2026/02/23 - 2026/02/23
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東京都練馬区の郷土史の文化財や、残された自然などを訪ねての旅。
今回は「その3 石神井川の中部」編
主に練馬区を東西に貫く石神井川中流の右岸地域を訪ねる。
表紙の写真は、こちらも練馬区を東西に貫く江戸時代以前からの「清戸道」が、石神井川の氾濫原を渡っていた旧宮田橋近く建つ、左「高松の庚申塔」と右「宮田橋敷石供養塔。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日のスタートは、西武池袋線江古田駅。
江古田というと武蔵大学、日大芸術学部、武蔵野音大など学園の街のイメージが強い。
しかし江古田駅ができる前から浅間神社が鎮座し、その裏には江古田の富士塚があり、のちに江古田斎場などもできた古くからある街。 -
江古田駅のすぐ北側にある「浅間神社」は富士山を神格化した浅間大神(木花咲耶姫命)。
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こちらは「江古田の富士塚」
浅間神社の境内奥に聳える。
惜しいのは、年に5日間した開山されないこと。ということで今日は眺めるだけ。江古田の富士塚 名所・史跡
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環七を渡って、江戸時代の下練馬村の小字の名を遺す正久保通りを石神井川の谷に向かって下って行くと正久保橋に至る。
写真は正久保橋近くから上流を見たもの。
洪水防止のため、断面積を大きくしたコンクリートの直線の溝のよう。
桜並木があるが、まだ花見には早い。 -
やがて、右岸に小高い丘があり高稲荷神社が鎮座している。
麓は高稲荷公園。 -
さらに上流に進むと、右岸の急峻な崖の下部に圓照院(えんしょういん)がある。
広徳寺が神田に再興された頃にできた塔頭だそうで、広徳寺の移転に伴い練馬・桜台に移転したという。現在の建物は1927年に再建されたとされる。
圓照院は完全予約制の料亭「泉竹」もやっているらしい、珍しいお寺さんという。 -
圓照院の上流右岸には練馬総合運動場が現れる。
ここは、昔は中央大学のグラウンドだった記憶。
石神井川が時々氾濫した時代には、川が左にカーブするこの地点の右岸は、住宅地にはなりにくかったのであろう。 -
右から流れて来た石神井川は、堅固な護岸導かれて直線の流れに改修されて練馬総合運動公園付近を通過する。余程の大雨でなければ、運動公園までは冠水しないのであろう。
ここも江戸時代の下練馬村の小字の名を遺す糀谷(こうじや)橋から上流を望む。 -
石神井川左岸に登ると、練馬区の文化財に指定されている「内田家の屋敷林」がある。
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内田家の屋敷林は門の西側、コンクリート塀の内側にに延々とつづく。
ケヤキ、シラカシ、ムクノキなど高さ2m以上の樹木約300本が茂っているという。
練馬の大地主などの家では、屋敷林は防風や日よけになり、雑木は農用に使われたという。 -
再び石神井川右岸に登り直し、「練馬白山神社」を目指す。
白山神社は加賀の白山の麓に元締めの総本社白山比咩神社(石川県)があり、浅間神社ほどではないが全国に白山信仰があるよう。
写真左側の標柱には「紀元二千六百年記念」とあり、今では珍しい昭和初期の「紀元」表記だったのに驚く。練馬白山神社 寺・神社・教会
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「練馬白山神社」の名物は「大ケヤキ」の樹。
源義家が後三年の役で東北地方へ向かう際、戦勝を祈願したと伝えられ樹齢は推定900年という国指定の天然記念物。 -
普通は参道の鳥居の延長線に拝殿や本殿があるものだが、ここはずれているのか?
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冬場は大ケャキが落葉しているので、練馬区役所のタワー庁舎などの眺望が良い。
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豊島園駅の東側に「田島山十一ケ寺」という浄土宗の11もの寺院の団地が存在する。
どうも関東大震災の後の区画整理で、浅草から集団移転してきた誓願寺の塔頭群らしい。(本寺の誓願寺は東京都府中市に移転) -
田島山十一ケ寺の墓地は、各寺院にはなく、表通りの正面に共同で設置され、内部で寺院ごとに区分されていて合理的。こちらは寺の移転の少し前に移転してきた。
こちらが共同墓地の入り口で、大きな阿弥陀如来像が置かれている。
1687年に誓願寺念仏堂の一万日回向仏としてつくられたものとされる。
入口には、供花などの売店まであり、至れり尽くせり。 -
先ず、本草学者として名高い江戸時代の漢方医師の小野欄山墓を捜す。
入口のすぐ南側、迎接院墓地の南東角にあり、案内板がある。
東京都指定有形文化財、練馬区登録有形文化財だという。 -
次に書道家・篆刻で名高いという池永道雲墓を訪ねる。
北側の受用院墓地角に道案内の看板が出ていて親切。池永道雲墓 名所・史跡
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こちらが池永道雲墓。
こちらも東京都指定有形文化財、練馬区登録有形文化財だという。池永道雲墓 名所・史跡
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池永道雲墓は広い。
この共同墓地には、他には、初代沢宗十郎らの墓もあるという。 -
共同墓地には紅梅が満開であった。
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田島山十一ケ寺を出て、西武線豊島園駅を通る。
遊園地の「としまえん」から「ハリーポッターのテーマパーク」に変り、駅も「TOSHIMAEN」の表示替え。模型?の機関車なども置いてある。豊島園駅 駅
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石神井川まで下り、中之橋で中世からの鎌倉街道の一つであるとされる下練馬道(練馬区北町1-18付近~早宮1-47付近~練馬4-4付近~中村北2-19付近~中村南3-19付近)に出会う。
石神井川の左岸はテーマパークの立体駐車場(以前はトイザラスだったか?) -
下練馬道が右岸の崖を登って行く。
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ここに「豊島園庭の湯」があるので、休憩がてらひと浴びしていくことにする。
内部は、高級なスーパー銭湯という感じ。館内着も付いてくる。豊島園庭の湯 温泉
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屋内は撮影禁止なので、バルコニーに出ると庭園が広がる。
豊島園庭の湯は男女別の風呂・サウナ以外に、水着着用のプール(写真右手奥)もある。 -
庭の湯から下練馬道を南に登って行くと練馬城址公園の台地上の部分に出る。
2023年に先行開園した都立練馬城址公園のエントランス部分でもある。
都立練馬城址公園は、都市計画決定が70年前の1957年(昭和32年)で、筆者が小学生だったころ、なんとも時間がかかったことか。
この入口は、「としまえん遊園地」時代に正面入り口で、伝説の回転木馬「カルーセル・エルドラド」(1907年にドイツで製造、遊園地閉園で1971年にとしまえん遊園地に移設、2020年閉園で再開場所不明のまま)があったあたりか。練馬城址公園 公園・植物園
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「としまえん遊園地」は元々は練馬城址と周辺で、この台地上が本丸の東側であろう。
右岸の西側に続く部分がまだ未整備。
遊園地時代は台地下の川の両岸に遊具やグラウンドなどがあり、左岸の西側が都立練馬城址公園のメイン部分として遅れて供用が開始されている。 -
下練馬道をさらに南に行くと、江戸時代の清戸道を拡幅した目白通りに当る。
このあたりの目白通りは、1964年の東京オリンピック前に、埼玉県の戸田ボート競技会場へのアクセス道路として谷原交差点まで直線化さら4車線に拡幅されている。
(この左側で目白通りは西武池袋線の上をオーバークロスして踏切を無くしていたが、その後西武線の連続立体化工事に伴い、西武池袋線の下をアンダークロスする形に戻っている。)
下練馬道は西武池袋線の南側にもつづき、戦後早くに東西南北の道路で碁盤の目状に区画整理された中村地区では唯一というほど南東方向に現中杉通りまでつづいているのだが、今日は清戸道を選んで右折する。 -
新目白通りを西に進むとすぐに旧道分岐点に達する。
路線バスは、新道ができて70年近くになるのに、相変わらず旧道を時間をかけて走っているのも日本らしく不思議な感じ。 -
新目白通りをさらに西に進むと貫井の丘の上で、東高野道の分岐の道標が保全されている。
「東高野」とは、現在の練馬高野台駅の北西側にある「長命寺」で、東の高野山と言われたそう。 -
貫井の丘の上の東高野道の分岐点から、もっと古い時代の清戸道を石神井川に下ると、旧目白通りに合流して現在は写真の道楽橋で石神井川を渡る。
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道楽橋の少し西に、練馬区を東西に貫く「清戸道」が石神井川を渡っていた旧宮田橋あったとされる。
そこに、左「高松の庚申塔」と右「宮田橋敷石供養塔」が保存されている。
この辺り、地形図では標高35mの等高線が通った谷が描かれているが、谷底は幅が広くなっている。江戸時代の石神井川は広い氾濫原になっていて、その北の端を流れていたのではないかと想像する。
「清戸道」は、旧宮田橋で南岸から北岸に渡るが氾濫原はヌカっており、皆で苦労して石を投入して敷くことで、大八車などを通りやすくしたのであろう。
おそらく洪水の度に敷石は流され、清戸道が(旧)目白通りになってからは急坂を避けてもっと東側貫井の支流沿いの緩い現在のバス道路の辺に付け替えられたように感じる箇所。 -
現在のバス道路である旧目白通りは、石神井川の谷を連続立体化で新たに上空を通る環状8号線をアンダークロスし、高松の丘に登り球形ガスタンク(制圧所)の北東角を通って谷原交差点(目白通り・笹目通り・富士街道の六差路)に向かう。
球形ガスタンク群の北東角の信号から北西に分岐し、富士街道と絡んで交差しさらに西に向かうのが「橋戸道」のよう。
写真は、右側がこの「橋戸道」で橋戸村へ、左側が富士街道で江戸時代は「ふじ大山道」とも言われ丹沢の大山や富士山に参拝する道(現在も拡幅されず車は一方通行)。
分岐点の祠には「谷原延命地蔵」が祀られている。
お地蔵様の足下には、「みぎ はしど道、左 たなし道 大山道おおやまみち 二里」と刻まれた、道しるべがある。
今日はここまでで旅を終える。谷原延命地蔵 名所・史跡
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