた「睡蓮」の連作は、油彩画だけで250点あるといわれていますが、私はこの作品が一番好きです。それにしても、この風景をジヴェルニーの「水の庭」で見たかったです°°・(>_<)・°°

  • この作品「睡蓮の池」は、モネが白内障を発症する前、視力がまだ安定していた時期に描かれた作品だそうです。池の一部分を切り取るように描かれていて、水面に浮かぶ睡蓮が手前から奥へと広がっています。<br /><br />水面には、夕方のやわらかな光に包まれた淡いピンク色の空や周囲の木々が映り込み、上下の境界が曖昧になることで、幻想的な空間が広がっています。こうした水面への映り込みを通して、&quot;モネは風景そのものではなく、光や空気の移ろいを表現しようとしている&quot;のだそうです。<br /><br />全体に広がるピンクがかったやさしい色調からは、温かみと静けさが伝わってきて、見ていると心が穏やかになるような素敵な作品だと感じました。<br /><br />作品《睡蓮の池》 クロード・モネ

    この作品「睡蓮の池」は、モネが白内障を発症する前、視力がまだ安定していた時期に描かれた作品だそうです。池の一部分を切り取るように描かれていて、水面に浮かぶ睡蓮が手前から奥へと広がっています。

    水面には、夕方のやわらかな光に包まれた淡いピンク色の空や周囲の木々が映り込み、上下の境界が曖昧になることで、幻想的な空間が広がっています。こうした水面への映り込みを通して、"モネは風景そのものではなく、光や空気の移ろいを表現しようとしている"のだそうです。

    全体に広がるピンクがかったやさしい色調からは、温かみと静けさが伝わってきて、見ていると心が穏やかになるような素敵な作品だと感じました。

    作品《睡蓮の池》 クロード・モネ

  • ノルウェー旅行から帰国後にジヴェルニーのセーヌ川で描かれた作品で、自宅近くのエプト川で、モネの家族(再婚相手アリス・オシュデの娘たち)が小舟に乗って釣りを楽しむ様子が描かれています。<br /><br />&quot;白と青を基調とし、鮮やかな色彩を重ねることで、水面のきらめきと爽やかな風を感じさせる表現となっていて、印象派らしい光の表現で描写した明るく爽快な一枚&quot;だそうです<br /><br />作品《ノルウェー型の舟で》 クロード・モネ

    ノルウェー旅行から帰国後にジヴェルニーのセーヌ川で描かれた作品で、自宅近くのエプト川で、モネの家族(再婚相手アリス・オシュデの娘たち)が小舟に乗って釣りを楽しむ様子が描かれています。

    "白と青を基調とし、鮮やかな色彩を重ねることで、水面のきらめきと爽やかな風を感じさせる表現となっていて、印象派らしい光の表現で描写した明るく爽快な一枚"だそうです

    作品《ノルウェー型の舟で》 クロード・モネ

  • モネの作品の紹介は以上です。この旅行記では、ほぼ私が観たかったモネの作品ばかり紹介しましたが、モネと同時代、または前後に活躍した画家の作品や、ジャポニズムでは浮世絵が多く展示されていたり、写真による風景や夢見た風景の作品も展示されていました。

    モネの作品の紹介は以上です。この旅行記では、ほぼ私が観たかったモネの作品ばかり紹介しましたが、モネと同時代、または前後に活躍した画家の作品や、ジャポニズムでは浮世絵が多く展示されていたり、写真による風景や夢見た風景の作品も展示されていました。

  • そして最後の部屋には、同時期に同主題を工芸作品で表現しようと試みたエミール・ガレや、ドーム兄弟によるアール・ヌーヴォーの工芸作品も併せて展示され...<br /><br />別室で、現代の映像作家アンジュ・レッチアによるモネへのオマージュとして制作された没入型の映像作品も展示されていました。

    そして最後の部屋には、同時期に同主題を工芸作品で表現しようと試みたエミール・ガレや、ドーム兄弟によるアール・ヌーヴォーの工芸作品も併せて展示され...

    別室で、現代の映像作家アンジュ・レッチアによるモネへのオマージュとして制作された没入型の映像作品も展示されていました。

  • 本展では、モネは生涯、多くの場所を訪れ、さまざまな作品を制作したことがわかりましたが...  位置関係がよくわからず、頭の整理のために、セーヌ川とモネが絵を描くために訪れた街や移り住んだ街を地図で示したものを、AIに作成してもらいました。(海外は除く)生成された可愛いモネにニンマリも...。<br /><br /><モネが住んだ場所> ル アーヴィル・パリ・アルジャントゥイユ・ヴェトゥイユ・ジヴェルニー<br /><モネが旅した場所> ルーアン・オンフルール・トルーヴィル・エトルタ

    本展では、モネは生涯、多くの場所を訪れ、さまざまな作品を制作したことがわかりましたが... 位置関係がよくわからず、頭の整理のために、セーヌ川とモネが絵を描くために訪れた街や移り住んだ街を地図で示したものを、AIに作成してもらいました。(海外は除く)生成された可愛いモネにニンマリも...。

    <モネが住んだ場所> ル アーヴィル・パリ・アルジャントゥイユ・ヴェトゥイユ・ジヴェルニー
    <モネが旅した場所> ルーアン・オンフルール・トルーヴィル・エトルタ

  • 展示会場は、6階会場→5階会場でした。そして4階ロビーに降りると、このような彫刻作品が展示されていました。クリスチャン・ダニエル・ラウホによる《勝利の女神》だそうで、天使のように見える美しい姿でした。

    展示会場は、6階会場→5階会場でした。そして4階ロビーに降りると、このような彫刻作品が展示されていました。クリスチャン・ダニエル・ラウホによる《勝利の女神》だそうで、天使のように見える美しい姿でした。

  • アーティゾン美術館は、建物も大変美しくて、思わずカメラを出して撮影したのでした。

    アーティゾン美術館は、建物も大変美しくて、思わずカメラを出して撮影したのでした。

  • 4階の様子

    4階の様子

  • 下を見ると、エスカレーターとガラス窓から外の景色が見えていました。

    下を見ると、エスカレーターとガラス窓から外の景色が見えていました。

  • モネ没後100年『クロード・モネ―風景への問いかけ』展では、モネの画業を時代ごとにたどりながら、その変化と深まりをじっくり味わうことができました。これまで何度となくモネの展覧会に足を運び、印象派の歴史や連作に焦点を当てた展示を観てきましたが、本展では若き日の初期作品から、アルジャントゥイユでの明るい日常の風景、そして晩年の睡蓮に至るまで、各時期の重要な作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会となりました。<br />また、光とともに歩んだモネの世界にたっぷり触れることができ、展示室を巡りながらモネとともに歩く「ひとつの散歩」をしているような気分になりました。<br /><br />最後に、、、<br />今回140点ほどの作品が展示されていて、旅行記で取り上げたのは3分の1に満たない数のもので、お伝えできたのは、展覧会の魅力ごく一部だと思います。そんな旅行記ですが、最後まで見ていただいてありがとうございました。

    モネ没後100年『クロード・モネ―風景への問いかけ』展では、モネの画業を時代ごとにたどりながら、その変化と深まりをじっくり味わうことができました。これまで何度となくモネの展覧会に足を運び、印象派の歴史や連作に焦点を当てた展示を観てきましたが、本展では若き日の初期作品から、アルジャントゥイユでの明るい日常の風景、そして晩年の睡蓮に至るまで、各時期の重要な作品をまとめて鑑賞できる貴重な機会となりました。
    また、光とともに歩んだモネの世界にたっぷり触れることができ、展示室を巡りながらモネとともに歩く「ひとつの散歩」をしているような気分になりました。

    最後に、、、
    今回140点ほどの作品が展示されていて、旅行記で取り上げたのは3分の1に満たない数のもので、お伝えできたのは、展覧会の魅力ごく一部だと思います。そんな旅行記ですが、最後まで見ていただいてありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ももであさん 2026/03/21 17:54:47
    新ドライアイ対策♪☆.。.:*・゜
    akikoさん、素晴らしい旅行記をありがとうございました!✨

    やっぱり、akikoさんは天才です。美術展の旅行記は難しいのに、ここまでに仕上げられてさすがです☆・゚:*

    雪化粧の中のかささぎは、ホントいい感じですね。随分と以前佐賀に住んでいたことがありましたが、日本国内でもカチガラス=かささぎは、佐賀が最大の棲息地なので親近感が湧きます。オルセーより先にアーティゾンで公開とは、なんという贅沢!修復されたばかりのピカピカのモネを、東京で世界初公開で観られたなんて、本当にラッキーでしたね🍀

    それにしても、《昼食》の日本初公開もきっちり押さえているところがさすがakikoさん!木漏れ日の中で積み木で遊ぶジャンくんの描写、近くで見てはじめてわかるというくだりに、ぼくも行きたくなりました。

    モントルグイユ街の旗がはためく場面、チューリップ畑の「近づくと消えて、離れると見える」という印象派の魔法、そして昨年ジヴェルニーへ向かわれたサン=ラザール駅との重なり… akikoさんの旅の記憶と作品がつながっていくのが、読んでいてとても心地よかったです💕

    AIに作ってもらったモネの地図も可愛くて笑いました😄140点の中から選びぬかれた珠玉のレポート、備忘録なんてとんでもない、大変読み応えのある旅行記でした。

    …ところで、「備忘録のような旅行記ですが、適当に読み飛ばして見ていただければ」って書いてありましたけど、akikoさん、濃厚チーズフォンデュのように超濃厚で内容が充実していて写真も満載で…どこを飛ばせというんですか!! 😂

    最近、夜間にドライアイ気味なので、感動のモネ作品とakikoさんのコメントを読んで涙腺うるうるにしようと思いました😭

    akiko

    akikoさん からの返信 2026/03/21 23:52:28
    RE: 新ドライアイ対策♪☆.。.:*・゜←お役に立てるなら嬉しい限りです
    ももであさん、こんばんは〜

    ももであさんの今回の温かくて優しいコメントに、いつもの鋭い”ツッコミ”が無くて寂しさを感じつつ、ありがたくて幸せな気持ちになりました。
    それにしても、「天才」だなんて、”冗談はよしこさん” ←古すぎる??? 「天才」はももであ師匠の代名詞だと固く信じております^ ^

    展示作品にあった《かささぎ》のことですが、とても素敵な絵でしょう!と言いながら、主題になっている”かささぎ”は、私は黒っぽい鳥くらいとしか分かってなかったんです。ももであさんが教えてくれた「カチガラス」も聞いたことがなかったのですが、主に佐賀県周辺に生息するカラス科の鳥「カササギ」の別名で、鳴き声が「カチカチ」と聞こえるため名付けられたんですってね!
    きれいに修復されたモネの《かささぎ》を一番早く観られたのは、少しばかり優越感を感じてしまいます〜〜(笑)

    モネの幸せだった時期に描かれた《昼食》は、cherikoさんのお返事でも書いたのですが、アルジャントゥイユでのカミーユとジャンが登場する作品の陶板画をたくさん見たことがあり、本物をこの目で観たいと思ったのでした。この作品はとても明るい空気感が漂っていて、木漏れ日もいい感じで表現され、ほんと素敵な絵でした^ ^

    モネの作品は旅行記で書いたように、大胆な筆使いで描かれているため、いくつかの作品で、その作品の前で離れたり、近づいたりすることで「近づくと消えて、離れると見える」という体験ができたのでした。今までも同じような体験はしていたんですが、今回も「やっぱり」と思ってニンマリしました。

    AIに作ってもらったモネの地図も、触れてくれてありがとうございます。「地図にモネの姿を入れて」と依頼しただけでしたが、思った以上にキュートなモネを入れてくれて大満足でした。

    最後も、いつもの楽しいコメントも入れてもらいながら、過分のお褒めの言葉を書いていただいた上に、ドライアイのももであさんのお手伝いができるとしたら、これ以上の喜びはありません〜〜!コメント本当にありがとうございました♪

    akiko
  • cheriko330さん 2026/03/21 17:27:59
    素晴らしいのひと言♪☆.。.:*・゜
    akikoさん、こんにちは~

    やっぱり、akikoさんは天才です。美術展の旅行記は難しいのに、ここまでに仕上げられてさすがです☆・゚:*
    まるで一冊の美術書ですね。『モネ没後100年』展の公認にしていただきたいくらいです。

    特に私はここ数年は美術館へは行けていなくて、大好きなモネの絵画をゆっくり堪能することができました。
    ブリヂストン美術館の跡地が、ミュージアムタワー京橋に生まれ変わって「アーティゾン美術館」が入ったのですね。
    モネの創作を語るうえで重要な場所と創作をした時代を丹念に辿ることができるようになっていたとか。とっても良い企画ですね。特にオンフルール、トゥルーヴィルやアルジャントゥイユの絵も好きで、行ってみたい場所でもあります。
    雪の絵も素敵ですね。

    そして『昼食』って作品も、この絵好き~って思っていたらakikoさんも見たいって書かれていて、嬉しくなりました。何気ない一コマの絵ですが、家族の幸せな姿が想像できますね。こういうお庭で、ランチやティ―タイムできたら幸せ気分。
    心憎いアップの写真で、木漏れ日まではっきりと。

    カミーユが亡くなっていなかったら、どうなふうになっていたか?たらればですが。
    「ボルディゲラの庭」は私に取っても、北白川を思い出します。本当は本場のジベルニーへ行きたいのですが、北白川でも十分に楽しめました。
    そして『オランダのチューリップ畑』、福岡で似たような絵を見たことがあり、こちらもアップで詳しく見ることができました。

    『日傘を持つ女』も代表的な絵画ですね。余談ですが、pedaru画伯の旅行記で奥様をモデルに写真だったか?撮られていて、見るとつい楽しい企画を思い出してしまいます(笑)

    日本風の太鼓橋と睡蓮の絵は「睡蓮」の最高傑作でしょうか。見たような?見ていないような?素晴らしい絵画ですね。本場でこの景色が見られたら、本当に最高ですね。

    最近、涙腺がすごくゆるくなり、感動のモネ作品とakikoさんのコメントにもう崩壊寸前です😭
    次回の上京の折には、ミュージアムタワー京橋へ伺ってみようと思いました。
    今日はちょうど良い時間で、早めにコメントできました。これだけの旅行記、さぞ大変だったことでしょう。お疲れ様~😃

     cheriko330

    akiko

    akikoさん からの返信 2026/03/21 22:03:15
    RE: 素晴らしいのひと言♪☆.。.:*・゜
    cheriko330さん、こんばんは〜

    旅行記褒めてくれてありがとう〜〜!自分で書きながら、文章が多くて読むの嫌になってくるかもって心配していたので、cherikoさんの言葉がとってもうれしいです♪ ほんと、美術展の旅行記は難しくて、特に自分の感想を的確に表現する大変さを改めて感じました。それなのに、モネの絵画をゆっくり堪能することができたと言ってもらえて、頑張った甲斐があったというものです(^^)♪

    最初、モネ展が開催される『アーティゾン美術館』って知らなくて、新しく出来た美術館?って思ったら、ブリヂストン美術館が前身になっている美術館だとわかりました。4階〜6階が展示室になっていて、広くてゆったり鑑賞できる素敵な美術館でした。

    モネの作品は今までたくさん観てきて、ジヴェルニーのモネの家やマルモッタン・モネ美術館でも鑑賞したので、もういいかなとも思ったのですが、いくつか本物を見ていない作品がこの展覧会にやって来ると知り、やっぱり観てみたいと思った次第です。

    ところで、絵の舞台となったオンフルール、トゥルーヴィルやアルジャントゥイユは行ってみたいですよね!今まで旅行記にしたこともある「ガーデンミュージアム比叡」にはモネなど印象派画家の陶板画がたくさん飾られていて、モネのアルジャントゥイユ時代の家族の幸せが感じられる作品もたくさんあって、「昼食」もその雰囲気で、本物をぜひとも観たかったんです^ ^

    「ボルディゲラの庭」はcherikoさんも高知のモネの庭でご覧になられたのでしたね。絵の雰囲気が感じられるお庭でしたよね!あの「モネの庭」も「モネの家」もよく出来ていて、モネの池なんかは本家よりお手入れがよくされていて、もしかしてより美しいとさえ思いました(^_-)-☆

    「日傘を持つ女」に関してですが、pedaru画伯は奥様をモデルに、あの絵を再現されていたのですか? ふふふ、なんとなくその様子が想像できそうです^ ^
    「睡蓮」は、250点もの作品が描かれたそうで、白内障が進んだ時の作品はかなり画風が変わってしまいますが… 今回来日した「睡蓮の池、緑のハーモニー」は、これぞ印象派の画家モネが描いた”睡蓮”が咲く池といった感じの作品で大好きです。何度も言いますが、本場でこの絵の風景が見たかった〜〜(笑)

    cherikoさん、早速書き込みしてくださってありがとう!!! そして私の旅行記を読んでもらって、そんな風に感じてもらえるなんて、私こそ、感激でいっぱいになります。労いの言葉もありがとうございました。 旅行記、少しばかり難航しましたが、おかげでハッピーな気持ちになれました(#^.^#)

    akiko

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