2023/05/29 - 2023/05/29
285位(同エリア943件中)
やまたまさん
この旅行記スケジュールを元に
江戸に入城した徳川家康が、徳川家の菩提寺に定めたのが増上寺。
その増上寺には徳川秀忠をはじめとする6人の歴代将軍が眠っており、徳川将軍家について知ることができる貴重なゆかりのスポットを参拝しました。
境内にあった江戸時代の建物の多くは戦火で焼失していますが、巨大な三解脱門や荘厳な霊廟の惣門ほか、一部の建築物が残っておりかつての面影を感じさせます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR浜松町駅や地下鉄・大門駅から増上寺に向かうと、通りを跨ぐ形で建っている大門が門前町らしさを感じさせる。
背後には東京タワーがそそり立ち、江戸と東京が交差するような、そんな独特の街並みに出会えるのがこの辺りの魅力ですね。かつてはこの門が増上寺の境内入口でした。
ちなみに芝大門の地名や地下鉄の大門駅の名称は、この大門に由来します。 -
増上寺は室町時代に浄土宗の念仏道場として、元々は現在の千代田区平河町付近に創建され、関東の浄土宗の中心地へと発展。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により徳川家康が関東へ転封し江戸へ入城すると、家康は増上寺を徳川家の菩提寺に定めます。
江戸城の拡張にともなって増上寺は現在地に移転しますが、その後も徳川将軍家より厚い保護を受けました。 -
大門の脇を抜けて進むと、朱漆塗で重厚な風格を持つ三解脱門(さんげだつもん)がドーンと現れます。これは巨大な門ですね!圧倒されます。
元和8年(1622年)建造の建物で、増上寺における唯一の江戸時代初期の現存建造物です。間口19.5m・奥行き9m・高さ21mで、東日本の門としては最大級を誇るそうですよ。三戸二階二重門と呼ばれる様式の門です。
楼上の中央には釈迦三尊像が納められており、その左右には羅漢像が各8体ずつ安置されているそうです。増上寺 寺・神社・教会
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三解脱門とは「むさぼり、いかり、おろかさ」の3つの煩悩を解脱し、極楽浄土往生を願う空間への入口なんだとか。
日々煩悩にまみれている身ですが(苦笑)、解脱すべく門をくぐらせて頂き境内へ。 -
境内に入ると、これまた東京タワーを背後に従えた景観の本堂が現れます。
東京タワーが近くに感じるのもそのはずで、タワーの敷地の一部をはじめ芝公園や東京プリンスホテルがある一帯が、元々は増上寺の境内だったんですね。
江戸時代に徳川家の手厚い保護を受け発展した増上寺は、幕末には境内の広さは約59ヘクタールにおよび、現在でいうとなんと東京ドーム約12個分だったそうだ。そこには3千人もの修行僧がいたんですって。
しかし、明治時代に入ると神仏分離の政策の影響で、境内の多くは芝公園になりました。さらに昭和20年の空襲で被災し、伽藍の多くが焼失しました。 -
境内の参道左手にある「鐘楼堂(しょうろうどう)」。
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架かっている鐘は延宝元年(1673年)鋳造のもので、高さが約3mで重さが約15トンもあるもの。
東日本最大級とされる大梵鐘で、上野の寛永寺と浅草の浅草寺の鐘とともに江戸三大名鐘の一つに数えられます。 -
イチオシ
「大殿」と呼ばれる本堂はその名の通りかなり巨大な3階建ての建物で、昭和49年(1974年)に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
石段を上がった約48mの間口を有する2階部分が本堂で、堂内には室町時代の阿弥陀如来が御本尊として安置されています。 -
3階は修行のための道場、1階は檀信徒控室があり、さらに地下1階は宝物展示室になっているなど、実に多彩な機能を持つ現代的な施設です。
そして都心ながら広い境内を持つ増上寺は、多くの著名人の葬儀会場として利用されることでも知られますよね。 -
本堂に向かって右手隣にある安国殿(あんこくでん)には、「黒本尊阿弥陀如来」と呼ばれる徳川家康の念持仏(ねんじぶつ)が安置されています。
身辺に置いて礼拝する仏像を念持仏と呼びますが、この黒本尊は家康とともに戦場に出陣したと伝わるもの。
幾多の災難を除け家康を天下統一へ導いたこの像は、勝運や厄除けのパワーを持つ守り神として尊崇を集めているそうですよ。 -
仮本堂として使われた建物を昭和49年にこちらに移転し、家康の法号「安国院殿」から殿名が付けられました。
黒本尊は秘仏として通常は非公開ですが、正月・5月・9月の各15日(年3回)に開催される祈願会の時に御開帳されるそうです。一度参拝して、そのパワーにあやかりたいものですなあ。
御朱印や御守りの授与は、こちらの安国殿でおこなわれています。 -
徳川将軍家の墓所は安国殿の裏手にあり、有料にて一般公開されている。
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かつての徳川家墓所は本堂の南と北に分かれて所在し、それぞれ壮麗な霊廟が並んでいました。
戦前には国宝指定を受けていた墓所ですが、空襲によりほとんどが焼失。残念ながら国宝指定も解除されました。
現在の墓所は、改葬により一ヶ所にまとめられています。徳川家墓所 (徳川家霊廟) 名所・史跡
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イチオシ
墓所門として使用されているのは、元文昭院殿霊廟(れいびょう)(6代将軍徳川家宣)の宝塔前の中門だった「鋳抜門」です。当時の霊廟の面影を残す、数少ない遺構の一つ。
葵の御紋がついた青銅製の扉は、ズシッと重たそうです。 -
墓所内部の全景。
墓所には第2代秀忠・第6代家宣・第7代家継・第9代家重・第12代家慶・第14代家茂の、6人の歴代徳川将軍が埋葬されています。
また、第2代秀忠の正室で第3代家光の実母の江与、第14代家茂の正室の和宮など、5人の正室の墓もある。
さらに5人の側室や将軍の子女も埋葬されており、まさに徳川将軍家の菩提寺と呼ぶのに相応しい場所です。 -
一番奥まった場所の右手にあるのが、第2代秀忠と正室・江与夫婦の石塔。
家康の3男であった秀忠は、家康の遺志を引き継ぎ江戸幕府の体制を確立しました。
秀忠の墓所「台徳院殿霊廟」にあった宝塔は装飾華麗で芸術的なものでしたが、木造だったため残念ながら焼失。現在は正室・江与の石塔に連名で埋葬されています。 -
大殿の地下1階にある「増上寺宝物展示室」も有料で見学できます。
展示室中央には、10分の1スケールで復元された「台徳院殿霊廟」模型の展示があり、その精巧さには目を見張りました。 -
境内の参拝の後、周辺に残っている建物をめぐってみます。
三解脱門の南側にあり通用門として使われている「旧方丈門」は黒門とも呼ばれ、徳川家光による建立・寄進と伝わります。黒漆塗だった塗装はだいぶ剥げていた。 -
増上寺の南側に隣接する芝公園の一角に所在するのは、秀忠霊廟にあった「旧台徳院霊廟惣門(きゅうだいとくいんれいびょうそうもん)」。
数少ない霊廟の現存建築物なので貴重です!台徳院霊廟惣門 名所・史跡
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惣門の両側には江戸時代前半に制作されたと考えられる、寄木造りの仁王像が納められている。
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イチオシ
今度は増上寺の北側にあたる、東京プリンスホテル側へ。
かつてこちらには享保2年(1717年)に8代将軍吉宗が建立した、7代将軍家継の有章院霊廟があった。
霊廟は焼失したが、「旧有章院霊廟惣門」が貴重な遺構として残ります。銅板葺、切妻造りの八脚門。
当時の遺構が点々と散らばっている感じですね。有章院霊廟二天門 寺・神社・教会
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左右に仏法を守護する像を納めている二天門になっています。
左には西方を守護する広目天。 -
そして右側には、北方を守護する多聞天(別名は毘沙門天)が納められています。左右とも結構本格的な強面でした!
戦前は隣に6代将軍家宣の文昭院霊廟も並び立っていたという。そちらの惣門には持国天・増長天が納められており、両門合わせて四天王を構成していたそうだ。
門は先ほどの秀忠霊廟の惣門と比較してもデザイン的に洗練されており、後の時代のものであることを感じさせます。 -
最後に地名にもその名が残る「御成門(おなりもん)」を紹介。
こちらも戦火を逃れ現存している門で、東京プリンスホテルの北側にあります。
増上寺の裏門として造られたが、もっぱら将軍が参詣の際に使用したため御成門と呼ばれるようになったそうだ。御成門という割には案外質素な感じの門でした。
以上、最後までご覧頂きありがとうございました。
■増上寺に関する参考記事
https://tokitabi.blog/shrine-temple/minatoku2408-zojoji/御成門 名所・史跡
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