2024/11/16 - 2024/11/16
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mikanさん
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この旅行記スケジュールを元に
やっと秋めいた11月半ば、京都に4泊しました。
紅葉にはちょっと早めの時期でしたが、駅周辺はインバウンドに日本人もごった返し状態でした。
混んでる所は避けて京都を廻ろう。
大河ドラマの 「光る君へ」関連を廻ってみよう。
京都駅八条口を起点に、京都と滋賀をひたすら
時々旦那、女史と合流ありでしたが・・・・そんなに歩くかって言うくらい歩いた・・ほぼひとり旅記録です。
行ってよかった感動ものだったのは・・・晴明神社・石山寺・安土城・山崎山荘美術館のアンドリューワイエス展
1日目・・イノダコーヒーでランチ
京都平安京の跡を巡る(平安京朱雀門跡・平安創生館・一条院跡・晴明神社・紫式部墓所・大徳寺)
和久傳のディナー ダイワロイネット八条口プレミア泊
2日目・・京都御所・迎賓館・今出川・瑠璃光院・一乗中谷で一休み・詩仙堂・圓光寺・祇園・八坂の塔
花街芸術資料館 ・マメトラ
3日目・・石山寺・三井寺・宇治(宇治神社・宇治上神社・源氏物語ミュージアム・平等院)
4日目・・彦根城・安土城郭資料館・安土城・近江八幡(ハリエ・たねやのスィーツ)
5日目・・桂離宮・山崎山荘美術館
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
彦根から安土に移動
織田信長が築いた安土城のすごさを知ることができました。
信長ワールドがこんなに広がっているとは、驚きの安土でした。
安土城は築城からわずか6年で焼失しましたが、ヨーロッパにもとどろいた安土城の全貌が数々の館と、安土城跡から 信長のロマンを知ることができます。
面白かった~安土安土駅 駅
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えきまえには織田信長像
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安土駅
駅で聞いたところによると、タクシーも少ないし、駅の反対側から出てる
あかこん というコミュニティバスで時間を見計らって廻るとよいと聞き。
一番お手軽なのは、レンタサイクル でした・・いよいよ私も自転車乗らなきゃだなぁ・・と思うのだけど・・二十年くらい乗ってないんです・・
頑張って歩いてみたけど・・今回ばかりは・・自転車再開しなきゃダなと思う・・
疲れたっ・・ -
あかべい コミュニティバスは 一時間に一本くらいなので、駅の反対側の
安土城郭資料館 をまずは進めていただき行ってみました。安土城郭資料館 美術館・博物館
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城郭資料館には安土城の1/20のひな型の展示があります。
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この後、 信長の館で 安土城のレプリカもありましたが、断面を見れるのはここ。
貴重な資料館です。 -
世界初の木造高層建築で、当時の技術の最先端と言われる城は、ヨーロッパからの宣教師たちをも驚かせ、ヨーロッパにもその名がとどろいた城
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丁度年末に西田敏行さん主演の、織田信長の命で安土城をつくる映画も観たので・・余計凄さを感じます。
近代城郭の祖といわれる信長の城 安土山にも上ってみなきゃという気持ちになってきました。 -
お城の模型の奥には 陶板壁画が並んでいます。
1581年、織田信長は、安土のセミナリヨに滞在していたイエズス会派の巡察師神父に屏風絵を贈呈しました。
当時の様子が描かれています。
安土城 安土山の山頂の安土城、左手にはそう見寺、お城の下には徳川家康や豊臣秀吉らの武家屋敷、城の向こう側には琵琶湖
創建の頃、安土城の下は琵琶湖が続いていて、後に干拓され、当時は水路が容易に利用できていたようです。 -
安土城下町
右上方は城内に続く百々橋、その下方には三階建ての神学校 セミナリヨ
上方には宴の様子や信長が好んだ相撲。中央には安土城に向かう南蛮人 -
京都
京都の四季が描かれています。
右上方には春の清水寺や祇園社、中央には夏の祇園祭、左下は秋の実りの田畑、信長が築造した室町将軍の二条城、上方の内裏では正月の節会 -
長崎
中央には上陸する南蛮人の荷揚げ
下方には巡察師と共に信長に託された安土城を描いた屏風などをもち船出する天正少年使節団 -
ここでまずは信長ワールドに浸りまして
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見事な陶板でした。
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そろそろバスの時間になって
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バス乗り場でバスを一人まちますが・・なかなか来ず・・不安・・
やっぱり、自転車が良いなぁ・・とか思いながら・・
やってきたバスに乗せてもらって
一人っきりだったから、運転手さんに色々教えてもらって・・ -
山が見えてきた・・
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しばらく走って・・結局ずっと私だけという贅沢さ
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安土城天主 信長の館
まだまだ信長関連の施設はあって、滋賀県立安土城考古博物館や日本で最初の神学校 セミナリヨ跡などもあるのですが・・
全部廻ってると一日かかりそうな安土です。 -
立派な建物です。 外観自体が安土城のイメージ
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一歩足を踏み入れると、豪華絢爛眩いばかりの金箔
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1992年スペインのセビリア万国博覧会に出展された安土城天主最上部の二層を譲り受け展示している館です。
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原寸大 当時そのままの大きさの天守上部の二層
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最上階まの内部も観ることができます。
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ここでも当時の様子が描かれた屏風で当時を思い描きながら
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天界をイメージした五階 黄金の間は仏教の世界観
八角形は宇宙空間を表しています。約30坪の空間に金箔の壁と釈迦説法図の襖絵 -
天守の周りには興味深い展示の数々
があり、
織田信長が徳川家康を招いてふるまった料理の数々が展示されています。
その時のお世話係となった明智光秀が、信長から接待が行き過ぎだと叱咤され役を下ろされたことから本能寺の変へつながったんだとか。 -
お品書きの豪華な事
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面白いです、当時の・・あり得ないほど豪華な品々
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ふなのなれずし はこの頃既にあったのですね
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アユ に ウナギ ナマコ アワビ ハモ コイ
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ワタリガニ 鶴 キジ スズキ
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フナ するめ シギ
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マナガツオ 鴨
ありとあらゆる贅沢そうな食材を集められたことにも驚きます。 -
デザートのお菓子
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見ただけでお腹がいっぱいになりました。
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珍重な品々でふるまうのも、富の象徴なのでしょうかね
当時の味付けはどんなだったんだろう・・味見してみたいなぁ -
晩御膳
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こちらは、すこし質素になってます
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いつも思いますが・・昔ののお魚料理の大胆さ
魚を真ん中で切ったままにギョッとします。 -
奈良漬 現代もお馴染み
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鯛を思いっきり積んである 盛り付け方も面白い
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当時ぶどうを装飾に使ったんだとか
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こういう感じ・・今も変わらない感じです
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これは・・おいしそう・・お饅頭・・現代でも通用しそうな
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天守の脇には VRシアターがあって
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一日数回上映されています
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ポルトガルからの宣教師の目線で描かれた安土がとてもリアリティあって面白い
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信長の権力の強大さに驚く数々が描かれていました。
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色々と工夫された信長の館、必見です安土城に上る前に
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天守の周りを廻っていたら
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イケメンの肖像画
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織田信長 だそうです。
このお顔は初めて見ました。こんなお顔だったのですね、イケメンですね
身長は170㎝ほどあって、当時の男性では高身長 -
肖像画だから、盛っているとは思われますが
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端正なお姿だったのですね、イメージ通り
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何度も観てしまう・・このお顔を頭に焼き付けて安土城を上ってみよう。
この肖像画がもっとも本人に似てると言われているそうです。
天童市三宝寺蔵
天童織田家は、信長の次男信雄 入道常真に始まり、本能寺の変で信長と長男が亡くなった後。信雄が宗家を継承したことにより、今でもこの肖像画はお寺にあり、供養が続けられています。 -
そして・・天主の最上階へ行ってみます。階段を上って
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最上部の瓦も観なきゃ
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(・_・D フムフム
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美しい
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六階部分には金箔が10万枚も使用されています。
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鯱まで金箔で光輝いています。
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この豪華な部屋から琵琶湖を見下ろしていたのですね
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部屋の内部は 当時信長が 狩野永徳 を中心に描かせた 金壁障壁画
も再現されています -
入り口の彫刻も色鮮やか
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二畳の畳に信長が鎮座したのですね
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壁画も見事です
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この豪華な天守も無残にも炎に消えてしまいましたが
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こんな感じだったのですね
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この後上った安土山のてっぺんにこれらがあったとは・・
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お土産も充実していました。
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お土産色々
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これと同じようなの、京都にもありましたね
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改めて、安土城の屏風を見る
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信長は 天主 を国造りのシンボルとして天主は 政治・宗教・経済の体制を明示する建築として
城下から標高112メートルの安土山に46mの建築を建てました。
合計158mは 日本最初の超高層建築 東京霞が関ビル 147mより高く、城下から見ると極めて目立ち
キリスト教宣教師も ヨーロッパの建築に勝るとも劣らない名建築
と、その絵図がフランスの歴史書に載せられたほど。 -
安土城普請の様子も見ることができます。
手伝う大名ごとに請け負う面積が割与えられました。 -
安土城の石は、地元の近江を含む12か国の侍たちが運びました。
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三年で完成し、あっという間に燃えてしまった幻の城安土城 には信長のロマンが凝縮されています。
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ヨーロッパに紹介された安土城
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信長は当時の交通の要所近江の地に 比叡の姿を映す琵琶湖を望む景勝地に安土城をつくり、当時最先端の人工美の建造物を、天下統一のシンボルとしました。
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当時の最先端の建築技術の唐様式に 最先端の南蛮式も取り入れました。
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天主の外観は東西南北の四面、まったく非対称でダイナミックです。
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ぐるっとひと回り
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見る方向で印象が違います。
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信長の館でかなり満足で、裏手の考古博物館はパスしました
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安土城まで・・タクシーもないし・・歩くしかない
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頑張って歩くかな・・と・・歩きましたが・・結構大変・・やはり自転車がユースフル
大半の人は自動車で来てます。たまーに歩いてる方・・いらっしゃいましたが・・ -
目指すは正面 安土山
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テクテクあるく
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まだまだ歩く
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歴史を学んでるっぽいグループにすれ違う
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もう少しだ
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安土城 の石碑が見えてホッと束の間
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お城に上る手前にも 城なび館
安土城情報しただけます -
一見簡単に上れそうですが・・
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現在では安土山の西側は干拓されていますが、当時は湖が続いていたそう
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1576年、重臣丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城させた平山城
信長の館で見た豪華絢爛な天守が山頂にそびえたち、途中の石段の両脇には家臣たちの館が立ち並び、夜は松明で山一面が燃えるような景色だったと想像しながら登ってみましょう -
石段が見えてきました
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通常の城は大手門と呼ばれる出入り口が一か所ですが、信長は天皇の行幸を計画し、石塁と大手三門を築きました。
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進みます
安土城跡 名所・史跡
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当時は琵琶湖の内海に囲まれ、安土山の南側だけが開けていました。
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南側から登城
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石段の下 大手門を過ぎると受付
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大手道を登っていき、本丸、下りは青い線に沿って総見寺方面へ下っていきます。
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受付横には 木の杖も備えられていました。
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(・_・D フムフム
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大手道は安土城を象徴する道で、最も重要な道
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大手門から180m直線に延びる石段で、幅は6mもあります。
山腹部分は最も急でジグザグに石段が続き、踏み石や縁石には石仏が多く使われ、屈曲部分には踊り場はなく踏み石列を扇状に展開させているところが特徴です。
この直線的な石段は信長の力を強く印象付けています。 -
前田利家邸跡
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大手道の左右には有力家来の屋敷が続いています
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羽柴秀吉邸跡
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上下二段に羽柴秀吉邸は造られ、上段が生活の場となっていました。1500坪もの敷地
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石仏が残っています。石仏や墓石までも使うあたりが、さすが信長
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秀吉の館の上段へ
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この上段に秀吉の生活の場が設けられていました。
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石塔
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広いです。
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間取り
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秀吉の館図
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秀吉も遥か上にある信長の天主を見上げ、野望、夢をを頭の中で繰り広げたんでしょうか、ここで。
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大手道がつづきます。実用的な石段であり、魅せる石段でもある大手道には警備の者がいたりしていたんでしょう、今は閑散としていますが。
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人も疎らでゆったりと上れます。
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かなり上ってきました。
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まだまだ続きます
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石仏が所々で見られますが、普請には石仏だけでなく、墓石までも使われていました。
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わずか三年で造ったお城の突貫工事ぶりが石仏からも垣間見えます。
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こちらにも石仏
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急峻になってきました。疲れてきました。
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この辺りにも邸宅が設けられていたようです。
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まだまだ続き
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邸宅跡もあちこちに続き
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邸宅跡の石碑の脇には大木があったり、年月を感じます。
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一人で上っていくと、こんな石碑が心強い、進みます。
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まだまだ
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相変わらず続く石段。
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石段の幅がまちまちだったり
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切込みが入ったままだったり
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気を付けて上がらないと危なっかしい
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もうそろそろ天守に着くんじゃ
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黒鉄門跡 安土城中枢部への入り口の一つ
この先は、信長の選ばれた側近と信長が日常生活を送っていた中枢部
東西180m、南北100mの及ぶ周囲は、高く頑丈な石垣で囲まれていました。
石垣の要所には櫓があり、入り口が数か所、その中の一つです。
お城の下の石垣とは比べ物にならない大きな石が使われています。 -
400年前の姿をそのまま残す石垣。
本能寺の変の跡、全て消失した、火災のすさまじさも遺す石垣です。 -
広いです。
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まだ石段はつづき
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本丸跡まで下から何段上ったか、かなりの石段の数です。
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仏足石 室町時代中期のもので、大手道の石仏などと同様に単なる石材として使われていたようですが、貴重なお釈迦様の足跡を表現したものです。
手あたり次第石材を集めていたようです。 -
まだまだつづき
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また一人ぼっちになって・・ちょっと怖いけど進む
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広い場所に出ました。本丸跡
天皇の住まいである内裏清涼殿と非常によく似た造りをしていた事がわかっています。
信長は二度にわたり、天皇行幸を計画しましたが、実現しませんでした。
天皇行幸の為に信長が用意した行幸御殿では、と考えられています。 -
御殿の先にまた石段
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上って
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また上って
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ここを上ると、いよいよ天守跡
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天守跡は背丈ほどの石垣に囲まれていて、ここは天守の穴蔵、地下部分にあたります。
天守台は石垣に囲まれた広さの二倍はあったとされています。 -
整然と礎石が並んでいます。この上に六階建ての天守が建てられ、最上部で信長は暮らしていました。
この後の時代の高層の天守の始まりが、安土城です。 -
巨大な高層木造建築物が一気に燃える様を想像してみたり
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信長は、この目線よりもっと高い景色を観ていたはず
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ポツポツと人が上ってこられ、写真を撮っていただけました。
ここまで自力で上がってこられる方は、かなりのお城好きっぽい -
帰路は違う道を下ります
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下ってきて天守方面を見上げてみます。こちらの石段もりっぱ
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寂しい雰囲気の中を下っていくと、瓦屋根の三重塔が見えてきました。
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ここに本堂があったようです。
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本堂跡からの眺め
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そう見寺は、信長によって安土城に創建された本格的な寺院です。
天主と城下町を結ぶ百々橋口道の途中にあるため、城内を訪れる人がここを通って信長のところへ参上しました。 -
三重塔から急な石段を下って
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表門跡 そう見寺仁王門 は 重文
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仁王門の正面 室町時代の特徴をよく表す門です。
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下っていくと、最初に上っていく大手道も見えてきました。
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安土城消失の原因は諸説あって、未だはっきりしていないようです。
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かなりの運動量で・・安土城に戻りたいのですが・・タクシーもいつ来れるかわからない状態のようで また歩くかな・・と・・
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同じように歩いてる方も、お見掛けしたりして
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畑の真ん中をショートカットすればよいようで・・ひたすら歩く
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安土山を見上げる
この山の上に安土城があった様を想像してみる -
また歩き・・安土城を見返す・・
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この後は・・近江八幡に行ってみます。
安土駅 駅
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関西
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