2023/03/04 - 2023/03/04
332位(同エリア363件中)
ちふゆさん
2023年3月4日(土)朝の10時45分頃、月読橋東詰めから大堰川左岸堤防を500mほど進むと旧河原林(かわらばやし)村になる。1889年(明治22年)の町村制の施行により、河原尻村・勝林島村の区域をもって発足したが、1955年の亀岡市誕生に伴って消滅した。河原林は河原尻と勝林島の合成地名。今も亀岡市河原林町として名前は残る。
河原林に入ってすぐに堤防を降りて、田園地帯を東に進む。少し進むと左手に亀岡市農業公園がある(下の写真1)。花木等の植栽を行い、周辺農地の緑とうまく調和した空間を作り出すことにより、市民の憩いと交流の場を提供するために作られた公園。2.3平方mもの広大な敷地を持ち、水辺の動植物が観察できるビオトープや四季折々の花が咲いているフラワーゾーンなどが楽しめる。
大堰川堤防から1km足らずで河原尻の集落に入るが、この辺りで北から流れて来た古川が愛宕山系から西に流れ出して来た七谷川に合流する。ただし、この時は七谷川は堤防工事中で水は流れてなかった(下の写真2)。
この古川はおそらく大堰川の旧河道で、昔は西に流れて来た七谷川がこの辺りで大堰川に合流していたのではないかと思われ、河原尻と云う名も、この辺りが河原の尻だったことから来ているのではないかと云うのは私の推測。
七谷川は東側の愛宕山系をわずかに京都市右京区に入った嵯峨越畑桃原垣内の桃原池辺りが源流で、南南西に流れ下り、現在のさくら公園辺りで西に方向を変え、古川と合流して南に流れ、蛇行しながら旧勝林島村を抜けて、サンガスタジアムの少し北で大堰川に合流する総延長約6.2kmの一級河川。
11時10分頃、JR千代川駅から3km弱、30分余り歩いて亀岡市河原林の河原尻集落にある日吉神社に到着。河原尻の氏神。
室町時代の1443年に江州(近江国)坂本の山王権現を勧請して創建と伝わり、明治以前は山王大権現と称していた。安土桃山時代の明智光秀の丹波攻めの際、社殿や宝物は焼失し、その後数度改築が行われた。
境内入口の大鳥居は江戸中期の1750年に建て替えられたもので、日吉社の扁額は1752年に領主だった武田氏の寄進のよるもの。大鳥居の左には天満宮・香具土社(愛宕社)・稲荷社と大将軍社、右手には鈴の宮社。
鈴の宮社は病気平癒などにご利益があり、宮裏にある霊泉(真名井)が治病に効くとのことで、参拝者が竹筒で持って帰ったと云う。この井戸は枯れたことがなく村人の命水とされて来た。
鳥居を抜けると右手に手水舎、左手に絵馬舎。絵馬舎にはこの年の干支の卯の絵が飾られ、隣には境内図。参道を進んだ左手の大ケヤキは御神木で神社創建当時からあったと考えられている。根元部分の大きなコブは神使いの猿の姿に似ており、神猿の現れと親しまれている。
参道を抜けた広場の真ん中には拝殿。京都府暫定登録文化財。その奥、1段高くなったところには同じく京都府暫定登録文化財の本殿。本殿は江戸後期の1814年造営で、二間社流造の立派な建物。本殿裏側には末社の熊野社、天照大神社、春日社、八幡神社、稲荷社が並ぶ。
また、拝殿の右手にはみこし舎、左手には江川の七つ石がある。七つ石は江川水路が圃場(ほじょう)整備されるまで分水石として長年使われていたもの。圃場整備とは耕地区画の整備、用排水路の整備、土層改良、農道の整備、耕地の集団化を実施することにより、労働生産性の向上を図り、農村の環境条件を整備することで、農林水産省や都道府県の公共事業として行われる事業のこと。
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丹波国分寺跡に向かうが、続く
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