2024/02/23 - 2024/02/23
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morisukeさん
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オッサンネコです。
2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」。
これまで世界遺産と言えば近いエリアにかたまっていたのが、
日本各地散り散りの場所で登録がされるというアンビバレントが勃発。
おかげで世界遺産コンプが複雑になっちゃうと同時に
見たい知りたいが増える事に…でも、それはそれで良いことなのでしょう。
脳みそを活発化させないとボケちゃうしね (σ゚∀゚)σ
そんな折、今まで金銀銅のオリンピック鉱山は全て見た事があったのですが、
黒いダイヤ「石炭」は北海道の夕張を通った時にチラ見しただけ。
世界遺産を全力で応援するマンを公言しているからには… 行かねばならぬでしょう。
果たして近代化の淵源の象徴と言われる「万田坑跡地」とはいかなる場所なのか?
そこには想像の斜め上を行く炭鉱の深い深い歴史の重みがあったのでした。
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自転車 ANAグループ 私鉄
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
前回、三井三池炭鉱の三川坑跡地を見学した後のお話。
続いては、同じく三池炭鉱の万田坑跡地にやってきました♪
万田坑は「明治日本の産業革命遺産(石炭産業)」の構成要素として、
2015年に世界遺産に登録された旅人を魅了する史跡。
セカケンホルダーとしては死ぬ前に一度は訪れたい場所として
期待度マックスで今回やっと積年の想いを叶える事ができました。
いや、まだ死なんけど ( ゚Д゚)
万田坑ステーションで入場券410円をお支払い。ちゃりーん。 -
それでは万田坑跡地を見学していきまっしょい (σ゚∀゚)σ
万田坑ではボランティアによる無料のガイドツアーもある様なのですが、
残念ながらタイミングが合わず、三川坑に続きぼっち見学となります。
まぁ写真を撮りまくる分はね、ぼっちの方が都合いいんだけどね…。 -
まずは万田坑が世界遺産に登録された背景をご紹介するっす。
元々、江戸時代までのニッポンは島国特有のゴリゴリの封建社会。
でも明治に入って風向きは一気に変わります。
初めて西欧に直面した岩倉使節団は、その圧倒的な差に愕然としつつ、
これからの国の発展には工業化が急務だと強く認識する事になります。
そこからの日本はなりふり構わず欧米化を取り込んでいきます。
あたかも水を吸うスポンジのように、西欧文明を愚直に吸収していき、
わずかの期間で世界有数の工業国へと発展を遂げるのであります。
結局、欧米を除いて近代化に成功したのは東アジアでは日本だけであり、
欧米の技術革新をうまくアレンジし、日本独自の工業化に反映させた事が
他に類を見ない事例して評価された点になります (*´з`)
その工業化を支えた要素の一つが「炭鉱」になるのですが、
当然、光もあれば影もあり。
炭鉱には事故や差別、色々な負の側面が付きまとう事になるのですが、
今の我々の豊かな時代は、そういった犠牲の上に成り立っている事を
忘れてはならんと思うのです。 -
見学ルートとして、まずは「職場」を目指しましょう。
ん…? 職場…(・-・`)?
その職場に向かってレールが敷かれてますが、格納庫にも繋がってますね。
何が格納されているのか気になる気になる…。
中を覗いてみても真っ暗で何も見えませんでした ( ゚∀゚)ヒャヒャヒャ -
こちらが「職場」でござる。
職場の前がプラットホーム状になっとりますがな。
此処から必要なものを貨車に載せて運んでいたのかな。
骨組みになった炭車と貨車が廃感たっぷりでいい味出しています (*´艸`) -
此処が職場。
いやココ工作室ですやん ( ゚Д゚)
坑道内で使用する機器のメンテや工具の制作を行っていたとの事。
当方も大学生の頃は工作部隊に所属していたので、
この草臥れたオイルの匂いを嗅ぐと、工作魂に火が付きそうなり。 -
部品とか当時のまま。
此処の工作マンは整理整頓は苦手だったのかしら ( ゚Д゚) -
このワチャワチャ感。
たまらんばーい イイネ(゚∀゚≡゚∀゚)イイネ !!
今の時代だったら間違いなく熟練の先輩社員に怒鳴られるでしやう。 -
ねじとナットとワッシャーの終着地。
乱雑さもここまで来るともはやアートである。 -
ギアを保管する三角錐の棚。
あれだけ工具が投げっぱなしなのに、なぜにこんなにキレイなの…
ここまで来ると芸術的ですらある ( ゚Д゚) -
安全第一。ご苦労さんの標識。味がある。
若い時分、おばあちゃんは苦労は買ってでもしろと言ってました。
今の世代の人たちには通じるのだろうか。
誰も苦労なんてしたくないんだけどね (*´д`) -
敷地内には結構コイツが放置されています。
コイツは何者かと申しますと、竪坑を上下移動するケージですな。
このケージで炭鉱マンや石炭を地底から光の世界に引っ張り上げてたと。
炭鉱マンであれば、なんと一度に25人も運んでいたそう。
イナバの物置を超える人口密度であったのは間違いない ( ゚Д゚) -
第二竪坑入口。地の底への入場口です。
またしても先ほどのケージが放置されていますが、
その先に炭鉱ならではの絶景が広がっているのでありまして…
その絶景とは…。 -
イチオシ
コレだ…。
絶景 キタ―――――(゚∀゚)―――――!!
かつては地の世界に通じていた無機質な正方形。
苔むした壁と炭鉱グリーン。
静寂な空間を照らす赤い光。
うーん、妖艶…。
そして異世界感がハンパないぞ ( ゚Д゚) -
坑口の傍には詰所もあります。
ここで巻揚室と連絡を取り合い、炭鉱の安全を守っていたのでしょう。
ちなみに敷地内の設備にはやたら緑色が使われていますが、
地底から出てきた炭鉱マンが急激な明るさの変化で目を傷めない様に、
少しづつ視力を慣らしていく色、それが緑色なんだそうです。`∀´)ウシシ
そんな緑に経緯を込めて、此処では炭鉱グリーンと呼ぶ事にしましょう。
尚、医学的根拠は全く知りまへん。 -
万田坑の第二竪坑の坑口。
炭鉱の閉鎖と共に坑口はコンクリで厚く閉ざされました。
なので、今見えている水は坑内から湧き出た水ではなく単純に雨水。
でもこんな深く神秘的な緑だと、地の果てまで続いている様な感じ。 -
竪坑から石炭を運ぶための隧道。
残念ながらヒューマンは立ち入り禁止。
ここはるろ剣の映画京都大火編の冒頭で使用された隧道になります。
世界遺産でロケをするとは、なんとも贅沢なクランクですのぅ (*´艸`) -
こちら三池炭鉱の専用鉄道。
石炭は石油と違って、輸送手段をどうするかがボトルネックであり、
とにかく鉄道包囲網を敷いた三井の判断は卓見なのでしょう。
最初に鉄道が敷設されたのは1878年の事ですが、
当初、炭車を引っ張った動力は機関車ではなくお馬さんでした。
その後、1891年に蒸気機関車が導入され鉄道路線も延線。
1899年には宮原坑、1900年には万田坑まで開通、
そして1905年には三池港とも繋がり、鉄道輸送の土台が完成します。
各坑口と港を結ぶことで近代的な炭鉱システムを構築し、
最盛期には延べ150kmの巨大な輸送網ができあがったそうな ゚Д゚)スゲ- -
発電所跡から眺める櫓(やぐら)と巻揚室。
櫓の下に先ほどの坑口の入口があり、隣の建屋からワイヤーを巻揚げ、
地底と地上を結ぶケージを上げ下げしていました。
敷地内は炭車とか配管、色んな鉄の残骸がそのまま放置されています。
このワチャワチャ感が昭和の空き地を彷彿させイイ感じ! -
イチオシ
現存している第二竪坑の高さは約19m。
しかし、過去この地にあった第一竪坑の櫓は30mを超えていたそうな。
残念ながら1954年に解体され、北海道の芦別炭鉱に移されています。
これより巨大な櫓って… 是非とも見たかったものである (*´з`) -
配電所跡と、その奥にあるのはデビーポンプ跡地。
1トンの石炭を産出するのに10トンの水が出てきた三池炭鉱。
とにかく湧水との闘いに終止符を打つために導入されたのが、
当時世界の最先端を走っていたイギリス製のデビーポンプ。
コイツの利点はモンスター級の揚力だけではなく地上に設置ができた事。
今までは湧水でポンプが浸水しブッ壊れるなんて事もあったそうです。
尚、デビーポンプの動力には、当初蒸気が使われていましたが、
電動モーターに変わって更に効率があがったそうで (*´∀`) -
結構その辺にホッタラカシにされているケージ。
このケージは炭鉱グリーンの名残を色濃く残していますねぇ。
真ん中にぶら下がっているのはランタンでしょうか。
地底へ向かうケージの中を照らしていた唯一の光。
数分の間、炭鉱マンはこの頼りない光をどんな気持ちで眺めてたのか… -
巻揚室にも入れちゃいます。
三川坑とかと比べるとかなり小ぶりなサイズです。
設備そのものはもの凄くきれいな状態で保存されています。
ホント、明日から動かせ!って指示されても、
鈍い歴史の音を立てながらぶぃーんと動きそうな既視感なり。 -
もんのすごい歴史の重みを感じる交信機。
ラピュタでドーラがタイガーモス号で通信しているアレかしら。 -
防火砂。
消火器がない時代に備え付けられていたもの。
炭鉱内は自然発火や爆発などで火災が発生するリスクが高いため、
素早く効果的に火元にアクセスできる手段がこの砂でした。
昔々、海岸でたき火が許されていた頃、
火を消すには砂をかけていた覚えがあるのですが、まさにそれです。
万田坑の見学はこの辺で終了。
時間も限られているので次にいきっしょい。 -
イチオシ
続いて、世界遺産に登録されているもう一つの坑道「宮原坑」です。
宮原坑も三池炭鉱の一部で、1895年に開削が始まっています。
現在見えている櫓(第二竪坑)は1901年に完成したもの。
現在は櫓と巻揚げ室のみ残されていて
先ほどの万田坑と比べると見るエリアはかなり限られています。 -
こちらは当時のまま残されている排水管。
日本は地下水が豊富なため、掘削をすると必ず含水層に当たるんですが
三池炭鉱は特に地層から湧き出る水の量がハンパなかったそうです。
坑道は地下で繋がっていたので、宮原坑では他の坑道に湧き出てくる水を
一手に排水する役割を担っていました。
三池炭鉱が導入したデビーポンプ。
その排水量は1日あたり約3,000トン、25mプールにして5杯分…
正に日本の産業革命の成功のカギを握る炭鉱であったのです。 -
炭車と軌道も当時のまま。
当時の探鉱作業を今に伝える貴重な遺物ですな (*´з`) -
横一列に並んだ炭車。
かつては大車輪で動いていた炭車も、朽ち錆びて地に帰るのを待つのみ。 -
櫓の下に当時使われていたケージがそっと置かれています。
こちらも万田坑と使われていたのとまったく同じタイプですね。 -
こちらは坑口の真上にケージがそのまま置かれています。
下を除くと肝心の坑口はコンクリでしっかり埋められてました ( ´Д`)
第二竪坑の深さは約160メートル。
オフィスビルに換算すると、ざっくり40階建てのビルに相当するのかな。
ちなみに地上から地底まで到達する所要時間は数分程度だったそうです。 -
宮原坑の巻揚室。
三川坑や万田坑と比べると、更に小ぶりな感じ。
こちらもブレーカーをONにしたら、今にもギューンと動きそうな感じ。 -
巻揚機運転手心得。
一歩間違えば大惨事になるため、運転手の教育は必須だったのでしょう。
当然、運転手は実際にケージが上がってくるのが見えていないので、
巻揚機の傍に置いた深度計でケージの位置を調整していたそうです。 -
ここにも当時使われていたヘルメットや防火砂が残されています。
公開に踏み切る際に、砂を捨てていないトコがいいですよね~。 -
三池炭鉱には負の側面もありまして、その一つが囚人労働になります。
日本の囚人労働は、明治初期の近代化へと進み始めていた時に、
労働力不足の解消と低賃金労働の利点で頻繁に投入されてきました。
囚人は危険で劣悪、所謂3Kな場所に集中的に投下されたわけですが、
この三池炭鉱も例外なく悲惨で陰鬱な作業現場であり、
あまりの過酷さに「修羅坑」とまで呼ばれていたそうな。
三池炭鉱の囚人労働は1930(昭和5)年の12月まで続いたわけですが、
宮原坑の閉坑と共に囚人労働も終焉を迎えました。
その理由は、人道的な観点ではなく、時折起こる暴動のリスクヘッジと、
人海戦術による手掘りよりも効率的な掘削が開発された所以でした。
結局、三池炭鉱では鉱山全体での排水どうすんの問題があったため、
宮原坑の閉坑後も排水だけはこの施設でずっと続けられたそうです。 -
こちらは石炭を三池港に運ぶために敷設された三池炭鉱専用鉄道跡地。
レールは撤去されているものの、その痕跡はしっかり残ってますね。
鉄道跡がここまでくっきり残っているのも珍しいケースかと (`∀´*)
石炭を輸送する鉄道は、常時めちゃんこ重い石炭を運ぶ事になるので、
傾斜があると止まっちゃったり、逆走するリスクがあるのでして…。
ならば、パンがなければケーキを食べればいいじゃない、の発想。
高い場所は削っちゃえばいいじゃないの。
低い場所は盛っちゃえばいいじゃないの。
なので、宮原坑の脇の敷設跡は不自然に低くなっている所以です。 -
最後に勝立山の廃神社にやってきました (*´ロ`) フゥ
小高い丘の上にあるので、チャリで来るには全力ペダルが必要です。
勝立山神社は三池炭鉱における最も古い歴史を持ち、
1908年(明治41年) 創建で、祭神は大山祇神となります。
入口からしてすでにこの雰囲気…
だがそれがいい! イイネ(゚∀゚≡゚∀゚)イイネ !! -
勝立山の廃神社は大牟田市の石炭産業博物館のHPに記載されています。
この神社は三池炭鉱の氏神として祭られていましたが、
1997年の三池炭鉱閉山後は、管理なども行われていないようです。
静寂に包まれた荒れた参道。コマさんもどこかもの寂し気。 -
現在は社殿も解体されて、基礎だけが残されています。
氏子なき神社の土台に腰掛け、しばし諸城無情の理の感慨に耽る…。
なんでおセンチな気持ちに浸っていたら、藪ががさがさ揺れ出しまして。
INOSHISHIだっ ( ゚Д゚)!!
って事で猛ダッシュで逃げましたよ。はい。怖いですから。
皆さんも山に入る時は気を付けましょうね。 -
イチオシ
という事で、三池炭鉱の探索はこれにて終了。
時間も迫っていたので、長い下り道をチャリで疾走して駅まで戻ります。
炭鉱史跡って地味で暗いイメージがつきものですが、
日本の高度成長を知る上では語り継がれるべき遺産だと思います。
それではまた~ (=゚ω゚)ノ
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