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白老/平取/旭川は、アイヌ文化が色濃く残るだけでなく、積極的に発信している地域です。公立/私設2つの施設を回って、アイヌについて学びました。

旭川:アイヌ文化三大発信地の一つという側面

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2025/08/22 - 2025/08/22

2017位(同エリア2556件中)

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gianiさん

この旅行記スケジュールを元に

白老/平取/旭川は、アイヌ文化が色濃く残るだけでなく、積極的に発信している地域です。公立/私設2つの施設を回って、アイヌについて学びました。

旅行の満足度
5.0
  • 旭川駅改札を出ると

    旭川駅改札を出ると

    旭川駅

  • 構内に観光物産センターがあります。

    構内に観光物産センターがあります。

    旭川観光物産情報センター 名所・史跡

  • 石狩川支流の忠別川沿いに広がる庭園スペースを越えると

    石狩川支流の忠別川沿いに広がる庭園スペースを越えると

    あさひかわ北彩都ガーデン 自然・景勝地

  • 対岸に旭川市博物館があります。<br />アイヌと和人の入植、地域の自然史を学べる秀逸な施設です。

    対岸に旭川市博物館があります。
    アイヌと和人の入植、地域の自然史を学べる秀逸な施設です。

    旭川市博物館無料開放日 アイヌ文化に親しむ日 祭り・イベント

  • アイヌとは<br />アイヌという単語は、人間を意味します。厳密には、神(カムイ)と対比しての人間という観念です。北海道のみならず、千島列島/サハリン南部等にも分布しアイヌ語という独自の言語を持ちます(文字は使用しない)。<br />研究成果とアイヌへの意識向上に伴い、「日本人」の大半を占める和人がアイヌに対して抱いていたイメージとアイヌの現実には大きな隔たりがることが認識されてきました。<br />※アイヌと呼べるのは素行の良い人だけで、悪い同胞はウェンペと呼んで区別しています。

    アイヌとは
    アイヌという単語は、人間を意味します。厳密には、神(カムイ)と対比しての人間という観念です。北海道のみならず、千島列島/サハリン南部等にも分布しアイヌ語という独自の言語を持ちます(文字は使用しない)。
    研究成果とアイヌへの意識向上に伴い、「日本人」の大半を占める和人がアイヌに対して抱いていたイメージとアイヌの現実には大きな隔たりがることが認識されてきました。
    ※アイヌと呼べるのは素行の良い人だけで、悪い同胞はウェンペと呼んで区別しています。

    旭川市博物館 美術館・博物館

  • アイヌと和人<br />縄文時代の日本列島は縄文人で統一されていましたが、弥生時代に大陸からの渡来人が多く上陸して縄文人と同化し、弥生人(和人)が誕生します。寒冷地(北海道を中心とする地域)の縄文人は、稲作を生業とする渡来人の同化を受けず、オホーツク海沿岸に移住したオホーツク文化人を吸収してアイヌが誕生します。

    アイヌと和人
    縄文時代の日本列島は縄文人で統一されていましたが、弥生時代に大陸からの渡来人が多く上陸して縄文人と同化し、弥生人(和人)が誕生します。寒冷地(北海道を中心とする地域)の縄文人は、稲作を生業とする渡来人の同化を受けず、オホーツク海沿岸に移住したオホーツク文化人を吸収してアイヌが誕生します。

  • 和人とアイヌの歴史区分<br />最終氷期(ヴリュム氷期)が終わり温暖化へ舵を切ると、縄文時代が始まります(9000年前)。旧石器時代との違いは定住で、移動生活に不向きな土器が使用されます。<br />和人域では稲作/鉄器を特徴とする弥生時代、馬が伝来する古墳時代が続きますが、北海道では縄文時代が続きます(続縄文時代)。

    和人とアイヌの歴史区分
    最終氷期(ヴリュム氷期)が終わり温暖化へ舵を切ると、縄文時代が始まります(9000年前)。旧石器時代との違いは定住で、移動生活に不向きな土器が使用されます。
    和人域では稲作/鉄器を特徴とする弥生時代、馬が伝来する古墳時代が続きますが、北海道では縄文時代が続きます(続縄文時代)。

  • 擦文時代<br />和人では飛鳥~平安時代に相当する時期で、土師器の影響を受けた擦文土器が製造/使用されました。漁撈/狩猟/小規模な農業/交易で生計を立てます。石器は鉄器に代わります。和人からは、織物/竈/鍛冶などの影響を受けています。<br />オホーツク文化<br />擦文時代にオホーツク海沿岸にオホーツク文化人と呼ばれる人たちが住み着きます。専ら漁撈を生業とし、熊送りといった文化を持ちます。<br />

    擦文時代
    和人では飛鳥~平安時代に相当する時期で、土師器の影響を受けた擦文土器が製造/使用されました。漁撈/狩猟/小規模な農業/交易で生計を立てます。石器は鉄器に代わります。和人からは、織物/竈/鍛冶などの影響を受けています。
    オホーツク文化
    擦文時代にオホーツク海沿岸にオホーツク文化人と呼ばれる人たちが住み着きます。専ら漁撈を生業とし、熊送りといった文化を持ちます。

  • アイヌ<br />和人では鎌倉時代以降に相当し、漁撈/狩猟/農業/交易で生計を立てます。熊送りなどは、オホーツク文化人の影響が見られます。土器は鉄鍋に代わり、江戸時代以降は和人による圧制が特徴で、特に明治政府による同化政策で日本語の使用/和人と同じ生活様式が求められます。平成以降、アイヌを先住民と認め文化を残す方向へ舵が切られます。

    アイヌ
    和人では鎌倉時代以降に相当し、漁撈/狩猟/農業/交易で生計を立てます。熊送りなどは、オホーツク文化人の影響が見られます。土器は鉄鍋に代わり、江戸時代以降は和人による圧制が特徴で、特に明治政府による同化政策で日本語の使用/和人と同じ生活様式が求められます。平成以降、アイヌを先住民と認め文化を残す方向へ舵が切られます。

  • 交易の民<br />アイヌとその祖先は外の世界を知らない閉鎖的な人々ではなく、交易も盛んでした。近世に和人と強制的に取引をさせられたのではなく、自ら外へ出て行く人たちでした。縄文時代から本州の産物が出回り、擦文時代は和人/中国の物産が出回ります。10世紀以降は狩猟漁撈に特化し、河口部に海上交通の拠点として設けられた村は長距離交易に従事しました。

    交易の民
    アイヌとその祖先は外の世界を知らない閉鎖的な人々ではなく、交易も盛んでした。近世に和人と強制的に取引をさせられたのではなく、自ら外へ出て行く人たちでした。縄文時代から本州の産物が出回り、擦文時代は和人/中国の物産が出回ります。10世紀以降は狩猟漁撈に特化し、河口部に海上交通の拠点として設けられた村は長距離交易に従事しました。

  • 擦文時代の活動領域<br />8世紀:オホーツク文化人の進出に伴い北海道の領域は狭まります。<br />10世紀:オホーツク文化人を駆逐/同化します。<br />11世紀にはサハリン南部~本州北部に拡大し、13世紀にはサハリン全土と対岸/千島列島にまで及びます。

    擦文時代の活動領域
    8世紀:オホーツク文化人の進出に伴い北海道の領域は狭まります。
    10世紀:オホーツク文化人を駆逐/同化します。
    11世紀にはサハリン南部~本州北部に拡大し、13世紀にはサハリン全土と対岸/千島列島にまで及びます。

  • 武力衝突(1261-1308)<br />アイヌは、北海道アイヌ/サハリンアイヌ(樺太南半分)/千島アイヌ(千島列島)で構成されます。サハリン北半分/アムール川下流域(中国名:黒竜江)への商業的進出は、現地住民(ニブフ)との深刻な摩擦を生じさせ、ニブフは朝貢していた元に助けを求め、40年間に渉る断続的な元vsサハリンアイヌの武力衝突が生じます。サハリンアイヌは元に獣皮を朝貢する代わりに、サハリン南半分での主体性のある定住活動が保障されます。

    武力衝突(1261-1308)
    アイヌは、北海道アイヌ/サハリンアイヌ(樺太南半分)/千島アイヌ(千島列島)で構成されます。サハリン北半分/アムール川下流域(中国名:黒竜江)への商業的進出は、現地住民(ニブフ)との深刻な摩擦を生じさせ、ニブフは朝貢していた元に助けを求め、40年間に渉る断続的な元vsサハリンアイヌの武力衝突が生じます。サハリンアイヌは元に獣皮を朝貢する代わりに、サハリン南半分での主体性のある定住活動が保障されます。

  • 擦文時代の生活<br />住居<br />屋根のみが地表にあらわれる竪穴式住居で、屋根は土と茅の2層で覆われ、防寒に有利な反面湿気/煙が籠ります。土間には煙が直接外へ排気される竈があり、囲炉裏も土間にあるのも寒冷地ならではです。

    擦文時代の生活
    住居
    屋根のみが地表にあらわれる竪穴式住居で、屋根は土と茅の2層で覆われ、防寒に有利な反面湿気/煙が籠ります。土間には煙が直接外へ排気される竈があり、囲炉裏も土間にあるのも寒冷地ならではです。

  • 鉄器と鍛冶<br />8世紀頃に石器は全て鉄器に置き換わります。鉄器は和人から移入され、アイヌの鍛冶屋が村々を春~秋にかけて巡回しました。火鋏等の鍛冶具にアイヌ独特の文様が施されていることから、アイヌ鍛冶屋の存在が証明されています。

    鉄器と鍛冶
    8世紀頃に石器は全て鉄器に置き換わります。鉄器は和人から移入され、アイヌの鍛冶屋が村々を春~秋にかけて巡回しました。火鋏等の鍛冶具にアイヌ独特の文様が施されていることから、アイヌ鍛冶屋の存在が証明されています。

  • 鮭漁<br />干し鮭は冬季の保存食として重要でしたが、縄文時代以来あくまで食料選択肢の一つにすぎず、大量捕獲するようになったのは和人との交易品として需要が高まったためです。上川盆地では10世紀には盛んになり、石狩/忠別川に鮭が遡上し、忠別川産卵場/石狩川産卵場/突哨山産卵場があります。<br />

    鮭漁
    干し鮭は冬季の保存食として重要でしたが、縄文時代以来あくまで食料選択肢の一つにすぎず、大量捕獲するようになったのは和人との交易品として需要が高まったためです。上川盆地では10世紀には盛んになり、石狩/忠別川に鮭が遡上し、忠別川産卵場/石狩川産卵場/突哨山産卵場があります。

  • 農耕<br />以前の理解と異なり、1000平方メートル以上の耕地が次々と見つかっています。稲は育ちませんが、炭化した粟/稗/黍/蕎麦/緑豆などが見つかっています。食用だけでなく、儀式に欠かせない酒の原料として不可欠でした。

    農耕
    以前の理解と異なり、1000平方メートル以上の耕地が次々と見つかっています。稲は育ちませんが、炭化した粟/稗/黍/蕎麦/緑豆などが見つかっています。食用だけでなく、儀式に欠かせない酒の原料として不可欠でした。

  • 上川アイヌの歩み<br />縄文時代は、水害から守られ湧水のある川に面した段丘面に集落が分布します。背後には森が広がりました。<br />一方で擦文時代は、石狩川産卵場周辺(現在の北海道教育大キャンパス周辺)に偏って分布します。鮭漁に特化した内陸漁村であり、和人との交易が大きなウェイトを占めていたことが読み取れます。

    上川アイヌの歩み
    縄文時代は、水害から守られ湧水のある川に面した段丘面に集落が分布します。背後には森が広がりました。
    一方で擦文時代は、石狩川産卵場周辺(現在の北海道教育大キャンパス周辺)に偏って分布します。鮭漁に特化した内陸漁村であり、和人との交易が大きなウェイトを占めていたことが読み取れます。

  • 上川アイヌ<br />近世アイヌ集落は、上川盆地の2つの鮭産卵所に偏って分布します。石狩川上流域にも産卵所の手前に集落があり、交易に使用する船が河川を遡上できる限界とリンクしています。

    上川アイヌ
    近世アイヌ集落は、上川盆地の2つの鮭産卵所に偏って分布します。石狩川上流域にも産卵所の手前に集落があり、交易に使用する船が河川を遡上できる限界とリンクしています。

  • 運搬船<br />丸木舟(チプ)と舷側に板を積み重ねて大型化した板綴船(イタオマチプ)に大別されます。外洋航海にはイタオマチプが使用され、24名と生活用具一式/チプ/猟犬5匹を積んで航海した記録が残っています。<br />

    運搬船
    丸木舟(チプ)と舷側に板を積み重ねて大型化した板綴船(イタオマチプ)に大別されます。外洋航海にはイタオマチプが使用され、24名と生活用具一式/チプ/猟犬5匹を積んで航海した記録が残っています。

  • アイヌの地域社会<br />各村には村長が存在し、多くの宝を持っていることが重要条件でした。宝(イコロ)は威信と名誉の具現/精霊が宿るものであり、精霊のバックアップが大きいほど村人を守る力も大きくなり、尊敬を得ました。写真のように、ロシア/中国/和人から得た交易品は典型的なイコロでした。交易が盛んな理由の一つは、権力者のイコロ集めも関係していると考えられます。

    アイヌの地域社会
    各村には村長が存在し、多くの宝を持っていることが重要条件でした。宝(イコロ)は威信と名誉の具現/精霊が宿るものであり、精霊のバックアップが大きいほど村人を守る力も大きくなり、尊敬を得ました。写真のように、ロシア/中国/和人から得た交易品は典型的なイコロでした。交易が盛んな理由の一つは、権力者のイコロ集めも関係していると考えられます。

  • アイヌの村々は主に川筋に存在します。旭川市のある上川盆地はペニウングルと呼ばれるグループを構成し、(石狩川の)川上に住む人を意味します。ペニウングルは石狩川系アイヌに属し、和人らと交易/交渉を行いました。ハウカセが歴代で最も有名な指導者です。北海道には、こうしたグループが5つ存在しました。

    アイヌの村々は主に川筋に存在します。旭川市のある上川盆地はペニウングルと呼ばれるグループを構成し、(石狩川の)川上に住む人を意味します。ペニウングルは石狩川系アイヌに属し、和人らと交易/交渉を行いました。ハウカセが歴代で最も有名な指導者です。北海道には、こうしたグループが5つ存在しました。

  • 住居<br />チセと呼ばれ、穴を掘らず平地に建てられます。入口はセムと呼ばれる入口小屋を経るのは、現代の寒冷地住宅に通じます。竈は姿を消し、囲炉裏が暖房/照明/炊事をこなします。<br />※より寒冷な土地に住むサハリンアイヌや千島アイヌは、冬季は竪穴住居へ移動します。

    住居
    チセと呼ばれ、穴を掘らず平地に建てられます。入口はセムと呼ばれる入口小屋を経るのは、現代の寒冷地住宅に通じます。竈は姿を消し、囲炉裏が暖房/照明/炊事をこなします。
    ※より寒冷な土地に住むサハリンアイヌや千島アイヌは、冬季は竪穴住居へ移動します。

  • 大きな特徴は、神々が出入りする神窓(ロルンプヤ)が上座の背後にあり、その対角に入口小屋があります。上川アイヌは、壁も屋根も熊笹を使用するのが特徴です。<br />※神窓:神々(カムイ)が出入りするためのもので、その横に宝壇が置かれます。

    大きな特徴は、神々が出入りする神窓(ロルンプヤ)が上座の背後にあり、その対角に入口小屋があります。上川アイヌは、壁も屋根も熊笹を使用するのが特徴です。
    ※神窓:神々(カムイ)が出入りするためのもので、その横に宝壇が置かれます。

  • ペニウンクルの1年:春<br />狩猟:熊/鹿<br />漁撈:八つ目ウナギ<br />農耕:粟/稗の種蒔き<br />採集:行者ニンニク(写真左)/藪豆/シナ樹皮剥ぎ

    ペニウンクルの1年:春
    狩猟:熊/鹿
    漁撈:八つ目ウナギ
    農耕:粟/稗の種蒔き
    採集:行者ニンニク(写真左)/藪豆/シナ樹皮剥ぎ

  • 熊猟<br />穴熊猟とも呼ばれ、春先に雪が締まって山野を自由に歩けるようになると始まります。丸太で穴の入口を塞ぐと熊が怒って、外へ出ようとしたところを毒矢で射るか(写真)、毒槍で突いて仕留めます。冬籠りの穴から出た熊の足跡を辿って、風下から毒矢を射る方法もあります。

    熊猟
    穴熊猟とも呼ばれ、春先に雪が締まって山野を自由に歩けるようになると始まります。丸太で穴の入口を塞ぐと熊が怒って、外へ出ようとしたところを毒矢で射るか(写真)、毒槍で突いて仕留めます。冬籠りの穴から出た熊の足跡を辿って、風下から毒矢を射る方法もあります。

  • 夏<br />狩猟:仕掛猟…熊/鹿/狐<br />漁撈:鱒/イトウ/ペラアイ漁<br />農耕:粟/稗栽培<br />採集:ウバユリ/木苺/桑の実<br />写真上の掘り棒で湿地に自生するトゥレブ(ウバ百合の根:写真中)を採取し、潰して水に晒すと沈殿する澱粉質を乾燥させて、粥などに混ぜます。潰した百合根を円盤状に成形して発酵/乾燥させて保存食にもします(写真左)。<br />ペラアイ漁<br />チノェタッ(樺皮を巻いた松明:写真右)で川面を照らし、石陰に隠れている雑魚の頭を弓につがえたヘラ矢(ペラアイ:写真下)で狙います。


    狩猟:仕掛猟…熊/鹿/狐
    漁撈:鱒/イトウ/ペラアイ漁
    農耕:粟/稗栽培
    採集:ウバユリ/木苺/桑の実
    写真上の掘り棒で湿地に自生するトゥレブ(ウバ百合の根:写真中)を採取し、潰して水に晒すと沈殿する澱粉質を乾燥させて、粥などに混ぜます。潰した百合根を円盤状に成形して発酵/乾燥させて保存食にもします(写真左)。
    ペラアイ漁
    チノェタッ(樺皮を巻いた松明:写真右)で川面を照らし、石陰に隠れている雑魚の頭を弓につがえたヘラ矢(ペラアイ:写真下)で狙います。

  • アマック(仕掛弓)猟<br />草木が繁ると見通しが悪くなるので、夏季は猟に危険な季節になります。そこで仕掛弓猟が行われます。弓を張った状態にして毒矢をつがえ、獣道に設置します。獣道に直角に細い紐を張り、弓の状態を保持している跳ね木の輪にその一端を結びます。動物がこの紐を引くと跳ね木が外れ、毒矢が自動的に発射されます。矢/紐の高さは動物によって調整します。

    アマック(仕掛弓)猟
    草木が繁ると見通しが悪くなるので、夏季は猟に危険な季節になります。そこで仕掛弓猟が行われます。弓を張った状態にして毒矢をつがえ、獣道に設置します。獣道に直角に細い紐を張り、弓の状態を保持している跳ね木の輪にその一端を結びます。動物がこの紐を引くと跳ね木が外れ、毒矢が自動的に発射されます。矢/紐の高さは動物によって調整します。

  • 秋<br />狩猟:鹿<br />漁撈:鮭<br />農耕:粟(写真右)/稗(写真左)の収穫<br />採集:小桑/山葡萄/ドングリ/胡桃、蒲刈り<br />粟と稗は、貝殻製の穂摘み(写真左下)で収穫します。<br />鮭は、マレック(突き鉤:写真中央)で突いて引っ掛けて捕ります。その後、イサバキックニ(頭叩き棒:写真右)で頭部を打って(暴れないよう)とどめを刺します。<br />


    狩猟:鹿
    漁撈:鮭
    農耕:粟(写真右)/稗(写真左)の収穫
    採集:小桑/山葡萄/ドングリ/胡桃、蒲刈り
    粟と稗は、貝殻製の穂摘み(写真左下)で収穫します。
    鮭は、マレック(突き鉤:写真中央)で突いて引っ掛けて捕ります。その後、イサバキックニ(頭叩き棒:写真右)で頭部を打って(暴れないよう)とどめを刺します。

  • 鮭漁<br />テシ(簗)を築いて川を堰き止め、サケの遡上を阻みます。

    鮭漁
    テシ(簗)を築いて川を堰き止め、サケの遡上を阻みます。

  • 粟と稗は使用するたびに、杵(写真上)と臼で脱穀します。<br />鮭は干してサッチェプ(干鮭:写真下)にします。海洋/河口部では脂肪分が多いので、乾燥時に酸化して保存には向きません。川を遡上する間に脂肪が消費され、保存に向いた鮭となります。

    粟と稗は使用するたびに、杵(写真上)と臼で脱穀します。
    鮭は干してサッチェプ(干鮭:写真下)にします。海洋/河口部では脂肪分が多いので、乾燥時に酸化して保存には向きません。川を遡上する間に脂肪が消費され、保存に向いた鮭となります。

  • 冬<br />狩猟:鹿/熊/貂(テン)<br />樹皮の靴下/鮭皮の靴/馬蹄型のかんじきを履いて活動します。写真右の鹿笛は、吹くと鹿の鳴き声とそっくりの音が出て、鹿を寄せ集めます。


    狩猟:鹿/熊/貂(テン)
    樹皮の靴下/鮭皮の靴/馬蹄型のかんじきを履いて活動します。写真右の鹿笛は、吹くと鹿の鳴き声とそっくりの音が出て、鹿を寄せ集めます。

  • 猟犬<br />よく訓練された犬は、鹿を深い雪の中に追い込んで自由を奪い、仕留めやすくします。<br />春の熊猟では、熊に吠え掛かって注意をそらして仕留めやすくします。<br />鮭を獲るのも得意で、1シーズンで700尾以上捕獲しました。

    猟犬
    よく訓練された犬は、鹿を深い雪の中に追い込んで自由を奪い、仕留めやすくします。
    春の熊猟では、熊に吠え掛かって注意をそらして仕留めやすくします。
    鮭を獲るのも得意で、1シーズンで700尾以上捕獲しました。

  • アイヌの宗教観<br />人間界に存在する動植物/物品/現象は、神々(カムイ)がそれぞれの衣装を着た仮の姿であると考えています。それぞれの神は、人間界へ下って丁重な扱いを受けると、霊界で自分の株を上げます。動物の命を奪うことは仮の姿から解放をした神が使命を果たして霊界へ戻れるようになり、感謝を込めて祀り供物を供え祈ることで神に土産物を持たせて神の国へ丁重に送り返すことを意味します(イオマンテ)。共存繁栄の関係です。その中でも大切なのが、秋の熊送りです。

    アイヌの宗教観
    人間界に存在する動植物/物品/現象は、神々(カムイ)がそれぞれの衣装を着た仮の姿であると考えています。それぞれの神は、人間界へ下って丁重な扱いを受けると、霊界で自分の株を上げます。動物の命を奪うことは仮の姿から解放をした神が使命を果たして霊界へ戻れるようになり、感謝を込めて祀り供物を供え祈ることで神に土産物を持たせて神の国へ丁重に送り返すことを意味します(イオマンテ)。共存繁栄の関係です。その中でも大切なのが、秋の熊送りです。

  • 死生観<br />アイヌの一生は火の神(アペフチカムイ)の加護の下で過ごします。死ぬと、あの世で先祖と共に暮らせるよう、火の神を介して送り出します。生前使用した品々をあの世でも使えるように、一緒に埋葬します。火の神は最も重要なカムイで、食事の前には囲炉裏へ供えることでアペフチを送ります。

    死生観
    アイヌの一生は火の神(アペフチカムイ)の加護の下で過ごします。死ぬと、あの世で先祖と共に暮らせるよう、火の神を介して送り出します。生前使用した品々をあの世でも使えるように、一緒に埋葬します。火の神は最も重要なカムイで、食事の前には囲炉裏へ供えることでアペフチを送ります。

  • 送りの儀式<br />動物だけでなく、生活用具/祭具が役割を終えた時、小動物に対しても儀式を行って神の国へ送り返しました(イワクテ)。

    送りの儀式
    動物だけでなく、生活用具/祭具が役割を終えた時、小動物に対しても儀式を行って神の国へ送り返しました(イワクテ)。

  • 交易の主体性<br />和人との交易はアイヌが主体性を持って行いましたが、15世紀に和人が北海道へ進出し蠣崎氏(松前藩の祖)が道内の各地に場所/番屋と呼ばれる交易所を設置し、不当なレートで取引します。18世紀以降は藩の御用商人が場所を請け負い、上川盆地にも番屋が存在しました。<br />※ペニウンクルの地域は1807-22年および1855年以降は幕府の直轄地となります。

    交易の主体性
    和人との交易はアイヌが主体性を持って行いましたが、15世紀に和人が北海道へ進出し蠣崎氏(松前藩の祖)が道内の各地に場所/番屋と呼ばれる交易所を設置し、不当なレートで取引します。18世紀以降は藩の御用商人が場所を請け負い、上川盆地にも番屋が存在しました。
    ※ペニウンクルの地域は1807-22年および1855年以降は幕府の直轄地となります。

  • 和人の経済支配<br />場所を請け負った商人(和人)は沿岸で鰊漁などを自ら行い、労働者としてアイヌを雇用しました。アイヌは、交易主から労働者へ陥落します。労働環境は非人道的なうえに賃金も僅かでした。特に石狩場所を仕切った阿部屋は、請負業者の中でもとりわけ悪質でした。

    和人の経済支配
    場所を請け負った商人(和人)は沿岸で鰊漁などを自ら行い、労働者としてアイヌを雇用しました。アイヌは、交易主から労働者へ陥落します。労働環境は非人道的なうえに賃金も僅かでした。特に石狩場所を仕切った阿部屋は、請負業者の中でもとりわけ悪質でした。

  • 経済力を失ったペニウンクルは、春の鰊漁のために出稼ぎに行きます。過酷な経済支配と和人が持ち込んだ天然痘によって、ペニウンクルの人口は600人から300人ほどに減少します。1819年に従来のシナ網(シナの内皮)に代わって糸網が採用されると、運上屋による漁業は大規模化し、ペニウンクルも150名以上が出稼ぎ小屋に寝泊まりしました。

    経済力を失ったペニウンクルは、春の鰊漁のために出稼ぎに行きます。過酷な経済支配と和人が持ち込んだ天然痘によって、ペニウンクルの人口は600人から300人ほどに減少します。1819年に従来のシナ網(シナの内皮)に代わって糸網が採用されると、運上屋による漁業は大規模化し、ペニウンクルも150名以上が出稼ぎ小屋に寝泊まりしました。

  • 明治以降<br />和人の価値観が適用され、女性の刺青/毒矢の使用/鮭漁/獣皮交易/アイヌ語の使用/熊送り等が法律等で禁止されました。1890年に旭川へ和人が組織的に入植すると、土地を取り上げられ「給与地」への移住と農業への従事が求められました。虐殺こそなかったものの、アメリカの先住民の受けた扱いと大差がありませんでした。長年の差別ゆえに、今もアイヌであることをカミングアウトできない人が大勢います。

    明治以降
    和人の価値観が適用され、女性の刺青/毒矢の使用/鮭漁/獣皮交易/アイヌ語の使用/熊送り等が法律等で禁止されました。1890年に旭川へ和人が組織的に入植すると、土地を取り上げられ「給与地」への移住と農業への従事が求められました。虐殺こそなかったものの、アメリカの先住民の受けた扱いと大差がありませんでした。長年の差別ゆえに、今もアイヌであることをカミングアウトできない人が大勢います。

  • 次に、和人ではなくアイヌ観点の展示を見に行きます。<br />

    次に、和人ではなくアイヌ観点の展示を見に行きます。

  • イタキシロマが1916年に開館したアイヌ記念館をルーツとする川村カ子トアイヌ記念館です。108年続く、日本最古のアイヌ博物館です。<br />和人入植に伴い、法の下に強制移住させられた「近文給与予定地」に建ちます。旭川を訪れた多くの和人は、好奇の目でアイヌ保留地を観光しに訪れました。大半は差別目線でしたが、和人にアイヌの事実を知ってもらいたいという願いで私財を投げ打ち開館しました。

    イタキシロマが1916年に開館したアイヌ記念館をルーツとする川村カ子トアイヌ記念館です。108年続く、日本最古のアイヌ博物館です。
    和人入植に伴い、法の下に強制移住させられた「近文給与予定地」に建ちます。旭川を訪れた多くの和人は、好奇の目でアイヌ保留地を観光しに訪れました。大半は差別目線でしたが、和人にアイヌの事実を知ってもらいたいという願いで私財を投げ打ち開館しました。

    川村カ子トアイヌ記念舘 美術館・博物館

  • 川村カ子(ね)トアイヌ(1893-1977)<br />お金を稼ぐ人を意味するカネトゥカアイヌという名前で、戸籍上はカ子トアイヌと表記します。内地で優秀な測量技師/現場監督として定年まで働き、父親イタキシロマ(言論が正しいの意)の意志を継ぎ、2代目館長になります。アイヌとして生まれ育ち、和人社会の只中でも生活し、どちらの目線も知っている人物です。<br />3代目館長は川村兼一(シンリツエオリパックアイヌ 1951-2021)、4代目館長は川村晴道(1999~)です。<br />

    川村カ子(ね)トアイヌ(1893-1977)
    お金を稼ぐ人を意味するカネトゥカアイヌという名前で、戸籍上はカ子トアイヌと表記します。内地で優秀な測量技師/現場監督として定年まで働き、父親イタキシロマ(言論が正しいの意)の意志を継ぎ、2代目館長になります。アイヌとして生まれ育ち、和人社会の只中でも生活し、どちらの目線も知っている人物です。
    3代目館長は川村兼一(シンリツエオリパックアイヌ 1951-2021)、4代目館長は川村晴道(1999~)です。

  • 余談ですが、川村兼一氏と結婚した久恵氏(1971~)は生まれも育ちも東京の和人です。<br />物騒/生態系に悪影響/残酷といった和人基準の判断で、毒や弓を使用する伝統的な狩猟(代わりに猟銃を支給)/鮭漁/熊送り等の伝統が次々と法律/条例によって禁止されました。日本名を持つこと/日本語の使用等、和人社会との同化が図られました。和人から見て、アイヌは原始的なものを引きずっているので、文明開化させるのは善とされます。

    余談ですが、川村兼一氏と結婚した久恵氏(1971~)は生まれも育ちも東京の和人です。
    物騒/生態系に悪影響/残酷といった和人基準の判断で、毒や弓を使用する伝統的な狩猟(代わりに猟銃を支給)/鮭漁/熊送り等の伝統が次々と法律/条例によって禁止されました。日本名を持つこと/日本語の使用等、和人社会との同化が図られました。和人から見て、アイヌは原始的なものを引きずっているので、文明開化させるのは善とされます。

  • 川村家は永山に住んでいましたが、屯田兵村建設地に指定されたことで移転を余儀なくされます。アイヌの土地観念を無視し、1891年にペニウンクルを近文地区500町歩の土地に集約移住させます(近文給与予定地)。道庁と大倉喜八郎の利権追及で、名寄に移住する旨の書類にサインさせるためにアイヌを騙そうとしますが、ペニウンクルは国に陳情し食い止めます。とはいえ、実際に渡されたのは166町歩で、しかも旭川町に引渡し、アイヌには給与されず貸与され戦後までもつれます。<br />ペニウンクルは逆境に直面してもあきらめず、アイヌのリーダーとして卓越した存在となります。

    川村家は永山に住んでいましたが、屯田兵村建設地に指定されたことで移転を余儀なくされます。アイヌの土地観念を無視し、1891年にペニウンクルを近文地区500町歩の土地に集約移住させます(近文給与予定地)。道庁と大倉喜八郎の利権追及で、名寄に移住する旨の書類にサインさせるためにアイヌを騙そうとしますが、ペニウンクルは国に陳情し食い止めます。とはいえ、実際に渡されたのは166町歩で、しかも旭川町に引渡し、アイヌには給与されず貸与され戦後までもつれます。
    ペニウンクルは逆境に直面してもあきらめず、アイヌのリーダーとして卓越した存在となります。

  • 敷地にはチセも建ちます。<br />屋根と壁は熊笹、柱は楢、梁や屋根の骨組みは柳です。<br />

    敷地にはチセも建ちます。
    屋根と壁は熊笹、柱は楢、梁や屋根の骨組みは柳です。

  • 入口小屋の対角には、神窓が設けられています。東(日が昇る方向)向きに設置され、高い山や川に向かって設置されることも多いです。<br />神窓の外には、ヌサワン(祭壇)が設けられ、イナウ(木幣)が立てられます。この場合は、家の守り神に捧げられます。イナウを作れるのは手先の器用な人間(アイヌ)だけで、カムイ(神)は自分で作れません。イナウを捧げることでアイヌの祈りがカムイに伝わり、カムイにとっては捧げられることで自分の株が上がります。<br />ペニウンクルは、イナウを山/土地/村/水/危難救い/幸運の神に対して祀ります。

    入口小屋の対角には、神窓が設けられています。東(日が昇る方向)向きに設置され、高い山や川に向かって設置されることも多いです。
    神窓の外には、ヌサワン(祭壇)が設けられ、イナウ(木幣)が立てられます。この場合は、家の守り神に捧げられます。イナウを作れるのは手先の器用な人間(アイヌ)だけで、カムイ(神)は自分で作れません。イナウを捧げることでアイヌの祈りがカムイに伝わり、カムイにとっては捧げられることで自分の株が上がります。
    ペニウンクルは、イナウを山/土地/村/水/危難救い/幸運の神に対して祀ります。

  • イナウは、ミズキやヤナギの表面を薄く削りだしたもので、白い木肌が特徴です。<br />祭壇に触ったり、神窓から中を覗き込むことはタブーです。

    イナウは、ミズキやヤナギの表面を薄く削りだしたもので、白い木肌が特徴です。
    祭壇に触ったり、神窓から中を覗き込むことはタブーです。

  • イクパスイ(捧酒箸)<br />漆器に入れられた酒はイクパスイの先端を浸し、イナウに付けることで神へ捧げます。一滴の酒は、カムイに届くと1樽分に化けます。イクパスイは舌を象徴し、祈りの言葉をカムイに伝える助けとなります。男性のみが使用する祭具で、裏には文様が彫られ、誰の祈りかが明瞭になるようにします。

    イクパスイ(捧酒箸)
    漆器に入れられた酒はイクパスイの先端を浸し、イナウに付けることで神へ捧げます。一滴の酒は、カムイに届くと1樽分に化けます。イクパスイは舌を象徴し、祈りの言葉をカムイに伝える助けとなります。男性のみが使用する祭具で、裏には文様が彫られ、誰の祈りかが明瞭になるようにします。

  • 屋内<br />中央には囲炉裏があり、火の神が祀られます。囲炉裏縁を踏んだり、囲炉裏内へ入ることはタブーです。火の神は、他の神々への祈りを仲介する大事な神です。

    屋内
    中央には囲炉裏があり、火の神が祀られます。囲炉裏縁を踏んだり、囲炉裏内へ入ることはタブーです。火の神は、他の神々への祈りを仲介する大事な神です。

  • 神窓横の宝壇には、シントコと呼ばれる漆塗りの大きな容器が飾られます。儀式の際は酒が入れられ、女性は蓋を叩いて歌を歌います。漆塗りの容器は、日本との交易で手に入れました。

    神窓横の宝壇には、シントコと呼ばれる漆塗りの大きな容器が飾られます。儀式の際は酒が入れられ、女性は蓋を叩いて歌を歌います。漆塗りの容器は、日本との交易で手に入れました。

  • エゾモモンガ(写真左)は、子供の神でした。真ん中はおしゃぶりです。屋内で子供はゆりかごに載せて、その横で母親は針仕事などを行いました。

    エゾモモンガ(写真左)は、子供の神でした。真ん中はおしゃぶりです。屋内で子供はゆりかごに載せて、その横で母親は針仕事などを行いました。

  • 手前がゆりかごで奥が葬儀用の着物

    手前がゆりかごで奥が葬儀用の着物

  • 死者を背負うための縄/遺体に被せる布/葬式用の着物、いずれもアイヌ語では一つの単語で表現できます。墓地は、トゥシリといいます。

    死者を背負うための縄/遺体に被せる布/葬式用の着物、いずれもアイヌ語では一つの単語で表現できます。墓地は、トゥシリといいます。

  • 男性の仕事<br />狩猟/漁撈/交易/神々への祈りを担いました。家族/村の代表として、それらを守る役割も期待されました。雄弁/勇気/威厳/手先の器用さを兼ね備えた人物が合議の上で村長に選出されます。<br />女性の仕事<br />農耕/採集/家事/織物などを担いました。

    男性の仕事
    狩猟/漁撈/交易/神々への祈りを担いました。家族/村の代表として、それらを守る役割も期待されました。雄弁/勇気/威厳/手先の器用さを兼ね備えた人物が合議の上で村長に選出されます。
    女性の仕事
    農耕/採集/家事/織物などを担いました。

  • 狩猟<br />危険の伴う男性の仕事で、懐には危難救いの神として蝦夷鼬(エゾイタチ)の剥製をお守りとして懐に入れました。写真では、イナウキケを巻いています。

    狩猟
    危険の伴う男性の仕事で、懐には危難救いの神として蝦夷鼬(エゾイタチ)の剥製をお守りとして懐に入れました。写真では、イナウキケを巻いています。

  • アマック(仕掛弓)猟<br />明治9年に禁止、狩猟免許と猟銃使用が義務付けられます。<br />鮭漁は、明治12年に禁止されます。

    アマック(仕掛弓)猟
    明治9年に禁止、狩猟免許と猟銃使用が義務付けられます。
    鮭漁は、明治12年に禁止されます。

  • 弓<br />弾力性のあるイチイの木を使用、桜の皮を巻いて弾力性を更にアップさせることもあります。


    弾力性のあるイチイの木を使用、桜の皮を巻いて弾力性を更にアップさせることもあります。

  • 熊猟<br />冬眠で穴籠りしている時期が最も安全です。少し日が延びて暖かくなって雪が締まってきたら猟に出ます。<br />

    熊猟
    冬眠で穴籠りしている時期が最も安全です。少し日が延びて暖かくなって雪が締まってきたら猟に出ます。

  • 山の神<br />熊の呼び名はアイヌ語で80種類もあり、特別な存在です。最もポピュラーな呼び名は山にいる神を意味するキムンカムイです。熊猟は、山の神をお迎えに行くという感覚です。仕留めた熊は、その場で儀礼を行い(カムイホプニレ)、魂を神の世界に帰します。

    山の神
    熊の呼び名はアイヌ語で80種類もあり、特別な存在です。最もポピュラーな呼び名は山にいる神を意味するキムンカムイです。熊猟は、山の神をお迎えに行くという感覚です。仕留めた熊は、その場で儀礼を行い(カムイホプニレ)、魂を神の世界に帰します。

  • 熊送り(イヨマンテ)<br />冬眠期間の1月に子熊が生まれます。熊猟で子熊がいると、山の神から授けられた賓客とみなし、村へ連れて帰って飼育します。家の女主人の母乳を飲んで育ち、我が子のようにかわいがります。丸2年がたつと、熊送りを三日三晩行います。子熊の魂を、本当の母親が待つ神の世界へ帰す儀式です。

    熊送り(イヨマンテ)
    冬眠期間の1月に子熊が生まれます。熊猟で子熊がいると、山の神から授けられた賓客とみなし、村へ連れて帰って飼育します。家の女主人の母乳を飲んで育ち、我が子のようにかわいがります。丸2年がたつと、熊送りを三日三晩行います。子熊の魂を、本当の母親が待つ神の世界へ帰す儀式です。

  • 農耕/採集<br />キハダの実は食用のみならず、胃腸/風邪/喘息の薬としても処方。<br />ホオノキの実は、煎じて茶にします。<br />クルミは食用以外に、真っ赤に焼いたものを湯に入れると風邪薬になります。<br />粟と稗は畑作で、雑穀は食用のみならず酒の原料ともなります。

    農耕/採集
    キハダの実は食用のみならず、胃腸/風邪/喘息の薬としても処方。
    ホオノキの実は、煎じて茶にします。
    クルミは食用以外に、真っ赤に焼いたものを湯に入れると風邪薬になります。
    粟と稗は畑作で、雑穀は食用のみならず酒の原料ともなります。

  • 採集<br />藪豆は地下の果実を食用にします。<br />エゾエンゴサクの塊茎は、澱粉質が豊富です。<br />ヒトリシズカの葉は、茶にして飲んで魔除けします。<br />行者大蒜は、食用兼万能薬。<br />コウホネの根茎は、アク抜きして食用にします。<br />ひしの果実は、食用以外に胃下垂の薬にもなります。

    採集
    藪豆は地下の果実を食用にします。
    エゾエンゴサクの塊茎は、澱粉質が豊富です。
    ヒトリシズカの葉は、茶にして飲んで魔除けします。
    行者大蒜は、食用兼万能薬。
    コウホネの根茎は、アク抜きして食用にします。
    ひしの果実は、食用以外に胃下垂の薬にもなります。

  • 採集<br />ウバユリの球根は、澱粉を抽出します。左は一番粉、右が二番粉。右の円盤は、潰して発酵させて長期保存に適したもの。

    採集
    ウバユリの球根は、澱粉を抽出します。左は一番粉、右が二番粉。右の円盤は、潰して発酵させて長期保存に適したもの。

  • 繊維<br />写真は、ニレ科のおひょうの内皮が原料の繊維。外皮を剥いで内皮を採取し、7-10日程水に浸し、内皮1枚1枚が剥がれるようにします。陰干しした後に割いて糸のようにします。原料は、地域によって異なります。

    繊維
    写真は、ニレ科のおひょうの内皮が原料の繊維。外皮を剥いで内皮を採取し、7-10日程水に浸し、内皮1枚1枚が剥がれるようにします。陰干しした後に割いて糸のようにします。原料は、地域によって異なります。

  • アットゥシ(布/着物)<br />いざり機(写真左)で布を織り、着物に仕立てて刺しゅうを施します。数カ月かかります。樹皮衣は水に濡れても纏わり付かず、漁師たちが重宝したために、交易品としても製作されました。

    アットゥシ(布/着物)
    いざり機(写真左)で布を織り、着物に仕立てて刺しゅうを施します。数カ月かかります。樹皮衣は水に濡れても纏わり付かず、漁師たちが重宝したために、交易品としても製作されました。

  • 着物<br />交易で手に入れた木綿を仕立てて普段着にしました。

    着物
    交易で手に入れた木綿を仕立てて普段着にしました。

  • 御座<br />蒲の茎を織ります。敷くだけでなく住居の壁に掛けて防寒の役割を果たします。文様を入れていないものは敷物といいます。

    御座
    蒲の茎を織ります。敷くだけでなく住居の壁に掛けて防寒の役割を果たします。文様を入れていないものは敷物といいます。

  • ニンカリ(耳輪)<br />男女ともに幼い頃から、耳たぶに穴を開けて着用しました。<br />1871年(M4)に開拓使による「土人への告諭」で男性の耳環は禁止されます。

    ニンカリ(耳輪)
    男女ともに幼い頃から、耳たぶに穴を開けて着用しました。
    1871年(M4)に開拓使による「土人への告諭」で男性の耳環は禁止されます。

  • 刺青<br />成長と共に、徐々に入れていきます。女性は唇が特徴で、結婚に伴い完成します。手には、結婚後に入れます。1871年(M4)に開拓使による「土人への告諭」で女性の刺青は禁止されます。

    刺青
    成長と共に、徐々に入れていきます。女性は唇が特徴で、結婚に伴い完成します。手には、結婚後に入れます。1871年(M4)に開拓使による「土人への告諭」で女性の刺青は禁止されます。

  • おまけ<br />北海道土産として定番の鮭を咥えた熊の木彫りは、近文コタンで誕生しました。藤戸竹喜/砂沢ビッキ2代巨匠の作品等が展示されます。生計手段を奪われたアイヌが自活する活路の一つとなります。ほかにも伝統文化の保存/発信にも積極的です。<br />次は、士別へ向かいます↓<br />https://4travel.jp/travelogue/12003211<br />

    おまけ
    北海道土産として定番の鮭を咥えた熊の木彫りは、近文コタンで誕生しました。藤戸竹喜/砂沢ビッキ2代巨匠の作品等が展示されます。生計手段を奪われたアイヌが自活する活路の一つとなります。ほかにも伝統文化の保存/発信にも積極的です。
    次は、士別へ向かいます↓
    https://4travel.jp/travelogue/12003211

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