2024/12/03 - 2024/12/03
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前日が守口市から寝屋川市を歩いて京街道の名残りを訪ねる旅。駅で言うと大日駅から寝屋川市駅がルートでした。続いて二日目は、寝屋川市域の京街道の名残りを訪ねるつもりでしたが、終わってみると正直そんな感じではないですねえ。萱島駅の周辺と香里園駅から始まってその北側、淀川の堤防まで歩いて、そこからまた戻って香里園駅の東側へ。今度は寝屋川公園方面まで南に下がって、最後は星田駅に抜けるというルート。寝屋川公園のさらに南の方までは回れませんでしたが、結果とすればこれでほぼほぼ寝屋川市の全域を押さえた感じでしょうか。
ところで、京街道でいうと寝屋川市域は枚方宿と守口宿の間。調べても、街道の途中にまとまった集落は特段なかったとされていて、京街道の名残りを訪ねようとしても、もともと限界があったんですね。一方で、旅のまとめで改めてもう一度、寝屋川がどんな歴史的な背景がある場所なのか整理してみたいと思ったのですが、これが意外に難しい。それでも一応の結論としてですが、寝屋川がどうということではなくて、守口、寝屋川、枚方、門真、四条畷、交野といった北河内で捉えるとそれなりに見えて来るものがあるのかな。つまり、この一帯は淀川と大和川にはさまれて、湖沼や湿地帯が多く、水害にも悩まされてきた地域ですが、江戸時代の宝永元年(1704年)に始まった大和川付替え工事により、淀川水域と大和川水域が重なっていた状態から、大和川は淀川から独立し堺の北で直接大阪湾に注ぎこむことになる。これにより、湿地帯は耕地としての改善が進み、湖沼の干拓も活発に行われることになっていく。ただ、淀川の水害対策は引き続き大きな課題だったし、水争いなども頭の痛い問題。全体としては豊かな時代に向かいつつも、水との厳しい戦いは続いたといった感じでしょうか。で、そういう北河内の中心はやっぱり枚方。北河内郡の役所は枚方でしたし、枚方宿は京街道の宿では淀川の舟運でも栄えた重要な宿。枚方に対して、寝屋川はそうした地域のリーダー的な役割の時代はない。北河内の中のいち地域という位置づけは変わらなかったのではないかと思います。いろんなスポットを回っていても、確かにそれらはほとんどがごく狭い地域に関係するものばかり。なんとか御伽草子にあるはちかづき姫、寝屋長者の物語が、数少ないメジャーな要素だったように思います。
そんなことで、寝屋川の散策で感じたものが北河内の歴史と重ねたことでやっと胸にストンと落ちた気持ち。小さな旅でしたが、守口、寝屋川、枚方の関係もつながったかな。河内国=南河内みたいなイメージも修正できたと思います。
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森ノ宮のホテルを出て、京阪の萱島駅に向かうのですが、その前に森ノ宮の周辺もちょっと散策します。いくつか気になるところがありますからね。
そのひとつが、このかえるスタンド。このおいしさは無敵です by たびたびさんかえるスタンド グルメ・レストラン
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品数がかなり多いのですが、たまごかつBOXというかなり評判の良いグルメがあるので、お店のオープンと同時にゲットしました。
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イチオシ
サクサクなのは買ってから30分以内。ちょっと行儀が悪いですが、街歩きしながら食べました。
周囲の揚げたコロモの部分のサクサクに対して、中身のたまごはふわふわ。パンに塗ったほんのりマスタードやケチャップの味もたまりませんね。このおいしさはなんですかあ。どこかにあるような有名なたまごサンドなんて笑止千万。このおいしさはまさに無敵です。うーん、朝からいきなりテンションが上がりましたよ~ -
気分がいいところで、二つ目の真田丸顕彰碑を訪ねますが、その他のマイナースポットも途中途中でチェックします。
白光大神は、玉造稲荷神社から玉造町筋を下っていくとその通りのど真ん中。始まりは、玉造稲荷神社から飛んできた榎木の種がこの場所で育って、そこに白蛇が住み着いたということのよう。白い小さな鳥居が申し訳みたいにあるのですが、その前はガードレール。窮屈な感じですが、ある意味逃げも隠れもしない堂々としたものです。通りのど真ん中に by たびたびさん白光大神 (榎木大明神) 寺・神社・教会
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善福寺は、小橋寺町筋の一番下手のところ。通りの角に建っていて、通称「どんどろ大師」のお寺。
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もともとは鏡如庵大師堂というお寺があったようですが、明治の廃仏毀釈で廃寺に。そこへ能勢から善福寺が移転してきたという流れ。ただ、鏡如庵大師堂の時代から大阪の弘法大師信仰の拠点寺院のひとつだったということで、その勢いは今でも続いているように感じます。
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門前のこの像は、歌舞伎「傾城阿波鳴門」の娘おつると母おゆみ。場面設定にある”どんどろ大師 門前の場”というのは、ここのことです。
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ここから小橋寺町筋の坂を上っていきます。
心眼寺は、その小橋寺町筋の中ほどにある浄土宗の寺。門前には、「京都見廻組 桂早之助 渡辺吉太郎 墓所」「真田幸村出丸跡」といった石柱。真田幸村があの真田丸を築いた際にはこの寺も取り込まれてしまったようですね。真田丸が取り壊された際にこの寺も取り壊されますが、その後、幸村と子の大助の菩提を弔うために再建されたという経緯です。 -
イチオシ
で、その向かいが真田丸顕彰碑。高校のグラウンドをバックにする位置に建つしっかりした石碑です。大阪城の石垣にも使われている岡山県犬島産の自然石花崗岩を使った石碑で、真田幸村の真田丸での活躍が活き活きとした表現で紹介されています。真田の六文銭と豊臣の五七桐が並んでデザインされているのもかっこいいです。
たぶん何度も見逃していたんでしょう。これでやっと確認が取れました。 -
もう少し坂を上がって、興徳寺は真言宗の寺。天平年間(729-749年)に行基が再興し、行基四十九院の一つとされています。
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山門を入って
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左手奥に准提観音像。高さが約10mあって、千手観音のように手がいっぱいあります。これが見どころですね。
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では、せっかくなので、三光神社にも立ち寄ります。
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三光神社は真田幸村ゆかりの神社。
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これが本殿ですが、こんなだったかなあ。もう記憶もおぼろげになってましたよ。
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大阪七福神めぐりは、今宮戎神社、大国主神社、寳満寺 大乗坊、法案寺、長久寺、 四天王寺 布袋堂とここ三光神社の七つ。これは三光神社の寿老神です。けっこう大きな像。ちょっと真面目で重々しい雰囲気もあるかなと思います。
以上で、朝の散策はおしまい。玉造駅から萱島駅に向かいます。 -
萱島駅に到着。
まずは近場の法安寺へ。周囲を囲む塀が立派ですね。 -
山門を入ると
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本堂の前に法安寺縁起の駒札。
寛永7年(1630年)中神田に住居の代官、福井宗兵衛氏が及意上人のために建立。比叡山延暦寺の直属となる北河内唯一の天台宗の名刹とありました。確かに名刹の雰囲気はあると思います。 -
イチオシ
神田中央公園は、そばを寝屋川が流れる都市公園。そこそこの広さはありますが、特にどうということはないですけどね。
片隅に「神田の囲い堤防と耕地整理」のはちかづき姫の解説板があって、村の周囲には外からの水を防ぐための囲い堤防が築かれていたとありました。輪中と言えば、長良川や木曽川下流ですが、かつてはここにも輪中があったというのが歴史です。神田の囲い堤防と耕地整理 by たびたびさん神田中央公園 公園・植物園
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神田中央公園から真北に向かった上神田公園は、住宅地の中にある空き地のような公園。遊具も特にないし、なんというか殺風景ですが、雑草とかはないので、広いスペース自体はきれいに整備されていると言えるかと思います。ただ、それだけのことですけどね。
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御幸公園は、マンションが何棟か建つ敷地の一角を整備したような公園。アンギュレーションが少し残った緩い丘のような地形に、少し木々を植えて潤いのある一角となっていますが、まあ、それだけのこと。ここも特に見るべきものはありません。
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萱島駅に戻って。エル萱島は、萱島駅の続きの高架下にある商業施設。萱島は周辺に商店街とかはないので、この施設が唯一の賑わいらしきものとなっています。ただ、それでもかなり限界はあるかな。チェーン店のお弁当屋さんが開いていて、それくらいでした。萱島駅周辺は以上です。
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萱島駅から香里園駅に移動しました。
香里能楽堂は、香里園駅から線路沿いにまっすぐ北に向かった先。黒い壁のかなり変わった雰囲気の外観です。看板も何もでていなくて、本当にこれがそうなのかなあと不安に思うくらい。公演が行われるとかの情報もないし、普段は謎の存在になっているような気がします。 -
香里能楽堂からは、真西に向かって、淀川の方にある鞆呂岐神社を目指します。
その途中にある香里西公園は、マンションも建つ住宅街の一角にある小さな児童公園。小さい子向けの遊具が少しあったりして、とにかく近所の人が子供を遊ばせたりして憩うための公園ですね。観光客にはほとんど関係ないところです。 -
鞆呂岐神社です。ちょこっと参道があって、この奥ですね。
水利の守護神 by たびたびさん鞆呂岐神社 寺・神社・教会
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イチオシ
境内は、こじんまりとはしていますが、石の囲いも鳥居も真新しく整備されていて、なんだかリッチな感じもありますね。
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ちなみに、鞆呂岐というのは、皇室の荘園を意味するよう。仁徳大王の茨田堤建設で屯倉があった地域です。
なお、神社の始まりは貞観3年(861年)のこと。水利の守護神として崇められてきたようです。 -
鞆呂岐神社の境内、奥の方には、もう一つの見どころ、寄進の鳥居というのがあります。
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忠臣蔵の赤穂浪士の子孫が寄進したという鳥居。
「播州赤穂城主浅野長矩家中四十七人之内村松喜兵衛秀直四代之孫村松喜兵衛源高次」とあります。村松喜兵衛秀直は、村松秀直。江戸で町医者に扮して吉良邸を探索、長男の三太夫とともに討ち入りに加わったという人物です。その四代孫が寄進したということですね。 -
鞆呂岐神社から河川敷にある生物多様性センターへ向かいます。
木屋元町公園は、その途中。ヤシの木が二本生えていて、あとは何もない広場のような敷地。ここが公園なのかどうかも分からないような一風変わった構えです。なんでこんなことにしたのか。よくわかりませんね。 -
生物多様性センターは、これですね。
何かがんばっているなあという感じです by たびたびさん生物多様性センター 動物園・水族館
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大阪府内に生息する数十種の淡水魚や水生植物などを観察することができる施設。
屋外では、 -
自然のままの水辺の環境が確保されていて、こちらもそれなりに本格的。
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建物の方だと
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入ってすぐの水槽では、天然記念物のイタセンパラも。地味な施設ですが、何かがんばっているなあという感じです。
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そのまま淀川の堤防へ。
赤井堤記念碑は、淀川河川公園 木屋元地区の北端辺り。堤防の陸側中腹に建つ巨大な石碑です。
明治18年の大洪水の記憶を留めるために建てられたもの。この洪水では、当時の堤防が決壊。死者・不明者は51人ほか甚大な被害が発生したようです。江戸時代から明治期に入っても洪水の被害は続いていたということ。ただ、淀川の恵みもあっての洪水被害。たくましく前を向いて生きるしかない土地柄です。 -
堤防から眺めるとここにも淀川河川公園。ここは太間地区です。ちなみに、淀川新橋のすぐ北側が太間地区で、次が木屋元地区という並び。二つはほとんど隣接していて、グラウンドも含めた運動公園として広大なものとなっています。
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赤井堤と五兵衛樋という場所ですが、これは赤井堤記念碑。つまり、この辺りに赤井堤があったんだなあと理解しました。
赤井堤は、かつて淀川に注いでいた赤井川の堤。しかし、淀川の川床が赤井堤よりも高くなってしまい、堤防だけが残ることに。その後の大洪水では被害を防ぐ役割を果たしたようですが、それも一時的。村同士の争いになったりした歴史があるようです。この大きな石碑も水との戦いの厳しさを伝えているのだと思います。 -
なお、赤井堤記念碑の正面の淀川河川公園は木屋元地区です。
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茨田堤の碑は、木屋元地区と太間地区の境目辺り。
仁徳天皇が築いた日本最初の河川堤といわれる茨田堤を記念する石碑です。
同じ石碑であっても、堤防横に造られた小さな公園のようなしっかりした土台からして、ちょっと特別扱いかな。この大工事は仁徳天皇の偉業のひとつです by たびたびさん茨田堤の碑 名所・史跡
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日本書紀にもそれが記されていて、鞆呂岐神社のところでも触れましたが、開発された地域には茨田屯倉ができる。大工事は仁徳天皇の偉業のひとつです。
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堤防を少し下って。幹線用水路の桜は、淀川に沿って流れる幹線用水路を彩る桜並木です。
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冬の季節なので、ゆったりと流れる川面に映るのは赤く色づいた桜の葉。青い空の色とのコラボがきれいでした。こんなところを船で通ったら、おつなものだと思います。
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再び堤防に戻って、太間地区からさらに下流の方へ進みます。
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茨田樋遺跡水辺公園は、茨田樋遺跡の周辺を整備して作られた公園です。
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イチオシ
茨田樋遺跡の中に建つ茨田樋之跡は、淀川左岸に残る唯一の樋の石碑。
寝屋川市域において淀川から取水していた二十箇、池田、点野、仁和寺の4か所の樋のうち池田、点野、仁和寺の3か所の樋を明治38年、統合してできたのが茨田樋。昭和5年に枚方の樋に統合されるまで続きました。淀川左岸に残る樋の石碑はここだけ by たびたびさん茨田樋之跡 名所・史跡
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つまり、樋から取り入れた淀川の水は生活用水や農業用水に利用されていたということ。重要な役割です。
復原したものだと思いますが、かつての姿を彷彿とさせるような水路もあって、その水利の歴史を記憶にとどめる役割を果たしている公園です。 -
茨田樋遺跡から今度は菅原神社へ。
池田北町第2公園はその途中です。 -
菅原神社です。
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ちょっとした参道から境内に入ると古社の雰囲気が漂う神社。現在は菅原道真が主祭神ですが、もともとは旧茨田郡池田中・池田川・池田下三ケ村の産土神であった大国主命だったようですね。
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本殿にしめ縄があってちょっと目立ちますが、この建物は覆屋。本当の本殿はこの建物の中に鎮座しています。
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菅原神社から、今度は友呂岐神社を目指しますが、大通りに出たところでお店を見つけたので、昼飯にします。
かつ辰は四条畷に本店があるようですが、これはお隣りの寝屋川店。ロードサイドにあるとんかつとうどんのお店です。 -
あんまりお腹も減っていなかったので、肉とわかめのうどんを注文。あんまり期待はしていなかったのですが、出汁のうまさが素晴らしいですね。これは人気店のはず。地元発のチェーン店というのも安心感があるような気がします。
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イチオシ
友呂岐神社は、香里園駅を過ぎた東側の山がちな地形のエリア。市街は山の方だし、この神社もしっかりとした石段があって、境内はさらに高い場所です。三井のお弓行事が知られていて、毎年成人の日の前日に行われる行事。寝屋川市の無形民俗文化財に指定されています。
なお、午前中の鞆呂岐神社も「ともろぎじんじゃ」ですからここと同じ。祭神の応神天皇は仁徳天皇の父。茨田の屯倉に関係しているのは明らかです。 -
友呂岐神社からは、峠を越えるようにして南に進みます。
成田西公園は、成田山不動尊のほど近く。 -
この辺りは山がちの地形なので、この公園もその地形がそれなりに残っていて、ワイルドな山肌があったりします。
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ただ、それは子供たちからするとたぶん面白い場所。こんな公園も割といいと思います。
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さらに南に進むと成田公園。山がちの地形だった成田西公園に対して、こちらは三ツ池という大きな池が中心にある公園です。
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周囲は木々に覆われていて、自然のままに近い状態。そういう意味ではこちらもワイルドです。
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続いては春日神社。
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春日神社のシイの社叢は、大阪府指定天然記念物。小山の中に鎮座する春日神社の周辺に群生するシイの巨木ということですが、正面から見るとどれがシイだか分かりにくいですね。裏手の通りの方に看板があって、それでやっとどれがシイだか分かりました。
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春日神社からまた南に少し。
秦河勝の墓は、小山の上ですが、すぐ際まで住宅地が迫っていて、結果として、家並みの中にポツンと墓があるという変な感じになっていました。 -
墓は2m余りの五輪塔。
秦河勝は太秦の広隆寺を建立したことでも知られますが、いわゆる渡来人のドン。後世、平安京への遷都も秦氏の勢力があって、その協力が得られたからというのが背景のひとつ。聖徳太子の頃から大和政権を支えていますし、そういう意味では墓がここにあるというのはちょっと感慨深いものがあると思います。 -
近くにある加茂神社も秦氏の関係だとか。
小さな丘の上に鎮座する祠のような神社。周囲はヤケキの木の林になっていて、涼し気な緑にはちょっと潤いも感じます。 -
一方で、こんなに小さくても紺の幟が立っていて、地元の尊崇をしっかり受けているようです。
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イチオシ
視界が開けた場所に出てきて、これは打上川治水緑地。北側を流れる寝屋川と南側を流れる打上川の間にある遊水地を兼ねた公園です。大雨の際にはここが洪水を防ぐ役割を発揮するのですが、普段は穏やかで広々した空間。けっこうなスケール感があって気持ちが和みます。
たぶん、かつての北河内はこういうところだらけ。湖沼が多い湿地帯だったはずです。 -
打上川治水緑地の脇を通って、今度は東に向かいます。
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八幡神社は、通りから入っていくと荒れ地を切り開いたようなワイルドな一帯。どこからどこまでが境内なのかはっきりしませんが、
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その中に赤と白の本殿が建っていて、なんとか神社の体裁を保っています。
同じ敷地内にある細屋神社は式内社。当社の祭神は例によって応神天皇。秦河勝の勧請ともありました。 -
八幡神社から東にどんどん進んで、寝屋の地区に入ります。寝屋は、小高い丘の上です。
これがいわゆる寝屋のまちなみです。 -
寺が二つあって、これは正法寺。
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山門を入ってすぐの右手にある梵鐘は寝屋川市の文化財。
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大きさは、高さが110㎝、口径が64.5㎝。1615年(慶長20年)、もともとは島根県太田市にあった覺法寺の鐘として鋳造されたものだとか。ここに移されたのは、昭和37年。よく見ると端正なデザインです。
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もうひとつが西蓮寺で、
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こちらは、お伽草子、鉢かづき姫ゆかりの寺。
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イチオシ
鉢かづき姫の母である照見方の墓があったり、
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その母が厚い信仰をしていたと伝わる木造千手観音立像に木造地蔵尊が安置されていました。
いずれも、自分で探すのは困難ですので、お寺の方に尋ねて見せてもらうしかありません。是非、声をかけてみてください。 -
寝屋は、星田駅からの方が近いので、帰りは星田駅からにします。
ところで、星田駅の方に向かうこの通りは山がちな場所なのになぜか平坦な道が続いて不思議な感じ。寝屋のまちなみが街をつくるのにちょうど適した場所にあることを実感します。 -
寝屋神社にも寄ってみますが、名前からして寝屋のまちなみの中なのかなと思ったら、寝屋のまちなみからしばらく下って行った先。離れた場所にありました。そして、入り口辺りから、ちょっと荒れた感じの場所。境内はその上、石段を上がっていった先ですが、どっちにしても気軽に寄れる場所ではありません。
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また戻ってきて、これは寝屋長者屋敷跡公園。ここは、御伽草子、鉢かづき姫の舞台となったと言われる跡。
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鉢かづき姫は、この長者の娘として生まれますが、継母にいじめられ殺されそうになる。しかし、最後は大逆転で幸せに。ちょっと醜いアヒルの子的な物語ですが、公園には、そのあらすじが紹介されていたり、ここが東高野街道と京街道を結ぶ寝屋の主要道沿いであったことなども説明されていました。
なお、鉢かづき姫は寝屋川市のマスコットキャラクター。市のホームページにも詳しい物語の内容が紹介されています。参考まで。
https://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/shiminkatsudou/bunkasport/bunkazai/1377994107209.html -
星田駅から大阪駅に戻ってきました。
大阪駅のトワイライトファンタジーを -
ちょっと確認して。
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晩飯は、大阪中華サワダ飯店へ。
超人気店ではあるのですが、それに反して通路に対して開けっぴろげのオープンな店構え。これはとても気軽な感じですね。 -
しかし、八宝菜や
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イチオシ
青椒肉絲とか
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酢豚とか。
定番の料理をいただくとこれが抜群。名店の高級中華を食べているような極上の味わいでした。お店の構えとのギャップがけっこうあって、面白いなと思いました。 -
最後にいただいた杏仁豆腐も極上です。
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明日、最終日の予定は、堺の街歩き。
ホテルサンプラザ堺に入って、やっと落ち着きました。
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