キタ(大阪駅・梅田)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年10月2日(日)お昼の12時頃、大阪中之島をなにわ筋から堂島川沿いに東端の剣先噴水まで歩いて、散策終了。この当時は西天満に住んでた息子と昼食の約束をしてたので、難波橋まで戻って、堂島川を渡る。<br /><br />難波橋の北に限らず、北区の大川(旧淀川)の曲流する北西側の地域はざっくり天満と呼ばれる。その名は関西の人なら知ってると思う大阪天満宮がこの地にあることから来ている。<br /><br />この地は古くから波浪や沿岸流によって運ばれた砂礫が堆積してできた砂堆(さたい)で、淀川が氾濫しても水没を免れる平地として古い歴史を持っている。飛鳥時代の650年に難波宮が造営した際、その西北に守護神として大将軍社が置かれ、平安時代に菅原道真が大宰府へ配転された時に参詣したことから、949年に大阪天満宮が創建され、この地も天満砂堆と呼ばれるようになり、それが地名になる。<br /><br />安土桃山時代、豊臣秀吉が天満を船運の拠点にしようと考え、1598年に天満堀川が開削される。江戸時代に入り、1653年に天満青物市場が誕生し、天満堀川沿いに造り酒屋や乾物問屋などが軒を連ねた。<br /><br />明治になって1870年(明治3年)に大川西岸部に造幣局の本局が置かれ、それに関連して中小の金属工場やガラス工場、紡績工場などが天満が数多く誕生する。また、大阪天満宮周辺は劇場や寄席が並ぶ繁華街となり、商人や職人で賑わった。<br /><br />1931年(昭和6年)に天満青物市場が大阪市中央卸売市場に集約され、さらに大阪大空襲で天満のほとんどが炎上し、復興されたが劇場街は消え、商家が立ち並んだ時代の空気は薄れた。<br /><br />現在は地方裁判所や高等裁判所があることから法曹関係者も多い。また、都心回帰に伴う超高層マンションが増え、人口が回復して来ている。2006年には戦後初の上方落語の定席、天満天神繁昌亭が開設された。<br /><br />NHK朝ドラの舞台としてよく使われている。ぴあの(1994年、純名里沙主演)、芋たこなんきん(2006年、藤山直美主演)、ごちそうさん(2013年、杏主演)、わろてんか(2017年、葵わかな主演)。その他、2023年に小芝風花主演でNHKで連ドラ化された「あきない世傳 金と銀」も天満が舞台。<br /><br />息子の家に寄ってから昼食へ。私の午後の予定が天満橋の南なので、天満橋筋に近い店に向かう。途中で天神橋筋商店街を横切る(下の写真1)。地下鉄堺筋線天神橋筋六丁目駅付近から2駅南の南森町駅付近までの南北2.6 kmに伸びる、日本一長い商店街と称されるアーケード商店街。店舗数は600程度と云われる。私は、何回か通ったことがある程度。<br /><br />元々は江戸時代初期の1653年頃に、約2.3 kmの青物市が立ったことに始まる。その後、大阪天満宮の表参道として繁栄し、交差する寺町通りに並ぶ多数の仏教寺院への参拝者でも賑わった。さらに、大坂市中における青果物の取り扱いをほぼ独占していた天満青物市場を中心として発達した。<br /><br />古称・別称は十丁目筋商店街で、現在も地元では十丁目と通称される。これは、江戸時代から1872年(明治5年)まで天神橋の北詰が天満10丁目という町名だったことに由来している。当時は大川北岸は、東から西へ天満1丁目から11丁目下半まであり、天神橋の北詰がちょうど10丁目だった。<br /><br />歩いたのは大阪天満宮の表門前を走る表門筋。天神橋筋商店街を東に過ぎてすぐに蛭子門(下の写真2)、さらに表大門(下の写真3)と続く。蛭子門は境内南西部の門で、かつて入ってすぐに戎社(蛭児社)が祀られていたことからこう呼ばれる。表大門は文字通り正門。2011年3月の梅の時期と、2014年4月の桜の時期の2回お参りしたことがある。<br /><br />大阪天満宮は上述のように平安時代の949年創建。菅原道真公を主祭神としている。天満天神や浪華菅廟、中島天満宮と呼ばれることもある。毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は、日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。<br /><br />江戸時代の1724年の享保の大火で全焼したのを復興するが、1837年の大塩平八郎の乱でまた全焼する。現在の社殿はその後の1843年に再建されたもので、大阪大空襲では被害に合わなかった。<br /><br />表大門の少し東の右手には川端康成生誕地の碑がある(下の写真4)。日本初のノーベル文学賞作家・川端康成はこの地で開業医の長男として生まれた。しかし、父は肺結核を患い、康成が1歳半の頃に亡くなり、彼は母の実家近く(現在の東淀川区)に転居した。<br /><br />表門筋をもうしばらく東に歩き、息子があたりを付けてた中華料理の店に行ってみたのだが、残念ながら日曜休業。と云うことで、急遽別の店を探すと表門筋と天満橋筋の交差点にインドカレーの店があったので、ここで昼にする。<br /><br />インド・レストラン&amp;カフェSUNRISEと云う本格的なインド料理レストラン。チーズナンやハニーチーズナンなどのバリエーション豊かなナンに、バターチキンカレー、ベジタブルコルマなどの様々なカレー料理を楽しむことができるそうで、インドの伝統的な味わいを求める方におすすめだそうだ。今日のカレーセットを800円で戴くが、今日のカレーが何だったかは忘れた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26629781169998555&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />昼の1時頃、カレーを食べ終えて、息子と別れ、私は天満橋筋を南に向かう。天満橋筋は淀川と大川(旧淀川)の分岐となる毛馬閘門に近い城北公園通との長柄東三叉路から天満橋を渡った南の天満橋交差点までの約3kmの南北の道路。天満橋交差点の先は谷町筋になる。地下にはOsaka Metro谷町線が走っている。<br /><br />南に進むと天満橋(下の写真5)。浪華三大橋の一つで、北区天満と中央区天満橋京町の間を結んでいる。浪華三大橋では一番上流(東)に架かる橋。<br /><br />初代の橋が架けられたのは明確には分からないが、安土桃山時代の豊臣政権下で築かれたようだ。明治になるまでは現在の橋より一筋東(上流側)に架かっていた。1878年(明治11年)に現在の位置に付け替えられたが、1885年(明治18年)の淀川大洪水で流出。1888年(明治21年)に鋼製トラス橋が架橋され、1911年(明治44年)には上流側に大阪市電曽根崎天満橋筋線の専用橋が併設された。<br /><br />現在の橋は、1935年(昭和10年)に大阪市第一次都市計画事業の鉄道併用橋として架橋されたプレートガーダー橋。ただし、市電は1964年(昭和39年)に廃止された。<br /><br />1970年に天満橋交差点の渋滞緩和のために上層の跨道橋が建設された。大川上は下層の天満橋の橋脚上に柱を立てて橋桁を重ねる構造を取る上下階式構造の橋となる。上層は天満重ね橋とも呼ばれ、土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。1989年に下層の天満橋が改装された。Osaka Metro谷町線が天満橋の地下を通過している<br /><br /><br />橋を渡って、この日の外出の目的地のドーンセンターへ向かうが、続く

大阪 北区 天満(Tenma,Kita wald,Osaka,Osaka,Japan)

2いいね!

2022/10/02 - 2022/10/02

3931位(同エリア4491件中)

旅行記グループ 大阪 福島・中之島・天満橋

0

5

ちふゆ

ちふゆさん

2022年10月2日(日)お昼の12時頃、大阪中之島をなにわ筋から堂島川沿いに東端の剣先噴水まで歩いて、散策終了。この当時は西天満に住んでた息子と昼食の約束をしてたので、難波橋まで戻って、堂島川を渡る。

難波橋の北に限らず、北区の大川(旧淀川)の曲流する北西側の地域はざっくり天満と呼ばれる。その名は関西の人なら知ってると思う大阪天満宮がこの地にあることから来ている。

この地は古くから波浪や沿岸流によって運ばれた砂礫が堆積してできた砂堆(さたい)で、淀川が氾濫しても水没を免れる平地として古い歴史を持っている。飛鳥時代の650年に難波宮が造営した際、その西北に守護神として大将軍社が置かれ、平安時代に菅原道真が大宰府へ配転された時に参詣したことから、949年に大阪天満宮が創建され、この地も天満砂堆と呼ばれるようになり、それが地名になる。

安土桃山時代、豊臣秀吉が天満を船運の拠点にしようと考え、1598年に天満堀川が開削される。江戸時代に入り、1653年に天満青物市場が誕生し、天満堀川沿いに造り酒屋や乾物問屋などが軒を連ねた。

明治になって1870年(明治3年)に大川西岸部に造幣局の本局が置かれ、それに関連して中小の金属工場やガラス工場、紡績工場などが天満が数多く誕生する。また、大阪天満宮周辺は劇場や寄席が並ぶ繁華街となり、商人や職人で賑わった。

1931年(昭和6年)に天満青物市場が大阪市中央卸売市場に集約され、さらに大阪大空襲で天満のほとんどが炎上し、復興されたが劇場街は消え、商家が立ち並んだ時代の空気は薄れた。

現在は地方裁判所や高等裁判所があることから法曹関係者も多い。また、都心回帰に伴う超高層マンションが増え、人口が回復して来ている。2006年には戦後初の上方落語の定席、天満天神繁昌亭が開設された。

NHK朝ドラの舞台としてよく使われている。ぴあの(1994年、純名里沙主演)、芋たこなんきん(2006年、藤山直美主演)、ごちそうさん(2013年、杏主演)、わろてんか(2017年、葵わかな主演)。その他、2023年に小芝風花主演でNHKで連ドラ化された「あきない世傳 金と銀」も天満が舞台。

息子の家に寄ってから昼食へ。私の午後の予定が天満橋の南なので、天満橋筋に近い店に向かう。途中で天神橋筋商店街を横切る(下の写真1)。地下鉄堺筋線天神橋筋六丁目駅付近から2駅南の南森町駅付近までの南北2.6 kmに伸びる、日本一長い商店街と称されるアーケード商店街。店舗数は600程度と云われる。私は、何回か通ったことがある程度。

元々は江戸時代初期の1653年頃に、約2.3 kmの青物市が立ったことに始まる。その後、大阪天満宮の表参道として繁栄し、交差する寺町通りに並ぶ多数の仏教寺院への参拝者でも賑わった。さらに、大坂市中における青果物の取り扱いをほぼ独占していた天満青物市場を中心として発達した。

古称・別称は十丁目筋商店街で、現在も地元では十丁目と通称される。これは、江戸時代から1872年(明治5年)まで天神橋の北詰が天満10丁目という町名だったことに由来している。当時は大川北岸は、東から西へ天満1丁目から11丁目下半まであり、天神橋の北詰がちょうど10丁目だった。

歩いたのは大阪天満宮の表門前を走る表門筋。天神橋筋商店街を東に過ぎてすぐに蛭子門(下の写真2)、さらに表大門(下の写真3)と続く。蛭子門は境内南西部の門で、かつて入ってすぐに戎社(蛭児社)が祀られていたことからこう呼ばれる。表大門は文字通り正門。2011年3月の梅の時期と、2014年4月の桜の時期の2回お参りしたことがある。

大阪天満宮は上述のように平安時代の949年創建。菅原道真公を主祭神としている。天満天神や浪華菅廟、中島天満宮と呼ばれることもある。毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は、日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

江戸時代の1724年の享保の大火で全焼したのを復興するが、1837年の大塩平八郎の乱でまた全焼する。現在の社殿はその後の1843年に再建されたもので、大阪大空襲では被害に合わなかった。

表大門の少し東の右手には川端康成生誕地の碑がある(下の写真4)。日本初のノーベル文学賞作家・川端康成はこの地で開業医の長男として生まれた。しかし、父は肺結核を患い、康成が1歳半の頃に亡くなり、彼は母の実家近く(現在の東淀川区)に転居した。

表門筋をもうしばらく東に歩き、息子があたりを付けてた中華料理の店に行ってみたのだが、残念ながら日曜休業。と云うことで、急遽別の店を探すと表門筋と天満橋筋の交差点にインドカレーの店があったので、ここで昼にする。

インド・レストラン&カフェSUNRISEと云う本格的なインド料理レストラン。チーズナンやハニーチーズナンなどのバリエーション豊かなナンに、バターチキンカレー、ベジタブルコルマなどの様々なカレー料理を楽しむことができるそうで、インドの伝統的な味わいを求める方におすすめだそうだ。今日のカレーセットを800円で戴くが、今日のカレーが何だったかは忘れた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26629781169998555&type=1&l=223fe1adec

昼の1時頃、カレーを食べ終えて、息子と別れ、私は天満橋筋を南に向かう。天満橋筋は淀川と大川(旧淀川)の分岐となる毛馬閘門に近い城北公園通との長柄東三叉路から天満橋を渡った南の天満橋交差点までの約3kmの南北の道路。天満橋交差点の先は谷町筋になる。地下にはOsaka Metro谷町線が走っている。

南に進むと天満橋(下の写真5)。浪華三大橋の一つで、北区天満と中央区天満橋京町の間を結んでいる。浪華三大橋では一番上流(東)に架かる橋。

初代の橋が架けられたのは明確には分からないが、安土桃山時代の豊臣政権下で築かれたようだ。明治になるまでは現在の橋より一筋東(上流側)に架かっていた。1878年(明治11年)に現在の位置に付け替えられたが、1885年(明治18年)の淀川大洪水で流出。1888年(明治21年)に鋼製トラス橋が架橋され、1911年(明治44年)には上流側に大阪市電曽根崎天満橋筋線の専用橋が併設された。

現在の橋は、1935年(昭和10年)に大阪市第一次都市計画事業の鉄道併用橋として架橋されたプレートガーダー橋。ただし、市電は1964年(昭和39年)に廃止された。

1970年に天満橋交差点の渋滞緩和のために上層の跨道橋が建設された。大川上は下層の天満橋の橋脚上に柱を立てて橋桁を重ねる構造を取る上下階式構造の橋となる。上層は天満重ね橋とも呼ばれ、土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。1989年に下層の天満橋が改装された。Osaka Metro谷町線が天満橋の地下を通過している


橋を渡って、この日の外出の目的地のドーンセンターへ向かうが、続く

  • 写真1 天神橋筋商店街

    写真1 天神橋筋商店街

  • 写真2 大阪天満宮 蛭子門

    写真2 大阪天満宮 蛭子門

  • 写真3 大阪天満宮 表大門

    写真3 大阪天満宮 表大門

  • 写真4 川端康成生誕地の碑

    写真4 川端康成生誕地の碑

  • 写真5 天満橋

    写真5 天満橋

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP