2025/10/07 - 2025/10/09
316位(同エリア1494件中)
hijunoさん
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この旅行記のスケジュール
2025/10/07
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山口県訪問はひさしぶり。
下関に滞在、高杉晋作など幕末の歴史の遺蹟が多く残る場所を訪ねました。
壇ノ浦は平家の滅亡の舞台となったところ、また馬関戦争では長州藩が四か国連合艦隊に砲撃を行ったところ、日清戦争のあとの講和条約が結ばれたのも下関、、、、歴史の舞台となった場所です。
見どころが沢山で、時間が足りないくらいでした。
最初の観光は吉田というところへ。
高杉晋作の東行記念館や、東行庵、高杉晋作の墓所、奇兵隊の陣屋跡などを訪ねました。
下関駅からバスで1時間以上で、バスの便があまりよくないですが、
長閑で、自然にあふれた場所でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
-
新幹線と在来線を乗り継いで、下関に到着。
ふぐの街ですけれど、こちらでは、ふくと呼ぶのですよね。
福とかけてかな、、新下関駅 駅
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下関駅前のビジネスホテルに宿泊。
夫が仕事もあるため、駅近にしました。駅に近く便利でした。朝食のふぐ雑炊が美味しかったです♪ by hijunoさんホテルウィングインターナショナル下関 宿・ホテル
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夫は仕事があるので、駅近くのビジネスホテルに宿泊。
まご1号も一緒です。
ベッドはちょっと狭い。。。(-_-;) -
快適でしたけれど、どことなく、レトロな感じでした~
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朝は選べる朝食。
私は美味しいと聞いていたフグ雑炊。お出汁が美味しかった♪♪
コーヒーもついています。 -
夫は和食をチョイス。
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まご1号は洋食タイプ。
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駅そばには、大丸見えます♪
お天気悪いなぁ~ -
釜山門。
そういえば、下関から釜山にはフェリーも出てましたよね。。 -
バスターミナルは駅のそば。
歩道橋を渡って、オブジェが見えてきます。 -
そうそう、平家と源氏の戦いも、下関。
シーモール 下関 ショッピングモール
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下関駅。
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維新の舞台でもあった場所。
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バス乗り場。
これから高杉晋作ゆかりの東行記念館、高杉晋作のお墓を目指します。
バスの便が良くないと聞いていたので、すぐ近くのパン屋さんでお昼を念のため買っておきました♪ -
1時間以上かかって、やっと東行庵停留所に到着。
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橋の名前も東行庵。
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人もあんまり見かけないですが、このあたり、街道のあったところ。
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吉田旧街道。
宿場町として栄えたそうです。 -
このあたりは吉田町。
歴史の説明がありました。
騎兵隊の屯所もあり、にぎわったところでもあります。 -
一里塚もあったそう。
一里ごとに建てられて、江戸時代の人々の距離の目安にもなり、
植えられた榎の実は食べることができたんですね~ -
田んぼに沿っていくと、
吉田宰判勘定 御茶屋跡という史蹟がありました。 -
吉田宰判勘場。
藩政の時代に防長の二国には18の行政区画があり、宰判が置かれています。
そこに代官を置き、宰判には勘場という役所があり、裁判や税の徴収、治安維持が行われていました。
そのお隣には、御茶屋もあり、参勤交代の大名の宿泊施設になっていました。
奇兵隊も一時、こちらを屯所としていたことがあります。
吉田松陰の叔父さんの玉木文之進もこちらの吉田代官を務めていたそうです。 -
土塀の跡でしょうか、、少し前までは土蔵もあったそうです。
吉田宰判勘場 御茶屋跡 名所・史跡
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咲に進みます。
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小学校がありました。
お城のイメージのような学校でした。 -
晋作橋です。
高杉晋作ゆかりの場所。 -
少し行くと、坂道があり、この上にも奇兵隊のお墓もあるようでした。
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日帰り温泉かな、、、
晋作の湯もありましたよ。 -
吉田の地図。
見どころ、沢山あるようです。。 -
東行庵に到着です。
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このあたり一帯の地図がありました。
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書道家、漢詩家、家事の小原六六庵の詩がありました。
高杉晋作のお墓近くにあります。 -
山縣有朋も奇兵隊の軍監として、この地に居を構えたそうで、
無鄰菴という名前。
そういえば、京都にも山縣有朋の別荘、無鄰菴があって、素敵な庭園だったなぁ~ -
記念館の方に進むと、東行庵があります。
高杉晋作は隠遁していた時期があり、剃髪して自らを東行と称していました。
高杉晋作が亡くなった後、お墓を守るために、愛人のおうのさんが尼となり、住んだ庵です。
山縣有朋らが寄附をして造った庵と聞きました。 -
飯田蛇笏の碑もあります。
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東行庵の説明。
まず、1869年に山縣有朋は自らの居所だった無鄰菴をおうのさんに贈ります。
その後、明治17年に山縣有朋、伊藤博文、井上薫などの寄付により、現在の庵が造られたそうで、その後昭和41年に大改修されているようです。 -
とても新しい造りだった理由がわかりました。
昭和に改修されていたのですね。
お庭も端正でした。
見学してみたいなぁ~
門が閉まってました。東行庵 名所・史跡
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立派な樫の樹がありました。
奇兵隊参謀だった、時山直八が北越に出征するときに植えたものだそうです。
その後、戦死しています。
時山直八は下関戦争や小倉口の戦いにも参戦しています。 -
東行記念館があります。
下関市立東行記念館 美術館・博物館
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記念館周りは公園のようになっています。
高杉晋作の像も見えました。
公園内や近くの墓地は後でゆっくり回ります♪ -
記念館、入ってすぐに目に飛び込んだのは、懐かしい写真♪
中村雅俊が高杉晋作を演じ、愛人だったおうのさんを秋吉久美子が演じていました、NHK大河ドラマの「花神」。。。
今も何度もビデオでみていますが、二人の印象が強くて、、良かったなぁ~
また、「花神」観たくなりました♪♪ -
高杉晋作や奇兵隊、幕末維新に関係する書籍やお土産がありました。
見学前から、ついつい観てしまいます♪ -
色んなグッズがあるんですねぇ~
-
伊藤博文らの若い写真もありました。。
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二階へ。
二階が高杉晋作にゆかりのある品々を展示してる記念館。 -
階段をのぼり、
-
イチオシ
高杉晋作の写真。。
凛としています。 -
イチオシ
中央が高杉晋作、右が伊藤博文、左が三谷国松といわれています。
三谷国松はのちに品川駅長なども務めています。 -
展示室へ。
いろんな資料をみていましたら、撮影禁止とあったのですが、
今回、受付で確認しましたら、撮影可でした。 -
入口に灯籠。
これは、奇兵隊の戦利品だそうです。 -
説明があります。
こんな重いものを、、、大変だったでしょう~ -
館内。
高杉晋作に関しての遺品などは、沢山あるようで、定期的に展示を入れ替えていると聞きました。 -
高杉晋作が幼いころに使用していた文机。
-
高杉家に伝わる、高杉晋作が使用していた雅印。
いろんな種類を使っていたようです。
なんだかお洒落だなぁ~ -
高杉晋作の兜
-
年表があります。
高杉晋作は吉田松陰の塾でも、久坂玄瑞と並んで優秀な人材でした。
長州藩において尊皇攘夷運動を推し進め、上海で植民地となりつつある状況を視察し、後に、四か国連合艦隊が下関で講和条約を結ぶ際に、
彦島を租借することを要望した連合国に対して、講和会議の代表の高杉晋作がうやむやにして租借を撤回させたことが印象に強いです。
もし、租借を許していたら、清のように植民地化とされていたかもしれないですよねー
奇兵隊の結成など、精力的に尊皇攘夷を推し進めていきますが、
その後、27歳という若さで亡くなったことは大変残念です。
維新前に亡くなった人々、、優秀な人材が多くて、つくづく残念だとおもいます。 -
東行庵におさめられていた高杉晋作の自画像。
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明治維新後に贈正四位に叙せられています。
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高杉晋作を取り巻く人々のひとり、入江九一。
松下村塾の優秀な松門四天王の一人。
奇兵隊の創設にも携わり、参謀も務めています。
禁門の変で、1864年に亡くなっています。 -
品川弥次郎や伊藤博文。
品川弥次郎は、同じく松下村塾の塾生で、尊皇攘夷運動に奔走。 -
井上薫。
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高杉晋作の愛用の瓢。
お酒を愛した人です。。
一時、山縣有朋に贈ったものでしたが、返却してもらったものだそうです。
共に、戦ったふたり。 -
高杉晋作をめぐる人々で、一番の印象深いのが、愛人だったおうのさんです。
常に一緒の時間を過ごしたふたり。
正妻もあり、けしからんことではありますが、緊張の連続、戦いや血なまぐさい中で、唯一の安らぎを求めたのがおうのさんだったのかな、、、とおもいます。 -
高杉晋作がおうのさんに贈ったといわれる茶杓。
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野村望東尼。のむらもとに。
おなじく、幕末の上流歌人でもあり、勤王家、
高杉晋作の最期をみとった人でも知られています。
下には、高杉晋作正妻の雅子の遺品。
正妻といえど、たった2か月ほど一緒にいただけの夫婦だったそうです。 -
高杉晋作をめぐる人々。
短い生涯に多くの人々に影響を与えています。 -
幕末の長州藩。
-
以前から一度観てみたかった遺品がこちら。
高杉晋作がおうのさんに贈ったカバンです。
今回観れて嬉しい!! -
上品な花柄の布地。
皮?の持ち手もボロボロになっていますが、いつまでも、大切に持ち続けていたそうです。
高杉晋作への想いが伝わってくるようでした。 -
当時としては、先端的なお洒落なカバンだったとおもいました。
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山縣有朋の無鄰菴は高杉晋作亡きあと、おうのさんに贈られますが、不便だったため、のちに東行庵が建てられます。
無鄰菴跡の碑文の原稿が残っていました。 -
奇兵隊の動き。
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東行庵の建設に携わっている人々、大山巌など、薩摩出身の人々も多かったのですねー意外です。
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二代目 東行庵の庵主 梅仙尼。
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杉孫七郎。
吉田松陰に師事しました。
高杉晋作の興したクーデター 内治の乱で高杉晋作を支持、四境戦争では長州藩の参謀となり、維新後は官僚として活躍します。 -
毛利元昭の書いた高杉晋作とみえる書。
毛利元昭は長州藩最後の藩主の毛利元徳の長男。 -
短い生涯だった高杉晋作ですが、倒幕から明治維新に至るまでの道筋をつけ、駆け抜けていった人だったことがわかります。
もっと長生きしていたら、明治のどんな要職についたのだろう~など
ふと考えてしまいました。
27歳、、若すぎる。。。
吉田松陰も29歳、久坂玄瑞にいたっては24歳。
明治を見ずに、駆け抜けていった人々がいかに多かったことでしょう~ -
花押も堂々としていて、どことなく風流。
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イチオシ
階段にあった写真をしっかり眺めて降ります。
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1階にも展示がありました。
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1階の展示。
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あとで、訪れる、奇兵隊の吉田陣屋。
大きいです。
あとで、訪れる陣屋跡、こんなに広かったのですね~ -
尼になって高杉晋作の墓守をしたおうのさんが右の写真。
左は二代目の庵主 梅仙尼。 -
史跡などの紹介パネル。
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高杉晋作と交流のあった坂本龍馬。
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イチオシ
高杉晋作像。
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高杉晋作は1865年に下関長府にある功山寺で回天義挙ともいわれるクーデターをおこし、高杉晋作らの正義派が保守派を倒し、長州藩が倒幕へ向かうことになります。
高杉晋作自筆の作だそうですが、ここに回天義挙の回天という文字が出てきています。 -
記念館まわりは池があり、
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蓮の池になっているようでした~
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鯉もいて、孫1号が麩をあげていました。
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あちこちに句碑があります。
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維新史の評論を書いた横山健堂、山口出身、顕彰碑がありました。
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山道の坂のようなところを上ると、高杉晋作の墓所があります。
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高杉晋作や奇兵隊を支援した白石正一郎の歌碑もありました。
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樹齢三百年の楓が大きな枝を広げていました。
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墓所は綺麗に整備されています。
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大きな碑があります。
高杉晋作が最も信頼していたといわれる、福田侠平の碑です。
奇兵隊でも活躍し、多くの戦いにも参戦、戊辰戦争でも戦っています。 -
高杉晋作の墓所の説明板。
奇兵隊陣営のあった吉田に葬ってほしいと遺言し、ここに墓所が建てられます。 -
高杉晋作の顕彰碑。
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高杉晋作と福田侠平(公明)、おうのさんのお墓があります。
福田侠平は遺言で、高杉晋作の隣に葬られました。 -
高杉晋作墓所です。
高杉晋作と奇兵隊のつながりを感じる場所でした。奇兵隊隊士やおうのさんのお墓も近くにあります by hijunoさん高杉晋作墓 名所・史跡
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駒札の説明板。
27歳という短い生涯を駆け抜けた高杉晋作。 -
木戸孝允らが寄進した燈籠がありました。
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お隣が福田侠平の墓所。
高杉晋作と信頼関係が深かったそうです。 -
山を切り開いたところに、墓所が続きます。
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東行庵の境内の地図がありました。
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整備され、美しい墓所です。
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高杉晋作の墓所から少し離れたところに、おうのさんのお墓がありました。
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奇兵隊の隊員の墓所もあります。
戦いで亡くなり、あちこちに葬られていた隊士たちを集めて、ここに墓所を切り開いて供養しているそうです。 -
ずらりと、隊士達の墓所が並んでいました。
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綺麗に整備されていました。
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ここを切り開くのも大変だったと思われます。
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ゆっくり歩いて周りたかったのですが、蚊に攻撃されて、孫1号と退散してしまいました。
あちこち、かなり刺されてしまいました。(-_-;) -
高杉晋作が戦いで亡くなった同志を偲んでの歌碑。
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下には長州砲?
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司馬遼太郎の言葉が碑になっていました。
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こんな山全体に高杉晋作や奇兵隊の墓所が連なっています。
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めざとく、晋作餅に目がいきます。
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こちらがそのお餅。
種類はふたつ、ひとつはシソの葉でくるんだお餅でした。
高杉晋作は梅が好きだったそうです。
モチモチで美味しかった♪ -
説明もありましたよ。
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あと、梅ジャムの乗ったソフトクリーム食べました♪
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イチオシ
まご1号がほとんど食べてました。
ピンクの花弁風が可愛いな♪ -
東行庵をあとにして、
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もうコスモスの季節なんですね~
でも、まだ暑いです。。 -
夏ミカンかな、、、たわわに実ってました。
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帰りのバスの時間まで1時間以上もあるので、近くの奇兵隊陣屋跡に歩いて向かいました。
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バス停あたりから歩いて15分くらい。
奇兵隊の陣屋跡です。
18665年に奇兵隊の拠点はこちらの吉田に移されました。1867年から1869年まで陣屋がおかれました。
400人もの隊員たちが厳しい規律の素、生活していたようです。 -
入口もきれいに整備されています。
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説明板も、像もありました。
奇兵隊の像と説明板があります。 by hijunoさん奇兵隊陣屋跡 名所・史跡
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あたりは草が生えて、陣屋の跡がよくわかりませんが、
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この敷地の見取り図を観て、わかりました。
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今はすっかり風景も変わり、
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かつて、ここに多くの隊員たちが生活していました。
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イチオシ
奇兵隊の像もあります。
奇兵隊は1863年に高杉晋作によって組織された非正規軍、武士や農民、町民などあらゆる身分の人々で構成されていました。 -
すっかり当時の様子はなくなってます。
-
バスの時間まであと少しありますが、気長に待つことにしました。
バス停近くにはコンビニもあって、便利です♪
つぎに、ここから街並みがとても美しい、長府に向かいました。
長府も歴史の街です。
続きます。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます^^
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この旅行記へのコメント (2)
-
- sukecoさん 2025/10/15 19:34:41
- 下関♪
- hijunoさん、こんばんは~
下関へ行かれたのですねー
いきなり朝食でフグ雑炊!!!
とても美味しそう~
以前訪れた時に食べたかったのですが、フグ雑炊だけは食べられず。。。
未だに残念で仕方ありませんΣ(゚д゚lll)ガーン
高杉晋作ゆかりの地めぐり。
とても充実したさんぽができましたねー
若くして亡くなり、明治を知らず。。。
生きていたら、どんな要職についていたことでしょう~
愛人のおうのさんについても興味津々です。
正妻との関係なども気になる~
沢山の展示物があり、たっぷり学ぶことができますね♪
続きも楽しみにしています!
関東は涼しいというより、寒い~っとなってきました( ;∀;)ブルブル
もう少しだけ秋らしさを味わいたいですね。
どうぞご自愛ください~
sukeco
- hijunoさん からの返信 2025/10/16 06:34:10
- お便りありがとうございます^^
- sukecoさん
おはようございます。
いつもお便りをありがとうございます。
行ってきました♪下関♪
夫の仕事もあったので、ゆっくりはできなかったのですが、
前から行きたかった場所も行けて楽しかったです♪
ホテルは朝食を選べるタイプでしたので、そく、フグ雑炊にしました。
とてもお出汁がきいていて、美味しかったです♪♪
高杉晋作のゆかりの地、吉田は下関駅からバスで1時間以上かかります。
バスの便も良くなくて大変でしたが、以前から行きたかった場所だったので
嬉しかったです。
一緒に行ったまご1号はなんで、こんなのが興味あるのか、わからない、、、と
ずっとこぼしていました。笑
奇兵隊の陣屋のあった吉田に葬るように遺言をした高杉晋作にとって、この吉田は
特別な場所だったのでしょう~。
若くして亡くなってしまって、本当に残念ですね。。
高杉晋作を慕う人も多かったことも今回よくわかりましたし、
おうのさんのカバンをみたとき、高杉晋作が亡くなったあとも、想い続けていた気持ちが
伝わってきました。
2か月だけ一緒にいたという正妻にも優しい人だったようですが、戦いが続くなかで、おうのさんといるときは、現実から逃避して、緊張を忘れて心穏やかに過ごしていたのだろうなぁ~と考えてしまいました。
愛人という立場には、ちょっとなぁ~と思いますが。。正妻の雅子さんが可哀想でもあります。。
いろんなことを思いながら、まご1号と歩きました♪♪
続けて遊びにきていただけると嬉しいです♪
こちらは、この数日、蒸し暑くて、うんざりしました。
週末からぐっと気温が下がるようです。
そちらは寒くなってきたのですね。。
どうか、お風邪など気をつけてくださいね。
hijuno
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