2025/03/08 - 2025/03/08
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かくちゃんさん
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日光例幣使街道、最終回の第3回は、太田をスタートし、倉賀野までのコースとなります。
午後零時三十分、太田駅を出発。例幣使街道に入るとそこは太田宿で、本陣跡を過ぎ、桐生線の高架をくぐると旧道に入ります。旧道は途中、家の裏路地のような場所もあり、このまま進んで大丈夫かという箇所もありますが不思議と道は続き、木崎宿に到着。木崎色地蔵で給水して体操。
再び例幣使街道に戻ると、道は県道312号線として続き、途中、新田義貞公の首墳に立ち寄り、交差点を何度も曲がりながら境宿を通過。広瀬川の竹石の渡し跡に架かる武士橋を渡り、右赤城を経て、柴宿からは利根川の柴渡船場と五料関所に架かる五料橋を渡り、五料関所、五料宿を経て玉村宿に入り、木島本陣跡に残る歌碑を見学した後、玉村八幡宮を参拝。再び例幣使街道に戻り、倉賀野追分で倉賀野宿に入るとここからは中山道。本陣跡を過ぎた辺りで右折して本日のゴール倉賀野駅に到着。
着替えた後、倉賀野から八高線の気動車に乗って高崎に行き、駅前の庄やで1個100円の生ガキを堪能しながら一人打上げ。ほろ酔いで高崎から湘南新宿ラインに乗車し帰途に就いたのでした。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- グルメ
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東武鉄道太田駅
赤城、伊勢崎、足利、小泉方面に路線が伸び、浅草からの特急も止まるターミナル駅です。今回、浅草から「りょうもう号」に乗車しましたが、久喜からの乗車が一番多く、乗客の半分くらいが太田で降りている感じでした。太田駅 駅
-
日光例幣使街道太田宿
本陣のあった辺りは「太田行政センター」が建ち、本陣があったことを石碑が案内してくれます。 -
日光例幣使街道木崎宿
古い建物はあるのですが徳川の御代から続くといったものはなく、直線の続く道がかろうじて宿場町であったことを感じさせてくれるといったところでしょうか。 -
木崎色地蔵
元々は子育地蔵だったものが、飯盛女が参詣して心の安らぎを得ていたことからいつしか「色地蔵」と呼ばれるようになったのだそうです。越後出身のさよという遊女が越後口説(えちごくどき)を木崎宿に伝え、これが木崎節に、さらには八木節につながっているという説があるのだそうです。 -
新田義貞公首墳
立派な案内板があります。長いので要約すると古墳の一部として昭和初期まで開墾していなかったが、畑にしてみたところ骨甕のかけらや新田と刻せる板碑の断片が出土して討ち死にした新田義貞公の首墳であることが分かり、整備したということのようです。 -
日光例幣使街道境宿
所々に古い建物があり、本陣跡の案内板があるなどここが宿場町であったことを残そうとする地元の方の熱意が伝わってきます。 -
境宿織間本陣跡
寛政3年(1791年)小林一茶が立ち寄り「時鳥(ホトトギス) 我が身ばかりに 降る雨か」と一句が残っている本陣。広い跡地にスーパーマーケットと駐車場が広がっています。これだけ広い敷地が残っているということは、本陣跡が切り売りされずそのままの大きさで近年まで残っていたということなんでしょうね。 -
竹石の渡し跡
武士橋のそばに石碑と案内板があります。「竹石」「武士」どちらも「たけし」と読むようです。どうして同じ漢字にしなかったんですかね。 -
右赤城
東海道茅ヶ崎と吉原の左富士は有名で確かに行く手の左側に富士山が見えるのですが、曇っていて山が煙っていたせいか行く手の右側のどこに赤城山があるのか分からず仕舞いでした。 -
日光例幣使街道柴宿
道路にせり出した松の左手に見えるのが本陣の門。建物も昭和40年代まで残っていたのだそうです。街道がここを通るようになったのは18世紀の享保年間で、計画的に造られた宿場町とのこと。 -
五料橋から見た利根川
かつてはこの両岸に柴・五料の定船場がありました。写真中央左下に見える棒のような影は釣り人です。何が釣れるんでしょうかね。 -
五料関所跡
案内板辺りの道路に門があり、道の先に渡船場があったようです。 -
日光例幣使街道五料宿
五料関所に隣接する形で宿場町が形成されていたようです。小さな宿場町だったようですが、県道から外れた場所に郵便局があることからもここがかつての街の中心であったことが分かります。 -
玉村下新田交差点
玉村宿へはここを右折し鍵状になった道を行きますが、ここを左折する道と右折して倉賀野に向う道は17世紀半ばまで中山道だったのではないかと勝手に妄想しています。 -
日光例幣使街道玉村宿
写真は木島本陣跡に残る歌碑。本陣は跡形もなく、本陣の敷地内と思われる場所の一部は生活道路になっています。境宿の織間本陣とは大分違います。 -
玉村八幡宮
建久6年(1195年)、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮から分霊、創建させた神社で、本殿は室町時代に建造されたものなのだそうです。国の重要文化財にも指定されています。玉村八幡宮 寺・神社・教会
-
井田家住宅
井田家は玉村宿を代表する商人で、建物は築300年以上。酒造も300年以上の歴史があり、「酒」の看板が掛かっていますが、今日はお店閉まっていました。 -
倉賀野追分
左に行くと日光例幣使街道、右を直進すると中山道となります。日光や江戸から見るとここから倉賀野宿となります。 -
中山道倉賀野宿
中山道の宿場町、日光例幣使街道との分岐点としてだけではなく、烏川による利根川舟運最大の拠点地としても繁栄したようで、現在も古い建物が所々に残っています。 -
倉賀野宿勅使河原本陣跡
境宿織間本陣跡と同様、本陣の広い敷地が駐車場と店舗に利用されています。17世紀の元和年間から約250年、一貫して勅使河原家が本陣を務め、その造りは格式高いものだったのだそうです。 -
高崎駅前庄や
「超破価格 生牡蠣フェア」のポスターに引き寄せられるように入店。午後5時でしたがそれなりにお客さんが入っており、退店した6時にはカウンター席でさえいっぱいの繁盛ぶりでした。 -
1個100円の生ガキ
小ぶりでしたがこれがうまかった!合計で5個いただきました。
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