修善寺温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅の三日目は、修善寺温泉から伊豆長岡温泉へのコースです。<br /><br />修善寺温泉は、弘法大師の開湯伝説がある伊豆最古の温泉。独鈷の湯や修禅寺あたりを中心にして桂川の渓流沿いにまとまった温泉街が続く、温泉地らしい温泉地。調べてみると前回来たのは2011年1月ですから、14年ぶりです。ちなみに、修禅寺は、頼朝の息子、鎌倉幕府2代将軍の源頼家が幽閉され、この地で殺害された悲劇の現場。長閑な景色と悲しい物語の両方を併せ持っていて、人気の理由は明らかですね。<br />一方の伊豆長岡温泉は、修善寺温泉の独鈷の湯ように象徴となるような共同浴場がないので、イメージとしてはちょっとぼんやりとしてしまうのは否めないかな。ただ、温泉街はそれなりに広いエリアだし、大きなホテルもそこそこあって、温泉地としての賑わいもちゃんとあります。特に、温泉まんじゅうのお店が、ながお菓まんじゅう 柳月、黒柳とか複数あって、どれもなかなかおいしいのが嬉しいところ。意外にポイントは高いと思います。今回は、鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した願成就院が一番のお目当てで、合わせて周辺を散策。北条政子、産湯の井戸とかも含め、想像以上に北条一族のルーツとしての色が濃くて、ちょっと頭がクラクラするくらいでした。<br /><br />ということで、イントロは、鎌倉幕府のことを少し考えてみたいと思います。<br />史上初めての武家政権、鎌倉幕府の成立は、①寿永2年10月宣旨(1183年)による頼朝の東国支配権公認。②文治の勅許(1185年)による頼朝へ与えられた諸国への守護・地頭職の設置許可。③建久元年(1190年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、荘園領主の家政機関たる公文所開設の権を取得。④建久3年(1192年)、征夷大将軍の宣下。守護の設置で諸国の治安維持を担当。と段階を踏んでいることを見れば、それは一気呵成の革命的なことではなく、鎌倉幕府はあくまで朝廷権力を前提とした地方政権として誕生したということが理解できると思います。武家の棟梁がやみくもに力で権力を握ったとかそういう話ではないですね。陰湿さも否めない権力闘争の一方ではまつりごとをいかに進めていくかの緻密な計画を練りに練ってこぎ着けたもの。全体を指揮した頼朝の能力は明らかにズバ抜けているし、それを受け継ぎ発展させた北条一族の能力も並大抵ではない。老練さと奇跡に近いくらいの鮮やかさを感じます。ところで、かたや朝廷の標榜する国家観は律令制の国家。土地制度で言えば、班田収授法が基本。土地は国家のものであり、よって耕作者は税を納める義務を負うという考え方です。ただ、実際問題として国家主導の開墾だけでは限界がありますから、聖武天皇の時代には早くも墾田永年私財法が発布され、私的な開墾を促すために新たな開墾者には私有を認めるという手直しが行われました。そして、これに基づき、荘園が急速に拡大したのは皮肉なこと。つまり、開墾者は開墾地を権門である有力な公家や寺社に荘園として寄進、一定の税収を支払う代わりに実質的な支配者としての地位をより明確にするということが流行します。ということで荘園の徴税権は権門にありましたが、実質的な支配者は開墾者。この二重構造は、国衙領でも現われてきて、朝廷は上級貴族に俸給を払う代わりに国司の任命権と知行国からの税収を与えるという妙なことに。かつ、国司は知行国の支配権を強め、その地に根付いて世襲したりする事例も出てきます。本来の律令制の姿からするとかなり変質しているのですが、それらを合わせていわゆる荘園公領制。鎌倉幕府は、その前提に立っての政権です。なので、鎌倉幕府は、平家や奥州藤原氏から奪った膨大な資産を御家人たちに恩賞として与えるだけでなく、徴税権を持つ上級貴族や権門と律令制的には不安定な立場にあった鎌倉武士たちの利害関係を調整したり、また、鎌倉武士同士の領地争いを収めていくことが最大の役割。その場合、「御恩と奉公」「一所懸命」といった明確な価値基準がありますから、御家人たちの圧倒的な支持があるのは当然です。<br />なお、荘園公領制は、秀吉の太閤検地で消滅。徳川幕府の幕藩体制に移行していきますが、大きく見れば、そもそも征夷大将軍の幕府というのは所詮は戦時体制という例外の制度。鎌倉幕府、室町幕府と土地制度は違っても、徳川幕府も同じ立場。律令国家の亡霊は引き続き生きていて、そうやってみると日本人は結局、中国から学んだ律令国家という国家観に代わる国家観をその後自ら生み出すことはなかったということになるのかも。つまり、本音と建て前みたいなことですが、もしかしたら、日本人が持っていた国家観といえるものは幕末まで律令国家しかなかったのではないかというのが私の考えです。例えば勤王を声高に叫ぶ水戸学とかもそんな感じのような気がします。その後は、明治維新によって、憲法発布や立憲君主制。戦後になって主権在民や民主主義。日本人はいつも外からの学びばかりのように見えなくもないですね。ただ、律令国家はいわゆる中央集権制度だし、信長が本能寺の変で斃れなかったら絶対君主制のようなものが出来ていた可能性もあるかもしれませんが、いずれにしても、実態としての国家態勢はそれとは真逆。江戸時代の幕藩体制のような地方分権が典型だと思いますが、権力を分散させたり、牽制させあったり、また多分に多様性を許容していく体質があって、それをオリジナルと評価することもできなくはないかもしれませんが。また、戦後の民主主義の定着も意外にその伝統的な体質ゆえのものもあるのではないかというのも強く感じるところ。この辺りはさらに縄文人と弥生人や古墳人の混血くらいまで関連付けたくなる気持ちもないことはないのですが、まあ、それはちょっとやり過ぎかな。ほどほどのところで、日本の歴史の限界や特殊性みたいなものを感じてもらえればいいと思います。<br />なお、鎌倉時代は仏教でも大変革が起きていて、そっちの方も興味深いところですけどね。これは、別途参考まで。https://4travel.jp/travelogue/11008018

横浜から修善寺・三島・沼津ほかの旅(三日目)~源頼家終焉の地である修善寺から北条氏のルーツ伊豆長岡。鎌倉幕府の黎明期に思いが及ぶ温泉地です~

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2025/02/09 - 2025/02/09

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旅の三日目は、修善寺温泉から伊豆長岡温泉へのコースです。

修善寺温泉は、弘法大師の開湯伝説がある伊豆最古の温泉。独鈷の湯や修禅寺あたりを中心にして桂川の渓流沿いにまとまった温泉街が続く、温泉地らしい温泉地。調べてみると前回来たのは2011年1月ですから、14年ぶりです。ちなみに、修禅寺は、頼朝の息子、鎌倉幕府2代将軍の源頼家が幽閉され、この地で殺害された悲劇の現場。長閑な景色と悲しい物語の両方を併せ持っていて、人気の理由は明らかですね。
一方の伊豆長岡温泉は、修善寺温泉の独鈷の湯ように象徴となるような共同浴場がないので、イメージとしてはちょっとぼんやりとしてしまうのは否めないかな。ただ、温泉街はそれなりに広いエリアだし、大きなホテルもそこそこあって、温泉地としての賑わいもちゃんとあります。特に、温泉まんじゅうのお店が、ながお菓まんじゅう 柳月、黒柳とか複数あって、どれもなかなかおいしいのが嬉しいところ。意外にポイントは高いと思います。今回は、鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した願成就院が一番のお目当てで、合わせて周辺を散策。北条政子、産湯の井戸とかも含め、想像以上に北条一族のルーツとしての色が濃くて、ちょっと頭がクラクラするくらいでした。

ということで、イントロは、鎌倉幕府のことを少し考えてみたいと思います。
史上初めての武家政権、鎌倉幕府の成立は、①寿永2年10月宣旨(1183年)による頼朝の東国支配権公認。②文治の勅許(1185年)による頼朝へ与えられた諸国への守護・地頭職の設置許可。③建久元年(1190年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、荘園領主の家政機関たる公文所開設の権を取得。④建久3年(1192年)、征夷大将軍の宣下。守護の設置で諸国の治安維持を担当。と段階を踏んでいることを見れば、それは一気呵成の革命的なことではなく、鎌倉幕府はあくまで朝廷権力を前提とした地方政権として誕生したということが理解できると思います。武家の棟梁がやみくもに力で権力を握ったとかそういう話ではないですね。陰湿さも否めない権力闘争の一方ではまつりごとをいかに進めていくかの緻密な計画を練りに練ってこぎ着けたもの。全体を指揮した頼朝の能力は明らかにズバ抜けているし、それを受け継ぎ発展させた北条一族の能力も並大抵ではない。老練さと奇跡に近いくらいの鮮やかさを感じます。ところで、かたや朝廷の標榜する国家観は律令制の国家。土地制度で言えば、班田収授法が基本。土地は国家のものであり、よって耕作者は税を納める義務を負うという考え方です。ただ、実際問題として国家主導の開墾だけでは限界がありますから、聖武天皇の時代には早くも墾田永年私財法が発布され、私的な開墾を促すために新たな開墾者には私有を認めるという手直しが行われました。そして、これに基づき、荘園が急速に拡大したのは皮肉なこと。つまり、開墾者は開墾地を権門である有力な公家や寺社に荘園として寄進、一定の税収を支払う代わりに実質的な支配者としての地位をより明確にするということが流行します。ということで荘園の徴税権は権門にありましたが、実質的な支配者は開墾者。この二重構造は、国衙領でも現われてきて、朝廷は上級貴族に俸給を払う代わりに国司の任命権と知行国からの税収を与えるという妙なことに。かつ、国司は知行国の支配権を強め、その地に根付いて世襲したりする事例も出てきます。本来の律令制の姿からするとかなり変質しているのですが、それらを合わせていわゆる荘園公領制。鎌倉幕府は、その前提に立っての政権です。なので、鎌倉幕府は、平家や奥州藤原氏から奪った膨大な資産を御家人たちに恩賞として与えるだけでなく、徴税権を持つ上級貴族や権門と律令制的には不安定な立場にあった鎌倉武士たちの利害関係を調整したり、また、鎌倉武士同士の領地争いを収めていくことが最大の役割。その場合、「御恩と奉公」「一所懸命」といった明確な価値基準がありますから、御家人たちの圧倒的な支持があるのは当然です。
なお、荘園公領制は、秀吉の太閤検地で消滅。徳川幕府の幕藩体制に移行していきますが、大きく見れば、そもそも征夷大将軍の幕府というのは所詮は戦時体制という例外の制度。鎌倉幕府、室町幕府と土地制度は違っても、徳川幕府も同じ立場。律令国家の亡霊は引き続き生きていて、そうやってみると日本人は結局、中国から学んだ律令国家という国家観に代わる国家観をその後自ら生み出すことはなかったということになるのかも。つまり、本音と建て前みたいなことですが、もしかしたら、日本人が持っていた国家観といえるものは幕末まで律令国家しかなかったのではないかというのが私の考えです。例えば勤王を声高に叫ぶ水戸学とかもそんな感じのような気がします。その後は、明治維新によって、憲法発布や立憲君主制。戦後になって主権在民や民主主義。日本人はいつも外からの学びばかりのように見えなくもないですね。ただ、律令国家はいわゆる中央集権制度だし、信長が本能寺の変で斃れなかったら絶対君主制のようなものが出来ていた可能性もあるかもしれませんが、いずれにしても、実態としての国家態勢はそれとは真逆。江戸時代の幕藩体制のような地方分権が典型だと思いますが、権力を分散させたり、牽制させあったり、また多分に多様性を許容していく体質があって、それをオリジナルと評価することもできなくはないかもしれませんが。また、戦後の民主主義の定着も意外にその伝統的な体質ゆえのものもあるのではないかというのも強く感じるところ。この辺りはさらに縄文人と弥生人や古墳人の混血くらいまで関連付けたくなる気持ちもないことはないのですが、まあ、それはちょっとやり過ぎかな。ほどほどのところで、日本の歴史の限界や特殊性みたいなものを感じてもらえればいいと思います。
なお、鎌倉時代は仏教でも大変革が起きていて、そっちの方も興味深いところですけどね。これは、別途参考まで。https://4travel.jp/travelogue/11008018

  • 三島駅で伊豆箱根鉄道 駿豆線に乗り換えて修善寺駅まで向かいます。<br />

    三島駅で伊豆箱根鉄道 駿豆線に乗り換えて修善寺駅まで向かいます。

  • 修善寺駅からは、東海バスオレンジシャトルに乗り換えて、修善寺温泉へ。<br />修善寺駅からは、修善寺温泉だけでなく、伊豆の各方面に路線バスが出ていて、ちょっとすごい。ちょっとしたターミナル駅ですね。修善寺駅は修善寺温泉の最寄り駅、伊豆の玄関口。二つの顔を持っていると思います。

    修善寺駅からは、東海バスオレンジシャトルに乗り換えて、修善寺温泉へ。
    修善寺駅からは、修善寺温泉だけでなく、伊豆の各方面に路線バスが出ていて、ちょっとすごい。ちょっとしたターミナル駅ですね。修善寺駅は修善寺温泉の最寄り駅、伊豆の玄関口。二つの顔を持っていると思います。

  • 修善寺温泉に到着しました。<br />何となく覚えているようないないような。。

    修善寺温泉に到着しました。
    何となく覚えているようないないような。。

    修善寺温泉 温泉

    長閑な景色と悲しい物語 by たびたびさん
  • 温泉の中心にある修禅寺です。

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    温泉の中心にある修禅寺です。

  • その目の前が独鈷の湯ですね。<br />ここから、桂川に沿って上流の方に向かいます。

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    その目の前が独鈷の湯ですね。
    ここから、桂川に沿って上流の方に向かいます。

    独鈷の湯 名所・史跡

  • すぐに現れたのは河原湯。独鈷の湯を見下ろすような場所にある足湯です。大きくはありませんが、しっかりした建物だし、桂川や独鈷の湯を眺める景色は、修善寺温泉の一番のウリですからね。そういう意味でも、落ち着いて楽しめる足湯だと思います。

    すぐに現れたのは河原湯。独鈷の湯を見下ろすような場所にある足湯です。大きくはありませんが、しっかりした建物だし、桂川や独鈷の湯を眺める景色は、修善寺温泉の一番のウリですからね。そういう意味でも、落ち着いて楽しめる足湯だと思います。

  • 最初に見えてきた橋は、桂橋。

    最初に見えてきた橋は、桂橋。

  • 桂橋を渡って川の対岸に出ると、竹林の小径に入ります。

    桂橋を渡って川の対岸に出ると、竹林の小径に入ります。

  • 竹林の小径も桂川に沿って上流に続きます。

    竹林の小径も桂川に沿って上流に続きます。

  • いい感じの休憩所。<br />こういうしっかり手が行き届いているのも修善寺温泉ならでは。どうかすると鎌倉よりちゃんとしているような気もしますね。

    イチオシ

    いい感じの休憩所。
    こういうしっかり手が行き届いているのも修善寺温泉ならでは。どうかすると鎌倉よりちゃんとしているような気もしますね。

  • 今度の橋は、楓橋。<br />修善寺温泉には小説「修善寺物語」に因んだ恋の橋めぐりというのがあって、桂川に架かる五つの橋を巡るコース。下流から渡月橋(みそめ橋)、虎渓橋(あこがれ橋)、桂橋(結ばれ橋)、楓橋(寄り添い橋)、瀧下橋(安らぎ橋)の五つ。楓橋も赤い欄干が周囲の緑の中で映えています。

    今度の橋は、楓橋。
    修善寺温泉には小説「修善寺物語」に因んだ恋の橋めぐりというのがあって、桂川に架かる五つの橋を巡るコース。下流から渡月橋(みそめ橋)、虎渓橋(あこがれ橋)、桂橋(結ばれ橋)、楓橋(寄り添い橋)、瀧下橋(安らぎ橋)の五つ。楓橋も赤い欄干が周囲の緑の中で映えています。

  • さらに上流に進みます。

    さらに上流に進みます。

  • ほどなく現れたのは、ギャラリーしゅぜんじ回廊。<br />無人の野外ギャラリーですが、

    ほどなく現れたのは、ギャラリーしゅぜんじ回廊。
    無人の野外ギャラリーですが、

  • 写真展「梅花のころ」というのが行われていて、美しい写真がずらり。

    写真展「梅花のころ」というのが行われていて、美しい写真がずらり。

  • ここが意外な場所だったこともあって、サプライズと併せてほっこりした気持ちになりました。

    ここが意外な場所だったこともあって、サプライズと併せてほっこりした気持ちになりました。

  • 瀧下橋のたもと、赤蛙公園までやってきました。<br />島木健作の小説、赤蛙ゆかりの公園。修善寺温泉の市街の北端といった場所ですが、桂川の傍らにあって、よく整備された美しい公園。

    瀧下橋のたもと、赤蛙公園までやってきました。
    島木健作の小説、赤蛙ゆかりの公園。修善寺温泉の市街の北端といった場所ですが、桂川の傍らにあって、よく整備された美しい公園。

  • 公園の中央を通る遊歩道の周りには、細いせせらぎとか、程よい感じの枝垂れ桜とか。見ているだけでも落ち着きます。

    イチオシ

    公園の中央を通る遊歩道の周りには、細いせせらぎとか、程よい感じの枝垂れ桜とか。見ているだけでも落ち着きます。

  • 赤蛙公園からは、桂川の南側を下流の方に向かって帰ります。<br />もうほとんど独鈷の湯の辺りまで帰ってきて。<br />これは源氏公園。源頼家の冥福を祈って北条政子が建てた経堂、指月殿や鎌倉二代将軍、源頼家の墓やがある小さな公園。これは、頼家の13人の忠臣だった十三士の墓。

    赤蛙公園からは、桂川の南側を下流の方に向かって帰ります。
    もうほとんど独鈷の湯の辺りまで帰ってきて。
    これは源氏公園。源頼家の冥福を祈って北条政子が建てた経堂、指月殿や鎌倉二代将軍、源頼家の墓やがある小さな公園。これは、頼家の13人の忠臣だった十三士の墓。

  • その奥が源頼家の墓。<br />

    その奥が源頼家の墓。

  • さらに奥が指月殿です。<br />修善寺の悲劇の物語に思いを寄せられる場所ではあるのですが、正直言えば、陰気な場所。まあ、それは仕方がありません。

    さらに奥が指月殿です。
    修善寺の悲劇の物語に思いを寄せられる場所ではあるのですが、正直言えば、陰気な場所。まあ、それは仕方がありません。

    指月殿 名所・史跡

  • 今回は、指月殿の裏手の山、鹿山公園の方にも上ってみます。どこからどこまでが鹿山公園かわからぬままに上り始めます。<br />

    今回は、指月殿の裏手の山、鹿山公園の方にも上ってみます。どこからどこまでが鹿山公園かわからぬままに上り始めます。

  • 途中にある岩谷観音とおしゃぶり婆さんの像。この石像に願いをかけて、子宝に恵まれた夫婦の話から、赤ん坊が口にするおしゃぶりにちなんでこの名前が付いたのだとか。ただ、崖のような場所にあって、あんまり見た目はよくないかもしれません。

    途中にある岩谷観音とおしゃぶり婆さんの像。この石像に願いをかけて、子宝に恵まれた夫婦の話から、赤ん坊が口にするおしゃぶりにちなんでこの名前が付いたのだとか。ただ、崖のような場所にあって、あんまり見た目はよくないかもしれません。

  • そして、とうとうひとつの頂上らしきところ。

    そして、とうとうひとつの頂上らしきところ。

  • 義経像ともジンギスカン像ともいわれる石像のところまで到着です。それなりの山登りになりましたが、道はよく整備されていて危険はありません。

    イチオシ

    義経像ともジンギスカン像ともいわれる石像のところまで到着です。それなりの山登りになりましたが、道はよく整備されていて危険はありません。

  • 再び修善寺の門前まで帰ってきました。<br />そこに建つ大きな店構えは、饅頭総本山 源楽。かなりの存在感ですね。<br />源楽胡麻饅頭が基本のようですが、その他、よもぎ饅頭、源楽成金、黒糖饅頭とか種類は豊富。

    再び修善寺の門前まで帰ってきました。
    そこに建つ大きな店構えは、饅頭総本山 源楽。かなりの存在感ですね。
    源楽胡麻饅頭が基本のようですが、その他、よもぎ饅頭、源楽成金、黒糖饅頭とか種類は豊富。

  • サービスで胡麻饅頭をいただきましたが、饅頭は真っ黒。胡麻でこんなに黒くなるのかなあと思ったら、尋ねると黒墨で黒くしてあるんだとか。胡麻の香りもかなりするし、いろんな技が込められた饅頭ではないかと思います。

    サービスで胡麻饅頭をいただきましたが、饅頭は真っ黒。胡麻でこんなに黒くなるのかなあと思ったら、尋ねると黒墨で黒くしてあるんだとか。胡麻の香りもかなりするし、いろんな技が込められた饅頭ではないかと思います。

  • では、いよいよ修善寺へ。

    では、いよいよ修善寺へ。

  • ちなみに、修善寺は大同2年(807年)、弘法大師の開基と伝わる古刹。鎌倉時代に北条氏が厚く庇護したことで大寺として隆盛。その後、北条早雲により再建されて、曹洞宗の寺となっています。

    ちなみに、修善寺は大同2年(807年)、弘法大師の開基と伝わる古刹。鎌倉時代に北条氏が厚く庇護したことで大寺として隆盛。その後、北条早雲により再建されて、曹洞宗の寺となっています。

  • 今回のお目当ては、修禅寺宝物館。<br />鎌倉幕府二代将軍の源頼家、頼朝の弟、源範頼、北条政子に修善寺温泉の開湯に関係する空海ゆかりの品々がゆったりめに展示されていました。また、源頼家の悲劇を題材にした修善寺物語も現在の修善寺の名前を世に広く知らしめたもの。それなりの扱いで展示されているのは納得ですね。

    今回のお目当ては、修禅寺宝物館。
    鎌倉幕府二代将軍の源頼家、頼朝の弟、源範頼、北条政子に修善寺温泉の開湯に関係する空海ゆかりの品々がゆったりめに展示されていました。また、源頼家の悲劇を題材にした修善寺物語も現在の修善寺の名前を世に広く知らしめたもの。それなりの扱いで展示されているのは納得ですね。

  • 修禅寺が終わって、まだ時間はたっぷり。予定はしていなかった修善寺虹の郷も行ってみましょうか。バスの時間を調べるとまだ少し余裕があります。<br />バスの待ち時間を利用して、修善寺プリン工房にも寄ってみます。

    修禅寺が終わって、まだ時間はたっぷり。予定はしていなかった修善寺虹の郷も行ってみましょうか。バスの時間を調べるとまだ少し余裕があります。
    バスの待ち時間を利用して、修善寺プリン工房にも寄ってみます。

  • プレーンのプリンを店内でいただきます。<br />特別な感じではなくて、滑らかな舌触りとか普通にきちんと作りました的なプリンかな。オーソドックスなプリンだと思います。

    プレーンのプリンを店内でいただきます。
    特別な感じではなくて、滑らかな舌触りとか普通にきちんと作りました的なプリンかな。オーソドックスなプリンだと思います。

  • 同じ並びにある日枝神社にも。

    同じ並びにある日枝神社にも。

  • 大木の間に延びる狭い参道を抜けると

    大木の間に延びる狭い参道を抜けると

  • 境内です。<br />修禅寺の鬼門にあたる鎮守の山王社だったのですが、神仏分離令により修善寺から分離された神社。まあ、ここも観光客からすると定番です。<br />

    境内です。
    修禅寺の鬼門にあたる鎮守の山王社だったのですが、神仏分離令により修善寺から分離された神社。まあ、ここも観光客からすると定番です。

  • ここが修善寺温泉のバスターミナル。<br />定刻通りにバスが来て、出発です。

    ここが修善寺温泉のバスターミナル。
    定刻通りにバスが来て、出発です。

  • しばらく走って、修善寺虹の郷に到着。けっこう山の方に上がってきた感じですね。<br /><br />

    しばらく走って、修善寺虹の郷に到着。けっこう山の方に上がってきた感じですね。

    修善寺虹の郷 公園・植物園

    自然の中に整備された広大な敷地の中に by たびたびさん
  • 料金は、1,220円。なんか微妙なところです。<br />入るとまずはイギリス村。雰囲気としては、いわゆるテーマパークですね。<br />

    料金は、1,220円。なんか微妙なところです。
    入るとまずはイギリス村。雰囲気としては、いわゆるテーマパークですね。

  • それらしい博物館みたいなものもありますが、まあ先を急ぎましょう。

    それらしい博物館みたいなものもありますが、まあ先を急ぎましょう。

  • 敷地はかなり広そうですからね。<br />さっそく、そんな感じの景色が現れましたよ~。この日本庭園もかなりの規模ですからね。<br />

    敷地はかなり広そうですからね。
    さっそく、そんな感じの景色が現れましたよ~。この日本庭園もかなりの規模ですからね。

  • 雄大な自然を整備した広大な敷地。とにかくどんどん進みます。<br />

    雄大な自然を整備した広大な敷地。とにかくどんどん進みます。

  • この橋の向こうには、夏目漱石が宿とした建物が保存されているよう。<br />それは見逃すわけにはいきませんね。

    この橋の向こうには、夏目漱石が宿とした建物が保存されているよう。
    それは見逃すわけにはいきませんね。

  • こじんまりとした建物ですが、夏目漱石が静養のため訪れた菊谷旅館本館の漱石が起居した部屋を移築。夏目漱石記念館として保存されていました。

    こじんまりとした建物ですが、夏目漱石が静養のため訪れた菊谷旅館本館の漱石が起居した部屋を移築。夏目漱石記念館として保存されていました。

  • 中に入ると当時のままといった雰囲気。

    中に入ると当時のままといった雰囲気。

  • 二間続きの部屋は

    二間続きの部屋は

  • ゆったりとして、長逗留にも全く問題はなさそうですね。

    ゆったりとして、長逗留にも全く問題はなさそうですね。

  • ちょっとした遺品も展示されていて、漱石がゆったりと腰を据えて静養していたことが窺えます。

    ちょっとした遺品も展示されていて、漱石がゆったりと腰を据えて静養していたことが窺えます。

  • そこから正面を見た風景がこちら。<br />林の丘はほとんどはげ山に近いような感じもありますが、やっぱりそうではなくて、

    イチオシ

    そこから正面を見た風景がこちら。
    林の丘はほとんどはげ山に近いような感じもありますが、やっぱりそうではなくて、

  • ちゃんと日本庭園の趣き。どういう技法なのかは分かりませんが、見応えがあって、インパクトもあり。こういうのを見ると修善寺のセンスの良さというか観光地としてのプライドかな。絶対に観光客をがっかりさせないぞ!という意気込みがあるように感じます。

    ちゃんと日本庭園の趣き。どういう技法なのかは分かりませんが、見応えがあって、インパクトもあり。こういうのを見ると修善寺のセンスの良さというか観光地としてのプライドかな。絶対に観光客をがっかりさせないぞ!という意気込みがあるように感じます。

  • この谷のような地形に遊歩道が続いていて、途中からは富士山の眺めも。これも計算されたものかと思います。

    この谷のような地形に遊歩道が続いていて、途中からは富士山の眺めも。これも計算されたものかと思います。

  • そして、次に見えてきたのはカナダ村。ここが一番奥ですね。<br /><br />

    そして、次に見えてきたのはカナダ村。ここが一番奥ですね。

  • 下を見下ろすとちょっとしたお花畑。冬ということもあるかもしれませんが、雑草なんか全然ないし、本当によく手入れが行き届いていて素晴らしいと思います。<br />正直、テーマパークとしてはそこそこかもしれませんが、敷地内の自然の眺めはさきほどの林の丘とか圧巻と言っていいかも。全体として、訪ねる価値は大いにあったかなと思います。

    下を見下ろすとちょっとしたお花畑。冬ということもあるかもしれませんが、雑草なんか全然ないし、本当によく手入れが行き届いていて素晴らしいと思います。
    正直、テーマパークとしてはそこそこかもしれませんが、敷地内の自然の眺めはさきほどの林の丘とか圧巻と言っていいかも。全体として、訪ねる価値は大いにあったかなと思います。

  • 修善寺虹の郷から戻ってきて。<br />修善寺の中心部にある一石庵で一服します。

    修善寺虹の郷から戻ってきて。
    修善寺の中心部にある一石庵で一服します。

    一石庵 グルメ・レストラン

    気持ちの良いくつろぎの空間 by たびたびさん
  • 建物は川沿いにあるので、どこからでも見えていて分かりやすいです。<br />

    建物は川沿いにあるので、どこからでも見えていて分かりやすいです。

  • いただいたのは、かわべ餅。普通と言えば普通ですが、椿の葉が添えてあったりして、ちょっとした心使いがいいですね。店内は明るくてゆったり。気持ちの良いくつろぎの空間になっています。

    イチオシ

    いただいたのは、かわべ餅。普通と言えば普通ですが、椿の葉が添えてあったりして、ちょっとした心使いがいいですね。店内は明るくてゆったり。気持ちの良いくつろぎの空間になっています。

  • さて、ここからは最後の散策です。<br />安達藤九郎盛長の墓は、修善寺温泉の市街地から北に向かった外れの方。修善寺の脇からけっこうな坂道を上って行った先です。<br />ちょっと傾きかけた墓石ですが、傍らに説明板があって、安達藤九郎盛長は、鎌倉幕府の御家人で、頼朝が伊豆配流中の20年間を支えた側近中の側近。頼朝がなくなって出家しますが、頼家が二代目将軍となると十三人の合議制に加わったともありました。一瞬、頼家の忠臣、十三士の一人なのかと思いましたが、そうではないですね。

    さて、ここからは最後の散策です。
    安達藤九郎盛長の墓は、修善寺温泉の市街地から北に向かった外れの方。修善寺の脇からけっこうな坂道を上って行った先です。
    ちょっと傾きかけた墓石ですが、傍らに説明板があって、安達藤九郎盛長は、鎌倉幕府の御家人で、頼朝が伊豆配流中の20年間を支えた側近中の側近。頼朝がなくなって出家しますが、頼家が二代目将軍となると十三人の合議制に加わったともありました。一瞬、頼家の忠臣、十三士の一人なのかと思いましたが、そうではないですね。

  • 修善寺ハリストス正教会は、修善寺温泉の東。街はずれです。<br />建物は、明治45年に建てられたもの。病気治療で修善寺に湯治に来たニコライの病気平癒を祈って、かなりの短期間で完成させたものだそうですが、外観を見る限り目立った傷みはないし、美しい姿。敷地が狭いので全体が見えないのがちょっと残念です。

    修善寺ハリストス正教会は、修善寺温泉の東。街はずれです。
    建物は、明治45年に建てられたもの。病気治療で修善寺に湯治に来たニコライの病気平癒を祈って、かなりの短期間で完成させたものだそうですが、外観を見る限り目立った傷みはないし、美しい姿。敷地が狭いので全体が見えないのがちょっと残念です。

  • さらに東に進んで、かなり東側。<br />最後に修善寺総合会館にある伊豆半島ジオパークミュージアム ジオリアを訪ねます。<br />

    さらに東に進んで、かなり東側。
    最後に修善寺総合会館にある伊豆半島ジオパークミュージアム ジオリアを訪ねます。

  • 46億年の地球の歴史を概観し、プレート運動や火山活動によって作られた伊豆半島を説明していましたが、伊豆七島は日本から離れている最中なのに対して伊豆半島は島が日本列島に近づいてくっついて出来たのだとか。

    46億年の地球の歴史を概観し、プレート運動や火山活動によって作られた伊豆半島を説明していましたが、伊豆七島は日本から離れている最中なのに対して伊豆半島は島が日本列島に近づいてくっついて出来たのだとか。

  • 今までの理解を越える内容がとても新鮮で、伊豆半島はその形成からしてワンダーランド。その思いを強くしました。

    今までの理解を越える内容がとても新鮮で、伊豆半島はその形成からしてワンダーランド。その思いを強くしました。

  • 修善寺総合会館のはす向かい。<br />狩野庄紅谷という温泉まんじゅうのお店に気が付きました。<br />温泉の中心部からこんなに離れて大丈夫なのかなあというようなロケーションなんですが、<br />

    修善寺総合会館のはす向かい。
    狩野庄紅谷という温泉まんじゅうのお店に気が付きました。
    温泉の中心部からこんなに離れて大丈夫なのかなあというようなロケーションなんですが、

  • ただ、この温泉まんじゅうはけっこうおいしい。ふっくらした皮に餡子の甘さもちょうどよくて、やっぱりこれは老舗の味だなと感じます。<br />ここで修善寺温泉は終了。伊豆長岡駅に向かいます。

    ただ、この温泉まんじゅうはけっこうおいしい。ふっくらした皮に餡子の甘さもちょうどよくて、やっぱりこれは老舗の味だなと感じます。
    ここで修善寺温泉は終了。伊豆長岡駅に向かいます。

  • 伊豆長岡駅に到着。伊豆長岡温泉の中心は駅の南西ですが、願成就院のエリア、駅の北西に向かいます。そんなに大きな差はないと思っていましたが、結果としては意外に離れているし、まったく別の地域のような感覚もありました。<br />最初に訪ねたのは真珠院。<br />

    伊豆長岡駅に到着。伊豆長岡温泉の中心は駅の南西ですが、願成就院のエリア、駅の北西に向かいます。そんなに大きな差はないと思っていましたが、結果としては意外に離れているし、まったく別の地域のような感覚もありました。
    最初に訪ねたのは真珠院。

  • 名前は美しいですが、源頼朝と恋仲になったものの、父親の伊東祐親から諫められ真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を祀る悲劇の寺です。

    名前は美しいですが、源頼朝と恋仲になったものの、父親の伊東祐親から諫められ真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を祀る悲劇の寺です。

  • ちなみに、頼朝との間には一子、千鶴丸をもうけていましたが、その千鶴丸も命を奪われることに。<br />頼朝の監視を任されていた伊東祐親からすれば、やむを得ない行動だったとも考えられますが、頼朝は坂東を征し日の出の勢い。富士川の戦いで捕らえられ、最期は自害して果てることになります。運命は味方しなかったのですが、ただ、地元の伊東市では今でも郷土の英雄。毎年、伊東祐親まつりが開催されているようで、ちょっと心が軽くなるような気がします。また、曽我兄弟の仇討ちの原因を作ったことでも知られていて、興味深い人物でもあります。<br />なお、境内はよく整備されて美しい佇まい。一角には白い梅がきれいに咲いていました。

    ちなみに、頼朝との間には一子、千鶴丸をもうけていましたが、その千鶴丸も命を奪われることに。
    頼朝の監視を任されていた伊東祐親からすれば、やむを得ない行動だったとも考えられますが、頼朝は坂東を征し日の出の勢い。富士川の戦いで捕らえられ、最期は自害して果てることになります。運命は味方しなかったのですが、ただ、地元の伊東市では今でも郷土の英雄。毎年、伊東祐親まつりが開催されているようで、ちょっと心が軽くなるような気がします。また、曽我兄弟の仇討ちの原因を作ったことでも知られていて、興味深い人物でもあります。
    なお、境内はよく整備されて美しい佇まい。一角には白い梅がきれいに咲いていました。

  • 信光寺は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の第五代当主、武田信光が創建した曹洞宗の寺。本堂とかあまり風情は感じられない構えなのですが、なかなかの歴史があるようで。。<br /><br />

    信光寺は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の第五代当主、武田信光が創建した曹洞宗の寺。本堂とかあまり風情は感じられない構えなのですが、なかなかの歴史があるようで。。

  • 信光は、修禅寺に流されていた源頼家を見舞い、その帰路、頼家が亡くなったことを聞いて出家し、光蓮と称して頼家の菩提を弔ったと伝えらます。ただ、信光は修禅寺に幽閉されていた頼家の監視役だったとも。<br />ちなみに、頼朝は、新羅三郎義光の兄、義家を祖とする源氏。甲斐源氏は見方でもありライバルと見ていましたが、武田信光は幕府の重鎮として生涯を全うしたよう。甲斐守護のほか安芸守護にも任じられ、広島市安佐南区の武田城はその武田氏の遺構です。

    信光は、修禅寺に流されていた源頼家を見舞い、その帰路、頼家が亡くなったことを聞いて出家し、光蓮と称して頼家の菩提を弔ったと伝えらます。ただ、信光は修禅寺に幽閉されていた頼家の監視役だったとも。
    ちなみに、頼朝は、新羅三郎義光の兄、義家を祖とする源氏。甲斐源氏は見方でもありライバルと見ていましたが、武田信光は幕府の重鎮として生涯を全うしたよう。甲斐守護のほか安芸守護にも任じられ、広島市安佐南区の武田城はその武田氏の遺構です。

  • 願成就院は、今回の大きな目玉。文治5年(1189年)、鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した高野山真言宗の寺です。

    願成就院は、今回の大きな目玉。文治5年(1189年)、鎌倉幕府の初代執権、北条時政が建立した高野山真言宗の寺です。

  • 願成就院の境内に入ってすぐに北条時政の墓がありました。<br />ところで、北条時政は、後妻の牧の方と共謀。将軍源実朝を亡きものにして娘婿の平賀朝雅を将軍に据えようとしたことで、子の北条義時、北条政子と対立。出家させられて、鎌倉を追放。伊豆で隠居させられるという晩節となりました。策士のイメージはないのですが、やっていることはえげつない。それでも、天寿を全うしたのはやはり何かを持っていた人なんだろうと思います。

    願成就院の境内に入ってすぐに北条時政の墓がありました。
    ところで、北条時政は、後妻の牧の方と共謀。将軍源実朝を亡きものにして娘婿の平賀朝雅を将軍に据えようとしたことで、子の北条義時、北条政子と対立。出家させられて、鎌倉を追放。伊豆で隠居させられるという晩節となりました。策士のイメージはないのですが、やっていることはえげつない。それでも、天寿を全うしたのはやはり何かを持っていた人なんだろうと思います。

    願成就院 寺・神社・教会

    意外にインパクトは弱いなというのが私の印象 by たびたびさん
  • さて、願成就院で楽しみにしていたのは、木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王二童子立像3躯、木造毘沙門天立像の運慶作の仏像5躯。いずれも国宝となっていて、仏像の胎内から発見された銘札に施主が北条時政で文治2年(1186年)制作と判明したことが決めてとなりました。<br />ただ、ぱっと見、意外にインパクトは弱いなというのが私の印象。少し離れて見ているのもあるかもしれませんが、運慶の完成度が高くて洗練された凄味は、これらの像からはあまり感じられませんでした。説明の方は、運慶作というのが明らかで貴重なものであることをかなり力説されていましたが、ほかの運慶作の仏像と比べれば私のもやもや感は理解してもらえると思うんですけどね。<br />ちなみに、私が最も衝撃を受けたのは、金剛峯寺 八大童子立像。完成度の高さと洗練された技の凄味は、遊び心も混じったような余裕の表情も含めて、ほとんど類例がないもの。鎌倉時代の飛んでもないフィギュアのような感覚ですね。で、願成就院のもやもやが消えないので、この後、東京国立博物館の「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」にも行ってみました。すると運慶作の弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像はやはりさすが。特に、無著・世親菩薩立像のずっしりとしたリアルな存在感はちょっと只者ではなくて、私の運慶の理解をまた深めてくれたような気がします。たまたま、現代の慶派、松本明慶氏にお話を聞いたことがありますが、氏のイチオシは円成寺の大日如来坐像なのだとか。私も一度ちらりと拝見はしていますが、またどこかで機会があれば行ってみたいなと思っています。

    さて、願成就院で楽しみにしていたのは、木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王二童子立像3躯、木造毘沙門天立像の運慶作の仏像5躯。いずれも国宝となっていて、仏像の胎内から発見された銘札に施主が北条時政で文治2年(1186年)制作と判明したことが決めてとなりました。
    ただ、ぱっと見、意外にインパクトは弱いなというのが私の印象。少し離れて見ているのもあるかもしれませんが、運慶の完成度が高くて洗練された凄味は、これらの像からはあまり感じられませんでした。説明の方は、運慶作というのが明らかで貴重なものであることをかなり力説されていましたが、ほかの運慶作の仏像と比べれば私のもやもや感は理解してもらえると思うんですけどね。
    ちなみに、私が最も衝撃を受けたのは、金剛峯寺 八大童子立像。完成度の高さと洗練された技の凄味は、遊び心も混じったような余裕の表情も含めて、ほとんど類例がないもの。鎌倉時代の飛んでもないフィギュアのような感覚ですね。で、願成就院のもやもやが消えないので、この後、東京国立博物館の「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」にも行ってみました。すると運慶作の弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像はやはりさすが。特に、無著・世親菩薩立像のずっしりとしたリアルな存在感はちょっと只者ではなくて、私の運慶の理解をまた深めてくれたような気がします。たまたま、現代の慶派、松本明慶氏にお話を聞いたことがありますが、氏のイチオシは円成寺の大日如来坐像なのだとか。私も一度ちらりと拝見はしていますが、またどこかで機会があれば行ってみたいなと思っています。

  • 願成就院からすぐの北側にあるのは、守山八幡宮。

    願成就院からすぐの北側にあるのは、守山八幡宮。

  • 源氏の守護神、八幡神を祀る社で、1180年(治承4年)、以仁王から平家追討の令旨を受け取った頼朝は、令旨を開く前にこの守山八幡宮を遙拜したと伝わる神社。そういう意味では、頼朝挙兵に深く関係する神社とも言え、源頼朝挙兵之碑があるのは納得です。<br />

    源氏の守護神、八幡神を祀る社で、1180年(治承4年)、以仁王から平家追討の令旨を受け取った頼朝は、令旨を開く前にこの守山八幡宮を遙拜したと伝わる神社。そういう意味では、頼朝挙兵に深く関係する神社とも言え、源頼朝挙兵之碑があるのは納得です。

  • なお、舞殿の裏手から、長い石段を上がった先が本殿。すごいことになっています。

    なお、舞殿の裏手から、長い石段を上がった先が本殿。すごいことになっています。

  • 光照寺は、赤い山門が独特の雰囲気。願成就院の支院だったお寺で、建久年間(1190-1199年)の創建。<br />

    光照寺は、赤い山門が独特の雰囲気。願成就院の支院だったお寺で、建久年間(1190-1199年)の創建。

  • 病相の面という舞楽面が寺宝として伝わっていて、それは、修禅寺に幽閉されていた源頼家の姿を写したもの。鎌倉へ運ばれる途中で頼家が亡くなったことから、この寺に納められたということです。<br />修善寺物語の重要なアイテム、能面にも通じるお話かと思います。

    病相の面という舞楽面が寺宝として伝わっていて、それは、修禅寺に幽閉されていた源頼家の姿を写したもの。鎌倉へ運ばれる途中で頼家が亡くなったことから、この寺に納められたということです。
    修善寺物語の重要なアイテム、能面にも通じるお話かと思います。

  • 北条政子産湯の井戸も同じエリアの一角。どん詰まりの道の一番奥にありました。<br />北条政子が生まれたのは、1157年(保元2年)。北条時政の長女だった政子は夫である源頼朝と夫唱婦随。しかし、一番象徴的なのは承久の変における尼将軍としての姿かな。大軍を鼓舞し都からの朝廷軍を撃ち破る。史上稀にみるというか唯一無二の女傑ですね。

    北条政子産湯の井戸も同じエリアの一角。どん詰まりの道の一番奥にありました。
    北条政子が生まれたのは、1157年(保元2年)。北条時政の長女だった政子は夫である源頼朝と夫唱婦随。しかし、一番象徴的なのは承久の変における尼将軍としての姿かな。大軍を鼓舞し都からの朝廷軍を撃ち破る。史上稀にみるというか唯一無二の女傑ですね。

  • これもすぐ近くの伝堀越御所跡は、室町時代後半の史跡。けっこうただっ広い平地です。<br />ここは、堀越公方と呼ばれた足利政知の御所があった場所。足利政知は、室町幕府第8代将軍、足利義政の兄。1457年(長禄元年)、室町幕府が直接関東地方を支配するため、鎌倉公方として派遣されたのですが、戦乱のためにここに足止め。御所を構えることになりました。しかし、この御所も一代限り。北条早雲に滅ぼされてしまいます。

    これもすぐ近くの伝堀越御所跡は、室町時代後半の史跡。けっこうただっ広い平地です。
    ここは、堀越公方と呼ばれた足利政知の御所があった場所。足利政知は、室町幕府第8代将軍、足利義政の兄。1457年(長禄元年)、室町幕府が直接関東地方を支配するため、鎌倉公方として派遣されたのですが、戦乱のためにここに足止め。御所を構えることになりました。しかし、この御所も一代限り。北条早雲に滅ぼされてしまいます。

  • 成福寺は、1289年(正応2年)、鎌倉幕府八代執権北条時宗の三男、北条正宗が北条氏一族の菩提を弔うために創建した浄土真宗のお寺。父、北条時宗は元寇を戦った偉大な執権。その死後にこの寺の創建をしていて、境内の説明板にはその辺りの経緯が詳しく説明されていました。

    成福寺は、1289年(正応2年)、鎌倉幕府八代執権北条時宗の三男、北条正宗が北条氏一族の菩提を弔うために創建した浄土真宗のお寺。父、北条時宗は元寇を戦った偉大な執権。その死後にこの寺の創建をしていて、境内の説明板にはその辺りの経緯が詳しく説明されていました。

  • 願成就院のエリアから、今度は温泉街のエリアへ。<br />ところが、川を挟んで大回りしないといけないし、けっこう大変なことに。

    願成就院のエリアから、今度は温泉街のエリアへ。
    ところが、川を挟んで大回りしないといけないし、けっこう大変なことに。

  • 右手に見える山の周辺がさっきまで歩きまわっていた場所なのですが、その場所全体がお堀のような川に囲まれていて、なにげに守りに固い地。北条氏のルーツはなかなかの場所だったような気がします。

    右手に見える山の周辺がさっきまで歩きまわっていた場所なのですが、その場所全体がお堀のような川に囲まれていて、なにげに守りに固い地。北条氏のルーツはなかなかの場所だったような気がします。

  • 伊豆長岡温泉の市街に入って、これは姫のあし湯。市街の北の方、長岡総合会館アクシスかつらぎの敷地内にある足湯です。泉質は、美人の湯として知られるもの。この日も家族連れが利用したりして、賑わっていました。あんまり大きさはなくて、ゆったりとはしていないんですけどね。

    伊豆長岡温泉の市街に入って、これは姫のあし湯。市街の北の方、長岡総合会館アクシスかつらぎの敷地内にある足湯です。泉質は、美人の湯として知られるもの。この日も家族連れが利用したりして、賑わっていました。あんまり大きさはなくて、ゆったりとはしていないんですけどね。

  • 弥勒山 西琳寺は、源氏山公園への入り口です。

    弥勒山 西琳寺は、源氏山公園への入り口です。

  • ちらりと拝見して、

    ちらりと拝見して、

  • 最明寺へ。

    最明寺へ。

    最明寺 名所・史跡

  • ここには北条時頼の墓がありまして。境内奥の方。共同墓地に向かう途中に専用の石段が設けられていました。<br />ちなみに、北条時頼は、鎌倉幕府五代執権。能の「鉢の木」では、旅の僧に身をやつした時頼が、宿を提供し大切な盆栽の木を燃やして暖をとらせた鎌倉武士の恩義に報いるという美談が語られて、名君として高く評価される人物。墓の傍らには、併せて、賢母と誉れが高かった母、松下禅尼の紹介もされていて、この母にしてこの子あり。のような感慨深いものがあると思います。

    ここには北条時頼の墓がありまして。境内奥の方。共同墓地に向かう途中に専用の石段が設けられていました。
    ちなみに、北条時頼は、鎌倉幕府五代執権。能の「鉢の木」では、旅の僧に身をやつした時頼が、宿を提供し大切な盆栽の木を燃やして暖をとらせた鎌倉武士の恩義に報いるという美談が語られて、名君として高く評価される人物。墓の傍らには、併せて、賢母と誉れが高かった母、松下禅尼の紹介もされていて、この母にしてこの子あり。のような感慨深いものがあると思います。

  • 伊豆長岡温泉の源氏山七福神めぐりは、湯谷神社(恵比寿神)、長温寺(福禄寿)、西琳寺弥勒堂(弁財天)、旧南山荘(大黒天)、源氏山山頂(寿老人)、あやめ御前広場(毘沙門天)、最明寺(布袋尊)の七つ。一部、源氏山の上の方は大変ですが、旧南山荘(大黒天)や最明寺(布袋尊)は市街なので比較的簡単。幟も立っているので見つけやすいです。

    伊豆長岡温泉の源氏山七福神めぐりは、湯谷神社(恵比寿神)、長温寺(福禄寿)、西琳寺弥勒堂(弁財天)、旧南山荘(大黒天)、源氏山山頂(寿老人)、あやめ御前広場(毘沙門天)、最明寺(布袋尊)の七つ。一部、源氏山の上の方は大変ですが、旧南山荘(大黒天)や最明寺(布袋尊)は市街なので比較的簡単。幟も立っているので見つけやすいです。

  • 湯らっくす公園は、芝生の広場に足湯の施設があるというシンプルな公園。

    湯らっくす公園は、芝生の広場に足湯の施設があるというシンプルな公園。

  • はっきり言って、足湯だけで、公園としての面白みはほとんどありませんね。ただ、その足湯には近所の人もポツポツやってきて、それなりに利用されているのが面白いところ。寂れているわけでもありません。

    はっきり言って、足湯だけで、公園としての面白みはほとんどありませんね。ただ、その足湯には近所の人もポツポツやってきて、それなりに利用されているのが面白いところ。寂れているわけでもありません。

  • では、ここらで晩飯です。<br />ひょうたん寿司は、伊豆長岡温泉を代表するようなお寿司屋さん。カウンター席と座敷のエリアが分かれていて、どちらもさすが老舗と思わせるしっかりした構え。

    では、ここらで晩飯です。
    ひょうたん寿司は、伊豆長岡温泉を代表するようなお寿司屋さん。カウンター席と座敷のエリアが分かれていて、どちらもさすが老舗と思わせるしっかりした構え。

  • 私はカウンターの方でいただきましたが、こちらも広々。余裕の空間がありました。お寿司の方も正統派。上質な味わいでした。

    イチオシ

    私はカウンターの方でいただきましたが、こちらも広々。余裕の空間がありました。お寿司の方も正統派。上質な味わいでした。

  • そのまま宿へ。<br />伊豆長岡温泉 ニュー八景園ですが、伊豆長岡温泉の市街中心部とはいえ、小山の上にあって、歩いて訪ねると実はなかなか大変。それに別館の方で泊まったのですが、この別館から本館の大浴場に行くのもけっこう坂を上って行くことになる。年配者には基本ありえないことになっています。

    そのまま宿へ。
    伊豆長岡温泉 ニュー八景園ですが、伊豆長岡温泉の市街中心部とはいえ、小山の上にあって、歩いて訪ねると実はなかなか大変。それに別館の方で泊まったのですが、この別館から本館の大浴場に行くのもけっこう坂を上って行くことになる。年配者には基本ありえないことになっています。

    伊豆長岡温泉 ニュー八景園 宿・ホテル

    小山の上にあって by たびたびさん
  • 大浴場やロビーからの眺めがいいこととか利点ですが、それを考えてもちょっとなあという感じですね。<br />不満がそれなりに溜まっていたのですが、朝食は充実していて、これはけっこう満足。やっと少し帳尻はあったかなと思います。

    大浴場やロビーからの眺めがいいこととか利点ですが、それを考えてもちょっとなあという感じですね。
    不満がそれなりに溜まっていたのですが、朝食は充実していて、これはけっこう満足。やっと少し帳尻はあったかなと思います。

  • 翌日は、時間切れで回れなかったお饅頭屋さんへ。<br />柳月の温泉饅頭は、ながお菓まんじゅうと言っています。

    翌日は、時間切れで回れなかったお饅頭屋さんへ。
    柳月の温泉饅頭は、ながお菓まんじゅうと言っています。

  • 朝7時から開いていて、朝からお客さんがどんどんやってきます。

    朝7時から開いていて、朝からお客さんがどんどんやってきます。

  • 口にした瞬間、変わった香りがするのですが、それは醤油の香り。餡子もイケてるし、かなり完成度の高い温泉饅頭だと思います。

    口にした瞬間、変わった香りがするのですが、それは醤油の香り。餡子もイケてるし、かなり完成度の高い温泉饅頭だと思います。

  • 黒柳は、温泉まんじゅう元祖とありますが、さっきの柳月の温泉饅頭もおいしかったですからね。どうでしょうか。<br />

    イチオシ

    黒柳は、温泉まんじゅう元祖とありますが、さっきの柳月の温泉饅頭もおいしかったですからね。どうでしょうか。

  • こちらは、朝8時のオープン。しかし、開店前から人が並んでいて、開いたとたんにどっと店内へ。いやいやすごい人気ぶりですね。<br />

    こちらは、朝8時のオープン。しかし、開店前から人が並んでいて、開いたとたんにどっと店内へ。いやいやすごい人気ぶりですね。

  • 真ん中が少しへこんでいますが、「伊豆」と焼き印が入っているから。ふっくらした皮にしっかりした甘さの餡子。普通と言えば普通ですが、やっぱり安定のおいしさ。柳月は柳月のおいしさ。黒柳は黒柳のおいしさがあると思いますね。ただ、敢えて比べると柳月は庶民的。黒柳はちょっと高級感があるような気がします。

    真ん中が少しへこんでいますが、「伊豆」と焼き印が入っているから。ふっくらした皮にしっかりした甘さの餡子。普通と言えば普通ですが、やっぱり安定のおいしさ。柳月は柳月のおいしさ。黒柳は黒柳のおいしさがあると思いますね。ただ、敢えて比べると柳月は庶民的。黒柳はちょっと高級感があるような気がします。

  • 伊豆長岡の温泉街から駅まではこの橋を渡ります。

    伊豆長岡の温泉街から駅まではこの橋を渡ります。

  • 昨日の北条の里を流れていた狩野川です。

    イチオシ

    昨日の北条の里を流れていた狩野川です。

  • 伊豆長岡駅から三島に向かいます。<br />今日は、三島の散策です。

    伊豆長岡駅から三島に向かいます。
    今日は、三島の散策です。

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