2024/09/26 - 2024/09/28
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Fidelioさん
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こんな話があります。
江戸時代のある冬のこと、飛脚が加賀藩へ向かうべく、高田の城下町へ入ろうとしていました。
「えっほ、えっほ、えっほ、えっほ、アンパンマンは粒あんって伝えなきゃ♪…えっほ、えっほ、えっほ、えっほ…」
さすがに令和の時代に一時SNSで流行ったこの歌は口にしていないと思いますが、早さが命の飛脚はえっほえっほと足を進めます。
飛脚は高田の町へ入ったはずでしたが、一面の大雪に覆われて町が見当たりません。
何しろここは雪国の越後。雪に町全体が覆われてしまうのも無理はありません。
そんな中、飛脚はようやく町並みを見つけることができました。
「やれやれ、こんなに雪に覆われちゃあまったくどうしようもねぇなこりゃ。こんなんじゃあ人っ子ひとり出ていりゃあねえだろうけど、よそもんが分かるようにおいらがいっちょ助けてやろっかねぇ。」
そこで飛脚は、雪でも次に町を訪れる人が分かりやすいように「この下に高田あり」と立札を立てました。
一見人々の営みが感じられない雪の高田の町ですが、実は「雁木造り」と呼ばれる軒先に突き出した屋根によって、このような大雪の中でも人々の生活や往来が守られていたのです。
家々が並んでいれば当然雁木造りも続くわけで、険しい冬でも広範囲に渡って住民たちが街中を移動できることになります。
これこそが雪国の生活の知恵であり、「雁木造り」は住民たちの固い絆と助け合いの精神が具現化したものといえるでしょう。
新潟旅行最終日は、そんな日本一の雁木造りを誇る街・上越高田を街歩きしたいと思います!
〔参考〕新潟文化物語HPより「file-127 雪の下に人情あり、人を結んできた「雁木(がんぎ)」(前編)」
https://n-story.jp/topic/127/
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
-
おはようございます。3日目、最終日の朝です。
いやー、実はこの日はさっそく早朝からトラブルがありまして…。
今回はホテルの公式HPから1泊朝食付で予約していたのですが、昨日のチェックイン時には特にプランの確認もなく朝食券も渡されなかったので、当日レストランに直接行けばいいのかと思っていました。
しかし実際行ってみるとやはり朝食券が必要だったようで、フロントに申し出に行きました。
「昨日のチェックイン時に朝食券をもらっていないようなのですが…」
「お部屋番号教えていただいていいですか?」
「〇〇〇です。」
「確認しますね。・・・・・・素泊まりでのご予約のようです。」
は?
そんなことあんの??
いやいやそれはおかしいと思い、
「え、そんなことないと思いますけど?」
「もう1度確認いたします…」
係の若い女性の方はまた再びカタカタ端末を操作しました。
「一応これが予約した時の画面です」
とスマホを見せようとしたものの、係の方は端末からこちらに目を移すこともせず
「今確認しておりますのでもう少々お待ちくださ~い」
とスルー(泣)
見てくれねぇのかよ。
少しして確認が取れたのか、朝食券の紙を取り出してデート印をガシャンと押すと
「朝食付きであることが確認できましたのでこちら朝食券になります。」
と何事もなかったように渡してきたのです…。
普通こういう時は「すみません、こちらのミスでした」と一言謝罪があっていいもんなんじゃないでしょうか?
終始無表情で機械的な対応をされて、我ながら珍しく結構カチンときた瞬間でした。
まあなんとか朝食にはありつけましたけど。アートホテル上越 宿・ホテル
-
デザートも食べましたけど(笑)
朝から非常に幸先の悪いスタートとなってしまいましたね。。。
※後日、今回の一件について然るべきルート・手段にてホテル側に異議申し立てをし、責任者の方より丁重に顛末の報告とお詫びをいただきました。 -
ま、今回は完全にホテル側を信じ切ってましたけど、自分も勤め人である以上ヒューマンエラーは必ずあることは認識していることなので、こちらが消費者側になっても「それは本当に正しいのか」アンテナを張っていないといけませんね…。
気を取り直して、最終日の街歩きをいたしましょう。
ここは青田川という川で、上越市を横断するように流れている川です。 -
最初にやってきましたのはこちら、旧師団長官舎です。
旧師団長官舎 名所・史跡
-
1910(明治43)年、陸軍高田第13師団第3代師団長・長岡外史中将の邸宅として建てられたものです。
当時は別の場所に建てられ、なんと1991年の平成の世に入った頃まで陸上自衛隊高田駐屯地の幹部宿舎として使われていたんだとか!
その和洋折衷の貴重な建築であったことから、1993年にこの場所に移築されたとのことです。
しかし師団長になると家建ててもらえるんかい。すごい時代があったものですね。
ちなみに皆さん、長岡外史という人物ですが、ちょっとググってみてください。
髭がものすごいことになってますから(笑) -
中を見学してみましょう。こんなに素晴らしい建物なのに見学無料なのがありがたい…。
洋館の階段を登ったと思いきや目の前には和室の襖が。 -
これが登ってきた階段です。
上の襖の写真と見比べると、さっそく和洋折衷を感じ取れますね。 -
がっつり和室です。
この部屋だけを見ると、外観があの洋館だとは想像がつかないですよね。
武家屋敷じゃあないヨ。 -
■独特な文様の窓
さて、この旧師団長庁舎が建てられた背景をかなり深堀りしていきますと、旧陸軍第13師団の創設時である1905(明治38)年にまでさかのぼります。すなわち、日露戦争の年です。 -
■窓から日本庭園を望む。
日清戦争後に日本に割譲された遼東半島(中国)を、「(当時の)清国に返せ」というフランス・ドイツ・ロシアの3か国が日本に対して行った勧告である三国干渉後に、満州と朝鮮半島の領有権を巡って引き起こされた争いが日露戦争の発端となります。
海軍は、東郷平八郎提督率いる日本艦隊が対馬沖海上でロシアのバルチック艦隊を破り、陸軍は乃木希典大将率いる第3軍が死闘の末旅順要塞を陥落させたことで知られています。 -
■トキの風鈴がかわいいね。
当時陸軍の師団はすべてが前線に配備されていたため、急遽本土防衛のための4個師団の編成が行われました。その1つが、第13師団です。
この第13師団は、日露戦争終盤には対露戦を有利に進めるため樺太占領作戦に投入され、やがて樺太全島を占領、その後ポーツマス条約締結により終戦します。 -
■実は喫茶スペースも兼ねていて、飲み物を注文できます。
日露戦争後は、当時の日本は軍備の常設化を進めることとなり、この第13師団は信越地方に駐屯する方針を打ち出しました。そこで誘致運動を行ったのが、高田町(現上越市)となります。 -
そして1910年に建てられたのがこの旧師団長官舎。
外観からも分りますように、軍の威厳を象徴するかのような立派な造りとなりました。
ちなみにエッジの効いたお鬚の持ち主である第3代師団長の長岡外史ですが、これがなかなかクレバーな男でして、先進的な技術や知識を積極的に取り入れることのできた人物でした。
この師団長官舎ができた1910年、日本陸軍の研究のために交換将校として来日したオーストリア=ハンガリー帝国の1人の軍人がいます。
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐。今やウインタースポーツとしての代名詞であるスキーを日本に初めて伝えた人物です。 -
長岡外史とレルヒ少佐は非常に活発に交流を重ね、レルヒの優れたスキー(当時はまだ一本の板で滑る)技術を軍事訓練に取り入れ、これにより雪国での兵士の機動力が大幅に向上するという冬季訓練における革命をもたらしました。
また軍事訓練だけでなく民間にも普及させ、これが今日のウインタースポーツとして親しまれるスキーの原点となりました。
このような背景もあり、レルヒが初めてスキーの講習を行った1月12日はスキーの日とされ、長岡外史は「日本スキーの父」とも称されています。
スキーの日が祝日だったらええのに・・・。 -
■1階はレストランになっていて、お客さんがいなければ見学可。
みなさんはスキーできますか?僕は大学1年のサークルの冬合宿で長野に行ったとき初めてトライしたんですが、なーーんにもできないくせに中級コースに進んでしまって、もうバタバタ転びまくったものです。
「これ生きて下りれんのか」とすら思いましたが、先輩がつきっきりで面倒を見てくれたおかげで滑れるようになり、翌年には(自己流ですが)初心者に教えられるぐらいになりました(笑)
もう長いこと会っていませんがこの先輩には今でも頭が上がりません。
師団長官舎も一通り見学しましたので、次の場所へ行きましょか。 -
駅近くの大通りの方まで戻ってきまして、お次は高田まちかど交流館。
ここは1931年に建てられた旧第四銀行(現・第四北越銀行)高田支店の建物で、上越市の文化財に指定されています。
これまたレトロで貴重な建物なので見る価値があるな~と思ってたらこの日はイベントで貸し切り、中に入れず断念! -
はいじゃあ次。
ここ上越市高田には、1224年に親鸞聖人が創設した浄興寺というお寺があります。
もともとは1214年に常陸国笠間郡(茨城県笠間市)に建てた草庵が起源らしいですが、その後災害や戦火によりここ上越市に創設されました。 -
宗祖廟(しゅうそびょう)はこっちだよと、石塔がありますね。
「宗祖廟」とは親鸞聖人のお墓を指す言葉で、実際に浄興寺には親鸞聖人の頂骨(頭蓋骨の頭頂部の骨のことで仏教的に重要な意味を持つ)を収めた本廟があるとのことです。 -
山門が見えてきましたよ~
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この山門をくぐった先が本堂です。
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ここが浄興寺本堂で、新潟県内では最大かつ最古の寺院建築とのことです。
中には入りませんでしたが、内部は建物のいたるところに荘厳な彫刻があるんだとか。 -
この日は中で法要が行われていたのか、読経の声が聞こえてきました。
一通り境内を散策しましたが、僕のような物見遊山しているであろう人はおらず、京都の寺院のような観光向けに開放している、というよりかは、地域密着なお寺なんだなという印象を受けました。永大供養もやっているようで、ここにお墓があるお家も多いのでしょう。
浄土真宗(一向宗)は古くより庶民から広く信仰を集めていた宗派でもありますので、個人的には結構イケイケなイメージがあります。
建物を見回してみても綺麗に整えられていましたので、今も昔も地元に根差し、親しまれている印象を持ちました。
では次の場所へ。 -
ちょうど浄興寺への道なりにあるんですけど、この趣深い建物は江戸時代から続く老舗料亭「百年料亭・宇喜世」。建物が国登録有形文化財に指定されています。
どんな料理が食えるのかなぁ~
絶対美味いんだろうな(笑) -
雁木通りまでやってきました。
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あ~~~いいですねこの景色。
日本一の雁木造りの名にふさわしいですよね。
こうして家々の軒先に作られた雁木造りが厳しい雪から人々の生活を守り、そして雁木の下で人々の交流があったんですね。 -
次は高田城へ向かいます。
その途中で小さな牧場にてお馬さんが草を食べていました。かわいい。 -
浄興寺からは結構距離がありまして歩くこと20分超。
ようやく高田城のお堀に差し掛かります。高田城址公園 公園・植物園
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高田城三重櫓(復元)。高田城には名古屋城や大坂城といったズドーーン!!といったインパクトのある天守閣があったわけではなく、これが実質的な天守閣の役割を果たしていました。
築城は1614年、徳川家康の六男・松平忠輝によって築かれた城であり、土地柄越後の上杉、そして加賀の前田といった西軍の有力大名の領地に近いため、「しっかり見張っとけオラ」と家康が築城を命じたものです。高田城三重櫓 名所・史跡
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内部は展示室になっており、あまり高い場所ではありませんが辺りを見渡せます。
ちなみに春は堀回りの桜が咲き誇り、お花見名所の1つにもなっています。
綺麗なんだろうなぁ~ -
向こうに見ゆる山は方角的に妙高山だと思います。多分。
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高田城址公園には博物館や美術館もあるので本当は行ってみたかったんですが、この分だとおそらく昼ご飯を食べるのが遅くなり時間的な余裕がなかったのでここで高田城を後にすることにします。
ではお昼を食べに行きましょう。 -
少し中心地へと戻る途中の青田川沿いにある若杉という天ぷら屋さんで昼食!
高田でも結構名店らしいです。
天ぷら定食と上越名物のする天を注文。 -
カウンターの目の前で職人さんが手際よく揚げ、出来立てを提供してくれます。
きすと海老。やっぱり天ぷら屋さんの揚げたてはうまい…。 -
そしてこれが上越名物のする天。
その名の通り、するめの天ぷらです。
いか天でもない、ゲソ天でもない。するめだけあって旨味が凝縮されていますね。
・・・これ1人で食う量じゃないな(笑) -
天ぷら定食のメニューも続きます。
なすにしし唐にお野菜の天ぷらもあるで。
・・・ふう、結構腹いっぱいになってきたな(-_-;)
とここで、
「最後かき揚げですがかき揚げ丼にしましょうか?」
と職人さんからの案内が。
「はい、お願いします!」
「ではお茶碗お預かりしますね。」
あかん、かき揚げ丼言われて反射的に答えてしもた。
今の自分の腹の力量を考えろ。 -
満を持して天ぷら定食の真打・かき揚げ丼が登場。決して大振りではないのに、今の僕からしてみればすごい貫禄(笑)ご飯もしっかり追加されてますからね。
これまでは天つゆや塩を付けて天ぷらを食べていましたが、かき揚げ丼なのでタレがかかっています。
やっぱり美味いなぁ~。すでに満腹でも食べてしまいますね(笑)
かき揚げ丼も完食、もう腹も相当膨れています。大満足です(*'ω'*)
天ぷら定食だけで2,000円くらいだったので東京では絶対に味わえないお得さなのも嬉しい! -
ぇあ~~~食いすぎたな。
歩いて消化せんと。 -
大町通りを歩きます。
ここも雁木造りが長く続いている通りです。
中にはリノベーションしてシャレオツなお店もありますね。 -
イチオシ
こうさりげなく植物を立てかけて彩を添える光景、とっても素敵です。
日本人の風情が感じられます。 -
イチオシ
花もまた良し。
-
なんとも昭和レトロな看板ですこと。多分昔からずっとあるんでしょうね。
こういうレトロな看板大好き! -
キンチョール
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金鳥かとりせんこう
仁丹
マジでここだけタイムスリップした感じになっとる。 -
さて、次にやってきたのはここ瞽女(ごぜ)ミュージアムです。
みなさんは「瞽女(ごぜ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
僕もここに来て初めて知ったのですが、瞽女(ごぜ)とは、日本各地を三味線を携え唄や浪曲を披露しながら巡業していた盲目の女性の旅芸人のことをいいます。瞽女ミュージアム高田 美術館・博物館
-
館内では、高田瞽女最後の親方と言われる、杉本キクイさん(1898~1983)が実際に瞽女として巡業している様子を映したドキュメンタリー映像を観ました。
瞽女さんは年に300日も巡業(基本徒歩移動)に費やし、農村各地を回って巡業をしていたそうですが、各農村には瞽女さんを受け入れる「瞽女宿」があり、そこに泊まりながら活動をしていました。彼女たちの巡業は農村地域にとっては貴重な娯楽であり、また「瞽女さんが来ると縁起がいい」と言われ、信仰の対象のような存在でもあったことからかなりの厚遇を受けていたそうです。
驚くべきことは、瞽女さんも受け入れる農村(瞽女宿)もお互いに事前に一切スケジュール調整や連絡をすることなく、「もうそろそろ来る時期かな…」と行く準備、迎える準備をしていたということです。
とても強い信頼関係がないと成り立たないですよね・・・。それだけこの瞽女さんの存在が大切であったことが分かります。 -
これが実際の瞽女・杉本キクイさんとそのお弟子さん(養女)一向の写真。
先頭の方は弱視で僅かながらに目が見える程度で、後ろの二人は全盲のため前の瞽女さんの腰紐を掴みながら歩いています。
瞽女は家から近くの師匠に弟子入りするパターンと、高田瞽女のように弟子を家に受け入れて師匠とともに共同生活を送るパターンがありました。
いずれにしても「目が見えない」というハンデがあることから、三味線や浪曲も視覚以外の感覚を一挙に集中させて習得する必要があり、普段の稽古もかなり厳しいものであったそうです。 -
戦後は徐々に瞽女さんの数も廃業に伴い少なくなる中で、杉本キクイさんは「おらは瞽女しか生きる道を知らん」と2人のお弟子さんと戦後も瞽女を続け、キクイさんは昭和58年に亡くなります。
まだまだ課題は多いながらも、今では身体に障害がある方も様々な職種に就くことができる環境になっています。そう考えると、昔はいかに自立して生計を立てていくかが難しいことであったか、想像するに難しくはありません。
そういった中でも、瞽女さんは生活する術を身に付け、磨き上げ、懸命に生き抜いた歴史があったことを学ぶことができました。 -
そろそろ帰りの時間が迫ってまいりましたので、駅方面に戻りましょう。
ちょうど世界館の前だ。 -
うっすら「日活」の文字が見えますね。
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ホテルに預けていた荷物をピックアップし、高田駅へ戻ってきました。
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えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに乗り上越妙高駅まで向かいます。
もともとはJR信越本線で北陸新幹線の開通に伴い三セクになったわけですが、IRいしかわ鉄道とか、あとなんですか、あいの風とやま鉄道でしたっけ?
あと一番最近だと、ハピライン福井が誕生して…。
似たような地域に三セクが爆誕しまくってちょっと整理できねえわ(笑)! -
高田駅からは2駅、10分ほどで上越妙高駅に到着。
で、新幹線の時間まで少々時間があったので駅から徒歩3分ぐらいのところにある釜蓋遺跡にやってきました。
無料で入れるビジターセンターまで整っている遺跡ですが、2005年に上越妙高駅の建設工事中に「あらまぁ~」と偶然見つかった遺跡でして、およそ弥生時代末期から古墳時代初期にかけての集落であったらしいんです。
これ古代人も遠い未来に駅が建設されることを見越して「よし、ここに村を作って未来人を脅かすっぺ~」となったんでしょうか(笑) -
実際に発掘された土器や石器などがビジターセンターに展示されていて、一部展示品は写真撮影も可能です。
個人的には古代・上代の歴史にさほど強い関心があるわけではありませんが、こうやってプチ観光できるのはいいですね。 -
遺跡全体は遊歩道が整備されており、散歩にもうってつけです。
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遠くに山がそびえており、虫が鳴いていておいしい空気が流れています。
ここ新幹線の駅からすぐそこなんですよ?写真だけみたら想像できませんよね。 -
下が天然芝だし座っちゃおう、はーよっこいしょ(笑)
他に人と言えば犬の散歩をしている地元の人が1人のみで、のんびりできます。
後ろは車がバンバン通っていますが、まあ人目を気にしないならレジャーシート敷いてピクニックでもできそうです。
そこそこ広い芝生なので、小さいお子さん連れなんか新幹線待ちの間にここで遊ばせることもできちゃうんじゃないでしょうか?
やべぇ、今回の旅でいろいろ回ったけど高田世界館とここが一番好きかもしれない(笑) -
遺跡の広場でマターリした後はお土産を買い、新幹線で上野まで。
-
車内のおやつ用に新潟限定の笹だんごパンを購入。
文字通り、笹団子がパン生地に包まれているお菓子(パン?)です。
パンダの絵柄がかわいいね。
というわけで、今回の旅はこれにて終了!
特に上越市ではバリエーション豊かな時代に関するスポットが多かったですね。
釜蓋遺跡 → 弥生・古墳時代
浄興寺 → 室町時代
高田城 → 江戸時代
旧師団長官舎 → 明治・大正時代
高田世界館・瞽女ミュージアム → 戦前から戦後
今回はまだ馴染みの少ないエリアということで新潟を旅行先に選びましたが、幅広く歴史に触れることができたと思います。
それでは、また次の旅でお会いしましょう。
今回もご覧いただき、ありがとうございました! -
あ、後ろも絵柄があるよ(笑)
ー 2024夏 新潟横断の旅 完 ー
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旅行記グループ 2024夏 新潟横断の旅 ~時代を横断する歴史巡り~
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