2025/12/02 - 2025/12/02
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kimi shinさん
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厳島神社社頭を西に向かい、目の前の三叉路を右に進むと都祁山口神社の社頭に至ります。
距離にして約200m、徒歩2分ほどの距離にあります。
今回はここ都祁山口神社と社頭近くの地蔵堂を紹介します。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
中央に見える厳島神社の社頭を西に向かい、三叉路を右に進むと都祁山口神社の社頭に至ります。
距離にして約200m、徒歩2分ほどの移動時間です。 -
道幅は軽自動車ほどの狭い幅員で駐車場もありません。
車の場合、道の駅なら歴史芸術文化村に駐車して訪れるのがいいでしょう。
さて、右に曲がると杜の南側に急な石段が見えています。
ここを上がれば境内に続きますが、これは脇参道です。
正参道は、左に少し上がった右側に、鳥居に続く緩やかな参道が伸びています。 -
社頭から境内の眺め。
都祁山口神社の社標は、皇紀2600年(昭和15年)を記念し寄進されたもの。
鳥居から先の境内は意外に広々とした印象を受け、杜に包まれた静かな空間が広がっています。
先に訪れた厳島神社は、当社の境外社にあたります。 -
鳥居は明治42年(1909)に寄進されたもので、額の社名は一部欠落していますが、都祁山口神社と刻んであると見えます。
その先の一段高く整地された場所に、南向きに社殿が建てられています。 -
樹々の隙間から本殿の姿が見られます。
-
石段先の拝殿の眺め。
左に手水舎があり、石段脇に一対の常夜灯が安置されています。 -
社殿全景。
社殿は写真の拝殿とその先の一段高い場所に玉垣で囲われた本殿が主なものになります。
当神社の由緒は現地解説板がなく、公開されている電子書籍から調べました。
【天理市史】
『都祁山口神社 杣之内 東垣内
祭神 大山祇命、久久迩知命、波爾夜須命
柚之内の東方山麓に鎮座する旧指定村社である。
神城は249坪でさして広くはないが、延喜式内大社に数えられ、特に祈年祭には馬一匹を増進せられている点からしても、昔は相当な社地、社格の神社で神威も盛大であったと思われる。
古文書・古記録をみるに
・聖武天皇天平二年、神戸租稲146束を以て祭神料に充奉る(正倉院文書)
・平城天皇大同元年、神封一戸(新抄格勅符抄)
・清和天皇貞観元年正月、正五位下に叙せられ、同年九月風雨祈願のため遣使奉幣(三代実録)とあって、神名帳考証に「今俗曰、天神山、称ニ其天神者山口神矣、山口村山祇」と註している。
大和志・大和名所図会に「都祁山口神社、在山口村、今称水口明神」とみえ、水口明神とも呼ばれていたものらしい。
これについて山辺郡誌に「もしこの山口とせば都祁の二字如何にすべきや、是水口明神といえる方真に近からん」と述べている。
明治十年の調書にも「大字大水口、水口神社但し 神殿無之」と記され、都祁山口神社と別記されているが、その社と相接していたのも、大いに注目される。
例祭は十月十四日である。
境内社に素盞鳴神社・大神社がある。
なお昭和三十年小字辨天に坐す厳島神社を境外末社と定めた。』
【奈良県史】(重複個所は割愛)
『集落の東方山麓に鎮座の旧指定村社。
大和志には都祁山口神社として『延喜式』神名帳登載の大社に列し、月次、新嘗の官幣に預かり、貞観元年(859)正月正五位下に叙とある。
因みに山辺郡都祁村小山戸にも同名の社があり、式内大社として二説ある。
江戸期には白山権現と称し、若宮を牛頭天皇と呼んだ。
現境内に素戔嗚神社があるところから、当社は旧名を白山権現と称したとも見られる。』
【延喜式神名帳 上(1939)】に目を通すと確かに、大和国山辺郡13座、大7座、小6座に都祁山口神社の名が見える。
都祁山口社は大和国に14社ある山口社の1つで都祁の山霊を祀る。
その昔、山辺郡の東部高原地帯は闘鶏国と称され、都祁氏が当地に居住したという、その領域は鎮座地の東方の都祁村域を中心に、東は伊賀国境、西は現在の天理市福住付近という。
奈良県史にあるように都祁小山戸町の同名神社と共に論社として見るべきなのだろう。
都祁小山戸町から西に10数キロ離れた杣之内に、都祁の名が付けられたのか意図は分からない。
かつては杜の南側に神宮寺があったとされますが、明治40年頃廃寺になったとされます。 -
石段脇の常夜灯の竿には「白山大権現」と刻まれていました。
-
都祁山口神社拝殿。
杉の御神木が聳える拝殿前の境内は、拝殿・境内全体を一枚に撮収められないほど奥行きはない。 -
御神木の傍らに、明治25年寄進の都祁山口神社と刻まれた常夜灯が立てられています。
-
拝殿右には竿に「本神宮」と刻まれた常夜灯が立てられており、左に手水鉢と注連縄が巻かれた霊石が安置されています。
山神のようにも見えるが、文字は刻まれておらず詳細は不明、こうした霊石は奥に続く参道脇などにも点在しています。 -
拝殿右から奥に進んだ先に立てられた遥拝所。
-
東に聳える布留山や竹之内山、龍王山の遥か先がお伊勢さんになる。
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拝殿右側から見る本殿域。
手前に鳥居があり、その先に一対の小さな狛犬が本殿域を守護しています。 -
本殿は流造で、右手に境内社が祀られています。
ここまで式内の文字を探してみましたが、いずれも見当たらなかった。
もう一方の論社 都祁山口神社ではしっかり式内をうたっているのが印象的です。
式内社論社 都祁山口神社(天理市杣之内町)
創建 / 不明
祭神 / 大山祇命、久久迩知命、波爾夜須命
境内社 / 素盞鳴神社
例祭 / 十月十四日
所在地 / 奈良県天理市杣之内町896
参拝日 / 2025/12/2 -
都祁山口神社社頭の左前方に鎮座する地蔵堂。
現在の杣之内町は明治12年に木堂・山口・内山の3村が合併して杣之内村が成立し、明治22年の町村制施行後も単独村として存続、昭和30年の市制施行により天理市の一部となり、現在の杣之内町となった。
写真は都祁山口神社社頭の左側に鎮座する地蔵堂の全景。
通り過ぎようかとも思ったが、手摺の付いた緩やかな石段に導かれる様に境内に立っていた。 -
かつて山口と呼ばれた集落の北側の高台に位置し、境内から北を眺めると、田畑の先の峯塚古墳の眺望がききます。
境内は真新しい堂と覆屋だけの至って簡素なもの。
右の堂には額もなく、安置する像がなにか全く分からない。 -
左の覆屋には二体の像が安置されていました。
境内の縁には、あたかもブロックのように無数の小さな石仏が安置されています。
いずれもかなり古いのか、顔の表情すら判別できない。
これらがもともとどこにあったのか、近隣の廃寺からここに纏められたものか、或いは神仏分離に伴い都祁山口神社から遷されたものなのか、知る由もない。 -
覆屋の二体のうち、右は地蔵尊で、光背に文字は見られず年代は不明。
左は大きな石板の上部に像が彫られているが、像容は判然とせず、自分には観音さまのようにも見えた。
この地蔵堂や石仏について調べてみたが、いつ頃祀られたものかは分からなかった。
ただ、堂や覆屋は新しく建て替えられているようで、地元で古くから大切に祀られてきたものだと感じられる。
地蔵堂(天理市杣之内町)
創建 / 不明
境内社 / ・・・
所在地 / 奈良県天理市杣之内町896
参拝日 / 2025/12/2 -
地蔵堂を参拝、北側の田畑に伸びる農道を北に向かい進むと目の前が峯塚古墳となります。
最終目的地の石神神社はここから、0.6km・10分も歩けば社頭に辿り着けます。
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