2025/04/12 - 2025/04/22
4位(同エリア12件中)
youさん
世界の屋根を貫く中国とネパールとを結ぶ中ネ公道(中国千年古道)を辿って、崑崙山脈とヒマラヤ山脈とを越え、陸路でネパールまで縦断する旅をS社ツアーにて楽しんできました。
旅程は次の通りです。
4月12日 羽田→広州経由→西寧/シーニン(泊)
4月13日 西寧→西寧観光→西寧駅→青蔵鉄道に乗車(車中泊)
4月14日 青蔵鉄道に乗車→夕方にラサ到着→ラサ(泊 3600m)
4月15日 ラサ滞在→終日ラサ観光→ラサ(泊)
■4月16日 ラサ→カンパ・ラ(峠 4749m)→カロ・ラ(峠 5045m)→ギャンツェ(泊 3900m)
4月17日 ギャンツェ→ギャツオー・ラ(峠 5220m)→シェーカル(泊 3920m)
4月18日 シェーカル→ロンボク(チョモランマBC 4900m)往復→オールドティンリー(泊 4390m)
4月19日 オールドティンリー→トン・ラ(峠 5050m)→キーロン(泊 2800m)
4月20日 キーロン→国境超え→カトマンズ(泊)
4月21日 カトマンズ→市内観光→夜空港
4月22日 広州経由→14時過ぎに羽田着
この旅行記は、上記旅程の■印の所で、ラサからギャンツェを掲載します。
表紙の写真は、カンパ・ラ(峠)から眺めるヤムドゥク湖の絶景。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
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中国千年古道でヒマラヤ山脈を越えネパールへ縦断する旅(3)---ラサ編からのつづきです。
4月16日 8時過ぎ 2泊したラサのホテルを出発。この日は、カンパ・ラ(峠 4749m)やカロ・ラ(峠 5045m)を経由して、標高3900mのギャンツェまで約280Kmの移動となります。
写真は移動中のバスの車内。30人乗りの中型バスで、2席を一人で使用して毎日、席替えします。 -
朝のラサ市内を通過しています。
走っている車は、ドイツのW社や中国B社のEVなどの新しい車のよう・・東南アジアやアフリカで見かけられるような古い車は見当たりません。信号待ちしている人達の中には、携帯マニ車を廻している人が見られます。日常生活の中に宗教が定着しているようです。 -
雪山を眺めながら移動しています。どの山々も5000mを越えていると思います。
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こちらも。
走っている道路は中国・チベット自治区とネパールとを結んでいる中ネ公路で、完全舗装されており、一部は国道318号となっており東側の先は上海まで続いています。 -
ゆったりと流れる川を眺めながらの快適なドライブが続きます。
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検問所のような場所でトイレ休憩。
私たち旅行者は、事前にチベット自治区への入域許可書なるものを入手済なので、検問所通過に問題はありません。ガイドらが手続きをして普通に通過します。ただし、検問で中国の詳細な地図、ダライ・ラマ関連の書籍など所持していると没収されるとのことで、要注意デス。 -
山岳地帯に入って来ました。よく見るとこんな山間部にも耕作地が見られます。
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ヤクが放牧されているくねくね道を上って行きます。
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雪山が見える高台まで上ってきました。
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イチオシ
11時過ぎ ラサから3時間ほどドライブして、カンパ・ラ(峠)に到着。
ツアー会社資料では、峠の標高は4749mですが、現地の看板には峠の標高は4998mとあります。
いずれにしても、高地なのでゆっくりの行動で動き回りますww。
眼下に紺碧の空を映したヤムドゥク湖~。。。。おお~絶景、絶景。 -
こちらも。
ヤムドゥク湖は、神が宿ると信じられているチベット仏教の3大聖湖の一つで、標高4441mにあって、東西130Km、南北70Km、深さは20~40m、ヒマラヤ山脈北麓で最大の内陸湖です。 -
こちらは峠に建つヤムドゥク湖の石碑。
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車の屋根上で中国国旗を掲げて歌っているミュージシャンがいました。大音響で騒々しくて、聖湖を見下ろす場としては迷惑なんですけど・・・・
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イチオシ
カンパ・ラ(峠)からタルチョ越しに見るヤムドゥク湖。しばしうっとりする美しくも神秘的な風景デス。
奥に見えている雪山は、ニンチェン・カンサン(7026m)。 -
こちらはカンパ・ラ(峠)からヤムドゥク湖とは反対側の風景。
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峠に30分ほど滞在し、ヤムドゥク湖の湖畔に下ります。ツアー仲間に高山病なのか、頭痛に苦しむ方がおります。その改善には、高度を下げることが一番なのです。
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ヤムドゥク湖畔に向けて下っています。
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こちらも。
湖畔に集落が見えています。 -
標高4441mのヤムドゥク湖の湖畔に来ました。ここでトイレ休憩と湖畔の散策をします。
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イチオシ
湖畔のヤクと雪山とを入れた風景写真・・・
ヤクと一緒に写真を撮ると有料・・・・遠くから風景として撮れば無料・・だと勝手に解釈しての撮影です。 -
イチオシ
ヤムドゥク湖の水はコバルトブルー、ミルクティーを飲みながら、湖からの風を感じて、空気は薄くとも気分は最高です。
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こちらも。
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イチオシ
湖畔に30分ほど滞在して移動します。
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イチオシ
湖畔沿いをドライブしています。絶景続きで、飽きることはありません。
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13時30分 ヤムドゥク湖やポタラ宮殿の大きな写真が飾られている、ランカルツェという町のレストランにてランチとなります。野菜豊富な中華飯を頂きました。
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ランカルツェの街並み。
ずいぶんと僻地を走って田舎に来た感じですが、小奇麗な町並みです。 -
14時30分 周囲の雪山を眺めながら、この日の最高地点5045mのカロ・ラを目指します。
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どちらも6000mを越える山々です。
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こちらも。
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山道を高度を上げてドライブ中。。。
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15時 カロ・ラに到着。この峠の石碑のある標高は5020mのようです。
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少し上った峠のこのあたりの標高は、手元の高度計によれば5045mでした。
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背後の山の斜面に氷河が残っています。これらの氷河は年々後退しているとのこと。地球温暖化の影響でしょう。
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仏塔・雪山・氷河・・・曇り空ですがチベットの高地の風景です。
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氷河が残る山とは反対側の風景。
峠の駐車場には多くの車が停車しており、観光客が結構訪れています。 -
ダム湖を眺めながら峠を下ります。
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山間の平地に集落が見えています。荒涼とした場所の様ですが、人は何処にでも生活しているのです。どんな生活をしているのか、気になりますが。
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こちらも。
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17時前 今宵の宿泊地ギャンツエに到着。
この町は、古くからインドとの交易路の要衝として栄えていたようで、現在の人口は約7万人、チベット自治区でラサ、シガツェに次いで3番目に大きな町となっています。
この町で、頭痛が続いているツアー仲間3人が、急遽病院に行くことになりました。その間、youらは、白居寺(ペンコル・チューデ 吉祥輪大楽寺)を見学します。 -
白居寺に向かう参道。後方山の上にも寺の境界を示す城壁が見えています。
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こちらのゲートを潜って白居寺境内に入ります。
ゲートの基壇によれば、この寺は中国の重要文化財のようです。 -
境内に入ると、観光客には見向きもしないで熱心に手編みをしているおばちゃんがいます。ああ~チベットの人は、素朴で仕事熱心なんだぁ~
背後の小山の上に大きな矩形の壁が見えています。あれは寺院の儀式やお祭りの際に、タンカと呼ばれる大きな仏画を架けるためのものです。 -
境内にマニ車が並んでいます。巡礼者はマニ車を廻すのに、観光客は見るだけ~
あぁ、おばちゃんはマニ車を廻さない観光客には、興味が無いのかも・・・推測ですけど。。 -
現地にあった白居寺のMAP。
この寺は、1418年当時この地域を治めていたラプテン・クンザン・パクパが私財を投じて壮麗な寺を創建したのが初めで、19世紀に訪れた日本人僧侶 川口彗海や青木 文教らによると、寺には2000人の僧侶がいたそうです。
しかし、多くの建造物は、チベット動乱と文化大革命の際に破壊されてしまいました。このため、現在は本殿とその左隣の十万仏塔などが残るのみとなっています。 -
現在見られるこれらの建物は、文化大革命後に継続的に修復されたもので、綺麗な歴史ある建物になっています。
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本殿への入口です。
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入口脇の壁画。
中には本尊である、過去、現在、未来の三世仏が並んでいます。内部の写真NG。 -
こちらは本殿の隣りに建つ9層の十万大仏塔。
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最上階には、持金剛(本初仏)が祀られています。持金剛は万物の根源とされ、この宇宙に実在するあらゆるものは、ことごとく持金剛から流出したとみなされています。
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十万大仏塔の一層目にある入口。
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4月中頃ですが、梅の花が満開でした。
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19時前 今宵ギャンツエのホテル JIANGZI HYANGCHU MANOR HOUSEに到着(標高3900m)。
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部屋はこんな感じで、コロナ時期にリフォームしたようで小奇麗。大画面TVに、酸素供給設備、それに部屋のカーテンは電動式開閉システムとなっています。ちょっと過剰設備かも。。。
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19時30分 ホテルのレストランで夕食をとります。
この場で、TDのHさんから、ギャンツエの病院で診てもらったツアー仲間のTさんは、ツアー続行は危険との診察結果が出たため、現地ツアー会社の方とラサに車で戻ることとなり、現在ラサに向かっているとの報告があります。
テーブルにTさんの誕生日を祝うケーキが運ばれましたが、ご本人不在のまま皆で美味しく頂きました。。。。 -
4月17日 朝 ギャンツェのホテル前庭から、ギャンツエ・ゾン(砦)が見えています。あの岩山上の砦は、1904年、開国を求めてチベットに侵攻したイギリスの武装使節団との間で戦闘が行われた歴史上の場所で、イギリス側の近代兵器により砦はわずか半日で陥落した歴史があります。その後イギリス勢はラサに進軍し、ラサ条約なるものを締結するに至りました。。。しかし、その後の歴史を知ると、イギリスのチベット侵攻は、無意味だったように感じます。
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9時 ギャンツェのホテルを出発。この日は、約380Kmを走ってエベレストBCへの拠点となる町シェーカルまで行きます。
青空が広がる良い天気となりました。小山の上に建つ砦か寺院かを眺めながらの気持ちの良いドライブです。 -
こちらも。
灌漑用の池でしょうか。 -
シガッエの街を通過しています。この町は人口約80万人、チベット自治区でラサに次いで2番目に大きな町で、ラサの西約250Kmに位置しており、ラサまで鉄道が通じています。標高は3800m~3900m、富士山より高い土地にもこんな大きな町があるのです。。日本では信じられません。。。
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シガッエ駅に立ち寄ります。
ツアー仲間2人が頭痛が酷くて先へ行くのを断念し、ラサに列車で戻ることになりました。エベレストBCに行くのを楽しみにしていたのに残念ですが、こればかりは仕方ありません。
これ以後、ツアーメンバーは3人減って9人となります。
中国千年古道でヒマラヤ山脈を越えネパールへ縦断する旅(5)---シガツェからエベレストBCへの拠点の町シェーカル編につづく。
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