2024/10/13 - 2024/10/13
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たびたびさん
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滋賀は、この一年くらいで、観音寺山城から滋賀県立琵琶湖博物館、長命寺やMIHOMUSEUMを押さえたことでやっと一服感が出てきました。この辺りからもう一段レベルを上げていくにしても、今後は、それに加えて祭りの方にも手を付けたいと思ってきたところ。近江八幡の左義長祭りや五個荘・日野のひなまつりもいいですが、やっぱり、滋賀の祭りの最高峰は長浜曳山祭かな。だいぶ前になってしまいましたが、子供歌舞伎を見てその素晴らしさに感動したのが今でも忘れられません(https://4travel.jp/travelogue/11000966)。先般は日野祭の宵山をちらり拝見しましたが、その気持ちは今も変わりませんね。ただ、改めて、滋賀の祭りを調べてみるとこのほか湖国三大祭(大津祭、長浜曳山まつり、山王祭。または、大津に限った大津祭、山王祭、船幸祭)や米原の鍋冠祭、米原曳山まつりや草津のサンヤレ踊り、竜王町のケンケト祭りなんていうのもあって、さすが歴史のある滋賀。まだまだタネは尽きないようですね。
ただ、例によって、焦っても仕方ないので、まず目を付けたのが今回の大津祭。この祭りは、大津市街にある天孫神社の例祭。起源は、慶長年間(1596-1615年)、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をつけて踊ったところから。そこから始まって、踊る治兵衛を屋台に乗せたり、狸のからくりを乗せたりしながら、現在の形になってきたというのはなんともほのぼのするようなお話ですが、今ではれっきとした国の重要無形民俗文化財というのが面白いですね。
さて、祭りのスタイルは、13基の曳山が市内を巡行し、各曳山にはからくり人形も。一見、祇園祭のような趣向なので、どうしても比較してしまうのですが、パッと見はちょっと小ぶりだし、豪華さもイマイチかなあという感じ。しかし、だんだん目が慣れてくるとそうでもなくて、大津の街のスケールにはむしろちょうどいいような感じ。お囃子等、にこにこしながら互いに競い合っている姿も微笑ましくて楽しいです。琵琶湖の畔で花開いた陽気で朗らかなお祭り。宿場町だった時代の街の香りもしないでもないし、とてもいいと思います。
そして後半は、気になる大津のあれこれスポット。改めて、琵琶湖の美しさ、琵琶湖の育んだ歴史や文化の厚みに気が付かされることで、大津祭の印象がまた深くなったような気がしました。琵琶湖、大津、滋賀。まだまだ興味は尽きません。
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今回は、家の事情があって日帰りの旅なんですよね~
ともあれ、大津駅に到着してから市街の方に向かいます。
あ、曳山を発見です。 -
殺生石山 (せっしょうせきざん)
柳町 延宝元年(1673)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「能楽の殺生石から考案したもので、鳥羽院に寵愛された玉藻前(たまものまえ)は、実は、金毛丸尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、東国に逃れ、那須の殺生石となって旅人を悩ましていましたが、玄翁和尚の法力によって成仏したといいます。
所望は玄翁和尚法力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところを見せます。別名「玄翁山」といいます。」
所望云々は、からくり人形のことを説明するものです。 -
曳山の大きさもちょっと小さ目だし、
側面の垂れ幕も、京都の祗園祭り風ですけど、比べるとずいぶん格が違うような。 -
しかし、刺繍はしっかり鮮やかだし、基本的な豪華さは備えていると思います。
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今日一日、がんばりましょう。
水杯で乾杯です。 -
二台目の曳山を発見。
孔明祈水山 です。 -
イチオシ
どんどん近づいてきますけど
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上の方では、まだからくり人形の調整中かな。
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三台目の曳山です。
石橋山(しゃっきょうざん)
湊町 宝永2年(1705)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「謡曲の石橋にもとづいたもので、大江定基入道寂昭が宋の国に渡り、天呂山に入って、文殊菩薩の浄土と伝えられている険しい石の橋を渡ろうとしたとき、獅子が現れて、牡丹の花に舞い戯れるのを見ました。牡丹に狂う唐獅子で有名。
石橋山は最初、「靭猿山(うつぼざるやま)」といっていましたが、延享年間から今の石橋山に変わりました。
所望は天呂山の岩石の中から唐獅子が出てきて牡丹の花に戯れ遊び、また岩の中にかくれます。」
正面の牡丹が豪華ですね。殺生石山と孔明祈水山は、生の松を使っていましたが、さすがに牡丹は生花といういうわけにはいきませんね。 -
イチオシ
舞台に乗ったお囃子の子どもたち。今日は一日ご苦労様です。
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曳山を見て、ちょっと落ち着いたところで、三井寺力餅本家に寄ってみましょう。びわ湖浜大津駅からすぐの電車通り沿いのなんでもないような場所にあるのですが、大津では知らない人はいない名物店です。
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ただ、これまで機会がなくて、今回が初訪問です。奥の喫茶室で力餅セットをいただきました。
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イチオシ
とろんと柔らかいお餅に絡みつく黄な粉は薄緑色。青豆とこれに加えて少し抹茶が入っているんだそう。砂糖をあんまり混ぜ過ぎず、少し塊りが残っているような感じにしているのも、甘みを程よく感じる効果があるんでしょうね。いやいや、これは確かにすごい。
三井寺の境内に辨慶力餅を販売する本家力軒がありますが、ここのはちょっとものが違うなという印象です。 -
では、天孫神社の方に向かいます。もう曳山が集まり始めていていますよ~
これは、月宮殿山。
この通り沿いに曳山を並べるのですが、順番を待っている風。 -
ちょうど正面から日が当たって、キラキラ。
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舞台の上のお囃子は始まっているし、
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垂れ幕も久しぶりに晴れの舞台に日を浴びて、いっそう鮮やかに輝きます。
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今朝ほどの殺生石山は、もう定位置についたようです。
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からくり人形は、玄翁和尚だと思います。
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みなさん、やれやれといった感じ。
まずは、ここまででひと仕事は完了です。 -
続いて入ってきたのは、
西王母山 (せいおうぼざん)
丸屋町 明暦2年(1656)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「むかし、崑崙山(こんろんさん)住む、西王母が天女とともに舞い下って、君に桃の実を捧げ長寿を賀しました。この桃は三千年に一度、花が咲き、一個しか実らない貴いものでした。
その後、これに桃太郎の説話を加味したものといわれています。俗に「桃山」と呼ばれています。 所望は、桃が二つに割れ、その中から童子が生まれます。」 -
舞台の上のお兄さん。
腕を振って、 -
イチオシ
朗らかに周囲を盛り上げます。
十分に盛り上がったのを確認して、 -
やおら笛のお囃子。
祇園祭ではこんなのはないですね。
スタンドプレーではないですが、こういうちょっとくだけた感じが許されるのも大津まつりなのかもしれません。 -
西王母山も定位置について、
石橋山と西王母山の並び。 -
西王母山と殺生石山の並びも、
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イチオシ
しっかり決まりました。
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ほとんど定位置についたようなので、ここからは順々に曳山を確認します。
月宮殿山 (げっきゅうでんざん)
上京町 安永5年(1776)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「謡曲の鶴亀(喜多流では月宮殿)にちなんだもので、唐の皇帝が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、世を寿がれました。俗に「鶴亀山」とも呼んでいます。
所望は、頭上に鶴と亀の冠りをつけた男女の舞人が皇帝の前で舞うところ。
見送り幕は、トロイ落城の情景を現したゴブラン織りで、国の重要文化財です。平成11年10月に新調されました。」 -
郭巨山 (かっきょやま)
後在家町・下小唐崎町 元禄6年(1693)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「俗に「釜堀山」ともいいます。中国二十四孝の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとでありました。子供が生まれましたが、老母は自分の食を減らして孫に与えねばなりませんでした。
「子供はまた得られる。母は再び得ることはできない。」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘ったとき、そこから黄金の釜が出てきたという故事によります。
所望は、郭巨がくわで穴を掘り、黄金の釜を掘り出すところです。」 -
神功皇后山 (じんぐうこうごうやま)
猟師町 寛延2年(1749)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「神宮皇后が戦に先立ち、肥前国松浦で鮎を釣り、戦勝を占ったとされる伝説にちなみます。なお、神宮皇后は当時懐妊されていましたが、戦が終わって後、九州の地で応神天皇を無事出産されたことから、この山は、「安産の山」として信仰されています。
所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくるからくりで、江戸時代の文字書きからくりとしては、斬新な機構とされています。」 -
正面からだと気が付きにくいのですが、横から見ると。。
側面にも軒破風が付いていて、これは両側面軒唐破風付という珍しい様式です。 -
赤い色調も美しくて、つまり、ちょっとした特別感がありますね。
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イチオシ
写真をたくさん撮りたくなるような曳山です。
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龍門滝山 (りゅうもんたきやま)
太間町 享保2年(1717)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「黄河の上流の竜門山の滝は、どんな魚も上がれないが、もし上がる魚があれば、直ちに昇天して龍になるという故事にちなみます。登竜門という語もここからでました。
所望は、龍門の滝を鯉が躍り上がるところを見せます。鯉のからくりは宝暦12年(1762)在銘でわが国最古のものです。 俗に「鯉山」ともいいます。見送り幕「トロイアの陥落図」は、ゴブラン織りで国の重要文化財に指定されています。」 -
孔明祈水山 (こうめいきすいざん)
中堀町 元禄7年(1694)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「蜀の諸葛孔明が、魏の曽操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流してください」と水神に祈り、大勝をした故事によります。 山は万延元年まで福聚山といいました。また俗に「祈水山」ともいいます。
所望は孔明が扇を開いて水を招くと、水が湧き上がり、流れ落ちる仕掛けです。」 -
西宮蛭子山 (にしのみやえびすやま)
白玉町 万治元年(1658)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「古くから西宮の蛭子様を出して飾り、祀っていましたが、後に曳山に載せるようになりました。鯛を釣り上げたえびすさんに商売繁盛を祈るといいます。
所望は、えびすさんが鯛を釣り上げる所作。 この所作から俗に「鯛釣山」と呼ばれています。この曳山が作られた頃は、宇治橋姫山と称していましたが、延宝年間以後、いまの西宮蛭子山に変えられたといわれています。」 -
なお、えびすさんは奥の方。暗くて分かりにくいですが、しっかり控えていますので。
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猩々山 (しょうじょうやま)
南保町 寛永14年(1637)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「能楽の「猩々」から考案したもので、むかし、唐の国の揚子の里に住む高風という親孝行なものがいました。ある夜、夢に「揚子の町に出て酒を売れ」と教えられ、売っていたら、海中に住む猩々から酌めども尽きず、飲めども味の変わらない酒の壺を与えられたといいます。
所望は、高風の酌で、猩々が大盃で酒を飲むところを現しています。」 -
湯立山 (ゆたてやま)
玉屋町 寛文3年(1663)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「天孫神社の湯立ての神事は、この山が捧げるといい、山の形は天孫神社をかたどり、廻りはその回廊を真似ています。
所望は、祢宜(ねぎ)がお祓いをし、市殿(いちどの)が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏します。この所作から、「おちゃんぽ山」の愛称があります。昔から、この湯をかけられたものは、五穀豊穣、病気平穏、商売繁盛など縁起がよいといいます。
最初は孟宗山といっていましたが、寛文年間にいまの名称となりました。」 -
源氏山 (げんじやま)
中京町 享保3年(1718)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた伝承にちなんだもの。そのため、紫式部の十二単や、曳山全体が、平安の昔を偲ばせる造りとなっています。
所望は石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなどが現れては消えていきます。回り舞台の原型であるといわれており、現存するものでは、全国で二番目に古いものです。 俗に「紫式部山」とも呼ばれます。」 -
西行桜狸山 (さいぎょうざくら たぬきやま)
鍛冶屋町 寛永12年(1635)創建 -
NPO法人 大津祭曳山連盟ホームページ(http://www.otsu-matsuri.jp/festival/about-hikiyama.php#)より
「俗に狸山といい、塩屋治兵衛の狸面の伝承を持ちますが、明暦2年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす熊を現した人形を用いるようになって、その名を西行桜狸山と改めました。
狸は、屋上に載せられて、祭の先導ととも守護とも見られるようになり、祭日の天気を守ることになりました。これにちなんで、この山は毎年くじとらずで、先頭を巡行します。
所望は、花の中から仙人が現れて、西行法師と問答します。」 -
イチオシ
ということで、先頭の西行桜狸山以下。曳山がずらりと並びました!
いやいや、天気もこれ以上ない青空だし、これを見たら、もう今日の目的は達したような気分。爽快ですね~ -
しばらく眺めていましたが、曳山が動き始めました。
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次の目的地にむって
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移動開始です。
で、本来であればこれを追っかけて、からくり人形の妙技を拝見するのでしょうが、ちょっとそういう気分ではないですね。曳山が勢ぞろいの姿を見て、もう満腹した感じ。
それに、からくり人形だと岐阜や愛知が本場ですからね。滋賀だとそれこそ長浜の曳山祭りの子供歌舞伎とかの方が素晴らしいですし。
また、大津はもしかしたらマイナーだけど気になるところがまだいくつか残っていて、ここからはむしろそちらの方がいいかな。天気もいいし、やっぱりそっちにしてみましょう。もしマイナーだったとしてもお天気だったらがっかり感は少しカバーできますからね(笑)
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ということで、ここからは大津の気になるスポットを訪ねます。
今は休館中ですが、滋賀県立琵琶湖文化館。 -
琵琶湖の湖畔に建っていて、さすが県立。雰囲気はありますね。
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その傍らには、明智左馬之介湖水渡りの碑とその説明板「明智左馬之介湖水渡りのところ」。
天正10年、明智光秀の弟、左馬之介光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、山崎の戦いで敗れた兄の知らせを聞いて、坂本城へ引き返す途中、打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがり琵琶湖を渡って坂本に帰った。しかし、秀吉の軍勢に囲まれ光秀の妻女らとともに城と運命を共にした。と記されていました。鬼気迫る場面が目に浮かびます。
(なお、説明板では明智左馬之介は光秀の弟となっていますが、光秀の重臣、娘婿というのが正しいのではないかと思います) -
こんなところを渡っていったんでしょうか。
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そこから東に進むとびわ湖ホール。その裏手の琵琶湖の方に出ると、湖岸を東に向かって延びる遊歩道があって、それがなぎさのプロムナード。歩いている人や自転車に乗っている人もいて、思い思い。長閑な景色を眺めながら、開放感のある遊歩道の雰囲気を楽しんでいました。
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そこを抜けた先のOh!Me大津テラスは、大津PARCOを前身とする商業施設。ビルはけっこう大きくてデザインも悪くないですが、大津市街中心部からだとちょっと距離があって、あんまり便利な場所ではないかもしれません。
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一階にフレンドマートとかが入っています。
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今度は、京阪石山坂本線で大津市役所前駅まで。
ここから、残りの散策はこの周辺です。
大津市役所を過ぎて -
西へ向かうと大津絵の道。
鐘馗
「ふり出すと一番先に鐘馗逃げ」 -
大黒と外法の角力
「福と寿の角力を見れば大方は福が寿命をひきこかすなり」 -
猫と鼠の酒盛り
「聖人の教えを聞かず終に身を滅ぼす人のしわざなりけり」 -
鬼と柊
柊の葉をくわえた鼠が鬼を追いかけている図 -
大津絵の道の先。少し山の方に上って行くと円満院です。
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こちらは、寛和3年(987年)、村上天皇の第三皇子、悟円親王により創建された天台宗の寺。以降、悟円親王ほか歴代皇族の入室する門跡寺院となりました。坂本にある滋賀院門跡の創建は元和元年(1615年)ですから、歴史はこちらの方がはるかに古いですね。
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また、三井寺を中心とする寺門派の天台宗で、かつては聖護院、実相院と並んで三門跡とも。なかなかの位置づけです。
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受付を済ませて、宸殿へ。
この建物は、元和5年(1619年)、徳川幕府二代将軍、徳川秀忠の息女、和子姫が後水尾天皇の后となる際に京都御所に建てられたもの。その後、正保4年(1647年)、京都御所から賜ったという経緯。国の重要文化財です。 -
間取りは南北2列の計6室。
悠々としたものですが、まず目を引くのは明るい黄色の襖絵。 -
イチオシ
現代アートじゃないかと思うくらいの斬新な色彩ですが、描いてあるのは松林の風景だったり、中国風の人物とか。
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それによく見ると金箔を貼ったような縦横の線も見えるので、伝統的な様式を踏まえた襖絵といえなくもないですね。
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もちろん金箔ではないので、縦横の線はなんちゃっての趣向かもしれませんが、どうにもこうにもこの鮮やかな黄色は眩いくらい。
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画家の独走なのか。施主のセンスなのか。どういう経緯でこんなことになっているのかは分かりませんが、結果としてはやはり大成功。京都御所の暮らしぶりとかまで想像できるような華麗さです。
門跡寺院は、そうしたものが往々にしてあるものなのですが、私としては久しぶりの出会い。かなりテンションが上がりました。 -
広間のぐるりを巡る廊下の感じも素晴らしいです。
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イチオシ
そして、一番奥、御簾の向こうにあるのは後水尾天皇が座した玉座が配された上段の間。
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天井は折り上げの格天井ですが、さらに小組にもなっていて、念が入っていますね。
背後の襖絵は、正統派。ただ、これはレプリカです。 -
本堂から宸殿の周辺の庭園も堂々としたもの。
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室町時代の相阿弥の作と伝えられる池泉観賞式庭園で、建物の縁から見下ろすのですが、苔むした石組はけっこうな迫力。豪快というか豪胆というか。力強くて、ちょっとあっけに取られるような眺めです。
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ところで、相阿弥は足利将軍の近くで雑務や芸能にあたった同朋衆。絵師であり、連歌師であり、造園や鑑定を行うという幅広い活躍。同朋衆だと能を完成させた観阿弥 、世阿弥が有名ですが、やっぱり面白いのは時宗の影響。一遍が始めた踊念仏の時宗ですが、熊野で覚醒した一遍の真骨頂は「となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。阿弥陀に救いを求める浄土宗の考え方からするとその阿弥陀と自分が同じなんてありえない話ですね。しかし、一心にすがる踊念仏の境地の中で、その感覚になるのはむしろ自然なことなのかもしれません。
一種の一元論ですが、日本人はこの考え方がとても好きです。生死不二では生きることと死ぬことは同じとか。平安期に一世を風靡した大覚思想は、人間にはもともと仏の心が備わっているから始まって、人と仏を同等とみなしたり。儒教の解釈でも、幕末は性即理より心即理。本来、人は野蛮で教育を必要とするというのが孔子の考え方のはずですが、人の心には本来的に正しい姿が宿っているというのが心即理の考え方です。〇〇と○○は同じ。生と死は同じや仏と人間は同じとかだけじゃなくて、例えば、自然と人間は同じ。喜びと悲しみは同じとか。なんかそう言われると納得したような気持ちになってしまうのは日本人の特徴ではないかと思います。西洋だと人間は神が作ったものですから、そんな理屈は通りませんけどね。一元論のルーツはたぶん最澄の諸法実相の辺りかな。時宗ということではないですが、その考え方を芸術の世界にまで浸透させ、高めていった同朋衆のバックボーンが時宗だったことはかなり特筆に値することだと思います。
この庭にも時宗の影があるのかないのか。そうして眺めるのもまた一興だと思います。 -
これは向かいの本堂。
少し高い場所にあって、渡り廊下はここまで続いています。 -
円満院の拝観コースをさらに進んだ先。もう一つの見どころ、大津絵美術館です。
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多くの大津絵が展示されていて、これもさすがという感じ。
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一見、普通の屏風のように見えますが、
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その描かれた絵は意表を突いたもの。
長頭翁 外法と大黒の梯子剃り
まあ、ちょっととんでもない構図ですよね。 -
その他の掛け軸も
鬼の念仏 小児の夜泣きを止め悪魔を祓う -
鬼の念仏
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座頭 倒れぬ符
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虚無僧
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槍持ち奴 道中安全
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真ん中は雷公の太鼓つり 雷除け
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そもそも、大津絵は仏画として描かれ始めたところから世俗画へと転じ、今では教訓的、風刺的なテーマに広がったもの。ひょうひょうとして、ちょっとつかみどころがないようでいて、やっぱり響いてくるものがある。少なくとも深刻ではないし、肩の力を抜いて楽しめる。改めて大津絵の面白さに気が付かされた感じ。大津絵の道もそうでしたが、なかなかいいと思います。
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円満院門跡の門前に開運そばという蕎麦屋さん。人がたくさん集まっているので、気が付きました。三井寺とかから回ってくる人も多いようですね。それではとつられて私も。
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店内は絵馬がどっさり。御主人が趣味で集めたもののようです。
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いただいたのは、開運そば定食。温かいそばの出汁に天ぷらが程よく沁みてなかなかいい。かやくご飯もたっぷりあって、腹持ちもすごくよかったです。レトロな店内の雰囲気だけではない。ちゃんとしっかりした蕎麦屋さんです。
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元気になったところで、ここからはまた歩きです。
皇子が丘公園は、京阪大津京駅から琵琶湖の反対方向に向かったところ。入口には駐車場があって、そこから先は丘陵部になって、公園の中心はちょっとした高台ですね。規模もかなりあるし、涼し気な林の中に秘密基地のような砦や遊具があったりして、子供が自然の中で思い切り遊べる環境がしっかり整っています。 -
皇子が丘公園を過ぎて、さらに奥へ。琵琶湖が遠くに見えていて、なんかいい感じですよ~
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三井寺法明院は、入り口のところからしてかなり分かりにくい。まるで山道ですからね。山道の先に現れた石段の参道も荒れていました。
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ということで、庭園もなんだかなあという感じでしたが、
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しかし、その先にあのフェノロサの墓。フェノロサが法明院で授戒したというのが縁ですが、それだけでなく、ここは琵琶湖を眺めることができる絶好の景勝地。フェノロサはそれを愛し、ここで眠ることを希望していたのだとか。さすがフェノロサ。日本のいいところをちゃんと押さえているなあと感心します。
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新羅三郎義光の墓は、法明院庭園の方から回りましたが、すごくわかりにくい。途中で、地元の人がいたので教えてもらいましたが、そうでなかったらたどり着くのは無理だったと思います。細い山道を登って行くことしばし。
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鳥居のあるお墓がありました。
新羅三郎は、源頼義の子、源義光のこと。兄は源義家です。後三年の役(1083-87年)では、兄の義家を助けるため奥州へ出向き、清原氏の乱を治めました。
ところで、源頼義、義家らは河内源氏。河内が根拠地でしたから、この場所はそんなにとんでもない場所でもないですね。また、後三年の役の勝利者は清原清衡。義家は肩透かしを食ったようなもので、頼朝の奥州合戦はそのリベンジということですね。 -
新羅三郎義光の墓から大津市役所の方に下って行って。。
弘文天皇陵は、大津市役所の裏手にある森の中。入り口を入るとその奥にきれいに整備された陵がありました。 -
弘文天皇というのは、天智天皇の皇子である大友皇子のこと。壬申の乱で、大海人皇子と争い、敗北。享年、25歳で最期となりました。ということで、天皇には即位していないという理解でしたが、明治になって39代弘文天皇と認められたのだとか。天智天皇の三井寺にも近いゆかりの地で静かに眠ります。
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その近くにある新羅善神堂は、南北朝時代の貞和3年(1347年)の建物。足利尊氏による再興の伝えがあり、三井寺の中興の祖、円珍ゆかりの新羅明神像を安置します。林の中の廃墟みたいな場所ですが、石垣とか塀とか立派に整備されていて、ちょっとした威厳は健在です。
三井寺は秀吉による破却があって、それ以前の建物は貴重だということです。 -
そこからしばらく歩いて、これも長く気になっていたびわ湖大津館へ。
柳が崎湖畔公園の中にある、かつての名門、琵琶湖ホテルの本館を引き継ぐ施設。 -
鉄筋コンクリート造りのなんちゃって日本建築ですが、
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確かに雰囲気はありますね。
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上階には、ホテルの歴史や宿泊した著名人を紹介する展示室。ヘレンケラーはじめ、川端康成、志賀直哉、三島由紀夫、美空ひばりや石原裕次郎の名前もあって、ちょっとため息が出るよう。
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彼らが泊まった部屋も残っています。
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びわ湖大津館の中にあるレストラン、ベル ヴァン ブルージュの方へも行ってみます。
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びわ湖を眺める明るいテラス席で、アフタヌーンティ。アイスクリームセットをいただきました。アイスクリームはベリーや生クリームとかで変化が付けてありますが、いっそ甘さをもっと強調した方がいいような。例えば、私はここに来るまでにけっこう歩いてきていますからね。
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イチオシ
ただ、やっぱりウリはこの雰囲気とびわ湖の眺め。ちょっと半端ない素晴らしさです。
つまり、びわ湖大津館の周辺は、柳が崎湖畔公園。湖畔からは、対岸の大津の市街が真正面に見えるし、琵琶湖の青い湖面がとても美しい。ちょっとしたアングルの良さや光の加減だと思いますが、ピンポイントのロケーションではないかと思います。 -
びわ湖大津館の裏手から建物を振り返るとこんな感じ。さっきまではここの二階にいたというわけです。
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ここから、今度は隣りにあるイングリッシュガーデン。
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そんなに期待していたわけではないですが、
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とても手入れが行き届いているし、
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琵琶湖の湖畔というロケーションも活かされていて、とてもいい。
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バラ園の方もたくさんの種類が植えられているのに、それを見事に管理しているのはけっこう尋常ではないように感じました。
さて、これで大津まつりの一日は終了です。本来なら、ここからバスで大津駅まで帰れるのですが、今日は祭りの日でバスは運休。大津京駅を目指して歩くことになりました。最後はもうバテバテです。お疲れさまでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Tripにこちゃんさん 2025/10/01 13:30:51
- 大津の秋祭りは、是非行ってみたいです。
- たびたびさま
いつも楽しい旅行記、ありがとうございます。
私は京都の祇園祭に、行きたいと思っています。
主人は混雑が大嫌いな人なので、祇園祭を見にいくのを諦めています。
しかし、紹介していただいた大津の秋祭りならば、あまり混雑せずに見られそうで、
嬉しく思いました。
琵琶湖は、遊覧船に乗船しただけで、周辺の観光はしていません。
観光の参考になりました。私もたびたびさまのルートを回ってみたいです。
- たびたびさん からの返信 2025/10/05 23:08:25
- RE: 大津の秋祭りは、是非行ってみたいです。
- 祭りの旅行記はまだまだ続きますので。。
なお、旅行記はほぼ一年遅れ。どうしても追いつけなくて、しばらくはこのままですね。口コミのネタも随分溜まっているし、新しい旅の準備もある。毎日がアップアップの状態です。
たびたび
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