2025/05/19 - 2025/05/19
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chiaki-kさん
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2日目のコースは盛岡から八幡平を越え、秋田県にある小坂鉱山に立ち寄ってから十和田湖へ駆け登り、八甲田山を一周してから弘前まで走るという、300km超えのとんでもコース。一体だれがこんなコースを計画した!
表紙の写真は八幡平見返峠から雪道を20分ほど歩いたところにある鏡沼。沼の中央に残った残雪が丁度、龍の眼のようになることで有名な所謂ドラゴンアイ。今年は積雪が多く、残念ながら開眼には少し早かった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5/19
7:30に盛岡のホテルを出発、R4(以降国道をR、県道をDと表記)からR282を八幡平を目指して北上するが、八幡平市手前から朝の渋滞が始まり、国道脇にあった道の駅「にしね」で時間調整。 -
八幡平市の周辺の道路をグーグル先生の指示通り走り回っていると、こんな絶景と出会う。
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岩手山をバックに菜の花がきれいに咲いている。
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田植えが終わったばかりの水田に八幡平の山々が映りこんでいた。米が高値になっているので農家の皆さんもやる気になっているみたいだね。
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「歓迎八幡平温泉郷」の縦看板を右折し、D23八幡平アスピーテラインを駆け登る。
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D23と「緑ヶ丘」バス停の立っている左ト交差点を左折するとこんな場所に出る。
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後ろを振り返るとこんな廃墟ビル群が林立している。
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さらに進んでゆくと立ち入り禁止のゲートがあるので、ここでUターン。
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ここには群馬県の小串鉱山と並ぶ硫黄採掘量日本一の松尾鉱山があったが、石油精製の過程で硫黄が取り出せるようになってから需要は消滅し、1972年に完全閉山となる。ただ、閉山直後から基準の80倍を超えるヒ素を含む強酸性の排水が問題視され、排水中和施設の建設など様々な対策が講じられている。
ちなみに処理費用は県が負担しているが、年間5億円以上かかる上に半永久的に処理を行わなくてはならないため、岩手県にとっては財政面でも非常に大きな負担となっているそうだ。 -
最盛期の1960年には人口は1万3594人に達し、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅「緑ヶ丘団地」や、小・中学校、病院、映画館などが立ち並び、山奥にもかかわらず当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成されたため「雲上の楽園」とも呼ばれた。
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閉山から53年経ち、今は廃墟となっている建物もいずれは自然界に飲み込まれてしまうのだろう。
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では、これから後ろに見える八幡平まで出発。ちなみに、この日は今回の旅行中、最高のお天気に恵まれた。
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ゆっくりと進む観光バスの後ろについてしばらく走るが、八幡平見返り峠の少し手前にあった無料駐車場にクルマを駐める。
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峠の有料駐車場は多分満車だろうと読んだのだが、平日なのでそれほどでも無かった。
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ここは十和田八幡平国立公園
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悪天候時に心強い山頂レストハウス
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レストハウス前の広場から眺めた岩手山など。
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スノーシューズに履き替え、ザックを担ぎ、ウィンドブレーカーとキャップを装備して鏡沼(以降ドラゴンアイと称す)へ出発。こんな格好をするのは何年ぶりだろうか。
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とっつきはこんな感じの石畳だが・・・
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今年は雪が多かったので、5月19日の段階でまだこんな状況。普通のスニーカーを履いた方はここでUターン。
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真っ直ぐ石段を登って行くと八幡平山頂。左へ行くとドラゴンアイ。
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積雪は深いところで1mほどか。
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後ろを振り向くと良い眺めだね。
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息を切らしながら雪道を登ること約20分でドラゴンアイ到着。うーん、想像してたのと違う!
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快晴の空を映してブルーになるはずの眼がグレーっぽい。
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それに瞳が円では無く楕円+まつ毛付きとは、聞いてないよ。
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見方によっては今、再建途上のフジテレビのマークか?
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よーーーく見ると、沼はまだ凍っているね。それと今年は雪が多かったせいでドラゴンアイ開眼には残念ながら早すぎた。
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10分ほどドラゴンアイを見てから下山する。おや、この人たちは?
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多分、台湾からのインバウンドさん達だね。
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駐車場を出発して3分ほど走ったところに展望台があったので一時停止。これは岩手山方面。
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田沢湖方面か?
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森吉山でしょうか?
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八幡平アスピーデラインを気分よく走り降り、R341を右折。鹿角八幡平ICから東北道に乗り、一気に小坂へワープする。駐車したのは小坂鉱山事務所前。
小坂鉱山事務所は、もともとは別の場所にあったのだが、工場増築に伴い解体され、建物は小坂町に無償譲渡される。2001年、小坂町の明治百年通り構想により、旧小坂鉱山病院跡地に移転復元し、新たに観光施設に生まれ変わった。ちなみに国の重要文化財に指定されている。 -
小坂鉱山は愛媛県の別子、栃木県の足尾、茨城県の日立と並ぶ日本の四大鉱山(銅山)のひとつで、この鉱山を手掛けた藤田組は、小坂鉱山を理想都市に発展させたいという強い意志のもと、1905年に巨費を投じて豪壮華麗な「旧小坂鉱山事務所」を建設した。
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バルコニーを備えた玄関から入館する。入館料は大人1人380円とリーズナブル。
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丁度、昼時になったので2階にある洒落たレストラン・あかしあ亭に直行。
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煮込みハンバーグ定食を頂く。柔らかで、美味しかった。
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鉱山事務所の設計はドイツ人のクルト・アドルフ・ネットー。建設はもちろん藤田組。
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娯楽施設として康楽館(こうらくかん)という芝居小屋も建てられる。近代和風建築の建物は、こちらも国の重要文化財に指定されている。
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こちらが解体される前の旧小坂鉱山事務所
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今日もお客さんがやってきた。そしてこの豪華な事務所にビックリしている様子が像となって残されている。
小坂鉱山は、1990年に閉山するが、新しい取り組みとして「リサイクル製錬」を始めている。小坂鉱山は鉱石から金、銀、銅を取り出すことで発展したが、この技術をもとに携帯電話やパソコンなどの廃棄された電子機器(都市鉱山)から金やレアメタルなど様々な金属を回収する企業に変身しているそうだ。 -
小坂から東の山へ登るD2を駆け上がる。峠を越えクルマを止めたところは発荷峠駐車場。
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十和田湖へ行った方は解るが、湖畔からでは無く、高い所から俯瞰する展望台は、この発荷峠と御鼻部山にしか無い。
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無料の展望台からは青い空を映した十和田湖がクッキリと見渡せた。
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右手には十和田湖に突き出す2つの半島が見える。手前の半島の根本あたりが休屋。
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正面をUPするとこんな感じ。真正面の一段と高い場所が恐らく御鼻部山で、その後ろに聳える雪をかぶった山々は八甲田山と思われる。これからそこへ向かうのだ。
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最近できたばかりの「道の駅十和田湖」で休憩&ショッピング後、十和田湖畔道路を半周。休屋は以前に何度か来ているのでパスし、子ノ口から奥入瀬渓流沿いのR102に入る。休屋は空いていたが、こちらは観光バスやマイカーで大賑わいだった。
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奥入瀬渓流を通過した場所にある奥入瀬渓流館で休憩タイム。名物の苔ソフトクリームを食べるが、スマホやカメラを車内に忘れたので写真はありません。
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奥入瀬渓流館の先のT字路を左折してD103へ入りいよいよ八甲田山一周の始まり。最初はこんな感じで奇麗なブナ林の中を行く道だが標高があがるに連れて道路わきに残雪が目に付くようになる。
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谷地温泉入り口の交差点を右折してR394に入る。さらに6kmほど先の十字路を左折してD40青森田代十和田線に入るが、この道こそ1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森県の青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した道路。田代手前から八甲田山が姿を現してきた。
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田代湿原からは峰がいくつにも分かれている八甲田山がよく見える。
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右側が田代湿原。写真の前方に歩兵第5連隊が目指した田代温泉がある。
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水芭蕉も咲いていた。
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田代湿原から数キロ先に馬立場という場所があり、ここに歩兵第5連隊遭難記念碑がある。
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ここで歩兵第5連隊遭難についてスタディ。(Wikipedia参照)
八甲田雪中行軍遭難事件は、1902年1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故でもある。 -
冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が不通となった場合、物資の運搬を人力ソリで代替可能か調査することを主な目的とした。対象となった経路は難所である青森 - 田代温泉間の雪中行軍演習は片道約20km、1月23日より1泊2日の予定で計画は実行された。
行軍が行われた時は典型的な西高東低の気圧配置で、未曾有のシベリア寒気団が日本列島を覆っており、旭川では零下40度を記録するなど各地で日本の観測史上における最低気温を記録していた。観測係であった看護兵が記録も残せず全員死亡したため定かでないが、『遭難始末』は零下20℃以下だったと推測している。 -
1日目
そんな悪天候の中、馬立場までなんとかたどり着いたがソリの運搬は断念、田代まで1.5kmの地点で連隊は6畳ほどの雪壕を小隊毎に5つ掘り、1壕あたり40名が入ってビバークする。(第一露営地)覆いや敷き藁もなかったため保温性に乏しく、座ることもできなかった
将兵は壕の側壁に寄り掛かるなどして仮眠を取ったが、気温零下20℃以下に達しており、眠ると凍傷になるとして軍歌の斉唱や足踏が命じられた。このため長くても1時間半程度しか眠れなかった。
出発は午前5時の予定だったが、多くの将兵が寒気を訴え、凍傷者が出る恐れが出てきた。午前2時頃、事態を重く見た山口少佐ら将校たちの協議の結果、行軍の目的は達成されたとして帰営を決定。隊は午前2時半に露営地を出発した -
2日目
隊は引き返すため馬立場を目指すが、午前3時半頃に鳴沢付近で峡谷に迷い込んでしまい、やむなく前の露営地に引き返すこととなったが、この時佐藤特務曹長が田代への道を知っていると進言。山口少佐は独断で「然らば案内せよ」と命じた。しかし佐藤は道を誤り、沢への道を下ったところが駒込川の本流に出てしまった。その頃は全員が疲労困憊しており、隊列も揃わず統制に支障が出始めた。山口は佐藤の言が誤りだったことに気付くが、元来た道は吹雪により消されており、隊は遭難状態となった。ここから映画「八甲田山」で映し出された死の彷徨が始まる
結局、前の露営地より直線距離にして約700m進むだけに留まり、夕方頃鳴沢付近の窪地を次の露営地と定めた。(第二露営地)しかし、隊の統制が取れぬ上に、雪濠を掘ろうにも道具を携行していた者は全員落伍して行方不明となっており、文字通り吹き曝しの露天に露営することとなった。食糧は各自携行していた糒(ほしいい)や餅の残りと缶詰があったが、凍結していてほとんど摂食不可能だった。隊は凍傷者を内側に囲むように固まり、軍歌の斉唱や足踏、互いに摩擦し合うなどして睡魔と空腹に耐えたが、猛吹雪と気温の低下で体感温度が零下50℃近く、前日からほとんど不眠不休で絶食状態ということもあり、多数の将兵が昏倒・凍死した。この第2露営地はこの遭難で最も多くの死傷者を出した場所となった。 -
3日目
夜明けを待って出発する予定であったが、凍死者が続出したため、やむなく午前3時頃、隊は馬立場方面を目指して出発した。この時点で死者・行方不明者合わせて70名を超えており、その他の者も多くが凍傷にかかっていた。方位磁針は凍りついて用を成さず、地図と勘だけに頼った行軍となり、多くの兵士が脱落していった。 -
4日目
倉石、神成両大尉と比較的元気だった十数名との協議の末、現在地から田茂木野まではおよそ8kmと推測し夜明けを待って出発することとした。午前1時頃に将兵を呼集すると約30名になっていたが、前日の露営で山口少佐が再び意識障害となり、兵卒に背負われて行軍した。隊列は乱れに乱れ、先頭は神成、倉石と定まっていたが、他の者は所属も階級も関係なく、将兵たちが後から続く形となっていた。 -
5日目
生き残った隊は協議の末、田茂木野を目指す神成大尉一行数名と、駒込澤沿いに進行し青森を目指す倉石大尉の一行約20名とに分かれて進むこととなった。
倉石隊は駒込川方面を進むが、途中で崖にはまってしまい、進むことも退くこともできなくなった。日没後は崖の陰に寄って夜を凌ごうとしていたところ、見習士官他一名は連隊に報告すると告げ、裸になると倉石の制止を振り切り川に飛び込んだ。その後、2名は3月9日に下流で遺体となって発見された。
神成隊は、目標に対し比較的正しい方角へ進んでいたものの、猛吹雪をまともに受けたため落伍者が続出し、隊は4名となった。やがて一人は隊を離れたが、そのまま帰ってこなかった。さらに一人は手当てもできずに死亡。ついには神成大尉も倒れ、1月27日早朝、神成は後藤伍長に「田茂木野に行って住民を雇い、連隊への連絡を依頼せよ」と命令した。後藤は朦朧とした意識の中、危急を知らせるために、単身田茂木野へ向かった。この像がその後藤伍長。 -
後藤伍長発見
帰って来ない連隊を案じて、遅ればせながら救援隊が組織されたが、大滝平付近で歩哨のように仮死状態でたたずむ後藤房之助伍長を発見。後日、後藤はこの時のことを「其距離等も詳かに知る能はず、所謂夢中に前進中救護隊の為めに救助せられたるものなり」と述べている。ここで雪中行軍隊の遭難が判明した。
写真は雪の残る八甲田山をバックにした後藤伍長の像だが、こんな美しい山も真冬となると、地獄に変わることを伝えている。 -
後藤伍長の像から降り、今は営業していない土産屋を見ると屋根の一部が破壊されていた。今年の雪がいかに多かったかを物語るように。
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D40→R103→R394→R102を経由して弘前へ。途中ガードレールが見事に損傷しているシーンを見たが、大雪でこうなったのか、わざとこうしたのか解らない。
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17:40頃に弘前グランドホテル到着。300kmを越える山岳ドライブがやっと終了した。
ホテルの口コミはこちら
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/15240879 -
ホテルから5分も歩けば飲食店街があるのは解っていたが、久しぶりの登山で左足の膝に違和感を感じていたので、晩飯はホテルの隣で、古風な洋風建物の1階にあったラーメン屋「煮干結社 弘前店」で煮干しラーメン。
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煮干しで出汁をとったスープを想像していたが、なんと煮干しを粉砕して出汁にぶち込んだスープなのでコッテリ系。券売機で購入したのは虹の海老スペシャル。海老風味が濃厚でまいうでした。
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夕食後は近くのローソンでビールを購入して部屋飲み。今夜も山岳ドライブと久しぶりの登山の疲れで、ぐっすり寝込んでしまった。LASTの写真は八幡平の大深沢展望台で撮影した記念証拠写真。なんでスティングレーばかりちょこちょこ写るのか、の理由は最後の章で明かしたいと思います。
これで「2025年 北東北旅行記2:龍の眼は開眼まであと少し、八幡平・小坂鉱山・十和田湖・八甲田山一周」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。次回は「2025年 北東北旅行記3:青森でねぶたと出会う、弘前城・津軽半島&ワ・ ラッセ」です。
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