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コロナの頃は閑散としていた皇居外苑ですが、インバウンドが復活して観光客が多くなったとニュースで見ました。<br />実際のところを見に、平日の午後、観光を兼ねて皇居外苑を訪れてみました。<br /><br />

インバウンドの復活した皇居外苑を行く

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2023/11/17 - 2023/11/17

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キャンサー50

キャンサー50さん

コロナの頃は閑散としていた皇居外苑ですが、インバウンドが復活して観光客が多くなったとニュースで見ました。
実際のところを見に、平日の午後、観光を兼ねて皇居外苑を訪れてみました。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
4.5
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 都営地下鉄三田線大手町駅D2出口からスタート。<br />D2出口前の日本生命丸の内ガーデンタワー脇の植え込みにあった「福井藩上屋敷(龍ノ口)跡」の説明板。<br />ここは、正徳3年(1713)~明治4年(1871)まで福井藩越前松平家の上屋敷があった場所です。<br />ちなみに福井藩越前松平家の藩祖は徳川家康の次男結城秀康、幕末に活躍した幕府側の四賢侯の一人、松平春嶽はこの藩の藩主です。<br /><br />

    都営地下鉄三田線大手町駅D2出口からスタート。
    D2出口前の日本生命丸の内ガーデンタワー脇の植え込みにあった「福井藩上屋敷(龍ノ口)跡」の説明板。
    ここは、正徳3年(1713)~明治4年(1871)まで福井藩越前松平家の上屋敷があった場所です。
    ちなみに福井藩越前松平家の藩祖は徳川家康の次男結城秀康、幕末に活躍した幕府側の四賢侯の一人、松平春嶽はこの藩の藩主です。

  • D2出口前の和田倉濠に架かる和田倉橋。<br />門名の由来は、近くに倉(蔵)があったことによります。<br />慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。<br />

    D2出口前の和田倉濠に架かる和田倉橋。
    門名の由来は、近くに倉(蔵)があったことによります。
    慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。

    和田倉橋 名所・史跡

  • 橋とともに枡形の石垣が残っています。<br />

    橋とともに枡形の石垣が残っています。

    和田倉橋 名所・史跡

  • 橋は木橋の面影を残したコンクリ-ト橋ですが、フォルムが美しく、外国人観光客の撮影スポットになっています。<br />

    橋は木橋の面影を残したコンクリ-ト橋ですが、フォルムが美しく、外国人観光客の撮影スポットになっています。

    和田倉橋 名所・史跡

  • 現在、和田倉橋の先にある和田倉噴水公園。<br />昭和36年に天皇皇后陛下ご成婚を記念して作られた公園です。<br /><br />

    現在、和田倉橋の先にある和田倉噴水公園。
    昭和36年に天皇皇后陛下ご成婚を記念して作られた公園です。

    和田倉噴水公園 公園・植物園

  • 公園内にはいくつかの噴水があり、定期的に水を噴出します。<br />夜はライトアップされて美しいです。 <br />

    公園内にはいくつかの噴水があり、定期的に水を噴出します。
    夜はライトアップされて美しいです。 

    和田倉噴水公園 公園・植物園

  • 公園内にはお洒落なデザインにスターバックスがあり、噴水と皇居を眺めながら落ち着けます。<br /> 

    公園内にはお洒落なデザインにスターバックスがあり、噴水と皇居を眺めながら落ち着けます。
     

    和田倉噴水公園 公園・植物園

  • 公園内にある「御製碑」。<br />天皇陛下が令和2年の歌会始の儀に際して詠まれた和歌を刻んでいます。<br />「学舎に ひびかふ子らの 弾む声 さやけくあれと ひたすら望む」。<br /><br />

    公園内にある「御製碑」。
    天皇陛下が令和2年の歌会始の儀に際して詠まれた和歌を刻んでいます。
    「学舎に ひびかふ子らの 弾む声 さやけくあれと ひたすら望む」。

    和田倉噴水公園 公園・植物園

  • 和田倉噴水公園内にある「和田倉門」の説明板。<br />江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれていた和田倉門は、一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていました。<br />説明板のうしろに、門跡として石垣のみが残されています。<br /><br />

    和田倉噴水公園内にある「和田倉門」の説明板。
    江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれていた和田倉門は、一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていました。
    説明板のうしろに、門跡として石垣のみが残されています。

    和田倉噴水公園 公園・植物園

  • 東京駅から皇居へまっすぐ続く行幸通りのお堀端に対で建つ古そうなあずまやは、元宮城和田倉門守衛所です。<br />皇居の入口に当たるため、行幸啓の折に、歩哨が立った所と考えられます。<br />安山岩造りで銅板葺きの屋根に夜間照明もつけられています。<br /><br />

    東京駅から皇居へまっすぐ続く行幸通りのお堀端に対で建つ古そうなあずまやは、元宮城和田倉門守衛所です。
    皇居の入口に当たるため、行幸啓の折に、歩哨が立った所と考えられます。
    安山岩造りで銅板葺きの屋根に夜間照明もつけられています。

  • 和田倉噴水公園の目の前の皇居の中、濠に突き出すように見えるのは、桜田巽櫓(桜田二重櫓)です。<br />旧江戸城の建造物の中でも非常に状態良く残っている櫓で、こちらもインバウンドの方が必ず写真を撮るスポットです。<br />このエリアは中の入れるエリアで、中からすぐ近くで見ることができます。<br />眺めとしてはお濠越しに見るほうが断然良いです。<br /><br />

    和田倉噴水公園の目の前の皇居の中、濠に突き出すように見えるのは、桜田巽櫓(桜田二重櫓)です。
    旧江戸城の建造物の中でも非常に状態良く残っている櫓で、こちらもインバウンドの方が必ず写真を撮るスポットです。
    このエリアは中の入れるエリアで、中からすぐ近くで見ることができます。
    眺めとしてはお濠越しに見るほうが断然良いです。

    巽櫓 (桜田二重櫓) 名所・史跡

  • 桜田巽櫓の先の右手にあるのが桔梗門。<br />正式名は内桜田門、江戸城が築城された太田道灌時代、瓦などに施された当家の家紋の桔梗にちなんで、今日までこの呼び名で親しまれてきました。<br />通常一般の方の出入りはできませんが、皇居勤労奉仕と一般参観者の通用門として利用されています。<br /><br />

    桜田巽櫓の先の右手にあるのが桔梗門。
    正式名は内桜田門、江戸城が築城された太田道灌時代、瓦などに施された当家の家紋の桔梗にちなんで、今日までこの呼び名で親しまれてきました。
    通常一般の方の出入りはできませんが、皇居勤労奉仕と一般参観者の通用門として利用されています。

  • 桔梗門からお濠沿いを南にいくとあるのが坂下門です。<br />大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていたそうです。<br />明治になり橋や外側の高麗門が撤去され、渡櫓門のみが角度を90度変えて現在の場所に移築されました。<br />文久2年(1862)老中安藤信正が坂下門外で襲撃され負傷した、坂下門外の変が起きました。<br /><br />

    桔梗門からお濠沿いを南にいくとあるのが坂下門です。
    大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていたそうです。
    明治になり橋や外側の高麗門が撤去され、渡櫓門のみが角度を90度変えて現在の場所に移築されました。
    文久2年(1862)老中安藤信正が坂下門外で襲撃され負傷した、坂下門外の変が起きました。

    坂下門 名所・史跡

  • この辺りの内堀前に広がっているのが皇居前広場です。<br />江戸時代には有力譜代大名や老中・若年寄などの幕閣を担う大名の屋敷が置かれ「西の丸下」と呼ばれていました。<br />皇居前広場内の、皇居正門と坂下門の間には「御親臨台」と呼ばれる植樹帯があり、ここには数千本ものクロマツが植えられ、皇居外苑の代表的な景観の一つとなっています。<br />こちらも写真を撮るインバウンドがあちこちに見られます。<br /><br />

    この辺りの内堀前に広がっているのが皇居前広場です。
    江戸時代には有力譜代大名や老中・若年寄などの幕閣を担う大名の屋敷が置かれ「西の丸下」と呼ばれていました。
    皇居前広場内の、皇居正門と坂下門の間には「御親臨台」と呼ばれる植樹帯があり、ここには数千本ものクロマツが植えられ、皇居外苑の代表的な景観の一つとなっています。
    こちらも写真を撮るインバウンドがあちこちに見られます。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 皇居外苑の一番人気のスポットが二重橋です。<br />2つ重なるように橋があるのですが、本来は奥の正門鉄橋のことを二重橋というのですが、手前の正門石橋との総称になっているようです。<br />写真は手前の正門石橋。<br />江戸時代は土で出来た「土橋」でしたが、現在は石で出来た橋で、「正門石橋」が正式名称と成りました。<br />脇からみた、めがね橋のようなフォルムが映える橋です。<br /><br />

    皇居外苑の一番人気のスポットが二重橋です。
    2つ重なるように橋があるのですが、本来は奥の正門鉄橋のことを二重橋というのですが、手前の正門石橋との総称になっているようです。
    写真は手前の正門石橋。
    江戸時代は土で出来た「土橋」でしたが、現在は石で出来た橋で、「正門石橋」が正式名称と成りました。
    脇からみた、めがね橋のようなフォルムが映える橋です。

    二重橋 名所・史跡

  • こちらが二重橋濠に架かる正門鉄橋です。<br />かつて「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため中途に台があって二重構造となっていたことから二重橋の名がつきました。<br />正門石橋と正門鉄橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。<br /><br />

    こちらが二重橋濠に架かる正門鉄橋です。
    かつて「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため中途に台があって二重構造となっていたことから二重橋の名がつきました。
    正門石橋と正門鉄橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

    二重橋 名所・史跡

  • 皇居外苑の一番南に見えるのが内桜田門です。<br />江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には大手門と並ぶ登下城の門でした。<br />江戸時代から桔梗門という別称が用いられていました。<br />慶長19年(1614)に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣も元和6年(1620)に造築されています。<br />現在も手前の高麗門と右手の渡櫓門からなる枡形門が残っています。<br /><br />

    皇居外苑の一番南に見えるのが内桜田門です。
    江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には大手門と並ぶ登下城の門でした。
    江戸時代から桔梗門という別称が用いられていました。
    慶長19年(1614)に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣も元和6年(1620)に造築されています。
    現在も手前の高麗門と右手の渡櫓門からなる枡形門が残っています。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 皇居外苑から大手町側へ渡る、一番南の橋のあった「馬場先門跡」の説明板。<br />門は寛永6年(1629)に築造され、枡形石垣は明治39年(1906)に撤去されました。<br />門の名は、寛永期(1624~1644)に門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を将軍が上覧し朝鮮馬場と呼ばれていたことに由来します。<br /><br />

    皇居外苑から大手町側へ渡る、一番南の橋のあった「馬場先門跡」の説明板。
    門は寛永6年(1629)に築造され、枡形石垣は明治39年(1906)に撤去されました。
    門の名は、寛永期(1624~1644)に門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を将軍が上覧し朝鮮馬場と呼ばれていたことに由来します。

    馬場先門跡 名所・史跡

  • 皇居外苑の一番南東の広場の中央に位置する楠木正成像。<br />高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇り、上野公園の西郷隆盛像、國神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」の一つとして数えられています。<br />楠木正成公が正慶2年(1333)に、隠岐の島から戻った後醍醐天皇を兵庫の道筋で出迎えたときの勇姿を象ったものです。<br /><br />

    皇居外苑の一番南東の広場の中央に位置する楠木正成像。
    高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇り、上野公園の西郷隆盛像、國神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」の一つとして数えられています。
    楠木正成公が正慶2年(1333)に、隠岐の島から戻った後醍醐天皇を兵庫の道筋で出迎えたときの勇姿を象ったものです。

    楠木正成像 名所・史跡

  • 楠木正成像の傍らにある楠木茶房。<br />最高位茶師十段厳選の宇治抹茶を使用した特選宇治抹茶ソフトクリームが人気で、訪問時、11月の中旬にもかかわらず、近くのベンチでソフトクリームを食べるインバウンドの姿をちらほら見かけました。<br /><br />

    楠木正成像の傍らにある楠木茶房。
    最高位茶師十段厳選の宇治抹茶を使用した特選宇治抹茶ソフトクリームが人気で、訪問時、11月の中旬にもかかわらず、近くのベンチでソフトクリームを食べるインバウンドの姿をちらほら見かけました。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 楠木正成像の東、皇居外苑の一番東端にある駐車場には、平日にもかかわらず大型バスがたくさん停まっていました。<br />ほとんどインバウンド向けのもののようでした。<br /><br />

    楠木正成像の東、皇居外苑の一番東端にある駐車場には、平日にもかかわらず大型バスがたくさん停まっていました。
    ほとんどインバウンド向けのもののようでした。

    皇居外苑 公園・植物園

  • その駐車場の脇にあるのが楠公レストハウス。<br />昭和42年(1967)に皇居参観や公園利用者のための休憩所として建てられ、平成14年(2002)にリニューアルされ現在の建物になりました。<br />展示スペースやインフォメーションコーナーなどがあり、食事も摂れます。<br />和テイストの内装はインバウンドを意識したものでしょう。<br /><br />

    その駐車場の脇にあるのが楠公レストハウス。
    昭和42年(1967)に皇居参観や公園利用者のための休憩所として建てられ、平成14年(2002)にリニューアルされ現在の建物になりました。
    展示スペースやインフォメーションコーナーなどがあり、食事も摂れます。
    和テイストの内装はインバウンドを意識したものでしょう。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 駐車場の片隅にひっそりとあった松地蔵尊。<br />場所が場所だけに由緒が知りたいところですが、作られた時代やどこから持ち込まれたかについては不明です。<br />掘り出された当時、地蔵には頭がなかった事からなんらかの事情により自分の身を投げ出して人々を守った身代わり地蔵ではないかといわれています。<br /><br />

    駐車場の片隅にひっそりとあった松地蔵尊。
    場所が場所だけに由緒が知りたいところですが、作られた時代やどこから持ち込まれたかについては不明です。
    掘り出された当時、地蔵には頭がなかった事からなんらかの事情により自分の身を投げ出して人々を守った身代わり地蔵ではないかといわれています。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 皇居外苑の一番南の橋、祝田橋から有楽町方面の眺望。<br />皇居の石垣と、濠に映るビル群が美しく、思わず写真を撮ってしまいました。<br /><br />

    皇居外苑の一番南の橋、祝田橋から有楽町方面の眺望。
    皇居の石垣と、濠に映るビル群が美しく、思わず写真を撮ってしまいました。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 皇居外苑の南の濠、凱旋濠沿いにあった、「花の輪案内」の説明板。<br />皇居1周は約5kmあり、100mごとに各都道府県のシンボルとなる花のプレート「花の輪」が設置されているそうで、この説明板にはその場所が記されています。<br /><br />

    皇居外苑の南の濠、凱旋濠沿いにあった、「花の輪案内」の説明板。
    皇居1周は約5kmあり、100mごとに各都道府県のシンボルとなる花のプレート「花の輪」が設置されているそうで、この説明板にはその場所が記されています。

    皇居外苑 公園・植物園

  • その「花の輪」プレートの一例、鹿児島県のプレート。<br />県花はミヤマキリシマです。<br /><br />

    その「花の輪」プレートの一例、鹿児島県のプレート。
    県花はミヤマキリシマです。

    皇居外苑 公園・植物園

  • こちらは宮崎県のプレート。<br />県花ははまゆうです。<br /><br />

    こちらは宮崎県のプレート。
    県花ははまゆうです。

    皇居外苑 公園・植物園

  • こちらも凱旋濠沿いにあった「銀座の柳三世」。<br />昭和43年銀座通りから姿を消した銀座の柳の三世です。<br />ちなみに銀座の柳二世は、泰明小学校前など中央区内のいくつかの場所で見ることができます。<br /><br />

    こちらも凱旋濠沿いにあった「銀座の柳三世」。
    昭和43年銀座通りから姿を消した銀座の柳の三世です。
    ちなみに銀座の柳二世は、泰明小学校前など中央区内のいくつかの場所で見ることができます。

    皇居外苑 公園・植物園

  • 皇居外苑の一番南西にある門が外桜田門です。<br />1620年に東国大名の助役により石垣と枡形が完成しました。<br />1636年には修築されて現在の形式になりましたが関東大震災で破損、再修築され、1961年に国指定重要文化財に指定されました。<br />桜田門は安政7年(1860)に起きた、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼の暗殺事件、いわゆる「桜田門外の変」で有名な門です。<br />現在は警視庁の庁舎のすぐそばにある門として知られています。<br />そのため警視庁のことを隠語として「桜田門」と呼ぶことがあります。<br /><br /><br />訪問したのは平日の午後、雨上がりの曇天にもかかわらず、ニュースで見た通り、外国人観光客で賑わっていました。<br />皇居外苑の景色は、外国人にとって全てが真新しいもののようで、至る所を写真撮影していました。<br />日本人でもたまに行くと、皇居の美しさを改めて感じる場所でした。<br />皇居外苑の北にある、入場無料のエリア、皇居東御苑と併せて観光するのがお勧めです。<br />

    皇居外苑の一番南西にある門が外桜田門です。
    1620年に東国大名の助役により石垣と枡形が完成しました。
    1636年には修築されて現在の形式になりましたが関東大震災で破損、再修築され、1961年に国指定重要文化財に指定されました。
    桜田門は安政7年(1860)に起きた、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼の暗殺事件、いわゆる「桜田門外の変」で有名な門です。
    現在は警視庁の庁舎のすぐそばにある門として知られています。
    そのため警視庁のことを隠語として「桜田門」と呼ぶことがあります。


    訪問したのは平日の午後、雨上がりの曇天にもかかわらず、ニュースで見た通り、外国人観光客で賑わっていました。
    皇居外苑の景色は、外国人にとって全てが真新しいもののようで、至る所を写真撮影していました。
    日本人でもたまに行くと、皇居の美しさを改めて感じる場所でした。
    皇居外苑の北にある、入場無料のエリア、皇居東御苑と併せて観光するのがお勧めです。

    皇居外苑 公園・植物園

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