長岡京・向日旅行記(ブログ) 一覧に戻る
長岡宮跡を訪ねました。<br />たった10年間の都のあった長岡宮、その広い都の建物跡があちこちに点在し、公園として保存されるなどしています。<br />この長岡宮の存在については、疑問があったようです。<br />謎の多い長岡宮、興味津々であるきました。<br /><br />10年の都 長岡宮の存在は疑問視されていたそうですが、中山修一氏が長岡宮の実在を信じ、昭和29年から発掘を行い、大内裏朝堂院の門跡が発見されたことからはじまり、その後発掘の調査が進み、長岡宮の姿がどんどん明らかになってきたようです。<br />歴史学者の中山氏のたゆまない探究と信念が伝わってきました。<br />発掘によって、平城宮や難波宮、そのほかの宮殿からも建物を移築したこともわかっています。<br /><br />長岡京への遷都の理由も、様々考えられているようですが、<br />長岡の豊富な水を求めたことなどがあったようです。水に関しては船運の便利、生活用水が豊富で、排泄物の処理などにも便利であったことなどもありました。後に、その川も氾濫し、平安京への遷都の理由の一つにもなったのは皮肉です。<br />貴族や仏教などとの関係、朝廷内の改革を推し進めたいという理由も考えられています。桓武天皇は行動力旺盛の天皇だったことがわかります。<br /><br />そして、また10年後には平安京に遷都しますが、長岡宮使の藤原種継が暗殺され、また近親者への災難、災害、事件なども起こり、桓武天皇が弟早良親王(藤原種継暗殺の疑いをかけられ亡くなっています)の祟りを恐れたこと、水の豊富な長岡京も大雨により川の氾濫などもあり、和気清麻呂の建議などにもより、長岡京は平安京へと遷都します。<br /><br />長岡京への遷都、そして平安京への遷都、それぞれに深刻な当時の理由が<br />あったことがよくわかりました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

京都さんぽ  幻の都といわれた、、、およそ10年、、短い都のあった長岡宮をたどります♪♪

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2025/05/19 - 2025/05/19

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hijuno

hijunoさん

この旅行記のスケジュール

2025/05/19

この旅行記スケジュールを元に

長岡宮跡を訪ねました。
たった10年間の都のあった長岡宮、その広い都の建物跡があちこちに点在し、公園として保存されるなどしています。
この長岡宮の存在については、疑問があったようです。
謎の多い長岡宮、興味津々であるきました。

10年の都 長岡宮の存在は疑問視されていたそうですが、中山修一氏が長岡宮の実在を信じ、昭和29年から発掘を行い、大内裏朝堂院の門跡が発見されたことからはじまり、その後発掘の調査が進み、長岡宮の姿がどんどん明らかになってきたようです。
歴史学者の中山氏のたゆまない探究と信念が伝わってきました。
発掘によって、平城宮や難波宮、そのほかの宮殿からも建物を移築したこともわかっています。

長岡京への遷都の理由も、様々考えられているようですが、
長岡の豊富な水を求めたことなどがあったようです。水に関しては船運の便利、生活用水が豊富で、排泄物の処理などにも便利であったことなどもありました。後に、その川も氾濫し、平安京への遷都の理由の一つにもなったのは皮肉です。
貴族や仏教などとの関係、朝廷内の改革を推し進めたいという理由も考えられています。桓武天皇は行動力旺盛の天皇だったことがわかります。

そして、また10年後には平安京に遷都しますが、長岡宮使の藤原種継が暗殺され、また近親者への災難、災害、事件なども起こり、桓武天皇が弟早良親王(藤原種継暗殺の疑いをかけられ亡くなっています)の祟りを恐れたこと、水の豊富な長岡京も大雨により川の氾濫などもあり、和気清麻呂の建議などにもより、長岡京は平安京へと遷都します。

長岡京への遷都、そして平安京への遷都、それぞれに深刻な当時の理由が
あったことがよくわかりました。








旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 自家用車 徒歩
  • 長岡宮探検、まず、西向日駅から出発します♪

    長岡宮探検、まず、西向日駅から出発します♪

  • 駅のそば、小さな公園。

    駅のそば、小さな公園。

  • こんな看板もあって、

    こんな看板もあって、

  • 石碑もあって、

    石碑もあって、

  • 駅からも歴史の香りプンプンでした♪

    駅からも歴史の香りプンプンでした♪

  • 歩いていると、こんな地図。<br />どこから周るのがよいか、自分のノートをもう一度確認していると

    歩いていると、こんな地図。
    どこから周るのがよいか、自分のノートをもう一度確認していると

  • もうここから史跡がはじまりました。<br />昔、習った長岡京のこと、、、すっかり忘れていたので、少しだけ勉強してみました。<br /><br />長岡京は桓武天皇の時代、784年に平城京から遷都されます。<br />側近の藤原種継は長岡宮使となり長岡宮への遷都を勧めます。<br />長岡が藤原種継の故郷として協力基盤があったことや、当時の仏教や貴族との関係の改善、朝廷の改革、長岡の豊富な水資源、船運が便利であることなどが考えられています。<br />建物も平城宮や難波宮や他の宮からの移築がされたようです。<br />785年には長岡宮使だった藤原種継が暗殺され、その疑いは桓武天皇の弟である<br />早良親王にもむけられ、親王は亡くなります。<br />その後、飢饉や災害、天皇の周囲の人々が相次いで亡くなるなど、早良親王の祟りであることを恐れ、また大雨による長岡の川の氾濫もあり、794年には平安京へと遷都することになります。<br />10年の都でした。<br /><br />この長岡京で使った建物も、また平安京へ運ばれ、そこで使われたようですが、<br />この費用や労役の人々の苦労もまた半端ではないなぁ~と感じました。<br />そして、都を移すことには多くの理由があり、切羽つまった状況もまた理解しました。<br />現代で、都を変えるとなると、どんなになるのだろう~など考えてしまいました。<br /><br />

    もうここから史跡がはじまりました。
    昔、習った長岡京のこと、、、すっかり忘れていたので、少しだけ勉強してみました。

    長岡京は桓武天皇の時代、784年に平城京から遷都されます。
    側近の藤原種継は長岡宮使となり長岡宮への遷都を勧めます。
    長岡が藤原種継の故郷として協力基盤があったことや、当時の仏教や貴族との関係の改善、朝廷の改革、長岡の豊富な水資源、船運が便利であることなどが考えられています。
    建物も平城宮や難波宮や他の宮からの移築がされたようです。
    785年には長岡宮使だった藤原種継が暗殺され、その疑いは桓武天皇の弟である
    早良親王にもむけられ、親王は亡くなります。
    その後、飢饉や災害、天皇の周囲の人々が相次いで亡くなるなど、早良親王の祟りであることを恐れ、また大雨による長岡の川の氾濫もあり、794年には平安京へと遷都することになります。
    10年の都でした。

    この長岡京で使った建物も、また平安京へ運ばれ、そこで使われたようですが、
    この費用や労役の人々の苦労もまた半端ではないなぁ~と感じました。
    そして、都を移すことには多くの理由があり、切羽つまった状況もまた理解しました。
    現代で、都を変えるとなると、どんなになるのだろう~など考えてしまいました。

  • インフォメーションセンターのような場所もあります。

    インフォメーションセンターのような場所もあります。

  • 見どころが沢山ありそう。

    見どころが沢山ありそう。

  • こんな便利なことができるんですねぇ~<br />大の機械音痴なもんで、かえってアプリ探してみよう♪

    こんな便利なことができるんですねぇ~
    大の機械音痴なもんで、かえってアプリ探してみよう♪

  • 広い芝生の公園になっています。<br />

    広い芝生の公園になっています。

  • 朝堂院公園というようです。<br /><br />朝堂院は現在の国会議事堂のような場所で、高級役人たちが政務を執る場所でした。<br />長岡京の時代になると、朝賀の儀式や饗宴につかわれるようになったそうです。<br /><br />

    朝堂院公園というようです。

    朝堂院は現在の国会議事堂のような場所で、高級役人たちが政務を執る場所でした。
    長岡京の時代になると、朝賀の儀式や饗宴につかわれるようになったそうです。

  • 外に詳しい説明板もあります。<br /><br />長岡宮は学校で習ったことを思い出します。<br />桓武天皇の時代に784年に平城京から長岡京に遷都、約10年ほどの期間の短い都だったところ。。<br />その存在すら、疑われたくらいに、短い期間の都です。<br /><br />天皇が政治を司るのが大極殿、天皇の住まいの内裏、国儀大礼を行う朝堂院などがあり、難波の宮の建物をこちらに移築して造られたようです。<br /><br /><br />

    外に詳しい説明板もあります。

    長岡宮は学校で習ったことを思い出します。
    桓武天皇の時代に784年に平城京から長岡京に遷都、約10年ほどの期間の短い都だったところ。。
    その存在すら、疑われたくらいに、短い期間の都です。

    天皇が政治を司るのが大極殿、天皇の住まいの内裏、国儀大礼を行う朝堂院などがあり、難波の宮の建物をこちらに移築して造られたようです。


  • 建物の位置や発掘の様子など。

    建物の位置や発掘の様子など。

  • 広々とした空き地にぽつぽつと礎石らしきものが。。

    広々とした空き地にぽつぽつと礎石らしきものが。。

  • 礎石。

    礎石。

  • この辺りは、楼閣、回廊があった場所のようです。

    この辺りは、楼閣、回廊があった場所のようです。

  • 説明にもありますが、<br />図のような回廊があり、楼閣があり、中国の唐時代の長安を模倣して、朝堂院前に建てられたものだそうです。<br /><br />平安京の時代にも同じような楼閣があったようで、<br />皇帝の権威と人民への恩徳を表すものだそうです。

    説明にもありますが、
    図のような回廊があり、楼閣があり、中国の唐時代の長安を模倣して、朝堂院前に建てられたものだそうです。

    平安京の時代にも同じような楼閣があったようで、
    皇帝の権威と人民への恩徳を表すものだそうです。

  • 回廊、楼閣のあと。

    回廊、楼閣のあと。

  • インフォメーションセンターへ。

    インフォメーションセンターへ。

  • ボランティアの方がおられて、詳しく説明をしてくださいました。

    イチオシ

    ボランティアの方がおられて、詳しく説明をしてくださいました。

  • 古代の服も展示。<br />ちょっと、試着してみたくなりました。。

    イチオシ

    古代の服も展示。
    ちょっと、試着してみたくなりました。。

  • 発掘の様子です。<br />中山修一氏による発掘の始まりは、この朝堂院の門跡からでした。<br />氏の揺るぎない信念、歴史への探求が感じられます。

    発掘の様子です。
    中山修一氏による発掘の始まりは、この朝堂院の門跡からでした。
    氏の揺るぎない信念、歴史への探求が感じられます。

  • 資料の写真や

    資料の写真や

  • 出土品なども展示。<br />馬もこの時代、大切な仲間だったのですねー

    出土品なども展示。
    馬もこの時代、大切な仲間だったのですねー

  • 朝堂院の復元がありました。<br />

    朝堂院の復元がありました。

  • パンフレットも豊富で種類がいっぱい。<br />沢山いただきました♪<br />もっと、勉強したいです♪

    パンフレットも豊富で種類がいっぱい。
    沢山いただきました♪
    もっと、勉強したいです♪

  • 英語のもありましたよ。

    英語のもありましたよ。

  • ボランティアの方が丁寧に説明してくださって、感謝です。<br /><br />前もってもっと勉強しておけばよかった~と思いつつ、歩きだしました。

    ボランティアの方が丁寧に説明してくださって、感謝です。

    前もってもっと勉強しておけばよかった~と思いつつ、歩きだしました。

  • 線路沿いを歩きます。

    線路沿いを歩きます。

  • 地図の看板があります。

    地図の看板があります。

  • こちらは公園なんですが、

    こちらは公園なんですが、

  • こちらにも朝堂院第四堂跡の説明板。<br />国の重要な儀式が行われていた朝堂院。<br />天皇の大極殿の東西に四堂の朝堂院があったことがわかります。<br /><br />こちらは古墳時代の遺蹟も。<br />方形周溝墓も発見されています。

    こちらにも朝堂院第四堂跡の説明板。
    国の重要な儀式が行われていた朝堂院。
    天皇の大極殿の東西に四堂の朝堂院があったことがわかります。

    こちらは古墳時代の遺蹟も。
    方形周溝墓も発見されています。

  • こんな表示もあるので、方向、わかりやすいです。

    こんな表示もあるので、方向、わかりやすいです。

  • 長岡宮の築地跡があります。

    長岡宮の築地跡があります。

  • 説明板によると、<br />役所や貴族の邸宅などを、土塀で囲っていたようで、このように残っている遺構は珍しいようです。<br />

    説明板によると、
    役所や貴族の邸宅などを、土塀で囲っていたようで、このように残っている遺構は珍しいようです。

  • こんもりとした堤のようでした。

    こんもりとした堤のようでした。

  • 広い空き地のようになっている場所、

    広い空き地のようになっている場所、

  • こちらは閣門跡だそうです。<br />閣門は、大極殿の門にあたるところ。<br /><br />このあたりの区域はいまの、国会議事堂に当たる場所で、宮城というそうです。<br /><br />

    こちらは閣門跡だそうです。
    閣門は、大極殿の門にあたるところ。

    このあたりの区域はいまの、国会議事堂に当たる場所で、宮城というそうです。

  • 土が所どこに盛られていましたが、あとは特に何も見えませんでした。

    土が所どこに盛られていましたが、あとは特に何も見えませんでした。

  • 大極殿公園にやってきました。

    大極殿公園にやってきました。

  • 説明板には大極殿法幢跡とありました。<br />説明によると、、、<br /><br /><br />大極殿や朝堂院で、元旦に行われていた「朝賀の儀式」が行われていたそうですが、このとき、大極殿の前に7本の法幢が建てられていました。<br /><br />法幢というのは、古代中国では儀式の際に用いた旗の飾りで、<br />長さが9mもある大きな柱の上に青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の絵があり鳥、日、月の飾り物があったものです。<br /><br />こちらの跡が見浸かった場所。<br /><br />華やかな元旦の行事が偲ばれます。<br /><br />

    説明板には大極殿法幢跡とありました。
    説明によると、、、


    大極殿や朝堂院で、元旦に行われていた「朝賀の儀式」が行われていたそうですが、このとき、大極殿の前に7本の法幢が建てられていました。

    法幢というのは、古代中国では儀式の際に用いた旗の飾りで、
    長さが9mもある大きな柱の上に青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の絵があり鳥、日、月の飾り物があったものです。

    こちらの跡が見浸かった場所。

    華やかな元旦の行事が偲ばれます。

  • 朱色の柱。<br />出土した宝幢を再現したものです。<br />かつては、華やかな儀式が行われていました。

    イチオシ

    朱色の柱。
    出土した宝幢を再現したものです。
    かつては、華やかな儀式が行われていました。

  • 奥にずっと続く公園。

    奥にずっと続く公園。

  • 石碑があります。

    イチオシ

    石碑があります。

  • 大極殿、法幢のほかに、小極殿や回廊があったようです。

    大極殿、法幢のほかに、小極殿や回廊があったようです。

  • 綺麗に整備された公園です。

    綺麗に整備された公園です。

  • ここにもわかりやすい説明、地図がありました。

    ここにもわかりやすい説明、地図がありました。

  • ここにも長岡宮の説明が詳しくありました。

    ここにも長岡宮の説明が詳しくありました。

  • 現在の位置を確認します。<br />朝堂院あたりから上のほうにやってきました。

    現在の位置を確認します。
    朝堂院あたりから上のほうにやってきました。

  • 大極殿の説明があります。<br /><br />このあたりには、回廊や築地で囲まれた南北に朝堂院と大極殿が並ぶ、瓦葺きの立派な役所が並んでいました。<br /><br />大極殿は天皇が政治を司る場所であり、長岡京では、天皇の住まいの内裏とは離れ、朝堂院に出仕する役人との謁見の場所でもありました。<br />それまでは内裏と大極殿は直結していたようですが、長岡京では変化していったようです。<br /><br />大極殿、朝堂院も難波宮を解体して建物が移築されています。<br />早急に平城京から移り、新しい都を造りたいということでもあったのですね~。<br />そして、また長岡京は平安京へも受け継がれていきます。<br /><br /><br /><br />

    大極殿の説明があります。

    このあたりには、回廊や築地で囲まれた南北に朝堂院と大極殿が並ぶ、瓦葺きの立派な役所が並んでいました。

    大極殿は天皇が政治を司る場所であり、長岡京では、天皇の住まいの内裏とは離れ、朝堂院に出仕する役人との謁見の場所でもありました。
    それまでは内裏と大極殿は直結していたようですが、長岡京では変化していったようです。

    大極殿、朝堂院も難波宮を解体して建物が移築されています。
    早急に平城京から移り、新しい都を造りたいということでもあったのですね~。
    そして、また長岡京は平安京へも受け継がれていきます。



  • 向日市の説明があります。

    向日市の説明があります。

  • 長岡宮の石碑があります。

    長岡宮の石碑があります。

  • 想像力が低いので苦労します。。。泣<br />いまは、このあたりなんだ、、、と確認。

    想像力が低いので苦労します。。。泣
    いまは、このあたりなんだ、、、と確認。

  • 整備された公園です。

    整備された公園です。

  • 大極殿公園。

    大極殿公園。

  • お散歩したり、ベンチもあって、休憩もできます~

    イチオシ

    お散歩したり、ベンチもあって、休憩もできます~

  • 現在地を確認。<br /><br />それにしても広いです~

    現在地を確認。

    それにしても広いです~

  • 礎石がみえます。

    礎石がみえます。

  • 石塔があり、その前に発掘された礎石が保存されています。

    石塔があり、その前に発掘された礎石が保存されています。

  • 礎石。

    礎石。

  • 説明があります。<br />中山修一氏と同じく、長岡宮の発掘、保存に尽力された小林清氏によって発掘された礎石と説明にあります。<br />

    説明があります。
    中山修一氏と同じく、長岡宮の発掘、保存に尽力された小林清氏によって発掘された礎石と説明にあります。

  • 大極殿から先に進むと小安殿(後殿)があったそうですが、その先に建物が復元されていました。

    イチオシ

    大極殿から先に進むと小安殿(後殿)があったそうですが、その先に建物が復元されていました。

  • 大極殿のルーツや回廊に着いての説明がありました。

    大極殿のルーツや回廊に着いての説明がありました。

  • 裏側の法には、英語、中国語?多言語の説明。

    裏側の法には、英語、中国語?多言語の説明。

  • 整備について。<br />

    整備について。

  • 朱色の天井、柱。<br />高貴な雰囲気です~

    朱色の天井、柱。
    高貴な雰囲気です~

  • このような建物が連なっていたのですね~

    このような建物が連なっていたのですね~

  • 周囲は住宅街。<br /><br />かつてはあちこちで発掘調査が行われていたようですが、、

    周囲は住宅街。

    かつてはあちこちで発掘調査が行われていたようですが、、

  • 公園の出口あたり。

    公園の出口あたり。

  • 公園をでたところ。。

    公園をでたところ。。

  • ここにも宝幢の説明。<br />大極殿入口に再現されていますが、発掘の様子などの写真がありました。<br /><br />向日市の歴史遺蹟についても説明がありました。

    ここにも宝幢の説明。
    大極殿入口に再現されていますが、発掘の様子などの写真がありました。

    向日市の歴史遺蹟についても説明がありました。

  • よくみましたら、こちらにも再現された宝幢が。

    よくみましたら、こちらにも再現された宝幢が。

  • 公園の中に、こんな地図もありました。<br />かつては都だった場所。<br /><br />多くの人々が住み、日本の中心だったところ。

    イチオシ

    公園の中に、こんな地図もありました。
    かつては都だった場所。

    多くの人々が住み、日本の中心だったところ。

  • もう一度公園を一周。

    もう一度公園を一周。

  • 整備されつつある場所も。<br /><br />周りは住宅街、保存と共存、難しい問題です。

    整備されつつある場所も。

    周りは住宅街、保存と共存、難しい問題です。

  • 大極殿、発掘の様子など。

    大極殿、発掘の様子など。

  • こんな遺蹟の指示があって、わかりやすいです。

    こんな遺蹟の指示があって、わかりやすいです。

  • 狭い路地を歩いていくと、歴史を感じさせるような風景があります。

    狭い路地を歩いていくと、歴史を感じさせるような風景があります。

  • かしの木公園へ到着しました。

    かしの木公園へ到着しました。

  • ここは春宮坊があったところ。<br /><br />皇太子、後の平城天皇を支える役所と皇太子の住まいがあったところだそうです。<br /><br />長岡京に関しての木簡や装飾品などがまとめて廃棄され、のちに出土しています。<br /><br />

    ここは春宮坊があったところ。

    皇太子、後の平城天皇を支える役所と皇太子の住まいがあったところだそうです。

    長岡京に関しての木簡や装飾品などがまとめて廃棄され、のちに出土しています。

  • 当然ながら、あちこちで発掘が行われ、長岡宮の全体もわかってきたのですねー

    当然ながら、あちこちで発掘が行われ、長岡宮の全体もわかってきたのですねー

  • 少し歩くと、大きなお堂があります。

    少し歩くと、大きなお堂があります。

  • 北真経寺。<br /><br />鎌倉時代にできたお寺です。

    北真経寺。

    鎌倉時代にできたお寺です。

  • 詳しい説明がありました。<br /><br />本来真言宗のお寺だったそうですが、鎌倉時代に日像上人により日蓮宗に改宗しました。<br />鶏冠井(かいで)は関西最古の日蓮宗集落となります。<br /><br />この地はかつての長岡宮の内裏があった場所です。

    詳しい説明がありました。

    本来真言宗のお寺だったそうですが、鎌倉時代に日像上人により日蓮宗に改宗しました。
    鶏冠井(かいで)は関西最古の日蓮宗集落となります。

    この地はかつての長岡宮の内裏があった場所です。

  • 境内。<br />妙見大菩薩。

    境内。
    妙見大菩薩。

  • 立正安国、、、日蓮ですね。

    立正安国、、、日蓮ですね。

  • こちらが入口。

    こちらが入口。

    北真経寺 寺・神社・教会

    かつては多くの僧の修行の場でもありました。 by hijunoさん
  • 細かな由来がありました。

    細かな由来がありました。

  • すぐ近くに内裏公園があります。<br /><br />この辺りは、内裏、桓武天皇の住まいを取り囲んだ回廊があった北西部のあたり。<br />以前は、地名が荒内(あらうち)と呼ばれ、荒れた内裏という意味だそうですが、内裏があったことが伝わっていたのですねー<br /><br />160m四方の内裏があったようですから、それを取り囲む回廊も長く立派なものだったはず。<br />かがり火を焚いた跡も見つかったそうです。

    すぐ近くに内裏公園があります。

    この辺りは、内裏、桓武天皇の住まいを取り囲んだ回廊があった北西部のあたり。
    以前は、地名が荒内(あらうち)と呼ばれ、荒れた内裏という意味だそうですが、内裏があったことが伝わっていたのですねー

    160m四方の内裏があったようですから、それを取り囲む回廊も長く立派なものだったはず。
    かがり火を焚いた跡も見つかったそうです。

  • 公園になっています。<br />遠くに遊具。

    公園になっています。
    遠くに遊具。

  • 礎石の跡かな、、、

    礎石の跡かな、、、

  • 美しい花が植えられていました。<br /><br />

    美しい花が植えられていました。

  • 可愛い紫の花です。

    可愛い紫の花です。

  • 近隣のお花に囲まれた素敵なお宅のサクランボ?の実?

    近隣のお花に囲まれた素敵なお宅のサクランボ?の実?

  • 東院公園に来ました。<br /><br />平安京に遷都を決心した桓武天皇の仮内裏だったところ。<br /><br />

    東院公園に来ました。

    平安京に遷都を決心した桓武天皇の仮内裏だったところ。

  • 工事中。<br />温水プール建設中。<br /><br />残念。中には入れません。

    工事中。
    温水プール建設中。

    残念。中には入れません。

  • 外には、魔よけのような大きな鬼瓦!

    イチオシ

    地図を見る

    外には、魔よけのような大きな鬼瓦!

    東院公園 公園・植物園

    平安京への遷都を決意した桓武天皇の仮の内裏があった場所 by hijunoさん
  • 前の歩道にはこんな画のタイルがありました。<br /><br />

    前の歩道にはこんな画のタイルがありました。

  • 中には、正殿跡や跡殿跡が復元され、温水プールのところにも復元模型があるそうです、、<br /><br />いつごろ、見学できるかなぁ~

    中には、正殿跡や跡殿跡が復元され、温水プールのところにも復元模型があるそうです、、

    いつごろ、見学できるかなぁ~

  • こんなタイルがいくつかありましたよ。

    こんなタイルがいくつかありましたよ。

  • 周囲は田んぼ。<br /><br />このあたりもかつては長岡宮があったところ~

    イチオシ

    周囲は田んぼ。

    このあたりもかつては長岡宮があったところ~

  • 内裏外郭築地跡にきました。<br /><br />こちらも公園になっています。

    内裏外郭築地跡にきました。

    こちらも公園になっています。

  • 防備のために二重の遮蔽施設で、2.1mの土壁に屋根瓦をのせたもので、<br />瓦は平城宮で使われていたものだそうです。<br />リサイクルですね。。<br /><br />

    防備のために二重の遮蔽施設で、2.1mの土壁に屋根瓦をのせたもので、
    瓦は平城宮で使われていたものだそうです。
    リサイクルですね。。

  • 南内裏公園という公園になっています。

    南内裏公園という公園になっています。

  • 建物が再現されていました。

    建物が再現されていました。

  • 築地の説明があります。

    築地の説明があります。

  • すぐそばに、旧上田家住宅があります。<br />ここも、内裏があった場所です。<br /><br />この日は休館日でした。<br />別の日にやってきました。<br />

    すぐそばに、旧上田家住宅があります。
    ここも、内裏があった場所です。

    この日は休館日でした。
    別の日にやってきました。

    旧上田家住宅 名所・史跡

  • 外には説明板。

    外には説明板。

  • 内裏の柱跡も外にもありました。

    内裏の柱跡も外にもありました。

  • 次回再訪を楽しみにしてました。

    次回再訪を楽しみにしてました。

  • 可愛い♪♪

    イチオシ

    可愛い♪♪

  • 帰り道、、こんな大きな葉っぱ見つけました♪<br /><br />童話に出てきそうな、、本当に大きなはっぱでした。

    帰り道、、こんな大きな葉っぱ見つけました♪

    童話に出てきそうな、、本当に大きなはっぱでした。

  • 帰り道、駅構内のお餅屋さんでお土産を。

    帰り道、駅構内のお餅屋さんでお土産を。

  • お好みの焼き方を選べる、みたらし。。<br /><br />とても美味しかったです。お昼を食べたなかったので、帰宅後すぐに消費してしまいました。。。<br />大好きなきんつば、、大きくて甘さもちょうどよくて、美味しい♪♪<br /><br /><br />長岡京市の散歩、次に続きます。<br />最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます^^<br />

    お好みの焼き方を選べる、みたらし。。

    とても美味しかったです。お昼を食べたなかったので、帰宅後すぐに消費してしまいました。。。
    大好きなきんつば、、大きくて甘さもちょうどよくて、美味しい♪♪


    長岡京市の散歩、次に続きます。
    最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます^^

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  • sukecoさん 2025/05/25 17:04:22
    長岡京。。。
    hijunoさん、こんにちは~

    関東は今日は涼しい一日でした♪
    この涼しさが続いてほしいと願っている私です。。。

    長岡京、、、聞いたことはあっても、学生の頃学んだ記憶なし(*´∀`*)アハハ
    いや、すっかり忘れちゃっているのでしょうね。
    10年という短い期間の都。
    まさに幻の都ですね。
    都を移す・・・どれだか労力が必要なことか!!なんて考えてしまった(笑)
    勉強してから散策する、これいつも思うんですが、結局できないんですぅ~
    知っていたらこんなことやあんなことができなのにって思うのですが。
    毎回それができない(≧∇≦)
    想像力も必要になりますよねー
    う~ん、私の乏しい想像力だと・・・まだまだだな~(;´д`)トホホ
    今日もhijunoさんの旅行記で学ばせていただきました!!!
    ありがとうございます♪

    続きの長岡京市の散歩、楽しみにしています。

     sukeco

    hijuno

    hijunoさん からの返信 2025/05/25 17:25:27
    私は想像力を超えて妄想してしまいました。笑
    sukecoさん

    こんにちは!
    日曜日ももう終わってしまいます。。また夕飯か、、、と力なくしていたら、、
    主人が今日はお好み焼きを焼いているので、楽チンです♪♪ラッキーポン吉です♪♪

    今日はこちらも少し肌寒いくらいで、半そでだと寒かったです。
    でも、ほんと、これくらいの気温が過ごしやすいですよね、湿気も少なくて^^

    そうそう、長岡京ってたったの10年間の都だったので、以前は本当にあったのか
    疑問視されていたようです。
    私も学校で習ったとき、なんで、こんな短い間に、都を移すなんて大事業をしてまで
    って、ずっと疑問だったのですけれど、
    今回、歩いてみて、また色々遺跡をみたり、ネットで調べたりして、いろんな理由があったのがわかりました。
    意外な理由で、そのために多くの労役であちこちの宮殿から建築材料も運んできて
    どんだけ~って気の毒に思いました。

    私もそうです、、前もって勉強していく、、っていうのがなかなかできなくて、
    結局、あとから、調べる、、みたいなのが多いです。
    それで、見落としたところとか、結構あって、また次に~なんて思うのでした。笑

    今回の長岡京も本当は長岡京の存在を信じて、長岡宮朝堂院の会昌門を発掘して、その存在を明らかにした中山修一さんという方の資料館へ先に行けば、もっと違った長岡宮探検ができたかも、、、と後悔したのでした。。。
    (続きの旅行記では、中山修一資料館を書いています)


    長岡宮跡を歩いていても、あまりの大きさ広さに、何度も建物配置の地図を観るのですが
    ピンとこなくて、わけわからなくなり、結局、妄想のように勝手に思い込んでしまったり
    きりきりとしたエネルギッシュな想像力が欲しいです。笑

    続きの長岡京旅行記にまた遊びに来ていただけたら、嬉しいです^^

    また来週も気温が高くなるようで、この気温の高低に体調を崩さないようにしてくださいね^^
    もう梅雨の季節、体調管理が難しい季節です。

    hijuno

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