2024/11/10 - 2024/11/10
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みーみさん
この旅行記のスケジュール
2024/11/10
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2024年京都モダン建築祭は前期11月2日と3日、後期が11月9日と
10日に催されましたが、そのうち二日間参加しました。
11月3日の記録は京都モダン建築祭り2024①の旅行記にしたので、
②は11月10日の記録です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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これは蹴上にある有名な琵琶湖疎水のインクラインですが、今日見に来たのはこのイ
ンクラインの近くにある東本願寺の関連施設です。インクライン 名所・史跡
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プールのようなこの施設、琵琶湖疎水から東本願寺へ防火用水を送る「本願寺水道」の水源地です。
こんなものがあるとは、知りませんでした。
11月3日に訪ねたお東さんの視聴覚ホールにも驚きましたが、琵琶湖疎水から東本願寺まで防火用水を送っていたというのにもびっくり。 -
この施設は建築祭2日間だけの特別公開の施設です。
東本願寺のホームページを見ると、水道施設が境内にも残っているようです。
お東さんは江戸時代、4度も火災にあったそうで、そのため、明治時代独力で蹴上から東本願寺の境内まで導水管を引いて疎水の水を送る施設を作ったようです。 -
ねじりまんぽうを通って、岡崎動物園の横を通って、北へ向かいます。
琵琶湖疏水ねじりまんぼ 公園・植物園
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やってきたのは、岡崎公園の東側、住宅街の中にある建物です。
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この建物は洋画家の浅井忠らが設立した名門洋画塾の関西美術院です。
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イチオシ
アトリエは高い天井に北側採光。
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今も絵画教室が開かれています。
建物の設計は武田五一。浅井忠とは京都高等工芸学校(今の京都工芸繊維大学)の同僚だったという縁があったようです。 -
さらに北に歩いて京都大学にやってきました。
京都大学にはいろんな近代建築が残っていますが、今回公開されたのは尊攘堂という建物です。通常は非公開で、今回は特別公開です。
建物は明治36年に建てられた和洋折衷の擬洋風建築です。京都大学 名所・史跡
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入口の正面奥には一段高くなった小さな舞台のようなものがありました。こちらは洋風ですね。
京都大学 名所・史跡
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縦長の窓も洋風。
京都大学 名所・史跡
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元々は品川弥次郎が寄贈した吉田松蔭の遺品などをおさめるため、明治36年に建てられたものですが、現在は京大の構内で発掘された埋蔵文化財が展示されていました。
京都大学 名所・史跡
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鴨川を越えて、京都府立医科大学に来ました。
尖塔アーチが並ぶネオゴシック様式の建物です。 -
でも、装飾は、昭和4年ということもあって、アールデコデザインが随所に見られました。
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照明器具もアールデコ。
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元々ここにあったものかどうかはわかりませんが、家具もいい感じですね~。
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ステンドグラスも幾何学模様です。
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イチオシ
何かを表しているのか?
よくわかりませんが、月と山にも見えるような・。 -
とてもユニークなデザインですね。
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こちらのステンドグラスはまた違った模様です。
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丸窓にも幾何学模様のステンドグラスがはまっていました。
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階段の親柱もアールデコ。
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今はこの建物は本部棟と言う名前になっていますが、昔は講義が行われていたのでしょう。おおきな階段教室がありました。机なども古いままの洋でした。黒板も。
照明などは新しくなっているので、現役で使われているようでした。 -
窓のデザインはゴシック様式。
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府立医大から南下して、やってきたのが、このユニークな建物。
毎日新聞京都ビルです。
丸いガラス窓が目を引きますが、設計者が南海電車の関空列車「ラピート」をデザインした若林広幸という方で、ラピートも丸窓が特徴で、設計者ののお気に入りのモチーフみたいです。そういえば、同じくこの方の設計した京阪電車の宇治駅にも丸窓のモチーフがありました。 -
最上階にはきれいなホールがありました。丸窓がホールの壁(窓)の一部になっているんですね。
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机の上の写真は三条通にある武田五一設計の旧毎日新聞京都支局のホールの写真です。
現在のホールのデザインはこのホールへのオマージュ?
机は旧京都支店にあったものだそうですが、武田五一デザインではないか?ということでした。 -
イチオシ
でも、この建物で一番印象に残ったのは、吹き抜けになった空間の階段や通路です。
打ちっぱなしの壁が斜めになって、上階になるほど通路が短くなっていくのがおもしろい。 -
違う角度から見た階段。
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イチオシ
空中通路から外側を眺めるとこんな感じになります。
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この角度から見ると壁が斜めになっているのがよくわかりますね。
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堀川商店街・堀川団地にやってきました。一階は店舗、2階3階が住居になっている店舗併用住宅が堀川沿いにずーっと伸びています。つまり、一階が商店街、二階三階が団地ということですね。
堀川商店街 市場・商店街
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この堀川団地は1951年から1954年にかけて造られ、こういったタイプのコンクリート造りの店舗併用住宅としては日本で初めてのものと言われています。
堀川商店街 市場・商店街
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店舗部分にも新しい店が入ったり、
堀川商店街 市場・商店街
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住居部分もリノベされて、再生されている商店街・団地です。
堀川商店街 市場・商店街
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コンクリの柱が出っ張っているところに和室の設え。
リノベ後の部屋も見学させてもらいましたが(和めがねの工房として利用)、面積は広くはありませんが、センスよく、とてもすてきな空間に仕上がっていました。堀川商店街 市場・商店街
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一応、欄間のようなものもあるんですよね。
小さいながらもなかなか凝った造りの部屋だったのがわかります。(当時としては特に狭いということもなかったのかもしれません)堀川商店街 市場・商店街
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次に、堀川団地の西側すぐにある今原町屋という京町屋を訪れました。
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井戸のある通り土間がある典型的な郷町屋です。
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立派なお庭もあります。
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しっかりとした造りの格式の高い和室もあります。
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でも、2階には、洋室がありました。
この洋間、外側から見た時には全く見えません。
「京都人の密かな楽しみ」といったとこでしょうか。 -
隣は和室で両開きの扉の向こうに洋室が広がっているという形になっています。
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そして、洋室の窓ガラスは洋風、外壁にもタイルを用いて、洋風の仕上がりにしているところも心憎いですね。
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衣笠にある櫻谷文庫にやってきました。
櫻谷というのは明治から昭和にかけて活躍した日本画家・木島櫻谷のことです。
文庫とあるのは、木島櫻谷が収集した絵画や書、漢籍、さらには櫻谷の遺品やスケッチを保存整理するために大正15年に設立されました。
建物は櫻谷の邸宅を利用して、和館、洋館、画室の3つの建物から成っています。櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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まず和館から。かなり大きな二階建ての建物です。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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イチオシ
とても洒脱な感じがする和室ですね。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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櫻谷が当時使用した顔料なども残っていてこれも貴重な資料となっているそうです。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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櫻谷が衣笠の地に越してきたことによって、土田麦僊、村上華岳、堂本印象などが移り住み、衣笠絵描き村と呼ばれ文化の香の高い場所だったようです。文展に何回も入選し、大正初めには文展の審査員に選ばれるなど華々しく活躍していましたが、現在は上に挙げた画家のほうが一般にはよく知られているのかなという印象がしますが、晩年は画壇からは距離を置いていたようす。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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櫻谷は特に、動物画が有名です。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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最期は京阪電車にひかれて亡くなるという非業の死を遂げられたようですが、もっと
作品を見てみたいと思いました。櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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人形やミニチュアの展示もありました。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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和館の外にいったん出て、違う入口から(勝手口になるのかな)
入ります。櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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台所には当時の道具がそのまま保管されていて、貴重なものとなっています。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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これだけ大きくてりっぱな邸宅を建てられるほど、売れっ子で、経済的にも豊だっのかなっと想像します。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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一番印象に残ったのは洋館といいながら、外観はなんとなく蔵のようなこの建物。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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入口も和洋折衷のような感じですね。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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イチオシ
でも、入口を入った部分はまったくの洋館づくりになります
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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このカーブした階段!
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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てすりには溝があって、指が架けられるようになっています。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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てすりが階段に合わせてきちんとカーブしていますね。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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部屋は和風でも、扉は洋風ですね。まさしく和洋折衷。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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で、2階にあがると、折り上げ天井や、
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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床の間など、和風の設えになってます。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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腰壁には竹が使われています。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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イチオシ
孔雀図。
外を見て、蔵と思ったのは間違いではなく、この洋館は週増室・展示室として
使われていたそうです。櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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縦長の窓やバルコニーはまさしく洋風ですね。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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最期にアトリエを拝見しました。
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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アトリエは製作や画塾として使われた建物で、80畳ととても広くて、やはり天井が高く、
櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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明り取りの大きな窓があります。
今も絵画教室が開かれているようです。櫻谷文庫 (木島櫻谷旧邸) 名所・史跡
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櫻谷文庫から次の訪問先・紫明会館近くまではバスに乗ったのですが、降りる所を間違えてしまい、延々と歩く羽目になってしまいましたが、鞍馬口通を歩いていると、二つの銭湯建築、船岡温泉とさらさ西陣の前を通りました。
船岡温泉は建築祭参加建物ですが、11月9日のみの公開だったので中は見学できず。船岡温泉 温泉
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さらさ西陣は旧銭湯で、今はカフェになっていて、銭湯時代のカラフルなマジョリカタイルが有名です。(こちらは建築祭参加建物ではありません)
ふたつとも、唐破風の屋根の入り口が特徴です。さらさ西陣 グルメ・レストラン
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イチオシ
やっとたどり着いた紫明会館ですが、紫明会館というのは、京都府師範学校の同窓会館で昭和7年に建てられました。
京都府師範学校は現在の京都教育大学の前身の学校になるようですが、調べた所現在は同窓会の所有というわけではないような感じです。 -
屋根はスペイン瓦。
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丸窓の意匠はアールデコで、昭和の初め流行ったスパニッシュやアールデコをミックスしたようなデザインになっています。
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順路のまま行くと、先に裏階段を通りました。なんの装飾もない裏階段。見えないところは装飾はまったくなし、頑丈に造りましたという感じがして、これはこれでおもしろかった。
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中には琵琶床のある立派な和室もありました。
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アールデコデザイン。
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現在は部屋や講堂(ホール)を貸し出ししているようです。
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こちらが表階段です。
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大きな窓から光が入って明るい階段。
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こちらは凝ったデザインですね。
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ドアの上にもちょっと凝ったデザインとガラス窓、
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簡単な模様ですが、ステンドグラスも。
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イチオシ
最後に訪れたのは、堀川北大路にある京都復活教会です。ゴシック様式の鐘楼が目をひく白亜の建物です。
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中は一転木を多用した暖かい空間。
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木造のトラス、小屋組みも印象的ですね。
昭和10年のフォーリズ作品です。 -
あたりが暗くなってきて、灯りがともる聖堂。
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イチオシ
帰ろうと、バス停に歩いていると、本などで知っていた昭和の喫茶店「翡翠」を発見。
こんなところにあったんだ~。喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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速攻、入りました!
喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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店内はかなり広くて、昭和の喫茶店、やはり、店内が豪華で凝っています。
喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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この椅子なんかも特注なんでしょうね。
喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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彫刻が施してあります。
喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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食事からデザート系までメニューは豊富でしたが、ナポリタンを注文しました。
喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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サラダ付き。
御馳走様でした~。喫茶翡翠 グルメ・レストラン
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すっかり暗くなってしまいました。
私の2024年の京都モダン建築祭もこれにて終了です。
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