2025/03/11 - 2025/03/15
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しにあの旅人さん
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★
泣く時はよき
母ありき
遊ぶ時はよき姉
ありき
七つの
ころよ
★
岡山県瀬戸内市邑久町、竹久夢二生家の庭の石碑。
雑誌「中学世界」(明治43年/1910年)に掲載された夢二の詩です。
このとき夢二26才。
夢二の絵の甘ったれの根源です。いとおしいなあ。By夫。
「しゃきっとせんかい!」By妻。
大正文学老年の私は、夢二のこういうデレデレとしたところが大好き。
By妻は、夢二描くところの、背骨が軟骨でできているような女は嫌いなのです。
一書に曰く、
今は亡き母が、中原中也と種田山頭火のことを、読んだのでしょうか。
「山口県は、気候温暖、食べ物に困らないからかしら、男があまったれで。」と言ったことがありまして、笑ったことがあります。
大丈夫。北には、啄木、南には、牧水がいます。
そして岡山にもひとり。
あ~あ!であります。
By妻
参考書は、
「夢二夢のあと1 大正ロマンへのタイムマシーン、弥生美術館・竹久夢二美術館」
https://4travel.jp/travelogue/11869366
にならべました。
今回は「生誕140年YUMEJI展」/夢二郷土美術館/産経新聞/2024年のお世話になりました。引用では「YUMEJI展」とします。
引用に際し、僭越ながら敬称を略させていただきます。
掲載した作品写真は、絵はがき、購入したカタログなどからのスキャンです。
投稿日:2025/06/25
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夢二生家。
右が納屋、今は売店。
正面が母屋です。展示室。
夢二は1884年(明治17年)9月16日、ここで生まれました。夢二生家記念館、駐車場あり。 by しにあの旅人さん夢二郷土美術館 夢二生家記念館 少年山荘 美術館・博物館
-
夢二はこの土塀が好きでした。
案内板には、
★今も残る土塀は、明治時代には農村地域の家には多くなかったことから、夢二が比較的豊かな家庭で育ったことをものがたっています。★ -
母屋。
築250年以上だそうです。
一書に曰く、
田舎道を進んで、このあたりというところにきたら、人形屋さんの広告があって、そこからうろうろしてしまいましたが、看板に負けずに、そこを曲がるとすぐです。
車を駐めて、歩きます。この道は、昔の田舎道。途中、橋がかかっていて、ますます、70年以上前の、母の実家を思い出します。
母は、瀬戸内海に面した農村の出です。
ここ岡山とは、同じ風が吹いています。
夢二の生家は、特別にモダンということもなく、普通の農家でした。
当たり前か。
ここで育っても、美の探求者になる人、平凡な勤め人で終わる人。
どこが分かれ目なんでしょう。
By妻 -
1899年(明治32年)夢二16才のとき、家族とともに福岡県遠賀郡八幡村(現在の北九州市八幡東区)に引っ越しました。家はその後人手に渡りましたが、岡山市の夢二郷土美術館が譲り受け、修復整備の上1970年(昭和45年)に分館として一般公開されました。
邑久駅から約3.1km、いまでものどかな田園地帯です。
夢二は「郷愁の画家」だそうです。絵に描いたようなウサギ追いしかの山という感じでした。
車15分で瀬戸内海、牛窓海岸。古代は大伯の海と呼ばれました。661年(斉明天皇7年)大伯(大来)皇女の生まれたところです。夢二は大来皇女と同郷です。大伯(おおく)→邑久です。
日本書紀、万葉集の、大来大津姉弟の悲劇は知っていたでしょう。しかしその大来と自分が同郷であるとは、気がつかなかったのではないか。
知っていたらロマンティスト夢二、絵か詩か、何かを残さないはずがない。 -
案内板にあったスケッチ。
右が納屋で、正面が母屋かな。
詩が添えられていました。
★
いざよいの晩、
私は泣きながら生まれた。
その時、みんなは笑った。
死ぬ時には、
私笑ってゐ
たいとおもふ
そして、みんなを
泣かせてやりたい。
★
夢二画集 春の巻(明治42年/1909年) -
★
茂次郎橋由来
花のお江戸ぢや
夢二と呼ばれ
郷里(くに)へかえれば
へのへの茂次郎
夢二つくる
芳水しるす
★
茂次郎は夢二の本名。
16までここにいましたから、近所のワル餓鬼どもには「へのへの茂次郎」と言われていたのかな。
「芳水」は有本芳水(1886-1976)
詩人、歌人、夢二の生涯の友人です。
(YUMEJI展P251)
一書に曰く、
茂次郎。
茂次郎では、あの美人画は描けないだろう。
描いてもヒットしなかっただろう。
茂という字が垢抜けないのか?
いやいや、長嶋は、茂雄だぞ。
昭和の男達が、その死に号泣した、あの長嶋茂雄だぞ。
でも、茂次郎は、美人画には、無理です。
茂次郎が、夢二とサインしたとき、美人画は完成したのではないか。
By妻 -
同じ案内板より。
「上京した夢二」と説明がありました。18才です。
年の割には幼い感じ。 -
ごめん下さ~~い。
土間に入って、左に座敷。田んぼの「田」の字、日本の農家住宅です。
3畳4畳8畳2間。ふすまを取り払うと大きな一間になります。冠婚葬祭一通りできます。 -
今は展示室です。
奥の突き当たりに独立した部屋が二つあります。 -
左側の6畳。
展示室になっております。 -
夢二ゆかりの小物などが置いてありました。
-
面白い解説がありました。
全文書き起こします。
★
夢二芸術の原点であるふるさと
夢二式美人と呼ばれた女性画の特徴には「大きな瞳」「華奢な体」「S字の構図」「大きな手足」などがあります。夢二が生まれ16才まで過ごしたふるさと、岡山での記憶は、夢二の創作に大きく影響しました。旅行中に見る風景の中にふるさとの懐かしい風景を見出し描くこともあれば、その風景の中に夢二の母や姉・松香など身近にいた女性を想って作品に描くこともあったようです。
夢二の妹・栄さんは母について「美人というわけではありませんが、中肉中背のやせ形、スラリとした姿の美しい人でした。夢二(の)描く女の、あの独特の線は母から伝えられたものと、私はいつも思います。『中日サンデー版(昭和53年)』」と語っています。夢二式美人を描いたきっかけとなったのは夢二の妻のたまきの存在があったと考えられますが、根底には美しい姉や母の面影があったのでしょう。
★
母の名は也須能(やすの、1857-1928)
栄さん、実の娘ですから母を褒めるのは控えめです。「美人というわけではありませんが」ということは、実はすごい美人だったのです。
「スラリとした姿の美しい人でした」となれば、夢二の絵そのもの。
夢二の絵の、やるせない甘さは、もともとはマザコンなのだ!
一書に曰く、
美人って、規格があったとしても、基本的に好みですからね。
男性は、自分の母親を美人と信じたいようです。
母とは喧嘩ばかりしていた兄が、母が他界したあと、お母さんは、理想的な女性だった。とか言いだして。
お口あんぐりしたby妻でした。
でも、女性遍歴をする人って、母親恋しい人なんですってね。
感受性が強いとか、繊細とかなのでしょう。
妻としては、鈍感だろうと無神経だろうと、自分の作った母の幻影を求める男よりいいんじゃないですかね。
By妻 -
一書に曰く、
突き当たり右の4畳は茂次郎さんの部屋です。
机が思ったより、小さい。
最近の学習机、ご存知ですか。
まず、物理的に大きい。付属品が、いっぱいくっついてます。
そんな立派な机で勉強して、夢二に勝さる人物が育っているんだろうか。
夢二ほどの大きな夢をみる人物が、育つのだろうか。
By妻 -
ここにも興味深い解説が。
-
全文書き起こします。
★茂次郎(夢二)が少年時代を過ごした子ども部屋です。当時は窓から外を見れば街道を行き交う人々が見え、夢二は獅子舞や巡礼の詠歌を聞いていました。数えの11歳の時、お嫁に行く姉・松香(まつか)さんとの別れを惜しんで鏡文字で「竹久松香」「竹久茂次郎」と連子窓の窓枠に書き残しました。★ -
★夢二が鏡文字で書いた姉の名「竹久松香」★
現場ではもはや読めませんでした。 -
拡大するとこうなるらしい。。
夢二11満10才というと1893年、132年前です。それにしてはよく墨が残っている。よっぽどしっかり書いたのだ。
このとき松香は7才上、17才でした。
6才とも7才上とも言われます。満か数えかの違いでしょう。
夢二は美人の姉がよほど好きだったのです。
シスコンです。
夢二の好きな「大きな瞳」「華奢な体」「S字の構図」「大きな手足」
幼い夢二。
母も姉も「茂次郎ちゃん」とか言って顔を近づけるから眼が大きく見える。
背をかがめるからS字の体。
手を差し伸べるから目の前に大きな手。 -
夢二郷土美術館絵はがきより「立田姫」(本文解説P283-作品159)
夢二美人画の特徴は足の長さ。帯から下が生身の人間ではあり得ないくらい長い。幼い夢二が目の前の華奢な二人を下から見上げれば、このくらいに見えるはず。顔は遠いから小さく見えます。
夢二の絵の根っこに、マザコンにシスコンが加わりました。
姉さんのお嫁入りのとき、夢二は泣いたんじゃないですかね。文字通り「瀬戸の花嫁」
海からちょっと離れているから、松香さんは鈴をつけたお馬に揺られて「シャラシャラ シャンシャン」とお嫁に行ったのかも。
そういうBGMがふさわしい10才の夢二。
一書に曰く、
マザコンにシスコン。
夢二は、自己愛も強かったでしょうね。
苦労を、母、姉と乗り越えたとかいうのなら、執着する気持ちも理解できるけれど、そんなことも聞かないのですが。
やっぱり、よっぽど自分が好きなんだなあ。
自分が好きで、自分の家族が好きで、自分の考える人が好きで。
女性は、その人を好きなのではなく、自分の理想の女性に当てはめる。
現し身の人間の変化を受け入れられないのではないのでしょうか。
でなければ、ああも恋人を取っ替えないんじゃないですかね。
芸術家の妻は、by妻には、とてもとても務まりません。
By妻 -
入り口の詩碑の説明板です。
書き起こします。
★
ふるさとの母、姉への慕情 -
郷愁の詩人画家と称される竹久夢二は、遠く離れたふるさとを思って絵を描き、詩を詠むことがしばしばありました。特に夢二にとって特に温かい記憶となっていたのがよき理解者であった母と、六歳年上の姉・松香(まつか)で、夢二は自身のこども時代を想い出し表現する中にその姿を描き、詩にしました。雑誌『中学世界』(明治四十三年発行)に掲載された本作が石碑として建てられました。★
愛おしき甘ったれであります。 -
一書に曰く、
車を駐車したところに戻って参りました。ここに、東京世田谷の松原というところにあった、夢二のアトリエが移築されていました。
いかにもアトリエというしゃれた白い建物。
中は、期待を裏切りません。
案内をしてくださる女性と、しばし歓談。
この方が、ご親切にずっと、相手をして下さいました。
初めての方と、こんなに話したのって、初めてだわ。
帰る時に見送ってくださって。
なのに、by夫は、ここで次の目的地をナビに入れるのに、もたつきまして、あ~かっこわるい。
時間がかかるのを、ずっと待って、見送ってくださいました。
何度も、どうぞ、お入りくださいと、申し上げたんですがね。
ありがとうございました。
By妻
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夢二夢のあと
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