2024/11/19 - 2024/11/19
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satom4traさん
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34回目でいささかマニアックな歩こう会で、豊臣秀吉が天正19(1591)年に河川氾濫と外敵襲来に町を守るために総延長22.5kmの御土居を築き、現在は大部分が消失し北西部を中心に残る9か所が、国の史跡に指定されているその8か所を巡る。
コース:北野天満宮→平野神社前→紫野→鷹峯御土居公園→長坂口→玄琢下→大宮交通公園→紫竹上堀川→賀茂川→半木の道→天寧寺→阿弥陀寺→蘆山寺(紫式部の邸宅跡)→京都御苑→烏丸(地下鉄)13㎞余 参加者24名
豊臣秀吉の京都改造
①天正14年(1586)聚楽第造営と大名屋敷
②天正17年御所修復
③天正18年寺院を集中させ寺町・寺の内を形成し、平安時代からの正方形町割りを短冊形町割りで、土地の有効活用を図る。
④天正19年御土居を築く
写真は鷹峯旧土居町の土居公園の御土居
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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北野天満宮からスタートでここにも御土居がある
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北野天満宮の境内の紅葉
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天神さまこと菅原道真公(菅公)が丑年生まれであったことが関係して、天神さまにとって牛は神のお使いので、境内の臥牛は、撫牛と言って、いつの頃からか撫でることでご利益を与えてくれると・・・だからピカピカになっている。
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正面が本殿
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本殿の横に御土居がある
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北野天満宮の史跡御土居の説明
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この御土居はのちに石積にして見栄えをよくしている
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普通の御土居は土を盛り上げているまま。
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史跡なので必ずこのような表示あり
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途中は住宅地など御土居は分断されていたが、残っている所は史跡の石柱がある。
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途中の行程で左大文字の山が見えた
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鷹峯御土居公園、御土居の実態が非常によく残っている
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御土居餅の店が前記の御土居の管理を任されてその許可を得てここの公園で昼食を
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土を掘り下げ堀を作り、その土を盛り上げて土塁を作る手法がよくわかる
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東の賀茂川のここにも御土居の跡が。広々とした風景にやっとマニアックな場所から解き放たれたようで癒される。
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賀茂川に沿ってあるくと、この日から寒さが厳しくなる予報であったが、風もなく日差しがあって寒さも感じず歩きに最適な午後であった。
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前を歩く我々のグループ、住宅地の狭い路地を歩いてきて、広々としたところを歩く心が弾む。
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今賀茂川の橋を渡ると、遠くの山が比叡山である。この方向で寺からの借景がある。
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秀吉の寺を集めた町の寺の1つ、天寧寺の門が額縁になって、そこから見えるのが比叡山
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前の写真の拡大版
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織田信長の墓がある阿弥陀寺
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蘆山寺は紫式部の実家跡でここで源氏物語の最初が描かれた屋敷があったところが、寺になっている。
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源氏物語の執筆地としての説明と展示会場の案内。16時までである。
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寺の前に説明が
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寺の境内の一角に源氏物語の展示場所。
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この寺の後ろにも御土居の跡がある。この寺で一応解散であるが・・・
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京阪神地区からのOB会なので、我々奈良はここから京都御苑を経由して帰宅に。
京都御苑の門 -
寺町から御苑を経由して烏丸に
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東京に都が移り、公家屋敷街一帯は建物を取り払って樹木などを植えて公園化し、新たに「京都御苑」として生まれ変ったので広いこと。
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こんな感じです
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やっと烏丸方面出口に。運よく16時2分に近鉄の急行があって楽に座って帰れた・・・
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