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2022年10月2日(日)11時40分過ぎ、大阪市中央公会堂からさらに中之島の東部へ向かう。中之島の東部、御堂筋から東側は大阪市の市営公園である中之島公園となっている。1891年(明治24年)開園。元々は備中成羽藩山崎家の蔵屋敷があったこと山崎ノ鼻と呼ばれていた部分とその延長。<br /><br />開園当初は現在は公会堂が建っている辺りに豊國神社があり、江戸時代以来の風情も残っていたが、明治後期に大阪ホテル、大阪府立中之島図書館などの洋館が建てられる。大正期には新たな難波橋が東に架橋され、中之島公会堂の建設に伴って豊國神社は図書館西側へ移転。その西側に3代目の大阪市庁舎が竣工する頃には洋風の公園に生まれ変わった。<br /><br />公会堂の少し東、現在の大阪市立東洋陶磁美術館の先から先(上流)は1876年(明治9年)以降に埋立造成された部分。現在は堂島川と土佐掘川にはさまれた延長約1.5km、面積11.3haを占め、緑あふれる都心のオアシスとなっている。<br /><br />鉾流橋南詰の東側がバラ園の入口になっているので、東に歩きだす。南側にある大阪市立東洋陶磁美術館は住友グループから寄贈された安宅コレクションと呼ばれる東洋陶磁コレクションを核として展示する美術館で、1982年に設立されたが、この時はエントランス棟の増築工事で休館中だった(下の写真1)。<br /><br />この場所は1966年までは大阪銀行協会が置かれていたので、美術館の表側にはその碑がある(下の写真2)。現在は中之島3丁目のダイビル本館にある大阪銀行協会は、1878年(明治11年)に在阪有力銀行数行によって始めれた協議会が前身で、その後、銀行苦楽部、大阪同盟銀行集会所を経て1897年(明治30年)に大阪銀行集会所となった。大阪銀行協会となったのは戦後すぐの1945年。<br /><br />美術館の東隣には自由亭跡の説明がある(下の写真3)。1881年(明治14年)、大阪銀行協会の前身が大阪同盟銀行集会所と改称した頃、集会所と並んで自由亭と云う料亭が開業した。残っている写真によると、大阪同盟銀行集会所が島の端の上流側で、自由亭が下流側だった。<br /><br />自由亭は幕末に日本最初の西洋料理店を長崎で始めた草野丈吉が開店したレストランで、ホテルも併設しており、自由亭ホテルとも呼ばれた。1896年(明治29年)に後を継いだ長女が本格的な西洋建築の大阪ホテルを開業、3年後に大阪倶楽部ホテルに改称するが、その2年後の1901年(明治34年)に火災で焼失。その2年後に再び大阪ホテルとして再建するが、1924年(大正13年)に再び火災で焼失し、廃業となった。<br /><br />自由亭跡の説明の近くには木村長門守重成表忠碑もある(下の写真4)。木村重成は豊臣秀頼の乳母の一人右京大夫局の息子で、豊臣家に仕え、若くして名将と呼ばれていたが、大坂夏の陣で亡くなった。<br /><br />その前の冬の陣の際、徳川との和睦のため23歳だった重成が大坂方を代表して家康と直談判し、その時誓書に押された家康の血判が薄いと詰め寄り、「年寄りであるから血が薄いのじゃ」という言い訳をはねつけて、渋る家康にもう一度血判を押させたと云う。<br /><br />明治中期、十代目市川團十郎襲名の期待もされた市川新蔵が眼病を患い、1897年(明治30年)に36歳で早世するが、眼病で再起できぬと知らされた時に、「生涯の思い出に『重成血判状』という芝居をやらせてください」と懇願し、公演を成功させた。<br /><br />この公演を第6代大阪府知事だった西村捨三が観て感激し、自ら発起人となって1896年(明治29年)にこの碑を当時この地にあった豊國神社内に建立した。豊國神社はその後、1912年(大正元年)に中央公会堂建設のため、図書館の西隣りへと遷座し、さらに戦後の1961年に大坂城二の丸に移転したが、5mを超す巨石のためか、この碑だけがここに残された。<br /><br />この碑の東には「こども本の森 中之島」がある。日本を代表する建築家の一人の安藤忠雄は、自身が大病で療養生活を送った折に読書する時間を得たことで、子どもが本と触れあう場所を作ることを着想し、子供向け図書館を私費を投じて展開しているが、この中之島の図書館がその皮切りで、2020年に開館した。蔵書の貸し出しは行わないが、館内および公園内全てを閲覧スペースとしている。<br /><br />大阪市立東洋陶磁美術館からこども本の森 中之島の南側は堂島川沿いに続いてきた中之島通の延長部となっているが、その地下には京阪電車中之島線のなにわ橋駅がある。<br /><br />堂島川沿いのバラの小径を上流(東)側に進むと駅名の元となった難波(なにわ)橋へ。堺筋の北浜と西天満を結ぶ橋だが、中之島の下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。<br /><br />難波橋は、元をたどると飛鳥時代の704年頃に行基によって架けられた橋で浪華橋とも表記され、上流の天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称された。文字通り、難波(「なんば」でなく「なにわ」で、大阪の旧名)を代表する橋だった。<br /><br />橋の位置は堺筋より1本下流の難波橋筋(現在は難波橋が堺筋にずれたので、長堀川に架かっていた藤中橋から藤中橋筋と呼ばれる)に架かっていた。1915年(大正4年)に埋立造成されるまでは、中之島は下流の山崎ノ鼻までしかなかったので、中之島への分岐はなかった。<br /><br />1876年(明治9年)に中之島が上流側に埋め立て拡張され、この時に堂島川と土佐堀川のそれぞれに架かる2本の橋となる。1915年(大正4年)に現在の橋が堺筋に架橋される。パリ(Paris)のセーヌ(Seine)川に架かるヌフ橋(Pont Neuf)とアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)を参考にして製作されたと云われる。<br /><br />当初は大川橋とも呼ばれたが、旧橋撤去後は正式に難波橋となった。老朽化が目立ち始めた1975年に大阪市によって大改修が施され、現在に至る。<br /><br />難波橋を過ぎると中之島バラ園。約310種類およそ3700株のバラが植えられており、24時間、誰でも無料で入園することが出来る。1910年(明治43年)に造られたもので、2009年にリニューアルされた。リニューアル以前は東側は円形バラ園だった。<br /><br />東西バラ園の間に架かるばらぞの橋は1990年に架橋されたもので、バラ園に因んで命名されている。橋が架かる水路は現在は埋め立てられ、阪神高速12号守口線となった天満堀川の延長線上にあたる。<br /><br />橋の西詰、北側にある時計台は大阪市地域女性団体協議会が結成30周年を記念して1981年に設置したものを2009年の中之島公園再整備に際しリニューアルしたもの(下の写真5)。<br /><br />バラ園を先に進むと芝生公園になるが、その真ん中の北側(堂島川側)にラジオ塔がある。ラジオ塔は昭和初めにラジオの普及を目的に、公衆にラジオ放送を聞かせるため、公園などの公共空間に設置した、ラジオ受信機を内部に収めた塔。この塔は1941年に設置されたものらしい。<br /><br />先に進むと天神橋。天神橋筋の天神橋1丁目と北浜東を結ぶ橋。車道は南行のみ。歩道からは中之島に降りられる。元々は上述したが、浪華三大橋の一つで、安土桃山時代の1594年の架橋とされる。橋名は北にある大阪天満宮の天神三社から来ている。<br /><br />現在の橋は1934年(昭和9年)に第1次都市計画事業によって完成した橋。低い軽快なアーチが中之島の剣先の風景によくマッチし、水都大阪の代表的な景観を形造っている。主要部の形式は3連の軽快な鋼2ヒンジアーチで、両端には重厚なコンクリートのアーチを置き、全体のデザインを引き締めている。<br /><br />明治初期までは木橋だったが、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。1888年(明治21年)にドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラス橋として架け替えられた。前述しているように、1915年(大正4年)に淀川低水工事で出た土砂で中之島公園を上流側へ拡張する埋立工事が行われ、大正中期以降に中之島を跨ぐようになった。<br /><br />1988年に剣先側に歩道からのらせん形のスロープが設けられると同時に美装化がなされ、天満宮所蔵の天神祭の陸渡御や船渡御の絵巻を模写した絵陶板が飾られている。<br /><br />天神橋の先で中之島は終わるが、東端部は大川を堂島川と土佐堀川に分けて尖っていることから「剣先」と呼ばれ、先端には安藤忠雄の構想による剣先噴水が設置されている。2009年の水都大阪2009のイベントに合わせて設置され、2011年に公募により船のオブジェをガラスで表現したカバーが設置された。朝10時から夜8時半までの間、30分毎に放水が行われている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26600092189634120&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />お昼の12時頃、この日の中之島探索は終了、近所に住んでる息子と昼食に出掛けるが、続く

大阪 北区 中之島公園(Nakanoshima Park,Kita wald,Osaka,Osaka,Japan)

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2022/10/02 - 2022/10/02

1734位(同エリア1908件中)

旅行記グループ 大阪 福島・中之島・天満橋

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5

ちふゆ

ちふゆさん

2022年10月2日(日)11時40分過ぎ、大阪市中央公会堂からさらに中之島の東部へ向かう。中之島の東部、御堂筋から東側は大阪市の市営公園である中之島公園となっている。1891年(明治24年)開園。元々は備中成羽藩山崎家の蔵屋敷があったこと山崎ノ鼻と呼ばれていた部分とその延長。

開園当初は現在は公会堂が建っている辺りに豊國神社があり、江戸時代以来の風情も残っていたが、明治後期に大阪ホテル、大阪府立中之島図書館などの洋館が建てられる。大正期には新たな難波橋が東に架橋され、中之島公会堂の建設に伴って豊國神社は図書館西側へ移転。その西側に3代目の大阪市庁舎が竣工する頃には洋風の公園に生まれ変わった。

公会堂の少し東、現在の大阪市立東洋陶磁美術館の先から先(上流)は1876年(明治9年)以降に埋立造成された部分。現在は堂島川と土佐掘川にはさまれた延長約1.5km、面積11.3haを占め、緑あふれる都心のオアシスとなっている。

鉾流橋南詰の東側がバラ園の入口になっているので、東に歩きだす。南側にある大阪市立東洋陶磁美術館は住友グループから寄贈された安宅コレクションと呼ばれる東洋陶磁コレクションを核として展示する美術館で、1982年に設立されたが、この時はエントランス棟の増築工事で休館中だった(下の写真1)。

この場所は1966年までは大阪銀行協会が置かれていたので、美術館の表側にはその碑がある(下の写真2)。現在は中之島3丁目のダイビル本館にある大阪銀行協会は、1878年(明治11年)に在阪有力銀行数行によって始めれた協議会が前身で、その後、銀行苦楽部、大阪同盟銀行集会所を経て1897年(明治30年)に大阪銀行集会所となった。大阪銀行協会となったのは戦後すぐの1945年。

美術館の東隣には自由亭跡の説明がある(下の写真3)。1881年(明治14年)、大阪銀行協会の前身が大阪同盟銀行集会所と改称した頃、集会所と並んで自由亭と云う料亭が開業した。残っている写真によると、大阪同盟銀行集会所が島の端の上流側で、自由亭が下流側だった。

自由亭は幕末に日本最初の西洋料理店を長崎で始めた草野丈吉が開店したレストランで、ホテルも併設しており、自由亭ホテルとも呼ばれた。1896年(明治29年)に後を継いだ長女が本格的な西洋建築の大阪ホテルを開業、3年後に大阪倶楽部ホテルに改称するが、その2年後の1901年(明治34年)に火災で焼失。その2年後に再び大阪ホテルとして再建するが、1924年(大正13年)に再び火災で焼失し、廃業となった。

自由亭跡の説明の近くには木村長門守重成表忠碑もある(下の写真4)。木村重成は豊臣秀頼の乳母の一人右京大夫局の息子で、豊臣家に仕え、若くして名将と呼ばれていたが、大坂夏の陣で亡くなった。

その前の冬の陣の際、徳川との和睦のため23歳だった重成が大坂方を代表して家康と直談判し、その時誓書に押された家康の血判が薄いと詰め寄り、「年寄りであるから血が薄いのじゃ」という言い訳をはねつけて、渋る家康にもう一度血判を押させたと云う。

明治中期、十代目市川團十郎襲名の期待もされた市川新蔵が眼病を患い、1897年(明治30年)に36歳で早世するが、眼病で再起できぬと知らされた時に、「生涯の思い出に『重成血判状』という芝居をやらせてください」と懇願し、公演を成功させた。

この公演を第6代大阪府知事だった西村捨三が観て感激し、自ら発起人となって1896年(明治29年)にこの碑を当時この地にあった豊國神社内に建立した。豊國神社はその後、1912年(大正元年)に中央公会堂建設のため、図書館の西隣りへと遷座し、さらに戦後の1961年に大坂城二の丸に移転したが、5mを超す巨石のためか、この碑だけがここに残された。

この碑の東には「こども本の森 中之島」がある。日本を代表する建築家の一人の安藤忠雄は、自身が大病で療養生活を送った折に読書する時間を得たことで、子どもが本と触れあう場所を作ることを着想し、子供向け図書館を私費を投じて展開しているが、この中之島の図書館がその皮切りで、2020年に開館した。蔵書の貸し出しは行わないが、館内および公園内全てを閲覧スペースとしている。

大阪市立東洋陶磁美術館からこども本の森 中之島の南側は堂島川沿いに続いてきた中之島通の延長部となっているが、その地下には京阪電車中之島線のなにわ橋駅がある。

堂島川沿いのバラの小径を上流(東)側に進むと駅名の元となった難波(なにわ)橋へ。堺筋の北浜と西天満を結ぶ橋だが、中之島の下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。

難波橋は、元をたどると飛鳥時代の704年頃に行基によって架けられた橋で浪華橋とも表記され、上流の天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称された。文字通り、難波(「なんば」でなく「なにわ」で、大阪の旧名)を代表する橋だった。

橋の位置は堺筋より1本下流の難波橋筋(現在は難波橋が堺筋にずれたので、長堀川に架かっていた藤中橋から藤中橋筋と呼ばれる)に架かっていた。1915年(大正4年)に埋立造成されるまでは、中之島は下流の山崎ノ鼻までしかなかったので、中之島への分岐はなかった。

1876年(明治9年)に中之島が上流側に埋め立て拡張され、この時に堂島川と土佐堀川のそれぞれに架かる2本の橋となる。1915年(大正4年)に現在の橋が堺筋に架橋される。パリ(Paris)のセーヌ(Seine)川に架かるヌフ橋(Pont Neuf)とアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)を参考にして製作されたと云われる。

当初は大川橋とも呼ばれたが、旧橋撤去後は正式に難波橋となった。老朽化が目立ち始めた1975年に大阪市によって大改修が施され、現在に至る。

難波橋を過ぎると中之島バラ園。約310種類およそ3700株のバラが植えられており、24時間、誰でも無料で入園することが出来る。1910年(明治43年)に造られたもので、2009年にリニューアルされた。リニューアル以前は東側は円形バラ園だった。

東西バラ園の間に架かるばらぞの橋は1990年に架橋されたもので、バラ園に因んで命名されている。橋が架かる水路は現在は埋め立てられ、阪神高速12号守口線となった天満堀川の延長線上にあたる。

橋の西詰、北側にある時計台は大阪市地域女性団体協議会が結成30周年を記念して1981年に設置したものを2009年の中之島公園再整備に際しリニューアルしたもの(下の写真5)。

バラ園を先に進むと芝生公園になるが、その真ん中の北側(堂島川側)にラジオ塔がある。ラジオ塔は昭和初めにラジオの普及を目的に、公衆にラジオ放送を聞かせるため、公園などの公共空間に設置した、ラジオ受信機を内部に収めた塔。この塔は1941年に設置されたものらしい。

先に進むと天神橋。天神橋筋の天神橋1丁目と北浜東を結ぶ橋。車道は南行のみ。歩道からは中之島に降りられる。元々は上述したが、浪華三大橋の一つで、安土桃山時代の1594年の架橋とされる。橋名は北にある大阪天満宮の天神三社から来ている。

現在の橋は1934年(昭和9年)に第1次都市計画事業によって完成した橋。低い軽快なアーチが中之島の剣先の風景によくマッチし、水都大阪の代表的な景観を形造っている。主要部の形式は3連の軽快な鋼2ヒンジアーチで、両端には重厚なコンクリートのアーチを置き、全体のデザインを引き締めている。

明治初期までは木橋だったが、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。1888年(明治21年)にドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラス橋として架け替えられた。前述しているように、1915年(大正4年)に淀川低水工事で出た土砂で中之島公園を上流側へ拡張する埋立工事が行われ、大正中期以降に中之島を跨ぐようになった。

1988年に剣先側に歩道からのらせん形のスロープが設けられると同時に美装化がなされ、天満宮所蔵の天神祭の陸渡御や船渡御の絵巻を模写した絵陶板が飾られている。

天神橋の先で中之島は終わるが、東端部は大川を堂島川と土佐堀川に分けて尖っていることから「剣先」と呼ばれ、先端には安藤忠雄の構想による剣先噴水が設置されている。2009年の水都大阪2009のイベントに合わせて設置され、2011年に公募により船のオブジェをガラスで表現したカバーが設置された。朝10時から夜8時半までの間、30分毎に放水が行われている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26600092189634120&type=1&l=223fe1adec


お昼の12時頃、この日の中之島探索は終了、近所に住んでる息子と昼食に出掛けるが、続く

  • 写真1 バラ園入口

    写真1 バラ園入口

  • 写真2 大阪銀行集会所・大阪銀行協会跡の碑

    写真2 大阪銀行集会所・大阪銀行協会跡の碑

  • 写真3 自由亭跡

    写真3 自由亭跡

  • 写真4 木村長門守重成表忠碑

    写真4 木村長門守重成表忠碑

  • 写真5 大阪市地域女性団体協議会結成30周年記念時計台

    写真5 大阪市地域女性団体協議会結成30周年記念時計台

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