2023/11/11 - 2023/11/11
214位(同エリア862件中)
赤い彗星さん
この旅行記スケジュールを元に
夏前から急激に仕事が忙しくなり、休みの予定も立てられない状況に。その上、腰まで痛めてしまったことから、心身のリフレッシュを兼ねて、山梨の温泉に日帰り旅行に出かける事にしました。
折角山梨に行くのであれば、前々から興味を持っていた恵林寺にも行ってみようと、塩山駅周辺の観光スポットを巡ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
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恵林寺に向かうために塩山駅で下車。
JR中央線塩山駅南口から西沢渓谷行バスに乗り、恵林寺前バス停で下車します。塩山駅 駅
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駅前の武田信玄座像。
小太りで坊主頭のイメージ通りの武田信玄像ですが、武田信玄を描いたと云われていた有名な肖像画が、近年は畠山義続(複数の説アリ)を描いたものという説が定説になりつつあるようです。 -
JR塩山駅から、約30分程バスに乗り恵林寺前バス停で下車しました。
バス停は、恵林寺の門前に設けられています。 -
恵林寺前の建物に無数の干し柿がぶら下がっていました。
個人宅というより、農家の方の施設かな。 -
恵林寺の総門となる黒門。扁額には、「雑華世界」と書かれています。
この門の先が、悟りの世界であることを現しているそうです。 -
黒門から真っ直ぐに参道を進むと、四脚門(赤門)が見えてきます。
徳川家康により再建されたと云われており、恵林寺の山号「乾徳山」の扁額が掛けられています。 -
赤門をさらに奥に進むと庭園があり、その先には三門が建てられています。
恵林寺 寺・神社・教会
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織田信長による恵林寺の焼き討ちの際に、恵林寺の僧侶をはじめとした約100名の人たちが、山門の楼閣に押し込められ、放たれた火によって焼き殺されました。
その際に快川国師が唱えた有名な言葉が、再建された三門に掲げられています。
安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)
滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し) -
快川国師の招きで、武田信玄が恵林寺を訪れた際に咲き誇る桜を見て詠んだ歌を記念する石碑。
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夢窓国師・快川国師・末宗和尚の像が安置されている開山堂。
恵林寺は夢窓国師により創建され、末宗和尚は、快川国師の命で焼き討ち前に逃れ、後に恵林寺を再興しました。 -
開山堂の庇に彫刻されている雷神様。
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こちらは対面の風神様。
雷神様も風神様も彩色の跡が残っています。 -
恵林寺の境内に建っていた白壁の土蔵。
入口の唐破風の上から、不気味な視線を感じます。 -
唐破風の上には、般若の面が。
これは鬼瓦になるのかな。灰色の鬼瓦は目にしますが、白塗りにすると般若の面としか言えないような。由来や理由は、特に説明書きもなかったので不明です。 -
この門の先は、大庫裏や方丈を拝観できる有料ゾーンになります。
早速向かってみます。 -
大庫裏の前には、武田信玄の訓言が掛かれた石碑が建てられています。
「凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」
慢心を戒める言葉ですが、驕りを抑止するというより、そもそも驕りが生まれない環境を維持し続けることを心掛けよという訓示ですね。一般人は恐らく目の前のことに夢中になるだけで、大局的な観点で物事を捉える事は難しいわけで、武田信玄だからこそ、このような境地に至れた気がします。 -
大庫裏が方丈への入口になっているので、ここから建物の中に入場します。
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武田と云えば、風林火山ですね。
大庫裏に入場すると、すぐ目の入る場所に屏風が立てられています。 -
大庫裏の玄関を上がると、正面には大広間が拡がっています。
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大庫裏の窓から見える庭園の風景。
いつかこの机も磨き上げられたものに変わって、リフレクションを楽しむ部屋になったりするのだろうか。 -
庭石だけではなく、松も配置されている枯山水の方丈庭園。
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方丈を囲む長い廊下。
恵林寺の大庫裏も方丈もかなり大きな建物です。 -
方丈裏の庭に面した通路には、小さな社が置かれており、猫神として小さなぬいぐるみが安置されていました。個人的にはこういう洒落はかなり好きですが、洒落と言ってはいけないぐらいの本気度も感じます。
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猫神様への御供え物として、CIAOちゅーるがお供えされていました。
猫神様もまっしぐら。違うCMだったか。 -
方丈の前面には枯山水庭園がありましたが、裏面には恵林寺庭園と呼ばれる池泉回遊式庭園が設けられています。
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恵林寺庭園は、京都嵯峨野の天龍寺庭園などを作庭した夢窓国師により、作庭されました。
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明王殿に安置されている武田不動と呼ばれる不動明王の尊顔写真。
武田信玄が対面で造仏させ、信玄の等身大の不動明王と云われています。 -
大庫裏の障子窓の風景。
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孫子に書かれた兵法が元となった風林火山。
・疾如風(はやきことかぜのごとく)
・徐如林(しずかなることはやしのごとく)
・侵掠如火(しんりゃくすることひのごとく)
・不動如山(うごかざることやまのごとく) -
恐らく現在の恵林寺のご住職は、無類の猫好きな方のようです。
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建物の瓦には、武田菱が刻まれています。
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内部は撮影禁止ですが、恵林寺の信玄公宝物館も見学しました。
武田家や恵林寺所縁の品々が展示されています。 -
全身金ピカの武田信玄像。
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歩道沿いの壁面には、騎馬武者が彫りこまれていました。
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恵林寺から、歩いて5分程の放光寺にやってきました。
山門が完全な2階層になっているわけではなく、屋根の一部だけ突き出ているように見える特殊な造形です。過去同じような山門は見かけた記憶がありませんが、他に同じような造りの山門は存在するのかな。 -
遠くから見ると、的当てみたいな円が描かれた木板が掛けられているなあと思っていたのですが、近くによると円の中に梵字が書かれていました。
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織田信長による甲州征伐により焼失した後、天正年間(1573~1592)に再建された仁王門。
放光寺 寺・神社・教会
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鎌倉時代に作成されたと伝わる重要文化財の金剛力士像阿形像。
修復などもされているのでしょうが、鎌倉時代に造られたとは思えないほど、鮮やかな彩色が残っています。 -
憤怒の形相と躍動感が伝わってくる迫力ある金剛力士像吽形像。
今にも体ごと吹っ飛ばされそうな、強烈な突っ張りを繰り出す寸前の体勢です。 -
三等身の大黒さん。
サンタクロースなどにも通じる愛嬌のある体系と笑顔の石像です。 -
鐘楼が高い位置にあるので、除夜の鐘などは遠くまで音が響きそうです。
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放光寺の本堂は、織田信長による甲州征伐により焼失した後、江戸時代に再建されたものです。
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境内の愛染堂。
こちらも甲州征伐時に焼失してしまいましたが、仁王門同様、境内の中では最も早く天正年間(1573~1592)に再建されています。愛染堂に安置されている天弓愛染明王は、京都の神童寺、高野山の金剛峯寺と並んで重要文化財に指定されている三躰のうちの一つです。 -
拝観料を払って建物内部の見学もしたかったのですが、バスの時間が迫っていたため、内部の拝観は諦めました。公共交通機関利用の辛いところ。
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開け放たれた障子からは、立派な松が見えていました。
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境内の一部に紅葉が残っていました。
山梨の山間部なので、紅葉の終盤に差し掛かったぐらいなのかなと思います。 -
恵林寺から、塩山駅にバスで戻る途中で途中下車し、向厳寺に寄ってみる事にしました。向厳寺バス停は、総門のすぐ近くに設けられています。
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中門までの参道が随分と長い。
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臨済宗向嶽寺派の大本山ということで、立派な禅宗仕様の法堂が建っています。康暦2年(1380)に創建されたと伝わっています。
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修行道場で拝観などは行っていないので、見学は外観のみです。
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境内には大きな石仏が安置されていました。
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向厳寺の真横に鎮座する秋葉神社。
詳しい説明書きなどはありませんでしたが、秋葉神社なので火難防止のご利益がある神社でしょうね。 -
JR塩山駅前に建つ旧高野家住宅にやってきました。
塩山駅前の豪農屋敷跡 by 赤い彗星さん旧高野家住宅・甘草屋敷 名所・史跡
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江戸時代に薬用植物の甘草を育て、幕府に上納していた高野家の屋敷が公開されています。昔から、甘草屋敷と呼ばれていたそうで、現在は重要文化財に指定されています。
中央に楼閣のような突き上げ屋根を設けている独特な外観の屋敷です。 -
旧高野家住宅の前面には、多数の干し柿がぶら下がっていました。
故郷で暮らしていた頃は、実家の方でもより田舎の方に行くと干し柿が干されているのは度々見かけましたが、故郷を出てからは普段の生活で目にすることなど無くなったため、久々に見かけた風景に気持ちがほっこりとしました。 -
まだ水分もたっぷりと含んでいて、干し始めたばかりの状態ですね。
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1階は座敷になっています。
襖が取り払われているので大座敷のように見えますが、同じ大きさの複数の部屋が並んでいたようです。 -
2階は板の間兼物置として利用されていたようで、多くの道具が乱雑に陳列されていました。こちらは食器ですね。家族だけではなく、薬園の従業員なども利用していたのか、かなりの数が並んでいます。
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こちらは農工具や家財道具ですね。
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2階の窓からも干し柿が見えています。
特産品販売所では、まだ次々と柿を剥いている最中だったので、この後も色々な場所が干し柿で覆われていきそうでした。 -
障子や畳に映る干し柿の影が、風情があっていいですねえ。
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建物入口の受付がある壁面には、武田信玄と山本勘助を中心に武田家の有力武将たちの人形が飾られていました。
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最後にまた干し柿。
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井戸の上にも干し柿。
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主屋裏手の子ども図書館。
子供たちが訪れた際に利用できるように、絵本や図書などが置かれていました。 -
JR酒折駅から、歩いて5分程の場所に鎮座する酒折宮にやってきました。
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入口の鳥居から拝殿が見えている小さな境内の神社ですが、山梨県で唯一、古事記と日本書紀に載っている約1,900年前に創建されたと伝わる古い神社です。
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日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄った際に歌を詠んだところ、焚火番をしていた老人が歌を返したことから、連歌発祥の地と云われています。
酒折宮 寺・神社・教会
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山梨に車やバスで訪れた際に「甲斐善光寺まで〇〇km」と看板でよく見かけていたけど、一度も訪れたことが無かった甲斐善光寺に初訪問。
酒折宮から、歩いて約10分程の場所にあります。
武田信玄が建立した山門は、江戸時代に火災により失われてしまい、現在の山門は寛政8年(1796)に再建されたものです。 -
信州の善光寺は、金堂までの参道両側に建物が並んでいましたが、甲斐善光寺は松や石塔が並んでいます。
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山門と共に再建された東日本最大級の金堂。
信州の善光寺は黒主体の金堂ですが、甲斐善光寺は朱色主体の伽藍ですね。
甲斐善光寺は、武田信玄が川中島の合戦で戦火により、貴重なご本尊や寺宝が失われるのを恐れて甲斐に移し、七堂伽藍を創建しました。ご本尊は武田家滅亡後、慶長3年(1598)に信濃に帰座しています。甲斐善光寺 寺・神社・教会
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JR酒折駅に戻ってきました。ここから甲府方面に向かいます。
酒折駅 駅
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日帰り旅行の最後に石和温泉で日帰り入浴して、旅の疲れの癒しと腰の療養に務めました。過去何度か山梨県の温泉に入ったことがありますが、少しぬるめの温泉が多いように思います。熱すぎるよりは、のんびり浸かれるので個人的には好きです。
石和温泉駅 駅
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