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2023年3月4日(土)お昼前の11時40分過ぎ、丹波国分寺跡から府道405号を南に進み、河原林町勝林島へ向かう。1889年(明治22年)の町村制の施行で河原林村となるまでは勝林島村だった地域。<br /><br />勝林島村は大堰川左岸低地の川東地域の一番南に位置し、北は河原尻村(河原林村)、東は毘沙門村(千歳村)、南は大堰川を隔てて宇津根村(亀岡町)、西は同川を隔てて並河村(大井村)。上島、中島、下島の3集落があり、屋敷地以外は全部水田で畑地は全くない。<br /><br />村名はかつてこの地に勝林寺があったことによる。勝林寺は小林寺とも書かれ、江戸中期の1749年に徳川幕府の要職を務めていた青山氏の15代当主の青山忠朝が丹波亀山藩から篠山藩に移封され、丹波篠山に小林寺を再建しているので、それかしら?<br /><br />集落は最初若宮神社付近に出来、その後新田開発に伴い順次西方の大堰川方面へ移動して、まず下島が、さらに西へ移って中島が、そして最後に上島が形成され、ついに若宮神社付近には人家はなくなった。<br /><br />光秀の丹波攻め以降は勝林島には明智光秀の重臣だった小畠氏の所領があった。近代以来の建造物も多く残り、家々を囲む石垣や生垣の景観とともに、歴史的な風情が感じられる集落。<br /><br />府道405号から西にそれて蛇行する七谷川を河原田橋で渡る(下の写真1)。河原田橋から500mほど南に進むと、右手(西側)にあるのが中島集落。ここに極楽寺がある。正午前に到着。<br /><br />極楽寺は臨済宗東福寺派の寺院。山号は萬年山。室町時代の1403年に創建され、江戸初期の1662年に現在地に移ったと伝えられる。しかし、江戸時代にはだんだん荒廃に向かい、明治維新後は廃仏毀釈の風潮の中で本堂・庫裏の傷みは非常に進んだが、明治末期に住職の頑張りで浄財が集まり、改築された。<br /><br />道に面した正門の中に本堂、庫裏、鐘楼などが並ぶ。本堂は1911年(明治44年)竣工で、瓦葺、入母屋造、平屋建、間口六間、奥行五間。棟木の般若心経は霊堂和尚の書写。また、所蔵されている釈迦涅槃図は 唐の呉道子の書に依るもので、京都府指定文化財。<br /><br />1929年(昭和4年)、勝林島で若者の風紀改善が問題となり、夜10時の鐘の合図で皆な寝ようと云うことになり、極楽寺の鐘が撞かれるようになり、若者の夜遊びがほとんどなくなったそうだ(嘘みたい)。<br /><br />さらに、早朝に河原尻の宝光寺の鐘も撞かれるようになり、河原林村では早寝早起きにより村民の勤労意欲が増加し、在郷軍人会の活動活発化、道路修繕の定期化、消防組による10年無火災等の効果があり、最終的に東京朝日新聞から優良壮丁村として表彰されたそうだ。<br /><br />極楽寺のある中島地区から南東の下島集落を斜めに横切って、東に進み、府道405号を越え、若宮橋で再び七谷川を渡る(下の写真2)と10分足らずで若宮神社に到着。<br /><br />勝林島の氏神。創建年月不詳、江戸時代に書かれた文書の多くには「愛宕神社の若宮の祭神である火産霊神を祭神とし若宮大権現と称した」と書かれている。1686年の文書に若宮権現内陣拝殿有、三宝院殿未派宝蔵院別当支配、宮地東西34間、南北44間御免地とあるので創建はそれ以前。<br /><br />また、元禄年間(1688~1703)の文書にも若宮権現社は神宮寺支配、清水寺延命院末寺とあるが、1873年(明治6年)、神宮寺は廃寺となり、若宮権現社は若宮神社と号し、同時に神武天皇を御祭神と仰ぎ、府知事指令をもって村社となる。<br /><br />西参道から境内に入る。正面は南に向いており、南参道に鳥居が建ち、突き当りに本殿で手前に拝殿が建つ。本殿横には末社として大山咋神社、八幡神社、大物主神社、猿田彦神社の4社が祀られている。本殿の左手の手水舎の横には大井大明神もある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28118252731151384&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />若宮神社から南に進み、10分ほどで府道405号の宇津根橋で大堰川を渡る。元々は1958年に架けられた橋だが、2022年に新しい橋に架け替えられた。上流側には旧橋が残っていた(下の写真3)。宇津根は橋の南側の町名で、1889年(明治22年)に亀岡町の一部となるまでは宇津根村だった。<br /><br />宇津根橋を渡ってすぐを左折し、大堰川右岸を1.5km余り歩きサンガスタジアムへ。この時車道は工事中で通れなかったんだけど、人は土手の下の小道を歩くことが出来て良かった。<br /><br />宇津根橋から20分ほど、12時45分頃無事スタジアム北側に到着。スタジアムの西側のかめきたサンガ広場で試合開催時にはいつも開かれてるかめきたecoマルシェの出店の一つでお昼。<br /><br />亀岡市役所近くにあるインド料理のリトルインディアの出店で、この日のカレーはチキンカレーだったが、なかなか旨かった。<br /><br />1時過ぎにスタジアムに入って、2時からの2023年J1リーグ第3節の京都サンガ・FC東京戦をホームゴール裏2階席で観戦。この日はファンクラブの無料券を利用。<br /><br />試合は前半に木下(現柏レイソル)のゴールが、それより以前の山田(現東京ヴェルディ)の反則を遡って取られて取り消されて、0-0が続いたが、後半30分に目の前で川崎がヘッドを決めて先制。終了間際にパトリックがPKを決めて2-0の快勝だった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9113803188689624&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9113821202021156&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京都 亀岡 河原林 勝林島(Shorinjima,Kawarabayashi,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2023/03/04 - 2023/03/04

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旅行記グループ 亀岡川東

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年3月4日(土)お昼前の11時40分過ぎ、丹波国分寺跡から府道405号を南に進み、河原林町勝林島へ向かう。1889年(明治22年)の町村制の施行で河原林村となるまでは勝林島村だった地域。

勝林島村は大堰川左岸低地の川東地域の一番南に位置し、北は河原尻村(河原林村)、東は毘沙門村(千歳村)、南は大堰川を隔てて宇津根村(亀岡町)、西は同川を隔てて並河村(大井村)。上島、中島、下島の3集落があり、屋敷地以外は全部水田で畑地は全くない。

村名はかつてこの地に勝林寺があったことによる。勝林寺は小林寺とも書かれ、江戸中期の1749年に徳川幕府の要職を務めていた青山氏の15代当主の青山忠朝が丹波亀山藩から篠山藩に移封され、丹波篠山に小林寺を再建しているので、それかしら?

集落は最初若宮神社付近に出来、その後新田開発に伴い順次西方の大堰川方面へ移動して、まず下島が、さらに西へ移って中島が、そして最後に上島が形成され、ついに若宮神社付近には人家はなくなった。

光秀の丹波攻め以降は勝林島には明智光秀の重臣だった小畠氏の所領があった。近代以来の建造物も多く残り、家々を囲む石垣や生垣の景観とともに、歴史的な風情が感じられる集落。

府道405号から西にそれて蛇行する七谷川を河原田橋で渡る(下の写真1)。河原田橋から500mほど南に進むと、右手(西側)にあるのが中島集落。ここに極楽寺がある。正午前に到着。

極楽寺は臨済宗東福寺派の寺院。山号は萬年山。室町時代の1403年に創建され、江戸初期の1662年に現在地に移ったと伝えられる。しかし、江戸時代にはだんだん荒廃に向かい、明治維新後は廃仏毀釈の風潮の中で本堂・庫裏の傷みは非常に進んだが、明治末期に住職の頑張りで浄財が集まり、改築された。

道に面した正門の中に本堂、庫裏、鐘楼などが並ぶ。本堂は1911年(明治44年)竣工で、瓦葺、入母屋造、平屋建、間口六間、奥行五間。棟木の般若心経は霊堂和尚の書写。また、所蔵されている釈迦涅槃図は 唐の呉道子の書に依るもので、京都府指定文化財。

1929年(昭和4年)、勝林島で若者の風紀改善が問題となり、夜10時の鐘の合図で皆な寝ようと云うことになり、極楽寺の鐘が撞かれるようになり、若者の夜遊びがほとんどなくなったそうだ(嘘みたい)。

さらに、早朝に河原尻の宝光寺の鐘も撞かれるようになり、河原林村では早寝早起きにより村民の勤労意欲が増加し、在郷軍人会の活動活発化、道路修繕の定期化、消防組による10年無火災等の効果があり、最終的に東京朝日新聞から優良壮丁村として表彰されたそうだ。

極楽寺のある中島地区から南東の下島集落を斜めに横切って、東に進み、府道405号を越え、若宮橋で再び七谷川を渡る(下の写真2)と10分足らずで若宮神社に到着。

勝林島の氏神。創建年月不詳、江戸時代に書かれた文書の多くには「愛宕神社の若宮の祭神である火産霊神を祭神とし若宮大権現と称した」と書かれている。1686年の文書に若宮権現内陣拝殿有、三宝院殿未派宝蔵院別当支配、宮地東西34間、南北44間御免地とあるので創建はそれ以前。

また、元禄年間(1688~1703)の文書にも若宮権現社は神宮寺支配、清水寺延命院末寺とあるが、1873年(明治6年)、神宮寺は廃寺となり、若宮権現社は若宮神社と号し、同時に神武天皇を御祭神と仰ぎ、府知事指令をもって村社となる。

西参道から境内に入る。正面は南に向いており、南参道に鳥居が建ち、突き当りに本殿で手前に拝殿が建つ。本殿横には末社として大山咋神社、八幡神社、大物主神社、猿田彦神社の4社が祀られている。本殿の左手の手水舎の横には大井大明神もある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28118252731151384&type=1&l=223fe1adec

若宮神社から南に進み、10分ほどで府道405号の宇津根橋で大堰川を渡る。元々は1958年に架けられた橋だが、2022年に新しい橋に架け替えられた。上流側には旧橋が残っていた(下の写真3)。宇津根は橋の南側の町名で、1889年(明治22年)に亀岡町の一部となるまでは宇津根村だった。

宇津根橋を渡ってすぐを左折し、大堰川右岸を1.5km余り歩きサンガスタジアムへ。この時車道は工事中で通れなかったんだけど、人は土手の下の小道を歩くことが出来て良かった。

宇津根橋から20分ほど、12時45分頃無事スタジアム北側に到着。スタジアムの西側のかめきたサンガ広場で試合開催時にはいつも開かれてるかめきたecoマルシェの出店の一つでお昼。

亀岡市役所近くにあるインド料理のリトルインディアの出店で、この日のカレーはチキンカレーだったが、なかなか旨かった。

1時過ぎにスタジアムに入って、2時からの2023年J1リーグ第3節の京都サンガ・FC東京戦をホームゴール裏2階席で観戦。この日はファンクラブの無料券を利用。

試合は前半に木下(現柏レイソル)のゴールが、それより以前の山田(現東京ヴェルディ)の反則を遡って取られて取り消されて、0-0が続いたが、後半30分に目の前で川崎がヘッドを決めて先制。終了間際にパトリックがPKを決めて2-0の快勝だった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9113803188689624&type=1&l=223fe1adec
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9113821202021156&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 河原田橋

    写真1 河原田橋

  • 写真2 若宮橋

    写真2 若宮橋

  • 写真3 宇津根橋

    写真3 宇津根橋

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