2024/12/02 - 2024/12/02
1位(同エリア112件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記843冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,834,983アクセス
- フォロワー687人
今日から二日間は、大阪と京都を結ぶかつての京街道の名残りを訪ねます。
ちなみに、京街道の始まりは、大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が、文禄3年(1594)から慶長元年(1596)にかけて、2つの城を最短距離で結ぶため淀川沿いに文禄堤を整備したことから。江戸期に入り、徳川幕府は五街道の整備を進めますが、東海道については日本橋から京都の三条大橋の五十三次に加え、大津宿の先の髭茶屋追分から、三条大橋へとは向かわず、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿を経て大坂の京橋(後に高麗橋)に至る五十七次を定めます。で、この四宿のルートが文禄堤を引き継いだ京街道なのですね。なお、淀川沿いには舟運も発達し、三十石舟などの舟が行き交い、川を下っての伏見から大坂は半日程度。最短最速の道だったというわけです。そして、このルートのもう一つの大きな利点は、西国から京都を通らないで江戸に向かえるということ。つまり、幕府は、大名が朝廷と接触することを避けるため、京街道を参勤交代の公道とするようお達しを出したりもしています。もう少し説明を加えて、西国街道との関係で言うと、西国街道は京都の東寺入り口が出発点。そこから、まずは、山崎通と呼ばれる山崎宿(大山崎町・島本町)、芥川宿(高槻市)、郡山宿(茨木市)、瀬川宿(箕面市)、昆陽宿(伊丹市)、西宮宿(西宮市)の六宿。淀川の北側。京都から大坂を通らずに西に抜けるので、これはこれで使い勝手が良くて、当初は基本これが参勤交代の道だったのだと思います。それを京街道の方に変更するには大阪から西宮宿までの道、浜街道を使うことになります。細かいところは不明ですが、たぶん山崎通のルートと浜街道・京街道のルートは併存していたと考えるのが普通かな。もともと参勤交代はお互いバッティングしないようにわざわざ脇街道を使ったり、細かく調整していましたからね。
現在の大阪・京都間に当てはめると山崎通のルートはJRと阪急線。京街道のルートは京阪線。それぞれなくてはならない幹線ルートとなっています。
こうしたところを頭においてですが、本日の散策コースは、市域でいうと守口市から寝屋川市。大阪メトロ大日駅からざっくり京阪寝屋川市駅を目指します。そうして、淀川の南側エリアを大阪から京都に向かって歩いて行くという気分でしたが、改めて地図で確認するとなんとも僅かな範囲。だいぶ歩いたような気がしていましたが、そんなに甘いものではないですね。
それに、京街道に関係ないところも多いし、これは!と思って訪ねたところも京街道に関係あるようなないような。まあ、それはそれでOK。いろんなことが像を結ぶまでには時間がかかる。まだまだ結論を急ぐ必要はないと思います。
-
神戸から大阪メトロ大日駅に到着。
ここから散策開始です。
淀川のすぐ南に位置する正覚寺です。
山門から -
本堂は何でもないですが、
-
イチオシ
見どころは、慶長15年(1610年)の銘がある守口市で唯一の石造板碑十三仏。門前に説明板が立っていましたが、これは鎌倉時代の末期から江戸時代の初期まで真言宗系の寺院で造られ、檀信徒の回向の本尊として使用されたものだとか。近くで拝見すると丁寧に造られていて、思いが籠っているような。ちょっとした迫力も感じました。
-
そのまま、大日駅の北側エリアを東に進みます。
これは大日公園。この辺りの公園は荒れた公園も多いのですが、ここは石畳やしっかりしたコンクリートの外壁があったりして、かなりきれいに整備された公園ですね。ただ、きれいすぎて無機質。子供にはあんまりおもしろくはないかもしれませんけどね。 -
教応寺は、門前に「九條殿御別殿御役所・顕如上人 御旧跡」と書かれた立派な石柱が建っていて目を引きます。
-
寺には九條殿御別殿御役所と書かれた古木札が伝わっていて、それは五摂家の九條家との関係を示すもののよう。一方の顕如は信長と対立。石山合戦を主導した人物ですが、”御旧跡”がどういう意味なのかは不明です。
-
白山神社は、教応寺から目と鼻の先。住宅地の奥まった場所。
-
神社に至る細く長いまっすぐな参道が印象的です。
-
イチオシ
説明板には、「旧の六番村・三番村・四番村の氏神で、もとは現在地より北西に約300m離れた御旅所の位置にあったと言われ、今その場所には「藤之森」の石碑が建てられています。覆屋の中に一間社流れ造の白山大権現・春日大明神の二殿が左右に並置されています」といったことが書かれていました。
-
大日東公園も、まだ大日駅の北側エリア。なんということはない市街の中にある小さな都市公園。少しでも地域の潤いになればというところなんでしょうが、そういうことで観光的な要素は全くないただの公園。まあ、荒れてはいませんけどね。
-
そこからほぼ真北に向かって淀川の堤防にぶつかりました。
-
堤防の道です。
-
河川敷には、淀川河川公園がほとんど切れ目なく続いていて、この辺りは淀川河川公園大日地区。利用者はそこまで多くないように思いますが、こんなにきれいに整備されてあるのはすごいですよね。ただ、この整備は一方で水害対策でもあるでしょう。万が一、洪水が起きた時は、この河川敷が水をスムーズに流す役割も果たすんでしょう。たぶん、そういうことなんだと思います。
-
イチオシ
堤防の道から市街の方に下りると佐太樋門跡の碑。樋門は、淀川から水を引くためのもの。台座にはかなり薄れていますが、昭和5年11月の文字があって、それなりに古い石碑ですね。淀川から引かれた水は、この辺りの生活用水とか農業用水とかに使われたんでしょう。碑の立派さは、多くの恵みを与えてくれたことへの感謝の印なんだと思います。
-
佐太樋門跡から北に向かって、大日地区から佐太西地区に入りました。
佐太の渡し場石碑は、かつて対岸の摂津市鳥飼と守口市佐太の間に運航していた渡し船を記念する石碑。橋が架かったことで、昭和48年に廃止されたようですが、それにしてもけっこう最近まであったということかな。淀川は大阪と京都を結ぶ水運が発達していましたから、渡し船は容易いことだったはず。ただ、橋が架かるのが昭和48年ってかなり遅いような。淀川をはさんだ南北の交通は意外にニーズがなかったんでしょうか。まあ、その印象は今でもなくはないですけどね。 -
もう一度、堤防の道に上がると
-
淀川河川公園 佐太西地区。
また同じような光景です。 -
また佐太の渡し場石碑に戻って、少し市街に入ると佐太天神宮です。
-
神社は守口市佐太地区では中心的存在。
というのも、ここには菅原道真の領地があって、太宰府に左遷される際にはこの地にも立ち寄ったよう。しばらく滞在していたのですが、それは自らの無罪を信じ都からの沙汰を待っていたためとも言われ、その沙汰が転じて佐太となったとか。なかなかの伝承です。 -
イチオシ
そして、神社は、その後、道真が残した木像を祀るために建てられたというもの。境内は緑が豊かで、清々しい雰囲気がありますが、それもこうした由緒正しさのゆえ。地元で大切に思いをつないできたのだろうと思います。
-
ちなみに、この本殿は、大阪府指定有形文化財。寛永17年(1640年)、四代淀屋重當の資金を使い、淀藩主、永井尚政が再建したというもの。裏手の方から拝見すると、一間社春日造の建物は、屋根が厳しく傾斜していてちょっと印象的。拝殿のシコロ屋根とも対比をなしています。
-
本殿の裏手、境内摂社の佐太戎社もそれなりに立派です。
-
これは、与謝蕪村の句碑。句は、「窓の灯の 佐太はまだ寝ぬ 時雨かな」。蕪村が京から故郷の毛馬村まで淀川を夜舟で下る途中に詠んだという句。佐太の佐太天神宮のことも当然知っていたでしょうし、菅原道真への思いも少し入っているかもしれません。
-
その背後の一帯が、佐太天神社の森と言われるエリア。高く成長した木々に囲まれた深い緑があって、大阪府の「大阪みどりの百選」にも。梅の木も多くありますが、これは菅原道真の関係ですね。梅の名所でもあるようです。
-
裏門から出ましたが、こちらの門は赤いかわいらしい門。天神さんらしい意匠です。
-
裏門を出て正面の通りは、立派な通り。京街道の一部かと思いましたが、そうではないですね。京街道はあくまで淀川に沿って続いています。
来迎寺は、その通りに面した寺。正平2年(1347年)の創建。 -
イチオシ
その後、南朝の後村上天皇の勅願寺となり、融通念仏宗佐太派の本山となるという輝かしい歴史があって、今でもかつての大寺の風格が十分に漂う堂々とした構え。絹本著色八幡曼荼羅図という国の重要文化財も伝えています。
-
庫裏の前にある松の大木も名松の雰囲気があるし、
-
ちょっとどうしたんだろうという感じですね。
-
来迎寺の見どころで、もうひとつは石造十三重塔。境内の奥にある庭園の一角。分かりにくいのでお寺の人に尋ねてやっと見つけました。鎌倉時代の石塔で、下部に「嘉元2年(1304年)寺講衆四十余人」の銘文があって、建てられた年が明らかであることから、大阪府の有形文化財に。こんなにひょろっとした形なのに、地震とかの被害にも耐えてきた石塔です。
-
来迎寺の表通りの塀に続いた石垣部分は佐太陣屋跡だそうでして。
かなり文字が薄くなっていますが、駒札が立っていて、「京都・大阪間の交通及び軍事上の要地であることから美濃国加納藩(3万2千石)の永井氏がこの地に陣屋を移し、摂津・河内の1万2千石を領有支配した」とありました。陣屋は大坂蔵屋敷の役割があったようです。ちょっと分かりにくいのですが、永井氏というのは淀藩主、永井氏から分かれたもの。この地で2万石の大名となるのですが、その後、末裔が転々として、最後に美濃国加納藩へ。ただ、この地で大名だった時代から引き続きここに12千石の領地を有していたのだとか。なかなか複雑です。 -
通りを振り返るとこんな感じ。通りの左側に佐太陣屋跡、来迎寺が並んで、突き当りが佐太天神宮の裏門です。
-
この通りにもう一つ。菅相寺という寺もありまして。ちょっと外観は地味ですが、
先ほど触れた永井家ゆかりの寺で、本堂はその永井家が慶安4年(1651年)に再建したもの。真言宗から曹洞宗への改宗も永井家が関係しています。永井家がここで2万石の大名だった頃のことかなと思いますが、門前に詳しい説明板がありました。 -
佐太の中心部から南に向かいます。
佐太第2公園を経由して、 -
大阪府道13号京都守口線に出ました。そろそろお昼にしなければ。。
今日亭は、八尾市に本店があるようですが、こちらは守口店。ロードサイドのお店です。 -
週替わりのランチをいただきました。豚肉のてんぷらが乗った卵とじ丼に刻み油揚げの温かいうどん。豚肉のてんぷらがしっかりおいしくて、全体としてよくまとまっています。チェーン店だけどお客さんの様子を見ても地元でちゃんと支持されているお店のように感じます。
-
大阪府道13号京都守口線を南に進んで、これは佐太東あじさい公園。
-
そこから守口市金田町に入ります。佐太地区より大日駅には近づきました。大日駅からだとぎりぎり徒歩圏内という感じかな。いくつか都市公園があるので、一応チェックです。
金田中央公園 -
金田きりん公園
-
イチオシ
金田公園
-
金田南公園
守口市は、大阪のベッドタウン。かつては京街道の守口宿で賑わったところですが、今は住環境を整えることが第一です。 -
旧中西家住宅は、金田町の東、大久保町にある守口市指定有形文化財。敷地の中には母屋とか土蔵とか立派な建物が建ち並んでいます。
この中西家というのは、尾張徳川家と姻戚関係があり、尾張藩天満御屋敷奉行なども勤めたという名家。 -
一見するといわゆる庄屋みたいな構えですが、式台付きの玄関も備えた武家屋敷の形式。もりぐち歴史館として、しっかり保存されています。
-
大久保公園は、もりぐち歴史館「旧中西家住宅」の裏手の公園。少し高い位置にあって、木々の感じが神社の境内のような雰囲気がありますね。
-
妙楽寺もすぐ近く。天和2年(1682年)の創建という浄土宗の寺。通りからすぐに寺の正面全体が目に入りますが、とてもきれいな建物ですね。
-
イチオシ
こちらは妙楽寺のツツジという大阪府指定天然記念物が見どころ。
通りから境内に入って、本堂の裏手に抜けるとそこにこんもりとしたツツジの大きな株がありました。樹齢約300年、高さ約3.5m、縦横に4~7mの長さで枝を伸ばしているヒラドツツジです。ツツジはツツジ苑みたいに普通はたくさんの株があって楽しむものだと思いますが、これはひと株でも確かに見応えがありますね。樹勢も強いように感じます。 -
妙楽寺からは、北に向かって津嶋部神社を目指します。
その途中には、またまた都市公園がいくつか。
大久保中央公園 -
金田東公園
-
金田第2公園
小さな公園ですけど、それぞれ近所の人には使い勝手のいい大切な公園なのだと思います。 -
津嶋部神社は、津嶋女大神という女の神様を祀る神社。市街地の中にありますが、延喜式内の古社であり、旧茨田郡一の宮の称もあったということで、境内はそれに相応しく大木の緑が美しいですね。
-
なお、市指定文化財の石造狛犬があるのですが、それは社殿の中。境内をあちこち探したのですがよく分からない。結局、宮司さんに尋ねたら、そういうことで、見ることはできないよう。福井県産のしゃく谷石で造られた、向き合って阿吽1対の像ということです。
-
津嶋部神社から東の通りを挟んで、正立寺。これで、寝屋川市に入りました。
こちらは法華宗本門流派のお寺。宝永4年(1707年)に造られた梵鐘が見どころなのですが、 -
立派な構えの山門に境内に入るとあちこち四方に枝を伸ばす松の木が見事ですねえ。
-
境内全体を覆っているような雰囲気があって、よく手入れされてきたものだと思います。
-
梵鐘は、これ。境内に入って左手の奥の方。立派な鐘楼があって、そこに吊られていました。
-
鐘の大きさは、高さ125㎝、口径68㎝。中くらいの大きさだと思いますが、宝永4年(1707年)の銘文があって、鑄物師、岸本仁右衛門尉藤原寛敬が鋳造。左右一対の天人像も確認できます。
-
「のがみさん」というのは、かつてあちこちの村に祀られていた五穀豊穣の神様で、黒原の野神さんもその一つ。通りの脇にお堂があって、その横に鉢かづき姫の説明がありました。
黒原の野神はもともとは「賽(さい)の神」。道祖神であったのが、後に野神に変わったということです。 -
黒原旭町公園を経由して
-
今度は、神田天満宮。小さな神社のようでしたが、
-
意外に境内は広いですね。
-
神社にある菅原道真の尊像の掛図は、例祭の時に神酒を供えると描かれた道真の顔が赤くなるといい伝えがあるようで、それは面白い。
-
なお、神田天満宮のクスは、本殿横の大木。千年楠という立て札がありましたが、実際の樹齢は800年余り。幹の周囲は10m、高さ約30mの大きさ。根元で二つに分かれているので、それを合わせたサイズだと思います。このテの楠としてはそうびっくりするほどのものではものではないような気もしますけどね。
-
寝屋川の神社は、大利神社など、江戸の中期、淀藩主の方の永井氏により再建された神社がいくつかあって、この高柳神社もその一つ。
-
菅原道真を祀っていて。
さほど大きな神社ではありませんが社務所もあって、境内はきれいです。 -
ここからはちょっと駆け足で。もう少しマイナースポットをチェックです。
高柳大将軍は、通りに面した空き地のような場所に設置された小さな祠。正面に「大将軍」と書かれていて、隣りにはちかづき姫の案内。高柳村に異変が続き、それならと村の鬼門に祀られたのがこの祠。暦の吉凶をつかさどる神様ということです。 -
長栄寺は、この辺りでは一番の古刹かな。奈良時代の初め、行基が創建したと伝わります。境内に聖徳太子の弟、茨田親王の塚があったりして、聖徳太子が建てた茨田寺との関係もあるのではないかも言われていて、さらに古い歴史があるのかもしれません。
-
高柳遺跡というのは、平安時代前期から中期(9~10世紀)の集落跡。当時だと中国から輸入されていた高級品の緑釉陶器や灰釉陶器といった釉薬を塗って焼き上げた土器が発見されたことから、かなりの有力者が暮らしていたと推定されています。長栄寺の道路を挟んだ向かい側にそれを示す石柱が建っていました。
-
古川は、寝屋川市駅の西側エリア。市街地の中を流れる小さな川です。きれいな川ではないし、特にどうということはないですが、仁徳天皇により治水工事が推し進められ、淀川と古川の間の土地が洪水から守られるようになったという歴史があるようです。
長岡京から平安京に都が遷ると寝屋川の辺りは都に近い場所ということで荘園が多くなっていくという時代。これらは、その地域性の名残りを示すものと言えそうです。 -
寝屋川市駅の東側まで来るとアドバンスねやがわ2号館。アドバンスねやがわ1号館と併せて、駅前に並ぶ大きな商業施設。スーパーのイズミヤが入っています。ただ、2号館の4階フロア以上はマンションなので、ビルとしては下駄箱マンションというタイプです。
-
寝屋川市駅の東側エリアで要チェックは八坂神社。ビルの間を貫く参道の先にあって、
-
その先。
-
ちょっとした広くもない境内なのですが、
-
楠木の大木がいくつもあって、やっぱり古い神社のようですね。
千年楠と呼ばれる楠木ほか寝屋川市指定の保存樹4本とか。それぞれに迫力ある姿です。 -
同じエリアで、最後にこれは初本町公園。子供たちが大勢いて大変なにぎわい。しっかりした広さもあるし、小学校の隣りですから、学校が終わってみんなが集まるにはちょうどいい場所というのもあるのでしょう。公園内の並木道の奥には白い平和の塔も建っています。
これで今日の散策は終了。寝屋川市駅に戻ります。寝屋川市駅からは、今夜の宿、森ノ宮駅へ。 -
森ノ宮駅に到着して。
せっかくなので、もりのみやキューズモールを訪ねます。ここは、かつての日生球場跡地に開設されたショッピングモール。あべのキューズモールのような施設かなと想像していたのですが、森ノ宮駅から少し歩くし、規模もあんまり大きくはないですね。 -
中心の広場に立っても、あんまりわくわく感がないかな。
-
イチオシ
入口のところのアズショクで晩飯を食べて帰りましょう。
ただ、このアズショクはなかなか雰囲気もあるし、リーズナブル。いいお店でした。 -
名前からして、健康に気を使った風のメニューは、定食風のものが中心です。鳥肉の甘辛く仕上げたのは中華風ですが、小鉢はひじきとかはるさめとかの日本食風。五穀米だし、晩飯でしたがこれなら朝ごはんでもいいかもしれませんね。ほどよい満腹感でこれもグッドです。
-
宿は、ホテルオークスアーリーバード大阪森ノ宮。森ノ宮駅からの道はとても分かりやすい。アクセスは全然問題ないですね。建物もしっかりしているし、スタッフの対応もスムーズで的確です。この場所にしてはけっこう値段が安かったので、なにかあるんだろうとちょっと心配していましたが、それは杞憂。部屋の空調もとても静かだし、暖房もよく効いて申し分なし。かなりコストパーフォーマンスが高いホテルだと思いました。
さて、明日も引き続き京街道。寝屋川を中心に歩きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
門真・守口(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
79