2025/03/29 - 2025/03/29
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ポポポさん
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日本には山口県の萩市でしか見られない希少種の桜がある。
その名は「ミドリヨシノ」、しかも萩市内には2本しかないと言う。桜があるのは萩城趾と他に個人宅の2本のみ。
世界でも2本しかない希少種の桜が萩にある。その桜を今年こそはこの目で確かめたいと思い満開の時期に萩城趾を訪れた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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久々に訪れる萩市の菊ケ浜。海に突き出たか小高い山が指月山で、その山裾に萩城趾がある。
世界で2本しか無い希少種の桜、ミドリヨシノは萩城趾にある。
通常萩城跡には萩城下町を通って行くのだが、久し振りに日本海の景色が見たくなり、菊ケ浜沿いの海岸道路へ車を走らせることにした。指月山 自然・景勝地
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海岸道路沿いを走り抜けて萩城入口にある駐車場に到着。
ここで驚いた事がある。今までは有料駐車場だったのに、いつの間にか無料駐車場になっていたので思わず写真を写してしまった。
いつ無料駐車場になったのだろうか?萩城下町が世界遺産のなって以降も萩城跡には訪れた事が無いので、いつ無料駐車場になったのか知らないが、観光客を呼び込むために世界遺産になったのを契機に無料駐車場にしたのかもしれない。
いずれにしても観光客には嬉しい事だ。 -
萩城の駐車場がある場所は萩城二の丸跡、ここから料金所がある本丸門に進んで行く。
写真は二の丸南門跡。萩城跡指月公園 名所・史跡
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二の丸南門跡を過ぎると正面に見えてくるのが毛利輝元像。
凛々しい姿の銅像だが果たしてそうだったのか疑問を感じざるを得ないのがこの人物である。
萩城は毛利輝元が建てた城なので銅像が建てられたのであろうが、歴代毛利藩主の中で凡庸で優柔不断として挙げられるのはこの殿様だろう。
さらに輝元の長男毛利秀就(もうりひでなり)は若い頃から素行が悪く、政務もまともに行えず、家臣が諌めても一向に改まらなかったという。
親子そろってダメ藩主の見本と言っていいだろ。輝元は関ヶ原の戦いでは自らの意志で西軍の総大将になったにも関わらず、徳川家康のように決戦場に出陣することもせず、最終局面での決断力も胆力もかけており、およそ戦国大名とは言えぬひ弱さがあった。
関が原で西軍が大敗したと言っても毛利輝元は豊臣秀頼を擁して大阪城にあった。無傷の毛利本軍1万6千を率いて大阪城に入場した毛利秀元や野戦の天才立花宗茂・島津義弘らは徹底抗戦を主張した。事実無傷の毛利本軍の他に長曾我部や本戦に参加しなかった軍勢が多数存在したのだ。
さらに豊臣秀頼を奉じているため徳川家康に組した豊臣恩顧の武将の矛先が鈍る可能性が大きかった。
何といっても難攻不落の大阪城と無傷の毛利本軍は徳川家康にとって脅威の何者でのなかったのである。
しかるに毛利輝元は徳川家康が毛利本領(8カ国、120万5千石)を安堵するという申し出にまんまと騙されて、1戦も交えることも無くそそくさと大阪城を家康に差し出して帰国したのである。結果防長2カ国36万9千石に厳封されてしまう。
これをバカ大名と言わずして何と表現すればいいのだろうか。以後腰抜けバカ大名のレッテルを貼られる事になる。
余談ではあるが、この後毛利家では正月に行われる恒例の行事としてあることが国家老と藩主の間で行われた。
年頭の挨拶の席上で、国家老は「殿、いよいよ今年でありますか?」と尋ねると、藩主が「いやいや早まるまいぞ、まだその機ではあるまい」とやり取りするのが恒例になったと言う。
このやり取りは家老が「徳川を打ち倒すのは今年ですか?」と問い、藩主が「まだその時期ではあるまい、早まるでないぞ」と答えた。このやり取りを260年もの間続け、ついに元治二年に藩主が徳川打倒を宣言したのである。 -
毛利輝元の略歴説明文
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萩城本丸門前。写真の堀は内堀である。
萩城には三の丸の重臣の居住区と場外の間に外堀がある。
写真左寄りの石垣が高くなっている所が天守台。萩城跡指月公園 名所・史跡
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本丸の入り口。
中央石垣の間にかつて本丸門があった。萩城跡指月公園 名所・史跡
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萩城内堀と本丸の石垣。
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萩城天守台。
萩城跡指月公園 名所・史跡
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旧本丸門入口。
真っ直ぐ進んだ所に料金所がある。料金は旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の観光ができる共通券で大人220円。 -
旧本丸門跡を抜けて本丸の正面に見えるのが志都岐山神社の鳥居。本丸跡にはミドリヨシノの他に600本のソメイヨシノが咲いていた。
部分的には7分咲きから8分咲きの桜があったが、大部分のソメイヨシノは5分咲きだった。 -
志都岐神社の鳥居。
建立は明治33年6月だからさほど古い物ではない。 -
神社の鳥居を潜りまっすぐに進むと狛犬が見えて来る。
この狛犬の側にあるのが希少種の「ミドリヨシノ」だ。 -
神社の狛犬。
この狛犬の所に咲いているのが世界に2本だけある「ミドリヨシノ」の内の1本である。
遠くからでは分かり難いが、狛犬の左に咲いている桜が「ミドリヨシノ」、その右の桜がソメイヨシノである。 -
狛犬と「ミドリヨシノ」。
写真では桜の花の色が分かり難いが、「ミドリヨシノ」は純白、ソメイヨシノは淡いピンク色である。 -
訪れたのは3月29日で「ミドリヨシノ」は満開。
ミドリヨシノの開花時期はソメイヨシノより早く3月中旬。今年は開花時期が遅れていたのでソメイヨシノも開花しており、両方の桜の競演に出会える機会に恵まれた。 -
ミドリヨシノはソメイヨシノに似ているが、花は純白で額が緑色の為、ミドリヨシノと名付けられた。
がくがピンク色のソメイヨシノとは別種の桜で萩市のみに見られる稀品種であるため、基準品種の原木として貴重だそうだ。 -
花をアップでとらえると額が緑色であることが良く分かる。
遠く離れてみると純白の花はナシの花のようにも見える。 -
ミドリヨシノは純白でとても美しく、清楚で気品がある。
こんな感じの桜だった。 -
ミドリヨシノ。
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ミドリヨシノ。
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ミドリヨシノの説明板。
日本で萩市のみに知られる稀品で植物分類学的位置を評論する場合の基準標本の原木として貴重だそうだ。 -
ミドリヨシノが咲いている場所は萩城内の志都岐山神社前の万歳橋(ばんせいばし)の側である。
奥の建物が志都岐山神社で手前の石橋が万歳橋。明倫館遺構万歳橋 名所・史跡
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万歳橋は藩校明倫館の遺構。明倫館には他の藩校と同じように孔子を祀る聖廟があり、その前にこの石橋が架けられていた。
明倫館遺構万歳橋 名所・史跡
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万歳橋の説明板
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ミドリヨシノの幹は基部で三分岐している。その内一枝は枯損していると説明文に書かれてあったが写真を写した時には気付かなかった。
左と中央の幹には花が咲いていたので、枯損している幹は一番右の細い幹だと思う。 -
ミドリヨシノの花の写真を撮っているとあることに気が付いた。
中央の幹から伸びる一つの枝に手毬のように丸くなって咲くいくつもの桜の花があるのだ。
まるで八重桜の大手毬、小手毬にそっくりの桜。 -
一つの枝にだけ花が毬のように固まって咲いていた。
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まるで手毬のように丸く固まって咲くミドリヨシノ。
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毬のように丸くなった姿は八重桜の子手毬や大手毬のよう。
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中には丸くなるのが不揃いの花も見受けられた。
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この辺りの桜はまん丸の手毬。
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八重桜風の手毬が無い枝のミドリヨシノはこのような姿。
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ミドリヨシノはこの日(3月29日)が満開だった。隣にソメイヨシノがあるのだが、そちらはまだ4分咲き程度だった。
ミドリヨシノと花の色比べをするには花の数が少なすぎた。 -
青空を背景にするとミドリヨシノの白色が際立つ。
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小手毬状のミドリヨシノ。
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同じく小手毬のミドリヨシノ。
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小手毬状のミドリヨシノは1本の幹の、そのまた1本の枝に咲く桜だけだった。
他の桜はソメイヨシノと同じタイプの普通の桜の花びらだった。
小手毬状の桜が1本の枝のみに咲いていることがとても不思議だった。 -
手前の枝は小手毬状の桜、奥の枝は普通に桜の花びら。
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私は八重桜と同じ手毬状の桜の塊に魅せられてしまった。他の桜でもこのような花を付けた桜があるのだろうか。
私はまだ見たことが無かったので、この手毬状の桜をカメラで追い続けた。
若い女性の観光客は「この花、手毬になって咲いてる。可愛い。」とはしゃいでいたが、私も同じ気分だった。 -
手毬状に桜の花を一杯咲かせていた小枝。
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離れて見ると普通の桜と、手前の手毬状態の桜の違いが良く分かる。
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青空に映えるミドリヨシノ。
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手毬状のミドリヨシノ。
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手毬状のミドリヨシノ。
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手毬状のミドリヨシノ。
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てんてん手毬のミドリヨシノ。この花が一番手毬のように咲いていた。
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同じ枝に咲いていた別の手毬状態のミドリヨシノ。
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手毬型のミドリヨシノは八重桜としか思えないのだが、同じ幹に2種類の花を咲かせている姿は珍しいのではないだろうか。
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この辺りは手毬型の花が多い。
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八重桜と見間違うほどの手毬状ミドリヨシノ。
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ミドリヨシノ。
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ミドリヨシノ。
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万歳橋を渡って志都岐山神社に参拝してみよう。
明倫館遺構万歳橋 名所・史跡
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志都岐山神社は毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の5柱の他に初代から12代までの萩藩主が祀られている。
拝殿には毛利家家紋の「一文字三つ星紋」の幕が掲げられていた。志都岐山神社 寺・神社・教会
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こちらは神社の拝殿。
志都岐山神社 寺・神社・教会
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志都山神社の説明板。
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萩城本丸内にある旧福原家書院跡
福原氏は毛利一門で萩藩の重臣。永代家老を務め領地は山口市の吉敷から宇部市の琴崎に領地替えを命ぜられ長くこの地を治めた。幕末期の当主福原越後は禁門の変の責任を負わされ自刃した。
次は萩城内の様子をお伝えします。訪問下さり有り難うございました。
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