
2025/01/21 - 2025/01/22
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junさん
マレーシアの旅の最後は、タイピンでした。
当初、タイピンに行く予定は無かったのですが、現地の友人のアドバイスとガイドで行くことができました。
タイピンの史跡戦跡、ビクトリア橋の徒歩での渡橋、クラシックホテルの宿泊、マレー鉄道の乗車など、充実した歴史旅でした。
表紙写真:1900年築のビクトリア橋。先の大戦で一部爆破され、日本軍により修復されました。現在は徒歩、二輪車での渡橋が可能ですが、川より大分高くちょっと怖いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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タイピンのマタン博物館です。
ガーイブラムヒム城砦の中にあります。 -
とても綺麗に整備されています。
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1858年に城砦が作られたの日本語であります。
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庭に二つの先の大戦の戦跡記念碑があります。
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左の戦績記念碑は三つに分かれています。
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裏もほぼ読めます。
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碑の説明板です。
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右の戦跡記念碑は、裏面は摩耗して読めません。
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城砦には狭間もあります。
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タイピンの東、クアラ・カンサーにあるビクトリア橋です。
1900年に完成したとのことです。 -
1941年、日本軍第5師団が迫る中に英軍により一部爆破されました。
その後、日本軍近衛師団は一部補強して渡橋したとあります。 -
今、鉄道は通っていないので、歩いて渡れます。
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反対側に着きました。
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現在の複線の線路が側を通っています。
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現在は渡橋できる観光橋になっています。
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こちらは、南にあるイスカンダル橋です。
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こちらの橋も日本軍の進出により、英軍により一部爆破されました。
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タイピン市内に戻り、今日の宿泊は1929年築の北京ホテルです。
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先の大戦の終戦時は、マレーを防衛した日本軍第29軍の司令部が置かれていたとのことです。
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部屋は広く快適ですが、水もコップもありませんでした。
1階のフロント横の部屋です。 -
フロントの後ろにロビーがあり、そこから2階に上がる変わった作りです。
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2階のホールはとても素敵です。
通常、2階は進入禁止ですが、頼んで撮影させてもらいました。 -
2階奥が、終戦時の軍司令官など高官の部屋だったと思います。
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タイピン戦没者墓地です。
grabタクシーで行きました。 -
道路の向かい側にも墓地があります。
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ニュークラブと言う建物。
タイピンは由緒のある建物が多いです。 -
第2次世界大戦慰霊碑です。
4つの面には、さまざまな言語で慰霊の言葉が書かれています。
この面は中国語で「精神不死」です。 -
広東会館。
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1928年築の中国人貿易商の家だったとのことです。
現在は、1階がレストランで、上階がホテルとのことです。 -
タイピン市内の立派な観光地図です。
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宿泊ホテル(北京ホテル)は食事が無いので、市内のホテルでブランチでした。
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マレー鉄道のタイピン新駅です。
イポーの鉄道駅よりも大分規模が小さいです。 -
これからクアラルンプールへ向かいます。
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前日に、駅の自動販売機で切符を買いましたが、ビジネスクラスのようでした。
食事、水、スナックボックス、コーヒーとさらに、別にサンドイッチも付いてきました。
横三列で快適でした。 -
クアラルンプール・セントラル駅から空港に着きました。
プライオリティ・ラウンジには、無料のビールはありませんでした。
有料のアルコールはあります。 -
JAL夜行便で、成田へ向かいます。
今回のマレーシア旅行はこれで終わります。
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