2025/07/17 - 2025/07/21
550位(同エリア1059件中)
がんてつさん
今日はインド最終日です。
今回の旅行で一番の楽しみだった、タージマハルを見学します。
香港の台風6号による帰国便の影響ですが、日中までは定刻運航となっていましたが、夕刻過ぎの運航状況では折り返し便が2時間遅れの到着遅れ、出発も1時間45分遅れとなっていました。
俄かのお祈りのおかげでしょうか?
何とか飛びます、良かったです。
=アグラ=
①タージマハル
②アグラ城
大理石屋さん
中華レストラン
=デリー=
BHARTIYA CHAI
Waves Restaurant
インディラ・ガンディー空港
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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この旅で初めてオムレツをいただきました。
食事は美味しかったのですが、帰国便の飛行機の運航状況が心配です。
出発前に祭壇に立ち寄り、ヒンドゥーの神様に最後のお祈りです。ラクシミ ビラズ パレス ホテル
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ホテルを出発して、1時間15分/45Km移動して、8時すぎにはタージマハルに到着です。
タージ マハル 史跡・遺跡
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インド北部アグラにある総大理石造りの霊廟です。
ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーン(1592~1666)は妃ムムターズ・マハルに並々ならぬ愛情を注ぎ、かたときも側を離れることはなく戦場にさえ伴うほどだったそうです。
しかし、幸福な日々は長くは続かず、妃は14番目の子供を出産した後この世を去りました。
王は深く嘆き悲しみ、愛する妻の記憶を永遠に留めるために霊廟の建設に没頭しました。タージ マハル 史跡・遺跡
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ペルシア風の外観をしたイスラーム建築で、22年の歳月と一日2万人の労働力をかけて造営した、壮大な記念碑です。
1983年には世界遺産にも登録されました。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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南門の先にタージマハルがあります。
タージ マハル 史跡・遺跡
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南門からこのアングルでタージマハルを撮るのがお勧めのようです。
タージ マハル 史跡・遺跡
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皆さん同じ考えなので、何せ混雑してます。
タージ マハル 史跡・遺跡
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南門の内部はこんな感じです。
タージ マハル 史跡・遺跡
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霊廟であるタージマハルですが、本来、霊廟とは祖霊を祀る施設のことです。
ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妻ムムターズ・マハルの死を悼んで建てた霊廟です。
ムガル帝国はイスラーム教を信仰していたバーブルによって建国されたイスラーム教の帝国です。
そのためタージマハルはインドにあるにもかかわらず、イスラーム教が影響している建物になっていて、墓廟の白大理石の外壁にはアラビア文字の装飾でコーランの章句が刻まれています。タージ マハル 史跡・遺跡
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皇帝シャー・ジャハーンは愛する妻の願いを叶えるため、1632年からタージマハルの建設を始めました。
タージマハルはデリーにあるフマユーン廟をモデルに造られ、世界中から大理石や宝石を買い求めたこともあり完成には約22年かかり、1648年に完成しました。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージマハルは南北560m、東西303mの敷地の中にあります。
建物も庭園も全て完璧な左右対称になっています。タージ マハル 史跡・遺跡
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白い玉ねぎ型のドームが目印の霊廟は、一辺95mで高さ5.5mの基壇の上に建てられていて、地上からの高さは74.2mあります。
タージ マハル 史跡・遺跡
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南門
タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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ドームの上には約9.3mの飾りが付けられていますが、残念ながら工事中で足場が組まれていました。
タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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廟内へは、左手に進みます。
タージ マハル 史跡・遺跡
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左手に進むと、シューズカバーを靴に被せてから入場する箇所があります。
ガイドさんが事前に用意してくれましたが、入場箇所にもシューズカバーの貸出がありました。タージ マハル 史跡・遺跡
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ここから廟内に入ることが出来ます。
タージ マハル 史跡・遺跡
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廟内は撮影禁止です。
こちらのセキュリティーの方、かなり厳しいです。
注意を受けている方、結構いました。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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霊廟の右側にあるメフマーン・カーナは、18世紀後半から 19世紀にかけて、ムムターズの命日や来客の接待のために建てられました。
しかし、イギリス統治時代には、宴会や客人をもてなす場所として使用され、本来の目的を軽視する行為となってしまいました。タージ マハル 史跡・遺跡
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王はヤムナー河の対岸に黒大理石を基調とした自らの墓廟を造る計画でしたが、もはや国庫は底をついていました。
晩年は息子のアウラングゼーブ帝によりアグラ城に幽閉され、部屋の窓から妻の廟を眺めて暮らしたという逸話が残っています。タージ マハル 史跡・遺跡
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裏側も足場が組まれていて工事中でした。
タージ マハル 史跡・遺跡
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タージマハルは、ムガル帝国時代の芸術を集結させた大事業だったといわれています。
建築の詳細はわかっていないことが多いですが、わかっているだけでも玉ねぎ型のドームの設計士はトルコから、外壁に刻まれているコーランの文字はシリアやペルシアの書家が、石組にはアラブの専門家が駆けつけて請け負ったそうです。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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右手の出口を進むと、シューズカバーを集める籠があります。
タージ マハル 史跡・遺跡
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左側にあるのがジャワブ・マスジドです。
ジャワブ・マスジドは、メフマン・ハーナ、ジャマート・ハーナとも呼ばれ、建築的なバランスをとるためにモスクを模して建てられたと考えられていますが、迎賓館として使用されていた可能性があります。
ジャワブとモスクの違いは、ジャワブにはミフラーブ(モスクのメッカ側の壁面に設けられた窪み)がないこと、そしてモスクの床には黒大理石で569枚の礼拝用絨毯の輪郭が描かれているのに対し、ジャワブの床は幾何学模様になっていることです。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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偶然ですが、隣の子供がかわいい。
タージ マハル 史跡・遺跡
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おじさんはベンチに座って小休止。
タージ マハル 史跡・遺跡
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タージ マハル 史跡・遺跡
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眩しいと思ったら、バスにサングラスを忘れていました。
タージマハル素敵でした。
バスを待っている間、物売り攻撃がすごいです。タージ マハル 史跡・遺跡
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タージマハルを後にして、次に来たのはアグラ城です。
アーグラー城 城・宮殿
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アグラ城の入り口のアマル・スィン門は全て赤砂岩で作られています。
アーグラー城 城・宮殿
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アグラ城は16世紀からの約300年間、ムガル帝国の歴代皇帝が君臨した、ジャラールッディーン・アクバルが1565~1573年に彼の居城として建てられた城です。
第3代皇帝アクバル(在位1556~1605年)がデリーから遷都し築いたアグラ城は、この地方で産出する赤砂岩を用いて造られているため「赤い城」と呼ばれています。
また、赤い色は皇帝の強大な権力の象徴でもありました。
ムガル帝国第3代皇帝アクバル帝がアグラに変遷する際に、既に11世紀頃からアグラにあった城を赤砂岩で改築・強固にしました。アーグラー城 城・宮殿
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1565年、アグラ城の建設に着工したアクバル帝は、イスラム王朝でありながらヒンドゥー教徒の妃をめとり、他宗教との融和をはかりました。
アーグラー城 城・宮殿
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嫡子のジャハーンギールのために城内に建てたジャハーンギール宮殿は、左右対称のファサード上部の両端にチャトリを戴き、柱や梁に木彫のようなレリーフを施すなど、イスラムとヒンドゥー建築の融合が見られます。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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宮殿の一階には、ダイニングルームや演芸場、図書館もあったそうです。
2階部分は世間に顔を見せることができない女性の為の部屋だったといわれています。アーグラー城 城・宮殿
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遠くにタージマハルが見えます。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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タージマハルを建設したムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは、息子のアウラングゼーブによって幽閉され、囚われの塔で生涯を終えました。
アーグラー城 城・宮殿
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囚われの塔で生涯を終えた第5代皇帝シャー・ジャハーンですが、妻のムムターズ・マハルが生きていたころは、ここカースマハルで娘たちとともに暮らしていました。
当時は金やさまざまな宝石で飾られとても豪華な寝殿だったそうです。アーグラー城 城・宮殿
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城内の多くの建物が純白なのは、孫の第5代皇帝シャー・ジャハーンによるものです。
タージ・マハルを建てたことでも知られる皇帝は、公謁殿(一般謁見の間)、モティ・マスジド(真珠のモスク)、皇帝の寝殿など、白大理石に貴石の象嵌を施した優美な建物を次々に建て、アグラ城を優美に変身させました。アーグラー城 城・宮殿
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さらにその息子の第6代皇帝アウラングゼーブは、高さ20mもの城壁を周囲約2.5kmに渡って巡らせ、堅固な城塞としてのアグラ城を完成させました。
アーグラー城 城・宮殿
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ムサンマン・ブルジュの内部は白大理石の壁面に草花模様の装飾や色とりどりの貴石で象嵌が施されています。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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こちら側は壁や天井は模様が違うようです。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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人型?に見える彫刻も。
アーグラー城 城・宮殿
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こちらからもタージマハルが見えます。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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細やかな装飾が綺麗です。
アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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アーグラー城 城・宮殿
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ディワーニ・アーム(公謁殿)には、シャー・ジャハーン帝によって、木造から大理石造りに建て替えられたものです。
皇帝の間には、高さ7mのある花びらのアーチが九重に連なる大広間の中央奥にある、皇帝好みの美しい部屋となっています。ここの玉座で皇帝が一般民衆の訴えを聞き裁定を下していました。アーグラー城 城・宮殿
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遠くに見える白い建物は何でしょうか?
アーグラー城 城・宮殿
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この後アグラ城を後にして、アグラ名産の大理石屋さんへ行きます。
サイドテーブルなどを勧められましたが、値段や置く場所が無いなどでお断り。
アクセサリーケースと小さめの花瓶を購入しましたが、こちらも結構なお値段でした。アーグラー城 城・宮殿
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昼食は中華?でした。
一番おいしかったのはスープでした。 -
やっぱり異国の中華はお口に合いません。
ここで時間があるので帰国便の検索をします。
香港発が2時間遅れているのに、デリー着定刻、デリー発定刻となっています。
本当かな?
昼食後、4時間半/203Km移動して、デリーへ向かいます。 -
デリーに入ってから、最後のお土産物屋さんのBHARTIYA CHAIさんへ。
かなり古めかしい平屋に入っている、現地のお店っぽい紅茶屋さんです。
今回はスーパーマーケットへ寄らなかったので、自宅用とバラマキ用に紅茶とカレースパイスを多めに購入しました。
最後までスーパーマーケットへ行けなかったのが、残念です。
夕食はWaves Restaurantという、最後のインド料理屋さんです。ウェイブス インド料理
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最後のカレーも美味しかった。
でも、暫らくカレーはいらないかな?
マンゴーラッシーとマンゴーで、今回の食事の締めです。
マンゴー・マンゴー・マンゴー、マンゴー最高です。
帰国便ですが、やはり遅れてます。
到着2時間遅れ、出発2時間遅れみたい。ウェイブス インド料理
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運転手さん、ガイドさんお疲れさまでした、ありがとうございました。
ガイドさんとは空港入口でお別れです。
CX698便 インディラ・ガンディー空港22:40(00:05)→香港空港6:40(多
分1時間半ぐらいは遅れるでしょう)
1時間25分遅れの出発です。
手荷物検査で、ライター没収の刑に遭いました。
ペットボトルはOKだったのに何故?インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港
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空港に着いたのは20時頃だったので、ラウンジでゆっくり休めます。
まずは、残ったルピーで紅茶を購入。
ラウンジで着替えたかったのですが、シャワールームは0時過ぎまで空いていないとの事で、結局トイレで着替えました。
ラウンジでは飲み物だけいただき、搭乗です。
機内では機内食はパスして、朝まで熟睡しました。インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港
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