2025/07/25 - 2025/07/26
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norijiroさん
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この旅3か所目の滞在先はボローニャである。残念なことに、手元のいずれのガイドブックにおいてもこの町の扱いはとても小さい。場合によっては完全に割愛され、存在しないことになっている。日本の観光シーンにおけるイタリア4大都市は、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノらしく、ガイドブックはこの4都市を軸に編集されているようだ。ボローニャが割り込むような隙はまったくない。
当初はわれわれもミラノに行くつもりであった。が、ミラノ最大の見どころであるレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」はイタリア最上級に予約が困難で、公式サイトの10倍以上のカネを旅行会社に払って見るほどのものでもない気がする。ミラノで他にどうしても見たいというものもない。であれば、ここは思い切ってミラノをスルーし、イタリア随一の美食の都といわれるボローニャで、本場のイタリアンを堪能したほうが有益であることは明白。胃袋は裏切らない。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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連日の観光につぐ観光、移動につぐ移動で疲労困憊のわれわれに、ついに休息の時が訪れた。そう、朝から雨が降ったのである。さすがに雨の降るなか観光に出かけるのは億劫だ。ということで、雨があがるまで夢のダラダラタイムである。休みがほしいという願いが天に通じたに違いない。
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ボローニャではB&Bに宿泊した。B&Bもいろいろなタイプがあり、ここはマンションの一世帯分、日本でいうところの4LDKが貸し出されている。つまり1日1組様限定。なんとなくスペシャル感があっていい。イタリアの法律上、B&Bでは調理した朝食の提供はできないケースがあるようで、その代わりに冷蔵庫には山のような食材が用意してあった。この食材は使い放題で、これを毎朝、キッチンにて自分で調理して食べるというシステムである。「暮らすように旅をする」という感じでとてもよかった。
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オーナー手作りのアップルパイ。こちらもありがたくいただいた。
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追加の食材探しに近所のスーパーへと出かけてみた。お総菜も充実している。
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この世のすべてのパスタが手に入りそう。
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幸いにも雨は午前中であがり、まずは美食1食目。宿のオーナーおすすめの「il Passatello di Bologna」へ。
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この町の名前を冠した有名メニューがボロネーゼである。本場では必ず平打ちの麺を使用するらしい。そしてついに、イタリアンの真価がここボローニャで炸裂した。とんでもなくうまいのである。明らかに料理のレベルが違った。凝縮された肉のうま味がもちっとした平打ち麺に渾然一体と絡み、ほんのりと香るスパイスの奥深い味わいと合わせ、間違いなく自分史上最高のボロネーゼといえる。
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このミートソースを挟んだスタイルのラザニアもボローニャ名物。ここはミートソース天国か。
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ベーコンのサラダは、バルサミコ風味のソースが野菜の甘みとよく合う。裏通りの小さなレストランだったが、美食の都の名は伊達ではない。
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ボローニャの世界遺産として知られるのが、この「ボローニャのポルチコ」である。要は建物の1階部分に作られたアーケード状の回廊だ。市内の至る所に設けられているため、どこを歩いていても世界遺産滞在中といった感じでよい。
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メインストリートのインディペンデンツァ通りは絶賛工事中。なんでも路面電車を通すのだとか。
インデペンデンツィア通り 散歩・街歩き
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旧市街中心にあるアックルシオ宮殿(またの名をコムナーレ宮)に到着。13~15世紀にかけて建築・改修され、古くより行政の中心として機能してきた建物で、現在も市庁舎や図書館、美術館などとして使用されている。期間限定で時計塔に登ることも可能だ。
市庁舎(コムナーレ宮) 博物館・美術館・ギャラリー
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宮殿の入口からは初めて見るタイプの階段が続く。坂道が段差の小さい階段状になっているのだが、意外と登りづらい。階段か坂道か、どちらかにできなかったものか。このタイプの階段が普及しなかった理由だけはわかった。
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古い宮殿のため、内部にはたくさんの美術品が残っている。謎の絵。専用席が設けられた受験生か? この環境で勉学に励めるのはすごい。勉強の神様かもしれない。
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ピースで生首を踏みつける幼児。おそらく下に描かれているのはボローニャの町で、金色部分の文字を翻訳したところ、「地震」的な単語があったので、防災祈願のようなものだろうか。なおのこと、幼児のうきうきポーズの意味がわからなくなってくる。
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3階に設けられた「ファルネーゼの間」。ファルネーゼとはイタリア貴族の家系のようで、同家出身の教皇像が奥に鎮座する。
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市内にある有名な斜塔が倒壊の危機にあり、代替企画として、現在は宮殿の時計塔に登ることができる。階段はかなりの歴史が感じられた。
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時計塔の上から町を一望。右奥の2本がボローニャの斜塔である。低いほうはもう一押しで斜塔から倒塔になりそうだ。
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宮殿内の美術ゾーンも見学した。数々の紋章で埋め尽くされた一部屋。いろいろなコンセプトの模様があり、見ていて飽きない。
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天地あってます?
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宮殿の向かいにある「サン・ペトロニオ聖堂」。14世紀から17世紀に建設され、いまも未完成という。確かに上下がミスマッチな気もするが。かといって工事している感じもないので、もうこのまま未完成でよいということなのだろう。
サン ペトローニオ聖堂 寺院・教会
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大聖堂の内部はシンプルながらも上品な感じ。天井はかなり高く、巨大な空間が厳かでよい。
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安置されたキリスト像。体勢的に首がつらそうだ。こういう姿勢でテレビを見てはいけない。
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続いて、旧ボローニャ大学を訪れた。ボローニャ大学は1088年に設立されたという世界最古の総合大学で、この建物は17世紀から19世紀の初頭まで使われた。その長い歴史から世界的にも高い権威があり、現在でもイタリアの最高学府である。日本だったら絶対に「ボロ大」と呼ばれたに違いない。東大、京大、ボロ大、みたいな感じで。われわも満腔の敬意を込めてボロ大と呼ぶことにしよう。
旧ボローニャ大学 城・宮殿
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この旧キャンパスでは、17世紀につくられた解剖学大階段教室を見学することができる。中世ヨーロッパでは、教会的に解剖はNGだったようだが、自由都市ボローニャでは教会の圧力が弱く、大学では早くも1304年に世界初の公開解剖が行われたという。
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教壇の脇には、解剖を象徴する2つの木像「皮をはがされた人」が飾られている。なんという題名であることか。そりゃ、教会もNGだすわな。
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装飾が上半分をうめる図書閲覧室。勉強がはかどるかはわからない。
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廊下や階段の天井には紋章の数々が描かれている。これは卒業生や在籍した学者たちが残したものらしい。わが家も誰か卒業してもらい、家紋を刻みたいものだ。
館内ではお土産用にいろいろなボロ大グッズが売られていた。Tシャツを買ったので、これでいつでもボロ大生気分を味わえる。 -
旧市街の細い裏道。雰囲気がよい。
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小腹が空いたので、屋内市場の「Mercato di Mezzo」へ。食い倒れ上等の覚悟で来ているので、小腹はすぐに満たす。
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見た目も鮮やかなおやつの数々を一通りちょうだいする。上品な甘さで、海外でありがちなクドさがまったくない。子どもはフルーツヨーグルトにいたく感動していた。
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13世紀ごろ、ボローニャの町中は塔だらけだったらしい。その理由ははっきりしないものの、有力者が攻撃や防御、あるいは対抗する勢力への示威行為として建てたと考えられているようだ。その後、多くの塔が取り壊されたり、経年劣化で勝手に倒れたりして、現在は20基ほどが残るのみとなっている。町のシンボルとなっている2本の斜塔は12世紀に建てられたもので、高いほうの「アシネッリの塔」は97メートル、低い「ガリセンダの塔」は48メートルほど。倒れ掛かっているのはガリセンダのほうで、倒壊を防ぐための修復工事がはじまっている。優美なピサの斜塔と違って武骨そのものだが、これはこれで悪くない。
ボローニャの斜塔 (アシネッリの塔 ガリセンダの塔) 建造物
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斜塔からすぐの旧市街の中心・マッジョーレ広場。海神ネプチューンの像は、こちらも町のシンボルとなっている。
マッジョーレ広場 広場・公園
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噴水下の銅像はいかんとも言い難いお姿である。公序良俗に反しないのか。
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小腹がふたたび悲鳴を上げかけたため、サンドイッチ店「MÒ! MORTADELLA LAB」へ。
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トマト・ハム、葉っぱ、チーズのおいしいイタリアンカラー。薄切りのボローニャハムが絶品である。
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いったん宿に戻ろうとしたところで、海外滞在史上最大の事件が発生した。宿の入居している建物のエレベーターに乗り、私と妻が先に降りたところ、急に外側のドアだけがガッチリと閉まる。そしてなにをどう操作しても決して開かなくなった。内側のドアは開いたり閉まったりを繰り返している。そして子ども2人はいまだエレベーターのなか。なんてこった!
ホテルであればスタッフを呼べばよいのだが、ここはいうなればただのマンション。宿のオーナーはそこそこ離れた町に在住しているようで、ここには常駐していない。そこで見ず知らずの隣家に助けを求めると、事情を察してレスキューに電話してくれたようだ。ほどなくしてけたたましいサイレンとともにレスキュー隊が到着。扉をこじ開け、子どもたちは無事に救助された。びっくりした。海外の古いエレベータは信用ならん。 -
助けを求めた隣家のおばあちゃんは、子どもが閉じこめられたことを知るなり、「まあ、なんてことでしょう」といった感じで、目を丸くして両手をあげ、まさに映画のようなリアクションで面白かった。
なにはともあれ、ホッとしたのでお腹は減る。ということで、宿近くのレストラン「Donatello」へ。120年の歴史がある老舗だそうで、店内には著名人の写真が数多く飾られていた。 -
定番のボロネーゼやラザニアはもちろん、こちらもボローニャ名物というカツも絶品であった。溶けたチーズがほどよくまろやかさとコクをプラスしている。
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ボローニャの夕景。明日は日帰り国外旅行(つい「海外」といいたいが、海の外ではない)へ出かける。
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翌朝。宿の近くに「La Piccola Venezia」(小さなヴェネチア)と名付けられた水路があった。かつては市内のあちこちにあった水路の数少ない遺構だそう。
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駅へ向かって出発。途中の広場では青空市場が開かれていた。
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右は駅の近くにあるガリエラ門で、かつての城壁の一部だったようだ。
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無事に帰国(日帰り国外旅行は次の旅行記にて)。ボローニャ最後の食事はマッジョーレ広場に近い「Ristorante da Nello al Montegrappa」にて。
リストランテ ダ ネッロ モンテグラッパ イタリアン
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定番のラザニア。子どもはこれかボロネーゼしか食べなくなった。最近、料理で「無限○○」というのをよく見るが、無限ラザニアの称号を与えたい。
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カプレーゼ。ボローニャに来て、食のレベルが相当上がった気がする。
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夕やけに染まる斜塔。この景色も見納めである。かなりいい町だったので、いつの日か1か月くらい滞在してみたい。別人のように太れる自信はある。
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ふと見つけた変なお店。あやしげな日本語が散見される。「SHIFU」は、おそらく中国語の「師傅」のような気がするので、中国人が想像した日本のラーメン屋をこの世に具現化させたものだろうか。
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明日は早朝より移動しないといけない。いざ4か所目の目的地、水の都へ。
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