2024/09/04 - 2024/09/18
36位(同エリア61件中)
youさん
東南アフリカにある余り知られていなくて、これまで行けていない国々、①ブルンジ、②ルワンダ、③ウガンダ、④マラウィ、⑤モザンピーク、⑥エスワティニ、⑦レソトを、15日間ツアーで巡ってきました。日程は下記。
9月4日 夜成田→アジスアベバ乗り継ぎ
9月5日 午後 ブルンジの首都ブジュンブラ着 ブジュンブラ(泊)
■9月6日 ブジュンブラ観光 夕刻→空路にてルワンダの首都キガリ(泊)
■9月7日 キガリ観光 夜→空路にてウガンダの首都カンバラ(2泊)
9月8日 カンバラ滞在 カンバラとビクトリア湖観光
9月9日 午前 空路にてナイロビ経由マラウィの首都リロングウェ(2泊の予定が3泊)
9月10日 リロングウェ滞在 マラウィ湖と近郊の観光
9月11日 リロングウェ滞在 午後空路にてモザンビークに行く予定がフライト・キャンセルでリロングウェ(泊)
9月12日 午前 空路にてモザンビークのナンプラ(泊)
9月13日 午前 空路にてモザンビークの首都マプト→市内観光→マプト(泊)
9月14日 マプトから陸路にて国境を越えてエスワティニの首都ムババーネ(泊)
9月15日 午前 ムババーネから陸路南アフリカを通過してレソトの首都マセル(2泊)
9月16日 マセル滞在 マセル市内と郊外の観光
9月17日 早朝 空路ヨハネスブルク、アジスアベバ乗り継ぎ
9月18日 夜 成田着
この旅行記は、ルワンダの首都キガリの観光を中心に掲載します。
表紙の写真は、ツチ族とフツ族との抗争でベルギー兵が犠牲になった兵舎内風景。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
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東南アフリカ7か国の旅(1)------ブルンジ編からのつづきです。
9月6日 17時 ブルンジの首都ブジュンブラから、ルワンダ・エアーにて隣国のルワンダ共和国に向かっています。
機は約1時間のフライト時間でウガンダの首都キガリ上空に来ました。 -
機上から見る首都キガリの市街地。小さな家々が密集する都会みたいです。
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こちらはブルンジから乗ってきたルワンダ・エアーのプロペラ機。ほぼ満席で70~80人が乗っていました。そのうち20人が私たちツアー客とその関係者と言うことになります。
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徒歩で空港ビルの入国審査口に行きます。
ビザは日本でツアー会社がルワンダ、ウガンダ、マラウィと共に取得済みで無事通過しました。そして、小さなターンテーブルで荷物が出てくるのを待ちます。。。が・・最終的にyouのスーツケースを含めて6個が出てきたものの、残りの13個が出てきません。。。。トホホww
聞けば、今回の便は満席の上に荷物が多すぎて最大積載重量を越えてしまったので、オーバーした分の荷物はブルンジの空港に置いてきた~~と言う。。。やっぱりアフリカらしいwww。。。 -
と言うわけで、1時間以上の荷物トラブルがあった後、今宵のキガリのホテル CHEZ LANDO お迎えのこのバスに乗り込みます。
スーツケースの届いていないツアー仲間のために、今晩の下着や洗面具等をTDのSさんが、途中のお店に立ち寄り調達します。 -
キガリの空港ビルです。ブルンジの国際空港ビルに比べると国際空港らしい規模です。ルワンダは最貧国ワースト2位のブルンジよりも、確実に経済力があると感じます。
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19時 ホテルに到着。部屋はこんな感じで蚊帳が使えるようで一安心。。。
バスタブ、TV、冷蔵庫、電話、Wifiと何でも揃っています。
夕食のレストランは、暗い道を歩いた先の別棟2階にあります。暗い時間帯で良く分かりませんでしたが、翌朝確認したら広大な敷地に建つ複数棟ある大型ホテルでした。 -
9月7日 キガリの朝です。こちらは泊まっていたホテルCHEZ LANDO の建物で、同じような建物が幾つも建っています。
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ホテルのロビーに備えてある本日の新聞の一つデス。
アフリカの小さな国、ここルワンダ共和国にもC国はしっかりと手を付けているようです。
ルワンダ共和国・・・四国の1.5倍の国土に約1263万人が暮らすアフリカで最も人口密度が高い国です。1994年発生した部族間対立によるルワンダ大虐殺の非劇を乗り越え、現在はアフリカの奇跡と呼ばれている経済成長を維持しています。 -
ホテルの敷地内にある屋上レストラン。
敷地内は植物園かと思うように沢山の植物や、花が見られます。 -
敷地内を散策してそれらの植物や花を観賞します。
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こちらも。
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こちらも。
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こちらも。
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ホテルは広大な敷地に建っており、幹線道路からは2つのゲートを通過して建物にアクセスする構造で、厳重なセキュリティーが確保されています。最悪何か起きても、ここに居れば安全な場所になりそう。。。
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8時 キガリの市内観光に出ます。
道路沿いの建物、アパートだと思われますが、ベランダの手摺や壁には隙間なく広告が張り付けられています。 -
交差点で停車中のオートバイ軍団・・・揃いの赤ヘルメットがアフリカ的です。
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チェーンホテルの建物やドーム型建物など並んでいます。
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丘陵地の坂を上っています。千の丘の国と呼ばれているだけあって、丘陵地にも近代的なビルが建っています。
キガリの街中や丘陵地に通じている幹線道路沿いなど、総じてゴミが見当たらずきれいに維持されています。2月に訪れたナイジェリアの街中とはだいぶ違います。 -
最初に訪れたのは、丘陵地の閑静な場所に建つホテル・ミルコリンの高級ホテルです。
このホテルは、映画 「ホテル・ルワンダ」の舞台となった場所と言うことで訪れました。この映画、youtubeで見たところ、1994年に勃発したルワンダ大虐殺の最中に、1200人の難民を匿ったホテル副支配人の実話をベースにしています。 -
ホテルの玄関前に設置されている多数の鎖が下がっている頭部像のオブジェ。ルワンダ大虐殺と関係しているのかも・・・・
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ホテルは宿泊客以外の観光客も受け入れており、X線ゲートを潜って中に入ります。
大きなプールや花壇などがある高級ホテルです。 -
ホテル中庭に下りてきました。
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中庭に咲いている花たち。
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こちらも。
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ホテルのロビーに飾ってあった何かを訴えているような・・・アート。
髪の一部は何かの実、頭部のぼつぼつにはネジが使われています。 -
少し移動して、ルワンダ大虐殺の際、ツチ族とフツ族との抗争に巻き込まれ、駐留していた国連平和維持軍のベルギー兵が犠牲になった場所に来ました。
兵舎の建物外壁には当時の銃撃戦の後が残っています。 -
現地に建てられている石碑。
この場所は、ルワンダ大虐殺で犠牲になったベルギー人、数十万人のルワンダ人、それに世界中で行われた大量虐殺の犠牲者全員を偲ぶ場所・・・・として建てられました。 -
黒板に残されているメモ書き。
現場に駐留していたベルギー人が殺害されたのを受けて、その思いを綴ったみたいですが・・・ -
殺害されたベルギー人平和維持軍10人の顔プレートが掲げられています。左側はベルギーの国旗、右側がルワンダの国旗です。
ルワンダの国旗は、2001年に新たに作られたもので、青色は幸福と平和、黄色は経済的発展と鉱物資源、緑色は繁栄への希望と自然資源を表しています。 -
治安維持のためにルワンダ国内に送られていた部隊の歴史が示されています。
平和維持のための部隊は、ルワンダ大虐殺が起きる1994年より以前からも国内に駐留していましたが、ルワンダ大虐殺の悲劇を阻止することはできませんでした。
それはそうですよぅ~中東地域に現在駐留している国連軍だって、イスラエルとハマスやヒズボラとの戦争を阻止できないですから。。。。早く平和的に解決してほしいと願っていますが・・・ -
ここで殺害された10人のベルギー兵士を偲ぶ10本の石柱が立てられています。
これらの施設は、ルワンダ独立前に統治していたベルギーが主導して造られたものと思われます。 -
9時30分 丘陵地上にあるオールドタウンに来ました。オールドタウンと言っても、舗装された道路の両側にそれほど古くない商店が整然と並ぶ繁華街みたいです。
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オールドタウンの風景。
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店先で収穫した農作物を囲んで実を取り出す作業をしています。
しかしよく見ると、3~4人はスマホを覗き込んでいてまじめに仕事をしていないようです。。。 -
オールドタウンの風景。
左側に割と新しい日本車が駐車しています。この国も日本車を沢山見かけます。 -
オールドタウンの風景。
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オールドタウンの風景。
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オールドタウンの風景。
集団で語り合っている若者たちに出会いました。オールドタウンのお店で働く従業員や職探しでお店を訪れる若者らで、お店が開くのを待っている・・・とのことでした(写真掲載了承)。ルワンダの若者(18才~30才)の失業率は約20%、結構高いようです。 -
塀に囲まれて建つモスクがあります。この辺りはイスラム教徒が多く住んでいる地域みたいです。
因みにルワンダの宗教の割合は、カトリック57%、プロテスタント37%、イスラム教5%となっています。 -
隣りの丘陵地を眺めています。向こう側の斜面には小さな家が密集して建っています。これらの家々には、少なからず隣国のコンゴやブルジンからの難民らも住んでいるようです。
ルワンダは、過去にルワンダ大虐殺により200万人もの難民を生み出した歴史があり、その経験から今は隣国からの難民を受け入れているとのことでした。 -
別の丘陵地上には高層ビルが建つ近代的な街も見られます。
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10時過ぎ Kwibuka(クイブカ)の文字列が設置されている広場に来ました。
この文字列は、今年2024年に設置されたもので、クイブカとは、ルワンダ語で、記憶を意味しています。1994年4月ルワンダ国内での民族間抗争で、100日間で100万人以上の大量虐殺(ルワンダ大虐殺)が起きました。この悲劇から30年が経過した2024年4月に、同じ過ちを繰り返さないように記憶を後世に伝える目的で設置されたとのこと。 -
Kwibuka広場を通って、大虐殺(ジェノサイド)記念館に入ります。
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記念館のロビーに貼られているポスターと心の偉大さ・・を示すウブムントゥ(UBUMUNTU)バッジ。
入館は無料ですがご寄付をお願いします・・・・と。写真撮影NG。 -
こちらのポスターには、大虐殺記念館設立に協力した国として、日本をはじめイギリス、韓国、スゥーデン、オランダ等が表示されています。
館内で約2時間余り、オーディオ・ガイドを聞きながら生々しい写真や遺品などの展示品を見学しました。。。ルワンダ大虐殺に関する展示のほかに、これまで全世界で行われた大虐殺の展示もありました。
こんな悲劇を繰り返さない・・・そのような思いは誰にもあるのに、残念なことに今なお同じような悲劇が起きています。負の遺産ですがこの記憶を後世に伝え、平和な世界が来ることを願わずにはいられません。。。 -
記念館の敷地はご覧の様な公園にもなっています。
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公園の中にある墓地。合掌・・・・
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こちらは公園の斜面を少し下りた広場に建つ犠牲者の名前が入った石碑の壁。
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12時過ぎ 丘陵地に建つ高級ホテルSaint Famile Hotelのプールサイド・レストランでランチをとります。
ホテル内ではちょうど結婚式が行われており、民族衣装を着た人達がお庭に出て団欒などしているのを見かけました。ここで結婚式を挙げたりする人たちは、お国でも裕福な人たちだと思います。 -
ランチはビュッフェ・スタイル。炒めた野菜や焼きそば・スープ等を頂きました。
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ランチをとったホテルのテラスからの眺望です。緑の多い丘陵地です。
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こちらも。
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14時 キミロンコ市場に来ました。夕方キガリ発の飛行機は19時なので、時間調整を兼ねて市場内を2時間ほどうろうろします。
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キミロンコ市場。
女性のお洒落な髪型。。。。編み上げるのも、髪を洗う時も大変そぅ~ -
キミロンコ市場。
靴屋さんは靴磨きも致しますwww。 -
キミロンコ市場。
写真いいですかぁ~
いいよぅ~勝手にしなはれぃ~ -
キミロンコ市場。
小魚もあれば・・・ -
キミロンコ市場。
トマトやピーマン、ニンニク、玉ねぎ。。。野菜果物豊富ですww。 -
キミロンコ市場。
写真いいですかぁ~ 後ろ向かれてしまいました。。。 -
キミロンコ市場。
ご要望に応じて即縫って差し上げますwww。 -
19時 ルワンダ・エアーWB422便で、ツアー3番目の国、ウガンダ共和国の首都カンバラに向かいます。
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上空からルワンダのキガリ市街地の夜景を眺めます。
この街でいま暮らしている人達は、30年前に起きた悲惨な大虐殺を生き抜いて来た方々とその子供たち。。。なのです。通りすがりの旅人として、その人たちの記憶や当時の荒廃した国土の様子を虐殺記念館での展示物等を通じて垣間見ることが出来ました。しかし、いまなお世界の各地で同じような虐殺が繰り返して起きていることに、何か空しい気持ちになりました。。。
東南アフリカ7か国の旅(3)------ウガンダ編につづく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- gontaraさん 2024/10/15 23:45:40
- あれから30年
- 僕が訪れたのは「あれから25年」のメモリアルの時でした。
キガリの虐殺記念館の見学はホントに衝撃を受けたのを覚えています。
なぜ国連の増派が叶わなかったのか?
どうしても白人の停戦が優先になったとしか思えない事態だったように感じました。
街の中はメッチャ綺麗ですが、どこか影を落としたように感じるのは、僕の考えすぎでしょうか。
仇の子どもを身ごもり、産み育てなくてはならなかった女性たち。
つくづくベルギーの植民地政策に憤りを感じた訪問でした。
GONTARA
- youさん からの返信 2024/10/16 23:18:12
- Re: あれから30年
- gontaraさん こんばんは。
コメント有難うございます。gontaraさん キガリの虐殺記念館、既に見学されていたのですね。写真は撮影料を支払えばOKだったのですか。知りませんでした。
自分で写真を撮っていないと、見学しているときは分かったつもりでも、旅から戻ると記憶力が衰えていますので忘れてしまうのです。 gontaraさんの旅行記の写真で、館内での様子を鮮明に思い出すことが出来そうです。
この種の虐殺関連の記念館は、これまでも何か所か訪れましたが、小心者の私としては、その都度気分が悪くなります。今回もそうでした。
人間の歴史の中でのこの様な負の遺産は、正しく事実を知って、同じ過ちを再び繰り返さないために、あとあと気分が悪くなるとしても、次世代に伝えて行くことが大事なんですよね。
you
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