飛騨高山・古川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《2025.March》あみんちゅなにげに東海街歩きの旅岐阜そのⅢ~帰り道と岐阜駅前イルミネーション編~<br /><br />目覚ましに起こされる前に起きることが出来た。部屋からの眺望はないがいい天気のようである。珍しく素泊まり宿泊だったためにのんびりと荷物を纏めてから凡その行程を組んでみたりして過ごした。立ち寄り予定は白川町2箇所と岐阜市1箇所だけである。ということで13:00を目処にして高山を出発することを頭に置いておく。<br /><br />先ずは腹ごしらえということで吉野家41号線高山店に向かう。メニューは定番の納豆定食大盛、久しぶりだったが美味しく頂いた。次に向かったのはガソリンスタンド。給油より洗車をしたいためと言うことだったが、地域振興の意味も込めて1,000円分だけ給油しておく。高山市街で最も価格が安いセルフハンズ西之一色SSだが、現金フリーでは176円/Lとそれ程安くはない。というよりも地元のリピーター優先なのだろう、プリペイド価格は4円引きとなっていた。洗車に関してはどこもかしこも同じのようで、天気の良い土曜日ということで長蛇の列が出来ていた。諦めても良かったのだが、昨晩リアのウォッシャー液が切れており、後方が全く見えない程汚れていたので列に並んだ。結局小一時間程待ってボディと下回りを洗ってガソリンスタンドを後にする。<br /><br />次に立ち寄ったのは飛騨物産館。お土産の品定めが目的だが、高山では数少ない〝駐車料金〟がかからない総合物産館でもある。高山グリーンホテルの附属施設という位置付けであるが、よくあるビジネスホテルのグリーンホテルとは違うようで、宿泊代金の関係で今回は宿泊しなかったのだが、朝早くから夜まで開いている利用価値の高い土産物屋である。名前や口コミに偽りはなく、ワンストップショッピングが可能な店舗であり、たいていのお土産はこちらで揃えることが出来る。そのかわり手数料的なものが含まれているようで、ちょっと値段はお高めのように思えなくはない。色々見繕って7,250円…。確かにいつものお土産に対する出費より割高になったが、まあ最近お土産を買うような場所まで行ってはいないことから良しとしよう。<br /><br />この飛騨物産館、実は館内に神社が鎮座している。〝さるぼぼ神社〟というが、一見話のネタか?と思えるが、東照宮より分霊拝戴した小さな神社はれっきとした神社である。神社では柏手打っての参拝が欠かせないのだが、流石に多くの観光客の中では浮いてしまいそうで、その勇気がでなかった。心の中ではるの病気治癒と旅の安全を祈願して、参拝に変えさせて頂いた。色々な物が並ぶ飛騨物産館は、見て回るだけでも時間が経つのを忘れさせる。買い物を終えて時計を見ると既に13:00近い時刻。無理やり高山観光に時間を割くことも出来なくはないが、ここは予定を優先し帰路につくことにする。<br /><br />高山は久しぶりだったが初めてという訳でもないので、市街地のイルミネーションとともに再訪するだろう場所であるから後ろ髪を引かれる思いもなく出発する。高速代をケチるというよりも立ち寄り地の関係で、国道41号線を下って行く。高山を出てから僅か30分程で最終の立ち寄り地〝道の駅飛騨街道なぎさ〟に到着する。こちらに温度計があったのだが〝16℃〟と表示されていた。昨日高山入りをしたのが15:00過ぎであったのだが、既に氷点下だったように記憶している。この日の最高気温が8℃とあるので、一日で8℃違うことになる。確かに走っていても車内の暖房は不要で、時折クーラーを入れていた状況であった。昨日の寒さから今日の暖かさなので、一挙に季節が代わったような錯覚さえ感じてしまう。飛騨の冬のイベントの多くが二月末で終了するには相応しい気温の変化のように感じた私であった。<br /><br />この辺りの道の駅では野菜等が沢山売られている。しかしよく見ると地元産ばかりという訳ではなく、日本全国津々浦々から集められているようだ。こういった物を見る目は私にはない。よってまーさんに〝野菜いるか?〟とLINEを入れてみる。しかし休みで暇しているはずなのに返事がない。この後も道の駅はあれば立ち寄るだろうから、取り敢えず出発することにした。<br /><br />道の駅を出てから直ぐにJRの駅を確認したので立ち寄ってみる。高山本線渚駅、一日一桁の利用しかないローカルな無人駅であるが、令和2(2020)年7月豪雨の影響で不通になった高山本線が部分開通をした際に、高山側の終着駅となった駅でもある。2面2線の相対ホームは折り返し運転が可能な構造となっており、いっときではあれど運行拠点になった駅でもある。ここで特急ひだの通過が見られれば良かったのだが、普通を含めてちょうど列車の無い時間。よって駅回りの景色をカメラに収めて出発することにする。<br /><br />実はこの渚駅を訪れたことにはひとつ理由があり、前上司の名前が〝渚さん〟であった。苗字の駅名はよく聞くが、名前の駅名はあまり聞かないので、ネタ用に〝来たよ〟ということの証明でもある。しょうもないことをネタにしたがる約一名の旅行者であった。<br /><br />渚駅を出て国道41号線をひた走る。観光地・温泉街として有名な下呂を通るが、こちらで行われていたイルミネーションも行けずじまいだったので、次回訪問時の楽しみとして敢えて今回は素通りする。<br /><br />そう言えば…ということでホームセンターの〝コメリハード&グリーン下呂店〟に立ち寄る。昨日リアのワイパーの拭きが悪いと思ったら、まさかのウォッシャー切れであった。雪道でのウォッシャー切れは致命的なので、その補充をしようと立ち寄ったのだが、まさかの〝販売なし〟だった。ホームセンターも場所によって品揃えが違うが、オイルは置いていてもウォッシャー液はないようだった。たまたまグーグルさんの〝立ち寄り地コメント〟でこちらが表示されたので、このことを書いたところまさかのお返事を頂いた。ご不便をお掛けしましたとあったが、こちらも目に入ったから立ち寄ったまでで深い意味はなかったのだが、お取り寄せも可能ですので気軽に仰って下さいと書かれていた。一旅行者の戯言にも拘らず真摯に対応して頂いたことをここに記しておく。<br /><br />コメリハード&グリーン下呂店を出て30分程で帰路での目的地道の駅美濃白川に到着する。ここも6年半前に訪れているのだが、その時にはなかった物が移設されている。〝天心白菊の塔〟は知っている方もいるだろうが、昭和43(1968)年8月18日未明に発生した飛騨川バス転落事故の犠牲者慰霊塔である。57年前のこの事故はこの界隈がまだ整備されていない国道41号線を乗鞍に向けて走っていた2台の観光バスが土石流に巻き込まれ、豪雨で増水していた飛騨川に転落して水没。その結果乗員・乗客107人のうち104人が死亡したという戦後の史上最悪のバス事故となった。当初この慰霊塔は9km程南下した場所に建立されていたものだが、付近のバイパス化工事のために令和4(2022)年に解体され、道の駅美濃白川向かいの美濃白川産直総合施設〝よいいち41美濃白川〟敷地内に移設された。この天心白菊の塔のことは知ってはいたが、前回は場所を把握しておらず素通りしていた。そのため移設の情報を知り、立ち寄ることにした次第である。陸橋を渡ってたどり着いた塔、実は従来のもの全てという訳ではなく、掘り起こせなかった基礎部分を除いた部分である。碑文と由緒書きは移設されておりすぐにわかるのだが、全てではないことはなんとも物悲しく思えることである。移設時に関係者の参列もあって〝精抜き法要〟が執り行われているが、やはり全部を移設できないことに抵抗もあったようだ。しかしバイパス化することにより国道41号線の天災による事故が無くなることに繋がるということが、最終的に移設を承諾した理由だと言われている。実際に毎回来る度に国道41号線は走る場所が変わっており、バイパス化工事が進んでいることを実感できる。しかし相変わらず飛騨川と山肌に挟まれた狭い場所を走っている場所が多いこともまた事実である。東海北陸自動車道が完成することで、危険に晒されて走り続けなければならない要素は減ったかも知れないが、やはり沿線の場所に行くには通らなければならない幹線道路であることには変わりはない。確かに代替地となった場所は参拝するには便利にはなったであろう。しかしこの塔が何なのか?がわからなければ、存在する意味が無くなってしまう。道路にも〝天心白菊の塔〟と書かれた看板が架かってはいるが、私が訪れた際には施設利用者すらこの場所の存在に気付いていなかったようである。碑文を読みながら手を合わせ、犠牲者の冥福を祈りつつ道の駅美濃白川に戻って来た私であった。<br /><br />多分買い物が出来る道の駅はこちらが最後なので、まーさんからのLINEを確認するも〝野菜〟が欲しいとしか書かれていない。何の野菜かを知りたいこと位わかれよ~と思いながら、目に付いた肉厚の椎茸と豆腐を購入し、車に持ち帰る。そして出発、暫く滅多に使わないGoogleナビを利用しつつ、次の目的地を目指して走り出した。走る距離は9km程の筈…と思いながら、可能な限りゆっくり走って目当ての場所を通過しないようにする。今回はGoogleさんが期待に応えてくれて、その場所を案内してくれた。工事の事務所が建てられている国道沿いの広場。チェーン待避所にしては少し狭い場所こそ〝天心白菊の塔(跡地)〟である。元の場所がどのようになっているのかを知りたいという気持ちから立ち寄った。運良く軽自動車一台分が縦列に停められるスペースがあったのでそこを利用し、この目で確かめてみる。移設の様子は新聞記事にもなった程の事なので紹介されているものも多いのだが、移設後の話はほとんど語られてはいない様子。そんなこともあって立ち寄った。多分慰霊塔の形を知る人ならばわかるかと思うが、碑の痕跡が地面に三角の形をした〝アスファルト〟で埋められているところであることはすぐに分かる。基礎までの移設が不可能とのことであったが、その移設できなかった部分は埋設されたのであろう。事故の原因となった国道41号線の地形や走る場所を改善し、二度と同じ悲劇を出さないためのバイパス工事とは言え何か物悲しいものを感じる。跡地には表示もなく目安になるものもないので、近くを通ったから立ち寄るにはかなり難易度が高い場所となっている。またいつでも車を停められるという訳でもないであろう。現在の天心白菊の塔に参って、事故のことを風化させないことを誓うことは必要なことだと思う。それと同時に、諸事情により元の場所から移設されて来た〝こと〟も分かって貰いたいと思う。次回にこの場所がわかるかどうかも自信はないが、慰霊碑跡に手を合わせ、新と旧の慰霊塔を参れたことには満足した私であった。<br /><br />長時間駐車できない場所ゆえに、跡地の確認を済ませると車へと戻り出発する。七宗町に入り、道の駅ロックガーデンしちそうに立ち寄る。こちらも再訪だが既に施設はクローズしており、おまけに工事中で駐車場から喫煙所&トイレとも歩かねばならなかったので早々に出発する。そしてやはり混雑していた区間を通り岐阜市に入り、行き同様にセルフィックス岐阜東SSで給油と洗車をする。帰りは流石に13.5L程入ったので2.000円は超えたが、それでも安いことには変わりはない。またシャンプーに高圧と下回りをトッピングしても、洗車代は400円…。高山で無理に洗車の列に並ばなくとも良かったか…と今更ながら後悔した。<br /><br />給油と洗車を終えて岐阜駅北口広場前を目指す。北口広場というと〝黄金の信長公像〟が有名であるが、その界隈を会場として〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟が3月2日まで行われている。天心白菊の塔とこちらへの立ち寄りのため、敢えて一般道を利用して走って来たのがその理由であった。ただ駅前故に駐車料金がバカ高い。比較的安い所は既に満車になっているなど一時間で500円以上する所しか空いてはいなかった。駅前界隈を2周した後ものは試しにスマホで探すと、名鉄線のガードを越えると相場が変わるようなので向かってみた。見つけたザ・パーク高砂町に車を停めてから三脚にカメラとスマホを装着し、駅前へと向かう。<br /><br />岐阜駅は利用したことがある筈だが、全く覚えてはいない。もっとも駅前なんぞは昨今再開発されてしまうと、元の景色の面影は払拭されるのが当たり前。岐阜駅北口広場は平成21(2009)年9月に完成し、令和元(2019)年に10周年記念として大規模なイベントが行われた。その年から〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟が開始され、今年で7回目の開催となっている。駅前広場の説明にあるように、県庁所在地の駅としてもかなりの広さがある。その中心部には黄金の織田信長公像が建立されており、場所場所によっては評価が分かれる信長も、稲葉山城を改め岐阜城とし、岐阜という地名を一躍全国に広めた武将として、その功績が評価されている。そのためにこの岐阜駅北口広場という一等地にその像が建立されたものと思われる。事実イルミネーションイベントの中心は信長公像の場所であり、和傘等で飾られて〝撮影ポイント〟としても使われていた。勿論駅前広場のイルミネーションとしては他の駅前広場でも行われているものではあるが、規模の大きさとここまでイベントの中心がわかり易くなっているものは稀である。確かに〝杜の架け橋エリア〟等周辺の樹木のイルミネーション等はありふれた感はあれど、信長像前の展開は素人目にも格段の差があるように見える。そんな場所故にSNS映えもするだろう。加えて今日が卒業式だった高校生の一団が、信長公像界隈の背景をバックに自撮りを楽しんでいた。開催時期の事を考えても、岐阜市内の高校生の卒業式後のファイナルイベントとしてこの〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟があるようにも思われる。記憶も定かではないが数十年前に高校の卒業式を終えた後に何をしていたのだろう~という不覚にも想いに耽ってしまった私であった。<br /><br />北口広場を歩き回ってその様子をカメラに収める。伝統工芸品ライトアップ・瓢箪イルミネーション・竹灯りイルミネーションと回り、まちなかイルミネーションの入口付近までは足を運んだ。玉宮通りを進み金公園迄〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟会場の一環となっているようだが、なんせ高山まで行って雪の中を走った後に一般道経由で岐阜まで戻って来たご老体には、残念ながら余力が残ってはいなかった。昨年夏から秋の九州や静岡・群馬の様に距離を走っても、それなりの休息時間も取ることが出来ていればまだ行けたかも知れない。しかし今回に至っては〝睡眠時間〟を削って移動に充てている状況故に体力の消耗も激しい。しかもここで終わりではなく、あと自宅に帰り着くまでに100km以上走らねばならない。ここまで無事故で来られたことを勿論自宅までkeepしなければならない。よって集中力を散漫にさせる一番の原因である〝疲れ〟のことも考え、イベントの〝メイン部分〟を堪能できたことで満足し、残りはまた次の機会の楽しみに取っておこうと思い、ここ迄にしておくことにした。何故か今回は後ろ髪引かれる思いもない。どちらかと言えば〝満足感〟すら覚えながら、岐阜の駅前を後にしてmoveクンの待つザ・パーク高砂町に戻ることにした。<br /><br />駐車時間は1時間半程だったが、料金は200円であった。岐阜駅前のタイムズが250円/20分だということを考えればかなり安く済んだ。岐阜駅前に用事があるときでも、少し離れた所のコインパーキングを利用すれば、費用も安く抑えられることを知る。今後の参考にしよう…という感じで岐阜駅前でのひと時を過ごし、いよいよ南淡海を目指して走ることにする。<br /><br />岐阜から自宅に帰るには、適当に名神高速道路を利用して帰れば大したことはないのだが、ここ迄下道にかじりついて走ってきたので、できれば同じようにして帰りたいと思う。国道21号線を暫く走り、滋賀県へと入る。1時間程走り続けたところでJR東海道本線の醒ヶ井駅に立ち寄った。この場所は今までもひと息入れる場所として利用したことがあり、トイレと一服タイムを取る。確か前回来たのはコロナのワクチン接種で彦根に来た時以来なので約5年ぶりとなる。田舎は大きく変わらないと言われるが、この界隈は大きく変わっていた。駅に隣接していた〝醒井水の宿駅〟が令和4(2022)年6月30日を以って閉館。建物を解体し土地を売却するとの記事を読んだことがある。確かこの〝醒井水の宿駅〟は令和3(2021)年7月にリニューアルオープンしたばかり。それが1年持たずして…というのはなんとも勿体ない話。確か私が訪れた時も開いているのか閉まっているのか分からない程寂れていた。その後リニューアルしたとあるが、梅花藻を楽しみにやって来る観光客だけを相手にして勝ち目があったのか?という気持ちになる。観光客が目の前の国道21号線を走るのは、私のような〝暇人〟だけであろう。自ずと結果は見えていた筈である。現在は更地となり購入者を待つ状態なのだろうが、なんとも無駄な話である。指定管理者を募集したが結局現れず、施設そのものも転用できるようなものでもなかった故に閉鎖に至ったらしい。コロナ禍の観光客の減少も影響はあっただろうが、ハコモノは作れば流行る時代では既にない。要は〝魅力〟を発信出来なければ、人が集まらないこと位想像できたことであろう。リニューアルに税金を突っ込んだのであれば、そのお金を他に使うこともできた筈である。お役所仕事の典型的な例だと改めて思う私であった。<br /><br />まあ米原市に税金は収めていないので文句を言う筋合いもない。という訳で先を急ぐことにする。西円寺交差点から国道8号線に入り彦根市に至る。そしてふと思うところがあり立ち寄った先はなか卯8号彦根高宮店。昨晩も立ち寄ったが、味噌汁って塩っぱかったかを検証するためである。そのためメニューも同じにした。結果…やっぱりそこまでは塩っぱくなかった。細かいことが気になる性格は相変わらずだった。<br /><br />グルメではない私はお腹が膨れれば満足なので、騒がしい客の入店と入れ替わりに店を出た。再び国道8号線を走り出し、道の駅かがみの里竜王に立ち寄る。既に日が変わってはいるがいつものこと故にひと息入れる。自転車旅のおじさんが盛んにスマホを弄っていたようだが、この寒い中まさか野宿するのかと思いながらも私ができることはなにもないためにそのまま出発する。<br /><br />栗東市に入りローソン国道辻店に立ち寄って一旦軍資金で余剰となったお札を口座に戻した後、飲み物とタバコを購入し、最後の一服タイムをとる。後は走り慣れた道をひたすらたどり、1時過ぎに自宅に到着。700kmに少し足りなかったが、二日間で685kmを無事走り切った。<br /><br />もう一日あれば回れる場所も増えていたかも知れないが、天候の影響を受けるエリアとイベント故に、必ずしもその様になったかは不明である。まあ行くことが出来ただけでも御の字だと逆に考え、次は花見か~とお気軽に考えている私であった。<br /><br />因みに後日談をふたつ程付け加えておく。moveクンのをウォッシャー切れは勘違いであった。というのもこの型式のmoveクンはリアとフロントのウォッシャー液が同一のタンクを利用しており、フロントのウォッシャーが出ていれば〝切れてはいない〟のであった。でも出ないものは出なかった…と考えていたところ、リアウォッシャーはボディの下をパイプが通っており、気温の影響を受け易いことを知る。大騒ぎした結果はまさかのウォッシャー液の〝凍結〟であったようである。また帰宅後10日程車を放置し、動かそうとするとエンジンはかかるが〝動かない〟ことに気付く。これも雪国走行後にはたまにあることらしく、ブレーキが錆びついて一時的に固着することが原因だそうだ。ブレーキの利きが悪化しなければ問題ないとのことで、後日談にも事欠かなかったことを付け加えてお知らせしておく。<br /><br />  《終わり》

《2025.March》あみんちゅなにげに東海街歩きの旅岐阜そのⅢ~帰り道と岐阜駅前イルミネーション編~

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2025/03/01 - 2025/03/02

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《2025.March》あみんちゅなにげに東海街歩きの旅岐阜そのⅢ~帰り道と岐阜駅前イルミネーション編~

目覚ましに起こされる前に起きることが出来た。部屋からの眺望はないがいい天気のようである。珍しく素泊まり宿泊だったためにのんびりと荷物を纏めてから凡その行程を組んでみたりして過ごした。立ち寄り予定は白川町2箇所と岐阜市1箇所だけである。ということで13:00を目処にして高山を出発することを頭に置いておく。

先ずは腹ごしらえということで吉野家41号線高山店に向かう。メニューは定番の納豆定食大盛、久しぶりだったが美味しく頂いた。次に向かったのはガソリンスタンド。給油より洗車をしたいためと言うことだったが、地域振興の意味も込めて1,000円分だけ給油しておく。高山市街で最も価格が安いセルフハンズ西之一色SSだが、現金フリーでは176円/Lとそれ程安くはない。というよりも地元のリピーター優先なのだろう、プリペイド価格は4円引きとなっていた。洗車に関してはどこもかしこも同じのようで、天気の良い土曜日ということで長蛇の列が出来ていた。諦めても良かったのだが、昨晩リアのウォッシャー液が切れており、後方が全く見えない程汚れていたので列に並んだ。結局小一時間程待ってボディと下回りを洗ってガソリンスタンドを後にする。

次に立ち寄ったのは飛騨物産館。お土産の品定めが目的だが、高山では数少ない〝駐車料金〟がかからない総合物産館でもある。高山グリーンホテルの附属施設という位置付けであるが、よくあるビジネスホテルのグリーンホテルとは違うようで、宿泊代金の関係で今回は宿泊しなかったのだが、朝早くから夜まで開いている利用価値の高い土産物屋である。名前や口コミに偽りはなく、ワンストップショッピングが可能な店舗であり、たいていのお土産はこちらで揃えることが出来る。そのかわり手数料的なものが含まれているようで、ちょっと値段はお高めのように思えなくはない。色々見繕って7,250円…。確かにいつものお土産に対する出費より割高になったが、まあ最近お土産を買うような場所まで行ってはいないことから良しとしよう。

この飛騨物産館、実は館内に神社が鎮座している。〝さるぼぼ神社〟というが、一見話のネタか?と思えるが、東照宮より分霊拝戴した小さな神社はれっきとした神社である。神社では柏手打っての参拝が欠かせないのだが、流石に多くの観光客の中では浮いてしまいそうで、その勇気がでなかった。心の中ではるの病気治癒と旅の安全を祈願して、参拝に変えさせて頂いた。色々な物が並ぶ飛騨物産館は、見て回るだけでも時間が経つのを忘れさせる。買い物を終えて時計を見ると既に13:00近い時刻。無理やり高山観光に時間を割くことも出来なくはないが、ここは予定を優先し帰路につくことにする。

高山は久しぶりだったが初めてという訳でもないので、市街地のイルミネーションとともに再訪するだろう場所であるから後ろ髪を引かれる思いもなく出発する。高速代をケチるというよりも立ち寄り地の関係で、国道41号線を下って行く。高山を出てから僅か30分程で最終の立ち寄り地〝道の駅飛騨街道なぎさ〟に到着する。こちらに温度計があったのだが〝16℃〟と表示されていた。昨日高山入りをしたのが15:00過ぎであったのだが、既に氷点下だったように記憶している。この日の最高気温が8℃とあるので、一日で8℃違うことになる。確かに走っていても車内の暖房は不要で、時折クーラーを入れていた状況であった。昨日の寒さから今日の暖かさなので、一挙に季節が代わったような錯覚さえ感じてしまう。飛騨の冬のイベントの多くが二月末で終了するには相応しい気温の変化のように感じた私であった。

この辺りの道の駅では野菜等が沢山売られている。しかしよく見ると地元産ばかりという訳ではなく、日本全国津々浦々から集められているようだ。こういった物を見る目は私にはない。よってまーさんに〝野菜いるか?〟とLINEを入れてみる。しかし休みで暇しているはずなのに返事がない。この後も道の駅はあれば立ち寄るだろうから、取り敢えず出発することにした。

道の駅を出てから直ぐにJRの駅を確認したので立ち寄ってみる。高山本線渚駅、一日一桁の利用しかないローカルな無人駅であるが、令和2(2020)年7月豪雨の影響で不通になった高山本線が部分開通をした際に、高山側の終着駅となった駅でもある。2面2線の相対ホームは折り返し運転が可能な構造となっており、いっときではあれど運行拠点になった駅でもある。ここで特急ひだの通過が見られれば良かったのだが、普通を含めてちょうど列車の無い時間。よって駅回りの景色をカメラに収めて出発することにする。

実はこの渚駅を訪れたことにはひとつ理由があり、前上司の名前が〝渚さん〟であった。苗字の駅名はよく聞くが、名前の駅名はあまり聞かないので、ネタ用に〝来たよ〟ということの証明でもある。しょうもないことをネタにしたがる約一名の旅行者であった。

渚駅を出て国道41号線をひた走る。観光地・温泉街として有名な下呂を通るが、こちらで行われていたイルミネーションも行けずじまいだったので、次回訪問時の楽しみとして敢えて今回は素通りする。

そう言えば…ということでホームセンターの〝コメリハード&グリーン下呂店〟に立ち寄る。昨日リアのワイパーの拭きが悪いと思ったら、まさかのウォッシャー切れであった。雪道でのウォッシャー切れは致命的なので、その補充をしようと立ち寄ったのだが、まさかの〝販売なし〟だった。ホームセンターも場所によって品揃えが違うが、オイルは置いていてもウォッシャー液はないようだった。たまたまグーグルさんの〝立ち寄り地コメント〟でこちらが表示されたので、このことを書いたところまさかのお返事を頂いた。ご不便をお掛けしましたとあったが、こちらも目に入ったから立ち寄ったまでで深い意味はなかったのだが、お取り寄せも可能ですので気軽に仰って下さいと書かれていた。一旅行者の戯言にも拘らず真摯に対応して頂いたことをここに記しておく。

コメリハード&グリーン下呂店を出て30分程で帰路での目的地道の駅美濃白川に到着する。ここも6年半前に訪れているのだが、その時にはなかった物が移設されている。〝天心白菊の塔〟は知っている方もいるだろうが、昭和43(1968)年8月18日未明に発生した飛騨川バス転落事故の犠牲者慰霊塔である。57年前のこの事故はこの界隈がまだ整備されていない国道41号線を乗鞍に向けて走っていた2台の観光バスが土石流に巻き込まれ、豪雨で増水していた飛騨川に転落して水没。その結果乗員・乗客107人のうち104人が死亡したという戦後の史上最悪のバス事故となった。当初この慰霊塔は9km程南下した場所に建立されていたものだが、付近のバイパス化工事のために令和4(2022)年に解体され、道の駅美濃白川向かいの美濃白川産直総合施設〝よいいち41美濃白川〟敷地内に移設された。この天心白菊の塔のことは知ってはいたが、前回は場所を把握しておらず素通りしていた。そのため移設の情報を知り、立ち寄ることにした次第である。陸橋を渡ってたどり着いた塔、実は従来のもの全てという訳ではなく、掘り起こせなかった基礎部分を除いた部分である。碑文と由緒書きは移設されておりすぐにわかるのだが、全てではないことはなんとも物悲しく思えることである。移設時に関係者の参列もあって〝精抜き法要〟が執り行われているが、やはり全部を移設できないことに抵抗もあったようだ。しかしバイパス化することにより国道41号線の天災による事故が無くなることに繋がるということが、最終的に移設を承諾した理由だと言われている。実際に毎回来る度に国道41号線は走る場所が変わっており、バイパス化工事が進んでいることを実感できる。しかし相変わらず飛騨川と山肌に挟まれた狭い場所を走っている場所が多いこともまた事実である。東海北陸自動車道が完成することで、危険に晒されて走り続けなければならない要素は減ったかも知れないが、やはり沿線の場所に行くには通らなければならない幹線道路であることには変わりはない。確かに代替地となった場所は参拝するには便利にはなったであろう。しかしこの塔が何なのか?がわからなければ、存在する意味が無くなってしまう。道路にも〝天心白菊の塔〟と書かれた看板が架かってはいるが、私が訪れた際には施設利用者すらこの場所の存在に気付いていなかったようである。碑文を読みながら手を合わせ、犠牲者の冥福を祈りつつ道の駅美濃白川に戻って来た私であった。

多分買い物が出来る道の駅はこちらが最後なので、まーさんからのLINEを確認するも〝野菜〟が欲しいとしか書かれていない。何の野菜かを知りたいこと位わかれよ~と思いながら、目に付いた肉厚の椎茸と豆腐を購入し、車に持ち帰る。そして出発、暫く滅多に使わないGoogleナビを利用しつつ、次の目的地を目指して走り出した。走る距離は9km程の筈…と思いながら、可能な限りゆっくり走って目当ての場所を通過しないようにする。今回はGoogleさんが期待に応えてくれて、その場所を案内してくれた。工事の事務所が建てられている国道沿いの広場。チェーン待避所にしては少し狭い場所こそ〝天心白菊の塔(跡地)〟である。元の場所がどのようになっているのかを知りたいという気持ちから立ち寄った。運良く軽自動車一台分が縦列に停められるスペースがあったのでそこを利用し、この目で確かめてみる。移設の様子は新聞記事にもなった程の事なので紹介されているものも多いのだが、移設後の話はほとんど語られてはいない様子。そんなこともあって立ち寄った。多分慰霊塔の形を知る人ならばわかるかと思うが、碑の痕跡が地面に三角の形をした〝アスファルト〟で埋められているところであることはすぐに分かる。基礎までの移設が不可能とのことであったが、その移設できなかった部分は埋設されたのであろう。事故の原因となった国道41号線の地形や走る場所を改善し、二度と同じ悲劇を出さないためのバイパス工事とは言え何か物悲しいものを感じる。跡地には表示もなく目安になるものもないので、近くを通ったから立ち寄るにはかなり難易度が高い場所となっている。またいつでも車を停められるという訳でもないであろう。現在の天心白菊の塔に参って、事故のことを風化させないことを誓うことは必要なことだと思う。それと同時に、諸事情により元の場所から移設されて来た〝こと〟も分かって貰いたいと思う。次回にこの場所がわかるかどうかも自信はないが、慰霊碑跡に手を合わせ、新と旧の慰霊塔を参れたことには満足した私であった。

長時間駐車できない場所ゆえに、跡地の確認を済ませると車へと戻り出発する。七宗町に入り、道の駅ロックガーデンしちそうに立ち寄る。こちらも再訪だが既に施設はクローズしており、おまけに工事中で駐車場から喫煙所&トイレとも歩かねばならなかったので早々に出発する。そしてやはり混雑していた区間を通り岐阜市に入り、行き同様にセルフィックス岐阜東SSで給油と洗車をする。帰りは流石に13.5L程入ったので2.000円は超えたが、それでも安いことには変わりはない。またシャンプーに高圧と下回りをトッピングしても、洗車代は400円…。高山で無理に洗車の列に並ばなくとも良かったか…と今更ながら後悔した。

給油と洗車を終えて岐阜駅北口広場前を目指す。北口広場というと〝黄金の信長公像〟が有名であるが、その界隈を会場として〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟が3月2日まで行われている。天心白菊の塔とこちらへの立ち寄りのため、敢えて一般道を利用して走って来たのがその理由であった。ただ駅前故に駐車料金がバカ高い。比較的安い所は既に満車になっているなど一時間で500円以上する所しか空いてはいなかった。駅前界隈を2周した後ものは試しにスマホで探すと、名鉄線のガードを越えると相場が変わるようなので向かってみた。見つけたザ・パーク高砂町に車を停めてから三脚にカメラとスマホを装着し、駅前へと向かう。

岐阜駅は利用したことがある筈だが、全く覚えてはいない。もっとも駅前なんぞは昨今再開発されてしまうと、元の景色の面影は払拭されるのが当たり前。岐阜駅北口広場は平成21(2009)年9月に完成し、令和元(2019)年に10周年記念として大規模なイベントが行われた。その年から〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟が開始され、今年で7回目の開催となっている。駅前広場の説明にあるように、県庁所在地の駅としてもかなりの広さがある。その中心部には黄金の織田信長公像が建立されており、場所場所によっては評価が分かれる信長も、稲葉山城を改め岐阜城とし、岐阜という地名を一躍全国に広めた武将として、その功績が評価されている。そのためにこの岐阜駅北口広場という一等地にその像が建立されたものと思われる。事実イルミネーションイベントの中心は信長公像の場所であり、和傘等で飾られて〝撮影ポイント〟としても使われていた。勿論駅前広場のイルミネーションとしては他の駅前広場でも行われているものではあるが、規模の大きさとここまでイベントの中心がわかり易くなっているものは稀である。確かに〝杜の架け橋エリア〟等周辺の樹木のイルミネーション等はありふれた感はあれど、信長像前の展開は素人目にも格段の差があるように見える。そんな場所故にSNS映えもするだろう。加えて今日が卒業式だった高校生の一団が、信長公像界隈の背景をバックに自撮りを楽しんでいた。開催時期の事を考えても、岐阜市内の高校生の卒業式後のファイナルイベントとしてこの〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟があるようにも思われる。記憶も定かではないが数十年前に高校の卒業式を終えた後に何をしていたのだろう~という不覚にも想いに耽ってしまった私であった。

北口広場を歩き回ってその様子をカメラに収める。伝統工芸品ライトアップ・瓢箪イルミネーション・竹灯りイルミネーションと回り、まちなかイルミネーションの入口付近までは足を運んだ。玉宮通りを進み金公園迄〝駅とまちを光でつなぐ杜のイルミネーション〟会場の一環となっているようだが、なんせ高山まで行って雪の中を走った後に一般道経由で岐阜まで戻って来たご老体には、残念ながら余力が残ってはいなかった。昨年夏から秋の九州や静岡・群馬の様に距離を走っても、それなりの休息時間も取ることが出来ていればまだ行けたかも知れない。しかし今回に至っては〝睡眠時間〟を削って移動に充てている状況故に体力の消耗も激しい。しかもここで終わりではなく、あと自宅に帰り着くまでに100km以上走らねばならない。ここまで無事故で来られたことを勿論自宅までkeepしなければならない。よって集中力を散漫にさせる一番の原因である〝疲れ〟のことも考え、イベントの〝メイン部分〟を堪能できたことで満足し、残りはまた次の機会の楽しみに取っておこうと思い、ここ迄にしておくことにした。何故か今回は後ろ髪引かれる思いもない。どちらかと言えば〝満足感〟すら覚えながら、岐阜の駅前を後にしてmoveクンの待つザ・パーク高砂町に戻ることにした。

駐車時間は1時間半程だったが、料金は200円であった。岐阜駅前のタイムズが250円/20分だということを考えればかなり安く済んだ。岐阜駅前に用事があるときでも、少し離れた所のコインパーキングを利用すれば、費用も安く抑えられることを知る。今後の参考にしよう…という感じで岐阜駅前でのひと時を過ごし、いよいよ南淡海を目指して走ることにする。

岐阜から自宅に帰るには、適当に名神高速道路を利用して帰れば大したことはないのだが、ここ迄下道にかじりついて走ってきたので、できれば同じようにして帰りたいと思う。国道21号線を暫く走り、滋賀県へと入る。1時間程走り続けたところでJR東海道本線の醒ヶ井駅に立ち寄った。この場所は今までもひと息入れる場所として利用したことがあり、トイレと一服タイムを取る。確か前回来たのはコロナのワクチン接種で彦根に来た時以来なので約5年ぶりとなる。田舎は大きく変わらないと言われるが、この界隈は大きく変わっていた。駅に隣接していた〝醒井水の宿駅〟が令和4(2022)年6月30日を以って閉館。建物を解体し土地を売却するとの記事を読んだことがある。確かこの〝醒井水の宿駅〟は令和3(2021)年7月にリニューアルオープンしたばかり。それが1年持たずして…というのはなんとも勿体ない話。確か私が訪れた時も開いているのか閉まっているのか分からない程寂れていた。その後リニューアルしたとあるが、梅花藻を楽しみにやって来る観光客だけを相手にして勝ち目があったのか?という気持ちになる。観光客が目の前の国道21号線を走るのは、私のような〝暇人〟だけであろう。自ずと結果は見えていた筈である。現在は更地となり購入者を待つ状態なのだろうが、なんとも無駄な話である。指定管理者を募集したが結局現れず、施設そのものも転用できるようなものでもなかった故に閉鎖に至ったらしい。コロナ禍の観光客の減少も影響はあっただろうが、ハコモノは作れば流行る時代では既にない。要は〝魅力〟を発信出来なければ、人が集まらないこと位想像できたことであろう。リニューアルに税金を突っ込んだのであれば、そのお金を他に使うこともできた筈である。お役所仕事の典型的な例だと改めて思う私であった。

まあ米原市に税金は収めていないので文句を言う筋合いもない。という訳で先を急ぐことにする。西円寺交差点から国道8号線に入り彦根市に至る。そしてふと思うところがあり立ち寄った先はなか卯8号彦根高宮店。昨晩も立ち寄ったが、味噌汁って塩っぱかったかを検証するためである。そのためメニューも同じにした。結果…やっぱりそこまでは塩っぱくなかった。細かいことが気になる性格は相変わらずだった。

グルメではない私はお腹が膨れれば満足なので、騒がしい客の入店と入れ替わりに店を出た。再び国道8号線を走り出し、道の駅かがみの里竜王に立ち寄る。既に日が変わってはいるがいつものこと故にひと息入れる。自転車旅のおじさんが盛んにスマホを弄っていたようだが、この寒い中まさか野宿するのかと思いながらも私ができることはなにもないためにそのまま出発する。

栗東市に入りローソン国道辻店に立ち寄って一旦軍資金で余剰となったお札を口座に戻した後、飲み物とタバコを購入し、最後の一服タイムをとる。後は走り慣れた道をひたすらたどり、1時過ぎに自宅に到着。700kmに少し足りなかったが、二日間で685kmを無事走り切った。

もう一日あれば回れる場所も増えていたかも知れないが、天候の影響を受けるエリアとイベント故に、必ずしもその様になったかは不明である。まあ行くことが出来ただけでも御の字だと逆に考え、次は花見か~とお気軽に考えている私であった。

因みに後日談をふたつ程付け加えておく。moveクンのをウォッシャー切れは勘違いであった。というのもこの型式のmoveクンはリアとフロントのウォッシャー液が同一のタンクを利用しており、フロントのウォッシャーが出ていれば〝切れてはいない〟のであった。でも出ないものは出なかった…と考えていたところ、リアウォッシャーはボディの下をパイプが通っており、気温の影響を受け易いことを知る。大騒ぎした結果はまさかのウォッシャー液の〝凍結〟であったようである。また帰宅後10日程車を放置し、動かそうとするとエンジンはかかるが〝動かない〟ことに気付く。これも雪国走行後にはたまにあることらしく、ブレーキが錆びついて一時的に固着することが原因だそうだ。ブレーキの利きが悪化しなければ問題ないとのことで、後日談にも事欠かなかったことを付け加えてお知らせしておく。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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