2025/06/07 - 2025/06/07
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かくちゃんさん
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十五日目。
名古屋まで来れば伊勢までは津島街道か佐屋街道で桑名に向い、東海道日永の追分で伊勢街道を通るのが近い。しかし、まず目指すは西の終点西国街道須磨。伊勢街道、東海道は復路で通ることにしているので、往路は美濃路、中山道を通って西国街道の起点、京に向うことにする。
午後二時十五分、名古屋宿伝馬会所札ノ辻を出発。丸の内道標を左折し、五条橋を渡ると美濃路に入る。石垣が見え金の鯱を被った名古屋城が右に見えるとここで左折、庄内川まで直線の道が続く。
枇杷島橋で庄内川を渡ると今はなき枇杷島市場である。西枇杷島問屋記念館に立ち寄り、給水、体操、小休止。曇天で風もあり湿気も少ないように感じたがかなり汗をかいている。
かつての問屋街を進み、週末だけ開いているという飴茶庵で駄菓子を購入した後、須ヶ口一里塚を通過し、街道を外れ東海道新幹線と東海道本線のガードをくぐると清州城である。
天守閣に上り眺望を堪能した後、大手橋を渡り、清州公園を横目に進むと清州宿である。住宅街の続く道を進み四ツ家一里塚を過ぎると田園地帯も見え始め、国府宮神社一之鳥居、稲葉宿、萩原宿、市川房枝生家跡、冨田一里塚、起宿を経て起定渡船場跡から木曽川を眺めた後、起児童公園へ。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、六里二十八町也。
着替えた後、手打ちうどん河正さんで生ビールとうどんとそばの合盛りをいただき一日を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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桜天神社・時分鐘
万治4年(1661年)から明治6年(1873年)まで200年以上ここで昼夜12時に鐘をついて時を知らせていたのだそうです。今でこそ桜天神社とともにビル街の谷間に吸い込まれてしまっていますが、かつてはここが街の中心であり情報発信の中心だったのでしょうね。桜天神社 時分鐘 名所・史跡
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美濃路 最初の宿場町 名古屋宿・伝馬会所札ノ辻。
本陣や脇本陣はありませんが、飛脚会所も置かれたかつての名古屋の中心です。ただ、その面影は全くありません。 -
丸の内道標
ここを真っすぐ進むとおしろ(名古屋城)、右折すると下街道、左折すると美濃路五條橋につながります。今日はここを左折して美濃路を目指します。 -
五條橋
慶長15年(1610年)尾張の首府を清須から名古屋に移す「清須越」が行われた際、開削された堀川に架けられた橋が五條橋で、擬宝珠には慶長7年(1602年)の銘があり清須から移されたことを物語っています。現在の橋は昭和13年(1938年)に架け替えられた橋なのだそうです。五条橋 名所・史跡
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美濃路から見た名古屋城
北に伸びていた道が西へと方向転換する場所から撮影しました。かつてお城からはここで美濃路に入って京に向っていたのでしょうね。 -
泰平旅館
営業している様子はなく、玄関はとても旅館とは思えない佇まいです。奥に続く建物を見るとかつては旅館だったのかもしれませんが、宿場町でも間の宿でもないこの地にどうして旅館があるのか不思議です。 -
美濃路道標
文政10年(1827年)に建造された道標でかつては庄内川に架かっていた旧枇杷橋小橋のたもとにあったのだそうです。ここは枇杷島市場があった場所で昭和30年(1955年)まで約350年間尾張地域の流通経済の中心地として栄えていたのだそうです。 -
西枇杷島問屋記念館
問屋記念館の主、山田家は言い伝えによると祖先九左衛門が大坂冬の陣の折、庄内川を渡河した徳川家康の世話をした功績により問屋業を始めることができたのだそうです。明治初期に建てられたというこの建物は明治24年(1891年)の濃尾地震の被害を逃れた数少ない家屋の一つなのだそうです。西枇杷島問屋記念館 美術館・博物館
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美濃路問屋あたりの道筋
古い建物があちらこちらに見られますが不思議と寂れた感じはありません。人通りは少ないですが、生活圏として維持されているようです。 -
飴茶庵
かつて子供たちに「アメチャッチャ」と言われ親しまれたおもちゃや駄菓子を売るお店にちなんで「あめちゃあん」と名付けられたのだそうです。
週末だけ営業しており土曜日のこの日覗いてみると中はまさに昭和の駄菓子屋さん。懐かしの「よっちゃんイカ」を購入。40円也。新川橋の手前にあります。 -
美濃路 須ヶ口一里塚跡
名鉄津島線の踏切を渡ってすぐのところにあります。美濃路はこの後、何か所か一里塚の跡碑があります。脇街道とはいえ道中奉行の管轄下に置かれていただけあります。 -
清州城
清須越により廃城となった清須城でしたが、平成元年(1989年)旧清州町町制100周年を記念して模擬天守が建設され現在に至っています。模擬天守でありながら多くの見学者で賑わっていました。ちなみに「きよす」の表記、清須越以前が「清須」、以後が「清州」なのだそうです。清洲城 名所・史跡
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天守閣から見た大手橋
五条川に架かる橋の向こうには古城跡や清州公園があります。大手橋 名所・史跡
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美濃路 2番目の宿場町 清州宿
清須越の後にできた宿場町で、当初は別の場所にあったようですが、寛文8年(1668年)の火災後この地に再建されたのだそうです。どちらかと言うと昭和レトロな感じですが、宿場町としての雰囲気は感じます。 -
美濃路 四ツ家一里塚跡
推定されている場所のせいか、何の痕跡も残っていません。この少し手前に四ツ家追分があり、ここから鮎鮓街道が笠松経由で中山道加納宿に通じています。 -
国府宮神社一の鳥居
ここから参道を八町(約900m)ほど進むと尾張大國霊神社国府宮があります。 -
美濃路 小沢(こざわ)一里塚跡
稲葉宿の手前にあります。住宅街に埋もれながらも何とかここに一里塚があったことを案内板が示してくれています。 -
美濃路 3番目の宿場町 稲葉宿
本陣があった場所が広場となっています。古い建物も残っており宿場町の雰囲気は残っています。 -
美濃路 4番目の宿場町 萩原宿
こちらも古い建物がちらほら。宿場町の雰囲気を感じます。 -
市川房枝生家跡
市川房枝さんは、戦前は女性参政権運動で、戦後は参議院議員として活躍された婦人運動家で生家跡である広い敷地を見ても分かるとおり村でも裕福な家に生まれ育ったのだそうです。この近所には「市川」姓の表札を掲げた家がいくつかありました。 -
美濃路 冨田一里塚
美濃路で唯一両塚が残る一里塚です。一里塚は明治9年(1876年)の内務省達乙第120号で、目標などの有益な場合を除いて、廃棄か民間への払い下げを行うよう通達されました。それでも、冨田一里塚は廃棄されず昭和3年(1928年)大蔵省から冨田の村社である神明社の所有地として払い下げられた後、昭和12年(1937年)史跡に指定され現在に至っています。 -
美濃路起宿(おこししゅく)脇本陣跡
脇本陣の建物は明治24年(1891年)の濃尾地震で失われており、写真の建物は大正時代に建てられた旧林家住宅を歴史民俗資料館として利用しているものなのだそうです。この先に船橋河戸の渡し場があります。旧林家住宅 名所・史跡
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美濃路 5番目の宿場町 起(おこし)宿
木曽川の渡船場を有する宿場町として賑わっていたようです。この先に宮河戸の渡し場があります。 -
美濃路 起定渡船場(定の渡し)跡
金比羅さんの渡しとも呼ばれて親しまれ、昭和30年頃までポンポン船が運行されていたのだそうです。 -
手打ちうどん河正さん
土曜日の19時過ぎ、席は8割埋まっていました。いずれも地元の方のようです。私のような旅人が訪れるのは珍しいようです。 -
生ビールとそばうどんの合盛り
うどんの食感は武蔵野うどんのようにコシがかなり強くゴワゴワした感じでしたので、鍋焼きにすれば美味しいうどんのようです。事実、この暑い時期に鍋焼きうどんを頼んでいるお客さんがいました。来店するなら冬なんでしょうね。
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