2024/11/18 - 2024/11/18
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Takashiさん
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萩では、まず松陰神社に参拝して、境内にある松下村塾を見学した。塾の建物はとても小さく、小屋と言ったほうがいい。中には吉田松陰の肖像画や塾生の写真が飾られていた。この小さな私塾は高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らの逸材を輩出したのである。
その後、菊屋横町など、城下町の道を歩き、高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、菊屋家住宅を訪問した。菊屋横町は、白壁の家々が美しく、高杉の時代を偲ばせた。
高杉晋作誕生地は彼が育ち、長く暮らした場所でもある。折り目正しい、武士の家という印象を受けた。部屋には至誠天に通ずの額がかかっていた。その頃の写真も見ることができた。
木戸孝允は旧名桂小五郎で、剣豪としても有名であった。桂が京都に潜伏した時、必死に支えたのは芸妓の幾松、後の松子である。木戸孝允旧宅には妻、松子の写真があった。彼の人生も波瀾万丈、ロマンチックだったと思った。
萩から新山口に向かう途中、香山公園を訪問した。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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2024年11月18日。前日はSLやまぐち号、津和野、今朝は元乃隅神社、角野大橋と楽しく観光し、いよいよ、主な目的地の萩に着いた。
名物の瓦そばを美味しく頂いて、観光に出発。まず松陰神社参拝だ。松陰神社 寺・神社・教会
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参道を少し進むと松下村塾の建物がある。吉田松陰が1857年から主宰した私塾で、幕末、明治維新の時代に活躍した多くの人材を育てたことで知られる。
この建物は、当時のままの姿で、現地保存されている。塾は、一部屋から出発し、建て増されて二部屋になった。塾舎というより小屋と言った方がいい小ささである。松下村塾 名所・史跡
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部屋の中に塾生など15名の姿(松陰先生以外は写真)が掲げられていた。左上隅は久坂玄瑞、隣は高杉晋作、その隣は松陰先生である。そして前原一誠、木戸 孝允と続く。品川弥二郎(中列左から2人目)、山県有朋(中列右から2人目)、伊藤博文(中列右端)の姿もある。
松陰先生と、門下生と記された木戸 孝允以外の13名は塾生である。彼らは、上に記したような歴史上著名な人物であったり、そうでなくても大臣を務めたり、学校を創設したりと活躍した。 -
イチオシ
講義室の中には、今は松陰先生の肖像画が飾られている。
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肖像画の部分を拡大した。
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松下村塾から少し進むと松陰神社本殿である。
お参りして、左手に進んだ。 -
やや小さな社殿がある。松門神社だ。松陰神社の旧社殿を移築し、松陰先生の塾生、門下生を祀るために1956年に創建された。
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バスで移動して、萩の中心部に近づき、1時間半近くの自由散策となった。バスが駐車した萩市中央公園は、最も訪問したかった高杉晋作誕生地に近いので、これなら、ゆっくりしたペースで回れると思った。
江戸屋横町を歩き、まず木戸孝允旧宅を訪問した。木戸孝允は西郷、大久保と共に、維新三傑と言われる。彼は長州における勤王志士の主要なリーダーであり、明治維新後は版籍奉還、廃藩置県などの重要な政策を推し進めた。木戸孝允が居なければ、日本の歴史は違ったものになっていたであろう。
木戸孝允旧宅は室内に入って、見学できた。彼の写真が飾ってある。木戸孝允旧宅 名所・史跡
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拡大してみた。凛々しい姿である。
木戸孝允の名は藩主から木戸姓を賜ってからのもので、それまでは桂小五郎である。大柄な桂は剣豪としても有名であった。 -
像も飾られている。
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木戸の妻、木戸松子の写真である。彼女は京都の名高い芸妓、幾松であった。桂が幕府のお尋ね者になりながら京都に潜伏した時には、献身的に彼を支えた。
木戸孝允の人生はロマンチックなものであった。私は木戸孝允については、簡単な知識しかなかった。今回の旅をきっかけに調べて、木戸孝允のファンにもなった。やはり、旅はいい。 -
木戸孝允の旧宅は簡素だが、庭の松は老木となり、迫力があった。
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いよいよ高杉晋作誕生地だ。最短距離はいかず、周囲の様子を見ようと、江戸屋横町をさらに進み、御成道、伊勢屋横町と歩いて、晋作広場に出た。高杉晋作の像が立っている。
ここから菊屋横町を少し行けばいい。高杉晋作立志像 名所・史跡
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高杉晋作誕生地は、父である高杉小忠太春樹の屋敷である。晋作はここで生まれ育ち、結婚後も親と同居した。父は長州藩士(200石)であった。
屋敷は建坪約50坪、敷地約500坪だ。明治初期に二分され、南側が保存されている。高杉晋作誕生地 名所・史跡
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建物の中に入ることは出来ず、外から見学する。
生けられた花が美しい。 -
床の間。
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その手前の額。至誠天に通ずだ。高杉晋作の人生そのものを表している。書いたのは誰だろうか。
高杉晋作の功績は多いが、その最たるものは功山寺挙兵だろう。この挙兵により、幕府に恭順を誓っていた保守派が権力を失い、藩の進む方向は大転回したのだ。ほとんど成功する見込みがないと思われていた”決起”が成功したのである。 -
立派な陶器。どのような由来なのだろう。
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妻の雅子と息子の東一。
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イチオシ
左の写真では高杉晋作と伊藤博文が写っている。右の写真が、いかにも高杉晋作らしい。
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旧萩城。
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産湯の井戸である。
今回の訪問によって、高杉晋作の育った背景が良く分かった。折り目正しい武士の家である。 -
高杉晋作誕生地を出て、少し進み振り返った。高杉晋作が歩いていても不思議でないような光景だった。
菊屋横丁 名所・史跡
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イチオシ
もう少し行ってまた振り返った。写真の左側には菊屋家住宅の特徴ある土塀が見える。
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菊屋家は萩藩の豪商であった。ここも見学することにした。当時使われた道具なども展示されている。これは楽器。
菊屋家住宅 名所・史跡
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庭園も美しい。
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庭園を歩くことも出来る。
菊屋家住宅を出て、さらに萩城跡の方に歩こうかとも思ったけれど、帰路の時間が心配になり引き返すことにした。
みやげ処村田で、わらびもちを頂けるのがツアー内容に入っている。駐車場に帰る前にお店へ。とても美味しいわらびもちだった。 -
萩から新山口駅に向かったバスは、途中、香山公園に立ち寄ってくれた。
ここは瑠璃光寺の五重塔で有名だが、五重塔は補修工事中であった。
瑠璃光寺そのものも立派だ。薩長連合に関する会談が行われた枕流亭もあるけれど、下調べ不足で見逃した。香山公園 公園・植物園
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西に進むと毛利家墓所である。入り口の石畳は鴬張りの石畳と呼ばれる。手をたたくと、美しく反響した。
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さらに洞春寺の観音堂にもお参りした。
バスは順調に走って新山口駅に着いた。19時11分発ののぞみに乗った。新山口駅の駅弁は売り切れていたけれど、明太子おにぎりと冷えたビールを購入していたので、車内で楽しい夕食となった。21時55分、名古屋駅着。
念願であった高杉晋作ゆかりの地を訪れただけでなく、多くの素晴らしい経験が出来た旅だった。
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