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出張のついでに、福島を初めての街歩き!

出張のついでに、『六甲おろし』『栄冠は君に輝く』を作曲した福島市名誉市民第一号、"古関裕而のまち 福島" を初めての街歩き!

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2023/04/06 - 2023/04/06

25位(同エリア639件中)

旅熊 Kokaz

旅熊 Kokazさん

出張のついでに、福島を初めての街歩き!

旅行の満足度
5.0
  • 出張先の福島に到着

    出張先の福島に到着

    福島駅

  • &quot;古関裕而(本名、古関勇治)は、明治42(1909)年福島市大町に生まれ、昭和5(1930)年9月に日本コロムビア(株)に作曲家として入社、以来、作曲活動を継続し、未来へ希望を抱かせる明るい歌謡作品を発表し多くの人に愛唱されています。<br />NHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」「君の名は」等の主題歌を発表し一世を風靡したことはあまりにも有名です。昭和39(1964)年アジアで初めて開催されました東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲しました。<br />作曲作品総数は、5,000曲にもおよび、スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多枚にわたっています。<br />◎昭和44(1969)年に紫綬褒章を受章<br />◎昭和54(1979)年4月に福島市名誉市民第一号&quot; <br />とのこと<br /><br />&quot;六甲おろし&quot;、&quot;栄冠は君に輝く&quot;(全国高等学校野球選手権大会大会歌)、&quot;紺碧の空&quot;(早稲田大学第一応援歌)もこの方の作曲らしい・・・

    "古関裕而(本名、古関勇治)は、明治42(1909)年福島市大町に生まれ、昭和5(1930)年9月に日本コロムビア(株)に作曲家として入社、以来、作曲活動を継続し、未来へ希望を抱かせる明るい歌謡作品を発表し多くの人に愛唱されています。
    NHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」「君の名は」等の主題歌を発表し一世を風靡したことはあまりにも有名です。昭和39(1964)年アジアで初めて開催されました東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲しました。
    作曲作品総数は、5,000曲にもおよび、スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多枚にわたっています。
    ◎昭和44(1969)年に紫綬褒章を受章
    ◎昭和54(1979)年4月に福島市名誉市民第一号"
    とのこと

    "六甲おろし"、"栄冠は君に輝く"(全国高等学校野球選手権大会大会歌)、"紺碧の空"(早稲田大学第一応援歌)もこの方の作曲らしい・・・

  • エスパル (福島店) ショッピングモール

  • &quot;駅前通り&quot; を東へ

    "駅前通り" を東へ

  • &quot;福島市まちなか広場&quot;

    "福島市まちなか広場"

  • &quot;日本銀行 福島支店&quot;

    "日本銀行 福島支店"

  • ここにも &quot;古関裕而のまち&quot; !

    ここにも "古関裕而のまち" !

  • 本日の宿泊先にチェックイン

    本日の宿泊先にチェックイン

    HOTEL SANKYO FUKUSHIMA 宿・ホテル

  • 福島縣里程元標・福島市道路元標<br /><br />&quot;福島のへそ&quot;の変遷<br /><br />江戸時代、福島城下は参勤交代で行き交う大名や生糸・香種の購入のため全国から集ってくる商人、そして伊勢参りや江戸への遊山をする庶民など、旅をする人々で賑わっていました。歩いて旅する人にとって、里程(目的地や次の宿場までの距離)は重要な情報でした。当時の旅の手引書の巻末には決まって街道ごとの宿場町間の里程表が掲載されていました。里程の起点になったのは、法令や禁令を墨書した板を掲示する高札場でした。福島城下では、奥州街道と福島城大手門からの道が交差するこの交差点に高札場が設置され、この交差点を「札の辻」と呼んでいました。<br /><br />明治六年(一八七三)二月、明治政府は、高札場を撤去するとともに、同年十二月、太政官達により、距離を実測して、各県庁所在地の交通の要所に里程元標を立てることにしました。この里程元標は、旅人によく目立つように、一尺角(約三十cm角)、高さー丈二尺(約三m六十cm)の角材を使用し、次の宿駅までの距離などが書かれていました。ここに建つ木柱は、里程元標を原寸大で復元したものです。<br /><br />大正八年(一九一九)、旧道路法令により、里程元標に代わって市町村ごとに道路元標を設置することになりました。左の道路元標がこの旧道路法令に基づき設置されたもので、交通機関の近代化に合わせて、交通の障害にならないよう小振りな石柱になりました。なお、最初にこの道路元標が立てられたのは当時の交差点の東側(上町)で、現在の交差点の中心付近に当たります。そこに赤い円形の標石で位置を示しています。この地点が”福島市のへそ”ともいうべき原点です。奥州街道は、明治六年に陸羽街道、明治十八年(1八八五)には国道六号、そして大正九年(一九二〇)には国道四号となり、長い間、城下町福島・県都福島の幹線道路でした。<br /><br />しかし。戦後に平和通り、北町バイパス、南バイパスがそれぞれ開通したことにより、街道としての歴史的使命は終わりました。また、戦後の道路法令において、道路元標に里程や道路の起点としての役割はなくなりました。この福島市の原点に立ち、江戸時代から現代へ幾重にも重なる福島のちの歴史を想い起こしてください。<br /><br />福島市<br />

    福島縣里程元標・福島市道路元標

    "福島のへそ"の変遷

    江戸時代、福島城下は参勤交代で行き交う大名や生糸・香種の購入のため全国から集ってくる商人、そして伊勢参りや江戸への遊山をする庶民など、旅をする人々で賑わっていました。歩いて旅する人にとって、里程(目的地や次の宿場までの距離)は重要な情報でした。当時の旅の手引書の巻末には決まって街道ごとの宿場町間の里程表が掲載されていました。里程の起点になったのは、法令や禁令を墨書した板を掲示する高札場でした。福島城下では、奥州街道と福島城大手門からの道が交差するこの交差点に高札場が設置され、この交差点を「札の辻」と呼んでいました。

    明治六年(一八七三)二月、明治政府は、高札場を撤去するとともに、同年十二月、太政官達により、距離を実測して、各県庁所在地の交通の要所に里程元標を立てることにしました。この里程元標は、旅人によく目立つように、一尺角(約三十cm角)、高さー丈二尺(約三m六十cm)の角材を使用し、次の宿駅までの距離などが書かれていました。ここに建つ木柱は、里程元標を原寸大で復元したものです。

    大正八年(一九一九)、旧道路法令により、里程元標に代わって市町村ごとに道路元標を設置することになりました。左の道路元標がこの旧道路法令に基づき設置されたもので、交通機関の近代化に合わせて、交通の障害にならないよう小振りな石柱になりました。なお、最初にこの道路元標が立てられたのは当時の交差点の東側(上町)で、現在の交差点の中心付近に当たります。そこに赤い円形の標石で位置を示しています。この地点が”福島市のへそ”ともいうべき原点です。奥州街道は、明治六年に陸羽街道、明治十八年(1八八五)には国道六号、そして大正九年(一九二〇)には国道四号となり、長い間、城下町福島・県都福島の幹線道路でした。

    しかし。戦後に平和通り、北町バイパス、南バイパスがそれぞれ開通したことにより、街道としての歴史的使命は終わりました。また、戦後の道路法令において、道路元標に里程や道路の起点としての役割はなくなりました。この福島市の原点に立ち、江戸時代から現代へ幾重にも重なる福島のちの歴史を想い起こしてください。

    福島市

  • この後、この近辺で仕事<br /><br />晩ごはんをAXCビル1階の &quot;中国料理レストラン泰山&quot; で食べてこの日を終了(2日目に続く・・・)

    この後、この近辺で仕事

    晩ごはんをAXCビル1階の "中国料理レストラン泰山" で食べてこの日を終了(2日目に続く・・・)

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