2025/07/31 - 2025/07/31
144位(同エリア1421件中)
mistralさん
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千葉県立美術館で高島野十郎展を見てきた友人が、素晴らしい展覧会だった
とLINEで知らせて下さった。
どんな画家さんかも知らず、たまたま近くまで行く用事があり、帰りに
何の気なしに立ち寄った。
入場料もシニアは無料と言われ、それにもびっくり。
今回は高島野十郎展としては最大規模の展覧会だったようで
次々と続く広い会場には、野十郎さんの作品がたくさん。
東京帝国大学農学部を主席で卒業された方だったが、絵の道を選ばれた。
天皇から授与される「恩賜の銀時計」の候補者にもあがっていながらの
辞退されての転身だったそう。
当時の画壇には所属されず、孤高の画家として作品を描き続けた。
しかし孤独ではなかった、と展示室のパネルに書かれていた。
こうして大規模な展覧会を開催されるには、個人的な繋がりがあって
贈呈された彼の作品を、世代を超えて大切にしてこられた多くの人々の
ご協力があってのことと想像した。
結局1回目の見学では思い通りの写真が撮れず、再訪をしてきました。
今回の旅行記は、自身の記録として残しておきたいと思いました。
写真に添えられたコメントは、展覧会での説明パネルを元にして
要約したり、あるいはそのまま載せさせていただきました。
千葉を皮切りとして、この後各地を巡回していくようです。
ご興味を持たれた方は是非とも足を運ばれてみてください。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
千葉県立美術館です。
背後に見えているのは千葉ポートタワー。
駐車場は向かって左手に。
木立の下、影になっている場所は
当日はすべて駐車されていた。 -
「高島野十郎展」に行ってきたが、とても素晴らしかった
との友人からのコメントを聞いて
一度目は、ちょっと先にある車のメーカーのショールームでの
点検帰りに立ち寄った。
その折に驚いたことだが、 -
内部は
一部の絵画を除いて
撮影が可能となっていた。 -
一回目は、これと思う絵を少し撮影してきただけだったが、
再度撮影をかねて出向くことにした。
今回は二度目の訪問。
静かな作品が多かったが、画家のほとばしるような情熱
ひたむきな想いなどが一点一点から感じられる作品も多く
もう一度見てみたいと思った。 -
最初に「高島野十郎」という名前を聞いたときには
だれ?と思った。
会場に入ると、そんな人へおあつらえ向きのタイトルがあった。
彼の絵が世に知られるようになったのは、彼の没後10年がたった
昭和61年のころだそう。
<プロローグ>より抜粋します。
明治23年(1890年)福岡県久留米市の酒造業の家に生まれた野十郎
名古屋の旧制第八高等学校(現・名古屋大学)を経て
東京帝国大学(現・東京大学)農学部水産学科を主席で卒業
周囲の期待に反して画家への転進の道を選ぶ。
しかし美術団体に所属することもなく
生涯独身でとおし、渋谷・青山で長く過ごしたが
70歳をすぎるころ、千葉県柏市の田園の中にアトリエを建てた。 -
<青年期>
野十郎の本名は「彌壽(やじゅ)」という。
生家は地元でも良く知られた資産家だったようだ。
少年時代から絵を描くことに熱中、
しかし学業にも秀でていた。
写真左から
明治36年 高嶋家の兄弟。右から2人目が野十郎
明治42年 旧制中学卒業の頃。絵筆を持っている
明治45‐大正5年 東京帝国大学在学の頃 -
「絡子(らくす)をかけたる自画像」
大正9年
福岡県立美術館
野十郎29歳の時の自画像
絡子とは禅宗で用いられる法衣の一種だそう。
兄・宇郎が禅宗の信仰が篤かったそうで
その影響だとみられている。
強い眼差しでまっすぐ前を見つめている自画像は
当時野十郎が憧れていた、アルブレヒト・デューラーの
影響だとみられているそう。 -
「壺とりんご」
大正12年
福岡県立美術館
当時憧れていたフィンセント・ファン・ゴッホの影響が
あると想像できる背景。 -
<渡欧期・戦前期>
昭和5年、ニューヨーク経由でヨーロッパへ。
活動の拠点をパリに定めた。
昭和8年、帰国
久留米の実家の一角に「椿柑竹(ちんかんちく)工房」という
名のアトリエを建てる。
昭和11年、上京。北青山で暮らすが、東京大空襲で被災
姉・スエノの嫁ぎ先の八女市に終戦直前に疎開した。
この戦前期の画風は
緻密に描きこむ写実的な画風は渡欧前と変わっていないが
比べると、明るい色彩が使われるようになっているようだ。
「ノートルダムとモンターニュ通」
昭和7年ごろ
福岡県立美術館
アパルトマンの最上階の部屋から描かれたもののようだ。 -
「からすうり」
昭和10年
福岡県立美術館
「蝋燭」や「月」と並んで、野十郎芸術を象徴する主題となっている。
ヨーロッパから帰国後、久留米の実家の庭に建てた「椿柑竹工房」で
生まれた作品だそう。 -
<戦後期・柏時代>
終戦から数年のちに上京し青山で暮らしていたが
昭和36年、柏市に移り住む。
ベッドや家具などを自分で製作、電気も水道もない生活
の中、描き続けた。
静かな田園地帯を、ここは人っこ一人通らず、私にとっては
「パラダイス」と呼ぶほど気に入っている、とアトリエを
尋ねた友人・川崎浹(早稲田大・教授)に語ったそう。
戦後期に描かれた風景画は細部を描き尽すことにこだわり
対象のすべてに焦点を合わせているかのようだった。
「春の海」
昭和27年
福岡県立美術館
筑後川の河口に広がる有明海の干潟の景観が描かれている。
遠くに春霞に煙ったように見える柔らかな山並みは雲仙岳だそう。
他にも同じ場所を描かれた作品はあるようだが、個展で発表された後
本作品は野十郎が亡くなるまで手元に置かれていたそうだ。 -
「すいれんの池」
昭和24年
福岡県立美術館
現存する作品の中では最大級の作品。
新宿御苑で取材したそうだ。
昭和55年福岡県で開催された「近代洋画と福岡県」展
に初めて出品されて高島野十郎という無名だった画家の
存在に初めて光が当てられた作品だそう。 -
「雪晴れ」
昭和33年
福岡県立美術館 -
会場の一室の様子
-
「けし」
昭和42年以降
福岡県立美術館
個展で発表されたときには右隅に黄色い花が描かれていたそうだが、
後にそれが消されてケシが加筆されたそうだ。
ケシの花の一本一本が整列して上へ上へと伸び上がろうとしているようだ。 -
「有明の月」
昭和36年以降
福岡県立美術館
晩年、千葉県柏市の静かな田園地帯で暮らすようになってから
月の作品の描き方には徐々に変化が見られていったそうだ。
最初は月夜の風景を描いていたが、だんだんに周囲の風景は描かれ
なくなり、ただ暗闇に輝いている満月だけを描くようになっていった。 -
「月」
昭和37年
福岡県立美術館
月のみが描かれた作品は他には例があまりなく、野十郎の芸術性を象徴するような作品群となっている。
野十郎によれば、月そのものではなく、むしろその対極にある闇を描きたかったそうだ。
闇を描くという野十郎の挑戦は、その後も生涯にわたって追求されていった。 -
「蝋燭」
昭和23年以降
福岡県立美術館
蝋燭の作品は、今回の展覧会に多く見られるモチーフ。
ほとんどがサムホールという非常に小さな画面に描かれている。
親しい友人たちに感謝の気持ちとともに手渡された贈り物だったそう。 -
第1章 時代とともに
「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と
精進です」と知人への手紙に書き記している。
それでも世の流れから孤立していたわけではなかった。
明治末期日本の若い画家のこころを惹きつけたゴッホに
野十郎も多大な影響を受けている。
「ひまわり」
大正時代ごろ
三鷹市美術ギャラリー -
「田園太陽」
昭和31年
個人蔵
太陽は絵の具の存在感を生かして
盛り上げるようにして描かれている。
若き日に傾倒したゴッホへの影響がみられる作品。
野十郎が若き日に憧れ、傾倒したファン・ゴッホへの回帰が、その後の彼の作品の
自画像や風景、静物にと波うつような描写として読み取れるそうだ。 -
草土社を結成した岸田劉生らの画家たちの細密な写実描写
は、野十郎にも多大な影響を与えているそうだ。
岸田劉生
「静物画(物質可愛)」
大正12年
刈谷市美術館 -
岸田劉生らの細密描写の影響を受けたと想われる野十郎の作品が
続いていた。
「鉢と茶碗」
大正11年
個人蔵 -
野十郎と岸田劉生や草土社をつなぐ資料は残っていないが
細密描写や光の表現、構図などを見ると、受けた影響が
多大なものであることは明らかだ。
草土社展の会場となった三会堂は、野十郎にとっても縁の深かった
大日本水産会の事務所でもあった。
「静物」
大正14年
福岡県立美術館 -
大学時代の恩師や友人たち
野十郎は東京帝国大学農学部水産学科3年次と4年次は特待生に選ばれ、首席卒業の上、天皇から授与される「恩賜の銀時計」の候補者にも挙がっていながら、辞退して画家へと転身する。野十郎のこの進路変更は、教員にも学生にも強い驚きと印象を与えたことだろう。その後も同級生たちは野十郎と長きにわたって親密な交友関係を続け、野十郎の画業の理解者、支援者となった。教員やOBたちの推薦や理解があったからだろうが、画家としては無名に近い野十郎に、恩師の水産学科教授たちの肖像を描く機会も与えられている。
人物画を描くことの少なかった野十郎だが、作品からは恩師への深い敬愛が偲ばれるとともに、水産学科関係者が野十郎に寄せた深い友愛と信頼が伝わっ てくるようだ。
市川霊園(千葉県市川市)にある野十郎の墓(写真)
大学同級生の大橋祐之助が墓石の材や意匠を取り図った。 -
「りんごを手にした自画像」
大正12年
福岡県立美術館
33歳で描いた自画像
袈裟を身に着け、林檎を右手に持ち、左手は印を
結ぶような仕草で描かれている。 -
「ひまわりとリンゴ」
大正時代期
個人蔵
躍動的筆づかいからはゴッホへの憧憬が垣間見られる。
しかしゴッホの作品にはひまわりとリンゴを組み合わせたものはないそうだ。
自ら愛しているリンゴを書き加えたのは野十郎のオリジナルだろう。
3歳上の姉、スエノが病気療養のため入院中にお見舞いとして送った葉書に、この作品のデッサンが描かれている。そして無事退院後に、この作品がスエノへ贈られたそうだ。 -
第2章 人とともに (掲載されていた文面より)
野十郎は、洋画家・大内田茂士以外とは画家との付き合いは殆どなく、
人間嫌いともいえる生活だった。
それでも、野十郎の絵を愛し、彼の生き方に共感する人々は
多くいたようだ。
中には親子三代にわたって交流が続いた人もいたようだ。
こういった人たちによって、画壇では無名だった野十郎の絵が
大切に守られ、一人暮らしの生活ぶりや考え方などが世に
伝えられてきている。
「孤高の画家」ではあったが「孤独の人」ではなかった。
「外山亀太郎先生像」
昭和16年
東京大学大学院農学生命科学研究科生産・環境生物学専攻
外山先生は遺伝学の分野で活躍した農学博士。
東京帝国大学卒業後、野十郎は学問の世界からは離れたが
子弟関係はずっと続いていたのかもしれない。
(どこから撮っても回りが写り込んでしまいました) -
柏の人たち
青山の家から立ち退くことになった野十郎は
柏市増尾の田園の中にアトリエを建てた。
伊藤武は野十郎の面倒をみてくれた人々の一人。
野十郎が肥料や農薬などの知識が豊富で、野菜などの栽培に
長けていたことに驚き、「画家さん」と親しく呼んでいた。
(こちらの絵も、ガラスで覆われた内部に展示されていて
周囲の映り込みが多くあります。) -
奥山教子は、野十郎の旧制第八高等学校時代の友人の娘。
亡くなった父親がわりに、野十郎を慕っていたそうだ。
奥山と野十郎との手紙のやり取りなどを通して
柏のアトリエの様子、秩父での写生旅行などに
ついて知りえる貴重な手がかりとなっている。 -
「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です。」
と書かれた手紙も見られる。 -
柏のアトリエにもおいで下さいと
書かれている手紙。 -
アトリエまでの詳細な道順の絵図が
添えられていたようだ。 -
家族との関わりでは
長兄で詩人の宇郎は禅宗に帰依し、野十郎の精神形成に大きな影響を与えた。
家業を継いだ次兄の賢太からは学生時代や欧州遊学の経済的援助を受け、兄の三郎からは欧州滞在時における連絡役や作品頒布での支援を受けていた。
姉スエノの嫁ぎ先に、終戦前後、東京から疎開。若くして死去した弟の喜六には闘病中の看護、没後の世話などをしていた。
生涯独身だった野十郎は、このように家族から物心両面にわたり恩恵を受けつつ、親身に接していたため、後年には甥や姪たちから「おっちゃま」と呼ばれ慕われたそうだ。
「煙草を手にした自画像」
戦前期
福岡県立美術館
野十郎は大正7年から何年間か、渋谷常盤松にあった東京農業大学で非常勤講師をしていたことが最近になって判明。背広姿や背景の書物などから非常勤時代の作品と考えるのなら、袈裟姿の2枚の自画像に先行する作品である可能性があるそうだ。 -
「筑後川遠望」
昭和24年頃
福岡県立美術館
満開の桜の華やぎと、春霞たなびく風景との対照。
野十郎の産まれ故郷・久留米を描いたのはこの絵が唯一だそう。
ここ小高い場所からは野十郎の生家のあたりも見渡せたようだ。 -
「秋の花々」
昭和28年
個人蔵
背景は雲仙岳と有明海の干潟だそう。
秋を彩る花々は、ハゲイトウ、カンナ、コスモスなど。
知人を頼って福岡に長期滞在していた折の作品だそう。
個展に出品されたのち、大学時代の友人の手に渡ったもの。 -
展示室の一室
-
「朝霧」
昭和16年
個人蔵
朝霧で景色がかすむ初冬の山道を描いた作品。
朝霧で濡れた枯草の様子、道の黒土などの様子、
水蒸気をたっぷり含んだ冷気を思わせる感覚など
が細やかに描かれている。
形として現れていないものを表現する野十郎の本領が
発揮されている作品だそう。 -
展示室を歩きながら
むせぶような緑の中に佇む彫刻などの
作品を目にすることができる。 -
「照る海」
昭和10年代
個人蔵 -
「夕月」
昭和36年頃
個人蔵
野十郎はこの頃、柏市に移り、人里はなれた田園にアトリエを建てて暮らし始めた。
本作はその最初の頃に描かれた作品で、今でも柏の人に愛蔵されている。 -
「夏雲」
昭和23-34年
個人蔵
画面の半分以上を占める空にもくもくと勢いよく
立上る入道雲。
一本の道は画面奥まで続いていて、視線を奥へと導いている。
野十郎は道のある風景を好んで描いているそうだが
選ばれるのはどこにでもあるような風景の中にある
名もなき野の道。 -
「初夏の野路」
昭和30年頃
福岡県立美術館
道のある風景を丁寧な筆遣いで描いている。
どこにでもありそうな平凡な風景であるが、かえって
絵を見る自分自身の記憶の中にある、いつかどこかでみた
風景を呼び覚ますようだ。 -
第4章 仏の心とともに
野十郎は兄・宇郎の影響からか、青年時代から仏教に傾倒。空海の真言密教に接近したり、四国や秩父の札所巡りに度々出かけたりし、仏教への関心を持ち続けていた。
蝋燭、太陽、月といった野十郎芸術を特徴づけている光と闇を描き尽す作品群にも、仏という存在と思想が暗示されていたと想われる。
「寧楽の春」
昭和28年
福岡市美術館
新緑の松や満開の枝垂れ桜とつつじの花が、「凍れる音楽」と絶賛される東塔への供華のように描かれている作品。 -
「雨 法隆寺塔」
昭和40年
個人蔵
この作品は
完成までに17年を要したそう。 -
近接して撮影すると
雨の一筋一筋が細かく描かれている。 -
エピローグ 野十郎とともに
一つ一つの作品を細部まで味わい尽くし、野十郎がそこに込めようとしたものに想像をめぐらせることで、改めて野十郎の眼差しや、絵描きとしての在り方を追体験してほしい、とのメッセージが書かれていた。
「冬の地蔵」
昭和23年頃
個人蔵
地蔵が雪の中にぽつんと取り残されたように立つ。
まるで昔話に登場するお地蔵さまのよう。
なにか物語が始まるような予感を感じさせられる。
野十郎は、寺院を描くことがあっても、仏像を描くことは
なかったそう。あえて言えば、雪に埋もれたこの野仏ぐらい。 -
「廃屋」
昭和23年以降
個人蔵
茅葺屋根には緑の雑草が生え、縁側の庭先には
誰もいない中、赤い花が咲き誇っている。
野十郎の目に写っていたのは、人の命のはかなさと、
自然の移り変わりだったのだろうか。 -
蝋燭
じっと見つめれば見つめるほど
炎が立ち上る様子がリアルなものとして
見えてくる。 -
さまざまな「蝋燭」
すべて個人蔵 -
「太陽」
昭和42年
福岡県立美術館
前景の暗がりの中には、夕日の残光を受けて揺れる白いススキが見えている。 -
「満月」
昭和38年頃
東京大学医科学研究所
(掲げられている説明文をそのまま載せます。)
漆黒の闇に輝く満月を画面の中心に描いている。 光は闇へ向かって放たれるが、次第に闇の中に消えてゆく。光と闇は相関関係にあり、光の明るさと闇の深さが両者を一層際立たせている。月を取り囲むかのように差し挟まれているのは、月に照らされた樹木のシルエットである。交錯する光と闇を描き出す月の作品は、蝋燭や太陽 と並んで野十郎芸術の真骨頂であり、絵に刻み込まれた永遠の光は、画面を越えて我々の心を照らし出してくれる。 -
1952年
撮影は片山攝三氏によるもの。 -
最後の展示室から出て、入り口までまっすぐに見通せる通路。
ちなみにここ県立美術館は竣工から50年を経ていて、
展示棟は建築家 大高正人氏の初期の美術館の秀作として
国の登録有形文化財に登録されたそうです。
(令和7年8月6日 官報告示) -
売店近くにあった作品
「風の肖像」
昭和50年
中島幹夫(1933~) -
-
-
駐車場からの出口近くに置かれていた彫像。
このような作品があちこちにみられた。 -
8月10日
雨の中、市川霊園へお盆の前にお墓参りに。
(実はmistralの家の墓地もここにあります。)
今回初めて高島野十郎さんのお墓があるということを
知ったが、広い霊園内でどうやって探せるのか、
と思いつつ霊園管理事務所に立ち寄って伺ったら
なんとお墓の在処がわかるマップを下さった。
(区画は8街区にある。)
時々著名人のお墓を訪ねる方がいらっしゃるので
用意しています、とのことだった。 -
お墓には墓誌もなく
高島野十郎という名前も消えかかっていた。
もとは貝殻にお線香を置いていた?
お線香立ては後から設置されたのか?
どなたかが手向けられたお花がまだかすかに元気だった。
生涯独身で、家庭を築かず、最期は老人ホームで一生を終えた。
自然死を理想としていたそうで、死の直前には「本当は誰も
いないところで野たれ死にをしたかった」と涙したという。
享年85。
画家を志してから他界するまでの60年間、画家としての道一筋を
生きた人生だった。
辞世の句
「花も散り 世は何事もなくひたすらに
ただ明々と 日は照りており」
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この旅行記へのコメント (12)
-
- しにあの旅人さん 2025/09/12 20:07:07
- パリを思い出しました。
- 私もこの画家のことは何も知りませんでした。
「ノートルダムとモンターニュ通」はなんとなく見たことがある景色です。
Rue de la Montagne Ste Genevièveだと思いますが、このあたりリセ・ルイルグランの裏手で、パリについて地方に行く前1ヶ月間、私もよくうろつきまわりました。
私の宿は2ブロック西のRue saint-jacquesでした。
同じようなダラダラ坂をあがる地形でした。
もうちょっとムフタール寄りに友人が住んでいました。彼も絵描きで、6階エレベータなし屋根裏部屋でした。ただし裏庭に面していて、ノートルダムなどと言う贅沢な景色は見えませんでした。
1930年(昭和5年)から3年間だと、1926年に渡仏した荻須高徳と重なります。荻須も最初はこのあたりに住んだはずです。
おそらく2人は会っているでしょうね。
当時の在留日本人は300人くらいだったと聞いております。たぶんかなりが絵描きまたは画学生。
そういえばこの絵、なんとなく荻須の絵に似ています。
もっと繊細かな。
パリの街角の絵は多かれ少なかれ、こんなふうになります。
アパルトマンの最上階というと屋根裏部屋ですね。多分屋根の勾配に沿って傾いた壁、マンサルデから突き出た出窓でしょう。
ジェラニウムらしき花が前景にあります。パリでよく見かけました。
ムフタールは私のころ、つまり1970年代は観光客もいなくて、小汚いけれど、安くておいしいビストロがいっぱい並んでいました。
1930年代だともっと穢かったでしょうが、安かったでしょうね。
楽しいパリ暮らしを楽しんだだろうと、想像しました。
久しぶりにパリを思い出しました。
- mistralさん からの返信 2025/09/13 22:27:39
- RE: パリを思い出しました。
- しにあの旅人さん
こんばんは。
コメントをありがとうございました。
パリの懐かしい通りの名前が出て来ますと、きっと当時の記憶へとタイムスリップされることでしょうね。
しにあさんご夫妻は長らくお暮らしでしたから、一層そうだろうなと思います。
Tour Saint-Jacqueあたりから始まる「Rue saint-jacques」という通りをパリで見つけた時には、パリあたりからスペインの巡礼道を歩こうとする巡礼者は、この辺りからはるばると歩き始めたんだと、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで想いを馳せつつ思ったことでした。
私は最後の100キロしか歩けませんでしたが、そう思ったのは実際に歩いたときより前のことでした。
地名や通りの名前には、不思議ですけど、様々な記憶と繋がっていますね。
> もうちょっとムフタール寄りに友人が住んでいました。彼も絵描きで、6階エレベータなし屋根裏部屋でした。ただし裏庭に面していて、ノートルダムなどと言う贅沢な景色は見えませんでした。
> 1930年(昭和5年)から3年間だと、1926年に渡仏した荻須高徳と重なります。荻須も最初はこのあたりに住んだはずです。
私もその絵を見た時に、荻須のことを思い出していました。
そうでしたか!時期は重なりますね。
ノートルダムが見える地というと、一応はお家賃もそれなりだったんでしょうね。
野十郎さんは、ご実家からの援助を受けてパリへ渡っておられますから、当時の画家さんとしましたら恵まれていたことでしょう。
> アパルトマンの最上階というと屋根裏部屋ですね。多分屋根の勾配に沿って傾いた壁、マンサルデから突き出た出窓でしょう。
> ジェラニウムらしき花が前景にあります。パリでよく見かけました。
勾配天井のあるお部屋(屋根裏部屋)にも泊まったことがあります。
旅行者にとっては一層旅情をかき立てられる設定です。
マンサード窓とゼラニウムときたら、更に嬉しくなりますね。
> ムフタールは私のころ、つまり1970年代は観光客もいなくて、小汚いけれど、安くておいしいビストロがいっぱい並んでいました。
> 1930年代だともっと穢かったでしょうが、安かったでしょうね。
> 楽しいパリ暮らしを楽しんだだろうと、想像しました。
> 久しぶりにパリを思い出しました。
野十郎さんの一枚の絵から様々な記憶が溢れ出てきて、その思い出を伺えて良かったです。
mistral
-
- pedaruさん 2025/08/28 06:34:55
- 画家の生き方
- mistralさん おはようございます。
コメントしようと気になっておりました。時間の経つのは速くて、やっと書けるようになりました。
数ある画家のなかで、こうして取りあげられ、人に感銘を与える人は、ほんの一握り、真珠でいえば花玉のような物です(笑)。
家族も持たず、一生独身で、絵にだけ人生をかけて来た人なんですね。
現代日本でも、すばらしい作品を残しながらも、絵だけで生活できる人はほとんどいませんね。画家は貧乏しても絵だけを描ければ満足という人が大半です。
高島野十郎と言う画家をご紹介くださってありがとうございます。彼の描く絵は、我々年代の人が理解でき、心を打たれるものを持っています。
友人に絵を描く男がいましたが、あるとき月夜の景色を見せてもらいました。
月夜の美しさは、絵筆を持たせずにはいられないほどの魅力があります。しかし、表現は難しく、見事失敗していました(笑)。
猛暑でどこへも出かけないのですが、なんとか千葉美術館に行きたものです。そして
misitralさんのように市川霊園にも行きたいです。
pedaru
- mistralさん からの返信 2025/08/28 08:41:40
- Re: 画家の生き方
- pedaruさん
おはようございます。
お忙しい中、コメントを頂きましてありがとうございました。
毎日、涼しい秋が待ち遠しいことです。
花玉真珠という言葉をはじめて伺いました。
さすがジュエリーづくりをされておられるpedaruさんからの
お言葉に、野十郎さんの存在がひときわ輝いてきたように感じられました。真珠の輝きは、他の宝石の輝きとは違っていて、その輝きを真珠になぞらえられたpedaruさんは、さすがと想いました。
生涯を独身で通された野十郎さんでしたが、不思議なことに多くの方々との関わりをお持ちだったようです。
生前は絵を生業とされることは難しかったのでしょうが、ご兄弟の方々からの支え、関わられた方々からの交流などにも恵まれた人だったようです。
一点の蝋燭の絵を仕上げるには2年近くかかっていたとか。
そんな絵でさえ出来上がるとどなたかに差し上げてしまわれた野十郎さん。
だからこそ今回のような大規模な展覧会が開催できたことと思いました。
個人蔵とされる絵が結構多かったんです。
義父が亡くなった折に、市川霊園にお墓を造ったのは、義母でした。近くのお寺さんとの交流は両親ともにあったのですが、自身はクリスチャンでしたから、そこに墓地を造るには躊躇いがあったのかもしれません。それでも葬儀は元ご住職にお願いしました。その後、色々考えた結果、檀家にしていただいたのは夫でした。
野十郎さんのお墓は、雨の中でひっそりと佇んでいました。
生前の野十郎さんの生き方を想わせるような佇まいでした。
是非とも展覧会へも足をお運び下さいませ。
そしてできましたら旅行記にして下さい。
pedaruさんの野十郎さんの旅行記を拝見したいです。
mistral
-
- 川岸 町子さん 2025/08/14 07:36:54
- 初めて知りました。
- mistralさん、おはようございます(^o^)
知らないことが、なんて多いのかと思います。
初めて知った画家てす。
人物画は、まるで写真のように生き生きと、額縁から出て来そうな感じですね。
ありのままを描いて、ここまで実写できるなんて!
雨の法隆寺五重塔、近くで雨だれを見たくなります。
雨の線のうつくしさ、見事ですね!
からすうりや、けし、秋の植物など、植物の絵が私好みです。
お墓を訪ねられたとのことで、mistral さんらしい優しさが伝わります(^-^)
町子
- mistralさん からの返信 2025/08/14 21:29:02
- RE: 初めて知りました。
- 町子さん
おばんです。
コメントをありがとうございました。
> 知らないことが、なんて多いのかと思います。
> 初めて知った画家てす。
私も野十郎さんのことを初めて知りました。
その後、ネットなどで検索してみましたら、溢れるほどの情報がありました。
自分が関心を持っているかどうかで、通り過ぎたままになってしまう事がらがどれほど多いのか
思い知らされます。
> 人物画は、まるで写真のように生き生きと、額縁から出て来そうな感じですね。
> ありのままを描いて、ここまで実写できるなんて!
そうですね。
自画像はむしろ厳しすぎる眼差しでもってご自身を捉えられているようにも思えました。
細部にまで手抜きのない作品ですね。
> 雨の法隆寺五重塔、近くで雨だれを見たくなります。
> 雨の線のうつくしさ、見事ですね!
本当に、すぐそばまで近寄らないと雨の線までは見えないんです。
> からすうりや、けし、秋の植物など、植物の絵が私好みです。
ツヤツヤしたからすうりの質感、けしの群生の様子とその背景などなど
一つ一つ見入ってしまいました。
> お墓を訪ねられたとのことで、mistral さんらしい優しさが伝わります(^-^)
たまたま同じ霊園にお墓があることを知って驚きました。
終焉の地は柏だった、と知っただけでもびっくりでしたが、まさかの墓地が、、、
そんなこんなで旅行記作成に力が入ってのかもしれません。
mistral
-
- milkさん 2025/08/13 16:45:03
- なんて温かい絵
- mistralさん、ご無沙汰しております。
毎日暑いですが、お元気ですか?
高島野十郎という画家は知りませんでしたが、柏にも住まわれていたと聞いてとても親近感が湧いてしまいました。
「柏のどこだろう?」と思っていたら手書きの地図が!
増尾でしたか。
絵を拝見すると、暗いトーンの中にも温かさが伝わる素敵な作品で、とても素敵ですね。
お友達が思わず教えたくなったのも納得です。
それにしても、千葉の美術館もこんなに素敵だったとは。
mistralさんのお家のお墓と同じ霊園だったとはご縁ですね。
写真撮影可能だったお陰で素敵な作品をたくさん見る事が出来て嬉しいです。
紹介して下さいってありがとうございました。
milk
- mistralさん からの返信 2025/08/13 18:08:44
- RE: なんて温かい絵
- milkさん
コメントまでいただきありがとうございます。
私の方こそご無沙汰してます。
旅行記を拝見しておりますと、さすがmilkさんはお元気で活躍なさっているご様子ですね。
私はもともと夏は苦手でして、そんな折、引きこもって旅行記を作成するには
おあつらえ向きとなりました。
> 高島野十郎という画家は知りませんでしたが、柏にも住まわれていたと聞いてとても親近感が湧いてしまいました。
> 「柏のどこだろう?」と思っていたら手書きの地図が!
> 増尾でしたか。
確かmilkさんのお住まいもそちら方面でしたね。
柏在住の友人も、野十郎さんが増尾に住んでおられたと知り、途端に身近な存在に感じた、と
話していました。
当時は周囲は何もないところ、と書かれていましたが、今ではすっかり様相は様変わりして
いることでしょうね。
> 絵を拝見すると、暗いトーンの中にも温かさが伝わる素敵な作品で、とても素敵ですね。
> お友達が思わず教えたくなったのも納得です。
そうですね。
端正に描かれている作品の中に、野十郎さんの情熱だったり、優しさだったり
様々な想いがが感じられてきて、いつまでも飽きずに見ていられます。
> それにしても、千葉の美術館もこんなに素敵だったとは。
最近になって館長さんが代わられたそうです。
もとブリヂストン美術館で学芸部長をなさっていた方だそうです。
外部からの登用は今回初めてだったそうです。
美術界での幅広い人脈などもおありでしょうから今後の企画が楽しみです。
> mistralさんのお家のお墓と同じ霊園だったとはご縁ですね。
そうなんです。びっくりしました。
> 写真撮影可能だったお陰で素敵な作品をたくさん見る事が出来て嬉しいです。
こちらこそご訪問いただき嬉しかったです。
mistral
-
- salsaladyさん 2025/08/13 09:56:10
- 千葉県立美術館…
- ☆公立の施設は無料が増えていますね!思わぬところで安い入場料に当たると嬉しかったり!
☆確か、幕張の先にある「花の美術館」もリニューアルして素晴らしくなった様ですが、かつては300円で入れた!今でもシニアサーヴィスがあるかもしれませんね(行こうかな)
☆此方は正統派。。写実派。。。というか、知らなければ通り過ぎるだけの世界だけど、もう少し展示に工夫が欲しい所です。勝手なことを抜かしてしまう県民でもうし訳ない❣
- mistralさん からの返信 2025/08/13 17:51:31
- RE: 千葉県立美術館…
- salsaladyさん
ご無沙汰しておりますのに
コメントありがとうございました。
> ☆公立の施設は無料が増えていますね!思わぬところで安い入場料に当たると嬉しかったり!
そうですか。
公立でも無料と言われて、びっくりしたり、嬉しかったりでした。
> ☆確か、幕張の先にある「花の美術館」もリニューアルして素晴らしくなった様ですが、かつては300円で入れた!今でもシニアサーヴィスがあるかもしれませんね(行こうかな)
花の美術館もシニア割引があったようでしたね。
リニューアルしていたんですね。知りませんでした。
あちこちで施設は老朽化してきて(私たち世代と一緒?)改修工事が大変な時代になっていますね。
> ☆此方は正統派。。写実派。。。というか、知らなければ通り過ぎるだけの世界だけど、もう少し展示に工夫が欲しい所です。勝手なことを抜かしてしまう県民でもうし訳ない?
フフフ。
館長さんは最近になって代わられたようです。
ブリヂストン美術館で学芸部長さんをされていた方が就任されたようです。
外部からの登用は初めてだったようです。
美術界での幅広い人脈がおありで、もしかしたら今回の巡回での美術展を
真っ先に千葉で開催することにこぎつけられたのかも知れません。
まだまだこの酷暑は続きそうな勢いですね。
お互いに気をつけて過ごして、なんとかこの夏をのりこえましょう。
mistral
-
- 唐辛子婆さん 2025/08/12 22:36:21
- 凝視しすぎて目が痛くなっちゃいました
- mistralさん
こんなに丁寧に一枚一枚ゆっくりと拝見したことは初めてです。
蝋燭がやはり一番魅力的で、引きこまれます。
額縁もとてもよくあっていて。
自画像はどれも恐い。迫力がありすぎて。
詳しい説明をありがたうございました!
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2025/08/13 16:57:20
- RE: 凝視しすぎて目が痛くなっちゃいました
- 唐辛子さん
目が痛くなるほどご覧くださって!
お手間をとらせてしまいました。
私は、これまでお名前を知らなかった画家さんで
その上他の面でも秀でていた方なのに、絵の世界へ転身された、という経歴に驚き、
書き上げられた絵は、不思議なほどに惹きつけられて。
そんなで一度見てはまってしまいました。
そんな魔力があるのでしょうか。
また、この酷い暑さで、出かけるのも必要最低限に絞っている折に
旅行記作成にはおあつらえ向きとなりました。
> こんなに丁寧に一枚一枚ゆっくりと拝見したことは初めてです。
> 蝋燭がやはり一番魅力的で、引きこまれます。
> 額縁もとてもよくあっていて。
蝋燭の炎には思わず引き込まれますね。
じっと見つめていると、炎がチロチロと揺らぐようです。
額縁もすごいですね。
最初のトリミングは額縁ギリギリでしてみましたが、どうもあんまり良くなかったので
周辺を残してトリミングしました。
こんな詳しく絵画展の旅行記を作ったのは初めてかもしれません。
>
> 自画像はどれも恐い。迫力がありすぎて。
同感です。
最後のポートレートは穏やかなお爺さんのようですね。
コメントをありがとうございました。
mistral
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