2025/03/29 - 2025/03/29
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ポポポさん
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萩城跡指月公園内に咲く稀少種の桜ミドリヨシノを見た後は萩城内を観光することにした。
萩城には何度か訪れているがまだ一度も訪れたことが無いのが指月山の山頂にある詰丸。萩城は慶長13年に完工した平山城である。すでに天下の形勢が徳川に傾き徳川幕府が開府された平時にもかかわらず、戦国期のような戦闘的な城郭を築き上げたのが特徴である。
その性格が顕著に表れていると言われているのが指月山山頂に築かれた詰丸である。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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引き続き萩城指月公園の観光を続ける。
ここは花江茶亭(はなのえちゃてい)、元は三の丸にあった13代藩主毛利敬親の別邸にあった茶室を明治20年頃に移築したものである。
この茶室は幕末に藩主敬親が家臣たちと茶事に託して倒幕の計画などを練った場所言われている。
茶室は身分の上下に関わらず同席できるので、藩主敬親は城を山口に移転した時も同様の茶室を設けて家臣たちと倒幕の密議を行っている。
今年は毛利輝元公生誕400年に当たる年、萩市では毛利輝元公400年祭として数々の行事を予定している。萩城跡指月公園 名所・史跡
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花江茶亭の庭。
日本庭園で枯山水庭園のようにも見えるが石橋が設けられたり池の趾があることから池泉回遊式庭園の様でもある。萩城跡指月公園 名所・史跡
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花江茶亭の庭園の周りには花江茶亭の外に旧梨羽家茶室(写真右端の建物)がある。
花江茶亭は明治20年頃に移築されたので、元々は旧梨羽家茶室の庭園だったのかもしれない。 -
こちらが花江茶亭の正式な入口。
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花江茶亭の入口門と右の建物が茶室。
茅葺屋根の質素な作りだが屋根はかなり傷んでいた。 -
茶室の庭園からソメイヨシノの桜も眺める。
こちらの桜は日当たりがいいようで7分咲きだった。萩城跡指月公園 名所・史跡
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花江茶亭の様子。
訪れた時茶亭のお客は2名だった。カメラが置いてあるが、これはミドリヨシノの撮影に訪れた地元ケーブルテレビのカメラマン、茶の来客者と撮影の打ち合わせでもしているようだった。 -
茶亭の写真をもう一枚。
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ここら天守跡(天守台)に行ってみよう。
本丸内の桜が綺麗だった。後数日もすれば満開になりそうな感じだ。 -
二の丸の石垣と内堀、そして左端の石垣が天守跡。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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二の丸の石垣は上部が少し崩れかけている所があるが、ほぼ建築当初の原形を留めている。
写真内堀の右奥には岡崎門跡が、右内堀のさらに右に折れた辺りには西高門跡があった。 -
ここは天守台の上り口
萩城天守閣跡と表示されている。パンフレットの記載は萩城天守跡。 -
この石段を上った所が天守跡(天守台)。
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内堀と二の丸の石垣。
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内堀と本丸土塀の石垣部分。
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天守跡の基壇。
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本丸跡から眺めた内堀と二の丸の石垣。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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本丸跡(指月公園)に咲いているソメイヨシノ。
本丸跡にあるソメイヨシノは約600本、太陽光の当たり具合で開花状態が異なり早咲きの物で7分咲き、大部分の桜は5分咲きだった。 -
天守跡(天守台)とそれに連なる本丸土塀の基壇部分
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本丸土塀の石垣部分。本丸側は写真のように石段になっており、多数の兵士が一度に土塀の狭間に殺到できるように工夫されていた。
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天守跡から本丸土塀の石垣を眺める。
石垣には防御用の土塀が築かれていた。土塀には矢間・鉄砲狭間が設けられていたので石垣の幅は弓・鉄砲部隊が2ないし3列横隊で待機できるよ約3mの幅だった。 -
本丸土塀の石垣から天守跡を望む。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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本丸跡に咲いていた桜。
花弁が白色に見えたので近寄ってみたが、この桜はがくがピンク色のソメイヨシノだった。 -
ズームにしたが間違いなくがくがピンク色なのでこの桜はソメイヨシノ。
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天守台登り口とソメイヨシノ。
満開の時期だったらもっと綺麗だったと思う。後ろに見える山が指月山。 -
本丸跡に設置されていた萩城天守の説明板。
写真は萩城が解体される前の明治初年頃の写真。萩城は毛利輝元が築城した城で、白亜の5層の天守を持ち美しい城と言われていた。
原爆で破壊される前の広島城(鯉城)も名城と言われており、この城も毛利輝元が築城した。
凡庸で優柔不断な毛利輝元も、城造りには才能があったようだ。
余談だが広島城はその美しさ故か日清戦争では大本営が置かれて明治天皇が行幸された。また日本最強の師団としてその名が鳴り響いた陸軍第五師団の師団司令部が置かれた城だが、原爆で跡形も無く破壊された。 -
萩城案内図
案内図の左上部に指月山とあり、そのすぐ下に萩城詰丸跡と書かれた城跡に今から登る。 -
萩古地図の萩城
江戸時代の本丸、二の丸、三の丸、さらには内堀、中堀の様子がよく分かる。
現在では中堀は埋め立てられていてその姿を見るこちはできない。
この写真ピンボケですみません。 -
萩場内の観光地案内とその説明文。
案内の右上に④東園とあるが、ここは6代藩主が策定した大名庭園だそうで、この庭園だけ見るのを忘れてしまった。
また行く機会があれば見逃さずに見ておきたい。 -
城内のソメイヨシノ。
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同じく城内のソメイヨシノ。
城内の通路を抜けてこれから行く所は指月山の頂上にある詰丸。
詰丸は萩城要害跡とも呼ばれ、戦時最後の抵抗を試みることができるように意図して造られた要害である。 -
指月山の標高は僅か143mしかないが、設けられていた登山道はかなり厳しい物だった。
山道には写真のような石段が随所に設けられいた。 -
山には薮椿があり、花弁が登山道に散り落ちていた。
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登山道途中から下りの坂道を見た様子。
山道には相当な傾斜があり低い標高とは裏腹に険しい山道だった。
途中で何度もや休憩して息を整えなければ息切れしてしまう。
これらの石段はいつ設けられたのだろうか?
築城時とは思えないが、指月公園の一部として整備されたのだろうか?
このことに触れる記述は無いので全く分からなかった。 -
詰丸の枡形虎口の入り口は急な直道になっており特に傾斜がきつかった。
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萩城詰丸入口。
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入り口の石垣に「萩城詰丸跡」の石碑が立っていた。
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詰丸の桝形虎口。
虎口を右に進むと詰丸の二の丸に入場する櫓門(表門)があったが、詰丸の建物は残っていない。 -
小口の白壁には無数の落書きが彫りこまれていて無残な状態であった。
こ
萩城は世界遺産の構成資産である。これほど無残な状態に置かれた世界遺産を見たのは初めてでショックを受けた。
この落書きは世界遺産認定後に彫られたものか、それとも認定以前なのか私には分からない。何故なら詰丸に上ったのは今回が初めてだったからだ。
萩市においては早急にこの漆喰壁を補修していただきたいと思う。 -
櫓門跡から内部に入るとそこが詰丸の二の丸である。
詰丸は写真奥の本丸と手前の二の丸で構成されている。指月山 自然・景勝地
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二の丸から階段を上って本丸に上がった。
二の丸と本丸の境は土塀で仕切られ二つの間の通路には棟門があった。
写真左、石垣の間が棟門があった場所である。 -
本丸の様子。
本丸部分は平地は大きく広がっていた。山頂に削って広い平地を造るにはかなりの労力を要したと思われる。 -
萩城要害跡の説明板
詰丸は萩城要害とも呼ばれていた。
写真は萩城要害跡の説明文。詰丸は石垣と土塀で囲まれた本格的な城郭である。
東側の高くなった場所が本丸、西側の低い所が二の丸で門矢倉の外に7つの矢倉があった。
矢倉には戦時の籠城するため武器が配備されていた。
本丸には天守は無く、藩主が酒肴の場として使用した茶室が残っていた。二の丸には番兵が常駐しており、彼らが詰める番所と居住小屋が設けられていた。
戦時に籠城する最後の砦であるため飲料や消火の貯水施設や石切り場が残っている。 -
見にくいので説明板をアップにした。
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本丸にあった用水槽。
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本丸は写真のようにかなり広い平地だった。
戦時には相当の数の兵士が駐屯できそう。 -
本丸にある給水池の跡
崩れ防止に一部コンクリートで補強されていた。 -
本丸で目に付いたのが何本もの薮椿。
土塀があったと思われる場所に薮椿が咲いており、地面には先落ちた椿の花が一杯落ちていた。
薮椿はここだけではなく、本丸周辺に何本も咲いていた。
わざわざ植え付けされた物ではなく、多分自生していたものだろう。登山道の脇にもかなりの椿が咲いていた。
萩市の笠山には約25000本のヤブ椿の群生林がある。もともとこの地域には昔から多くのヤブ椿が自生していたのではなかろうか。 -
本丸には写真のような巨岩が残されている。
左側の岩には石切りの為、鏨が撃ち込まれた跡が残されており、場内に石切り場があったことが分かる。 -
ここは本丸のビューポイントから見た景色。
指月山の麓には萩城、その左に広がっているのは菊が浜と日本海。写真中央に見える地域一帯が世界遺産萩城下町。
城の東側は三の丸で重臣や上級武士の住居地区。堀内と呼ばれていた。写真左上の学校は県立萩高校。その近くに口羽家住宅がある。萩城下町 名所・史跡
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本丸のもう一つのビューポイントがここ。
本丸から見える日本海と萩の離島。中央に見えるのが笠山。離島ではないが日本一小さい死火山で有名、萩ジオパークの構成資産になっている。
左端の平らな島は相島。スイカで有名な島である。笠山(山口県萩市) 自然・景勝地
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再び本丸を歩いてみた。
先程とは違う場所の薮椿。こちらの椿の方が木が大きい。 -
椿の花がかなり散り落ちているため、ワンサカ咲いている訳ではない。
薮椿の開花時期は2月中旬から3月下旬なので、もう花は終わりかけの時期だった。 -
ヤブ椿から漏れる木漏れ日。
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散り落ちた椿の花。
椿の花は散り落ちた方が綺麗かも。 -
本丸の周囲を歩いて行くとまたまたヤブ椿に出会った。
この椿の木は若木だったが花はかなりの数落下していた。 -
次に訪れたのは二の丸。
本丸同様平坦な地形だったが敷地内に大きな木が何本も立っていた。 -
二の丸のビューポイント
日本海、菊が浜、萩城、萩城下町が見渡せる絶景ポイントだ。 -
でも現実はこのような景色。萩城、萩城下町、菊が浜の景色は立ち並ぶ木に遮られて見えなかった。
唯一見れたのは写真の通り日本海のみ。市は邪魔な木を伐採してくれないかな。 -
二の丸の立木。
かなり大きな木だった。詰丸築城時にあった木だろうか? -
二の丸にも鏨を打ち込んだ石が当時のまま放置されていた。
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この石も石切りの途中で放置されていた。
詰丸の観光はこれで終わり、下山します。 -
下りの登山道。
階段が設置されている箇所は歩きやすいが、元々勾配が急な山道なので下りは登り以上に注意が必要。 -
本丸跡にある花江茶亭。
この茶亭の横を通って城の出口に向かう。 -
花江茶亭の全景。
藁屋根の建物が茶室。藁屋根がかなり傷んでいた、というかボロボロ。 -
茶亭の前には井戸がある。この井戸から汲み上げた井戸水で茶をたてるようだ。
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本丸跡(指月公園)内の至る所でソメイヨシノが咲いている。
桜が満開になれば見事な景色が見れるだろう。 -
再び志都岐神社の鳥居前に出て来た。
鳥居の奥に咲いているのがミドリヨシノ。始めて桜が咲く時期に訪れたがとても美しい桜に出会えて良かった。志都岐山神社 寺・神社・教会
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萩城天守跡と内堀の姿。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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明治7年に解体される前はこのような美しい天守の城だった。
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天守跡と長石垣。萩城は平山城だが、今は埋め立てられている中堀から海に出ることができる海城でもあった。
後ろの山が指月山。指月山 自然・景勝地
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二の丸の塩矢倉があった石垣。
二の丸門を守る防御施設の矢倉だった。 -
塩矢倉後の表示板。
以上でミドリヨシノと旧萩城、指月公園の観光は終りです。
駐車場が無料になったので萩城は以前より観光し易すくなった。 -
萩道路を中国自動車美祢東インターに向かうと道路沿いに木蓮の花が沢山咲いていました。
満開を幾分過ぎた状態でしたが、白い花がとても綺麗でした。 -
道路沿いはこんな感じで白一色。ミドリヨシノも真っ白で美しかったが白の木蓮も綺麗だった。
これでミドリヨシノとは萩城の旅行記は終わりです。訪問下さり有り難うございました。
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