2024/07/03 - 2024/07/04
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funasanさん
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ヴュルツブルク訪問は2度目です。前回はコロナパンデミックがはじまる前の2019年の8月(以下参照)でした。感染症の恐れはなく、日本円(1ドル105円、1ユーロ119円)は強かったです。普通に街のレストランで飲食してもそれほど高いとは感じませんでしたね。今から思い返すと、とっても幸せな時代でした。前回は精力的にヴュルツブルクの市内観光をしたので、今回はヴュルツブルクの世界遺産「レジデンス」の内部見学をじっくりしました。その模様をお伝えします。
◎ヨーロッパ国際特急列車の旅16(ヴュルツブルク観光編)
https://4travel.jp/travelogue/11548222
※新著出版しました。
『シドニー発着 魅惑のニュージーランド周遊クルーズ14日間:
ロイヤル・プリンセス(ジュニア・スイート)乗船記』
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DCVD7WTM/
私のホームページに著書紹介、旅行記多数あり。
『第二の人生を豊かに』
http://www.e-funahashi.jp/work/index.htm
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「マリエンベルク要塞」(写真)から観光をはじめます。この要塞はヴュルツブルクの中心部から少し離れた丘の上にあるので、徒歩ではかなり時間と労力(体力)を要します。
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私たちは午前10時頃、ACホテルからタクシーに乗ってマリエンベルク要塞に行きました。所要時間は約8~10分、料金はおおよそ12~15ユーロ程度です。非常に便利でおすすめです。
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マリエンベルク要塞からの眺めは、まさにヴュルツブルクの真髄を映し出す絶景(写真)です。赤レンガの屋根が連なる旧市街が、マイン川を挟んで広がり、その中に聳え立つ教会の尖塔やドームが、歴史と文化の豊かさを物語っています。
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この景色(写真)は、中世のドイツの都市の繁栄を目の当たりにしているかのような感覚を呼び起こします。ドイツ・ロマンティック街道の起点としてふさわしい都市です。
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マリエンベルク要塞からの帰路はハイキング気分で歩いて移動しました。あいにく天気が悪く「アルテ・マイン橋」(写真)からの眺めがイマイチです。折角なので2019年8月の旅行記より写真を2枚添付します。
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太陽が西に傾き夏の空気がひんやりしてくる頃、アルテ・マイン橋(写真:2019年8月撮影)に続々と人が集まってきます。何かイベントでもやっているのか?と思いきや、彼らの目的は1杯のワインでした。
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アルテ・マイン橋の入口に小さな売店があり、ヴュルツブルクで有名な2種類のワイン(写真)を売っています。
・「Helle Freude unfiltriert」6.00ユーロ (0.25リットル)
このワインは「橋の上を裸足で」という表現が加えられており、アルテ・マイン橋を歩きながら楽しむワインとして特別に作られたものです。
・「ヴュルツブルク・ヴァイスブルグンダー クヴァリテーツヴァイン」6.50ユーロ (0.25リットル)
こちらは高品質な白ワインで、ピノ・ブラン種のブドウを使用した、フルーティーで爽やかな味わいが特徴です。 -
夕暮れ時(写真:2019年8月撮影)マイン川の上には涼しい風が吹いてきます。ここで、マイン川の滔々とした流れと周囲の美しい景色を眺めながら、恋人と友人と、そして家族でワイングラスを傾ける。これがヴュルツブルクの人達の夏の日常なのですね。生活の豊かさを感じます。
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現地の物価調査として町の中心にあるマック(写真)に入ってみました。「ビッグマック」のセット(McMenü)が11.39ユーロでした。旅行当時の為替(1ユーロ170円)で換算すると1936円にもなります。一方、日本では、ビッグマックのセットはおおよそ700~800円程度で販売されています(2024年の価格)。
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今の円安・ユーロ高ではビックマックが日本の2倍以上にもなります。これでは気楽にヨーロッパ(ドイツ)旅行できませんね。ちなみに、現時点で両方のビッグマックの値段が同じになる為替レートは1ユーロ70円です。(800円÷11.39ユーロ=70円)ドイツの価格高は為替レートだけではなく現地価格の高騰(インフレ)も相当影響しています。
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ヴュルツブルクのレジデンス(写真)は、ドイツ・バロック建築の傑作であり、その壮大さと芸術的な価値から、1981年にユネスコの世界遺産に登録されました。実際に目の前に立つと鳥肌が立つほど感動です。good,good,goodです。
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この宮殿は、18世紀にヴュルツブルクの司教公によって建設が始められました。建築の総指揮を執ったのは、バルタザール・ノイマンであり、彼の指導の下、ドイツ、フランス、イタリアなどの著名な芸術家や建築家が協力してこのプロジェクトを進めました。(レジデンスの入場料8ユーロ)
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レジデンスは、第二次世界大戦中の1945年に大きな被害を受けました。この写真は爆撃によって多大な被害を受けた当時のレジデンスの様子です。
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《展示写真の翻訳》
1945年3月16日、ヴュルツブルクはロッテルダム、コヴェントリー、ハンブルク、ドレスデンと同じ運命をたどりました。17分以内に、225機のランカスター爆撃機が約400トンの高性能爆弾と30万以上の焼夷弾を投下しました。ヴュルツブルクは巨大な火の嵐により壊滅し、歴史的な市街地の90%が破壊され、少なくとも5000人が死亡しました。 -
《展示写真の翻訳》
しかし、戦争はこれで終わりではありませんでした。1945年4月2日、アメリカ軍がマリエンベルク要塞の下にあるマイン川の河岸に到達する前に、ドイツ軍はすべての橋を爆破し、市の廃墟を守るための準備をしました。激しい砲撃と3日間にわたる激戦の末、多くの軍人と民間人が犠牲となり、1945年4月6日にアメリカ軍はついにヴュルツブルク全域を制圧しました。 -
1945年、大きな被害を受けたレジデンスは、その後、丹念に修復され、現在では再びその壮麗な姿(写真)を取り戻しています。ドイツ人の歴史的遺産を修復し保存する熱意・執念には感心させられます。
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レジデンスは、豪華なフレスコ画や美しい室内装飾で知られており、まるで美術館か博物館のようです。まずは入口にある壮麗な部屋「ガルテンザール(庭の間)」に驚かせます。この部屋は、宮殿と庭園を繋ぐ役割を持ちます。
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天井には、1750年にヨハン・ジックによって描かれたフレスコ画(写真)が広がっています。天井画のテーマは「神々の饗宴とサターンの追放」および「休息するディアナ」です。全くもって素晴らしく首が痛くなるほど見惚れてしまいました。
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レジデンスの最大の見所はバロック建築の最高傑作「階段室」(写真)です。この壮大な空間は、1743年にバルタザール・ノイマンによって設計されました。階段室は、幅広い3段の階段が特徴で、約700平方メートルの巨大なヴォールト天井で覆われています。この天井は、1945年の空襲でも崩壊せずに耐え抜きました。素晴らしい、拍手!
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天井画(写真)は、ベネツィアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによって1752年から1753年にかけて、わずか14か月で描かれました。この時期では世界最大の天井フレスコ画でした。
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天井画(写真)は、アメリカ、アフリカ、アジア、ヨーロッパという四大陸が擬人化され、それぞれの象徴的な動物と共に描かれています。天井の中心には、神々の住む天界が描かれ、アポロンが太陽神として登場し、世界を照らす役割を象徴しています。
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階段室を見学してもう気持ちの上では十分満足したのですが…
突然、もの凄い部屋に入っていきました。「皇帝の間」(写真)です。この部屋は、レジデンスの中でも最も豪華な部屋の一つとして知られています。 -
皇帝の間(写真)は、ヴュルツブルクの司教公が神聖ローマ帝国の皇帝を迎えるために使用されました。部屋のデザインは、皇帝の権威と力を象徴するもので、壁や天井に豪華な装飾が施されています。
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天井画(写真)は、ベネチアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによって描かれたもので、神話的な場面や歴史的な出来事が描かれています。これらのフレスコ画は、帝国の威厳とヴュルツブルクの歴史的な重要性を強調しています。
もう十分だ~、と思ったのですが、まだまだ先がありました。 -
この部屋(写真)は「Vorzimmer(控えの間)」と呼ばれる部屋です。壁にかけられているタペストリーは、ブリュッセルの工房で制作されたもので、アレクサンダー大王の生涯のシーンを描いたものです。
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この部屋(写真)は「Audienzzimmer(謁見の間)」です。バロック様式の装飾がふんだんに施されています。
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この部屋(写真)は「Venezianisches Zimmer(ヴェネチアンルーム)」です。元々は、神聖ローマ皇帝やその家族のための客室として設計されました。壁には、ヴェネチア風のテーマを持つタペストリーが掛けられています。
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この部屋は「Galerie(ギャラリーの間)」です。この部屋は、1740年から1744年にかけて設計され、絵画ギャラリーとして使用されていました。壁はスタッコの大理石で覆われ、金色の額縁で囲まれた絵画が飾られていました。
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この部屋(写真)は「Tapestry Room(タペストリールーム)」と呼ばれます。これらの豪華なタペストリー(壁掛け絨毯)は、17世紀から18世紀にかけてフランスやフランドル地方で制作されたものが多いです。
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レジデンスの最後の極めつけは「宮廷教会(Hofkirche)」(写真)です。もう考えられないくらい豪華絢爛、バロック建築の頂点でしょう。宮廷教会は、ヴュルツブルクの司教公のための礼拝の場として建設されました。
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天井(写真)には壮大なフレスコ画が描かれており、これは神々の栄光と宗教的なテーマを表現しています。これらの天井画は、バロック時代の宗教的芸術の頂点を示しており、教会全体に神聖な雰囲気を与えています。
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レジデンス観光で相当疲れたので街のカフェで一休みすることにしました。
写真:ヴュルツブルクの市街中心地 -
カフェのショーケースには美味しそうなケーキ類が並んでいます。
Erdbeerkuchen (いちごのケーキ)3.4ユーロ
Möhrenkuchen (人参のケーキ)3.3ユーロ
Johannisbeer Baiser (スグリのメレンゲケーキ)3.5ユーロ -
カフェ・マキアート(写真)を注文してゆっくり休憩です。水は何も言わなくても出てきました。ドイツの水道水は日本と同じように飲めます。
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このレシートでは、19%の付加価値税(消費税)が適用されています。税抜価格は3.91ユーロで、0.74ユーロが税金となっています。総額(Summe)は4.65ユーロです。1ユーロ170円換算で790円。
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時間があったのでヴュルツブルク大学(写真)に行ってみました。堂々とした建物で歴史の重さを感じます。この大学は数多くの優れた研究者や学者を輩出しており、世界的に著名な卒業生がいます。
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特に有名な人物は…
・ヴィルヘルム・レントゲン :X線(レントゲン線)の発見者(1901年、初代ノーベル物理学賞受賞)
・ヴェルナー・ハイゼンベルク :量子力学の不確定性原理の提唱(1932年、ノーベル物理学賞受賞)
・ルドルフ・フェルヒョー :病理学の発展に貢献、「細胞病理学」の創始者
写真:ヴュルツブルク大学近くに設置された「シーボルト像」 -
さて、夕食です。ウイーンでよく利用したテイクアウトレストラン「ノルディーズ(Nordis)」があったので、入ってみました。新鮮なシーフードを中心としたメニューが特徴で、手軽に美味しい料理が楽しめます。リーズナブルな価格で提供されているので、地元の人々にも観光客にも好評です。
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サーモンステーキのセットを注文しました。普通サイズのサーモンの鉄板焼きに煮野菜の付け合わせ+飲み物(コーラ)です。これで17.49ユーロ、1ユーロ170円換算で2973円にもなります。高い~!以前の2倍になっています。これには参った。
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翌日、ローテンブルクに移動するため、スーツケースを引っ張りながらヴュルツブルク駅前に行くと、多数のスーツケースや荷物が展示されたモニュメント(写真)がありました。古びたものばかりで長い行列のように並べられています。
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不思議に思って展示パネル(写真)を見て驚きました。それは衝撃でした。「DenkOrt Deportationen 1941-1944」です。何と、1941年から1944年の間にナチスによってヴュルツブルクからユダヤ人が強制移送されたのです。
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《展示パネルの翻訳》
1941年から44年の間に、ニュルンベルクとビュルツブルクのゲシュタポ(秘密警察)はユダヤ人の追放を組織しました。下フランケン全域から男性、女性、子供たちがビュルツブルクに連れてこられました。キッツィンゲンからは1回のみの輸送が行われました。
収容センターでは、彼らは屈辱的な検査を受け、その後、鉄道駅まで歩かされました。ビュルツブルクでは、通常、アウムーレの貨物駅を意味していました。
1943年の夏には、最後の大規模な輸送が中央駅から出発しました。 -
《展示パネルの翻訳》
ドイツの移送キャンプに追放された人々を待ち受けていたのは、最悪の苦難でした。これらのキャンプは、リガ(ラトビア)近郊、ルブリン(東ポーランド)周辺、またはテレージエンシュタット(チェコ共和国)にあり、そしてもちろんアウシュビッツ(ポーランド)の絶滅収容所にもありました。
移送キャンプで命を落とさなかった者たちは、大量処刑で射殺されるか、絶滅収容所のガス室で命を奪われました。ユダヤ人であるという理由だけで。
これらの人々を決して忘れてはなりません。 -
《展示パネルの翻訳》
1941年11月から1944年12月までの間に、2,069人の男性、女性、子供たちが下フランケンから追放されました。ナチスの反ユダヤ主義政策により、彼らはまず烙印を押され、公的生活から排除され、権利を剥奪され、財産を奪われました。彼らはドイツが占領した東ヨーロッパの国々に追放され、ほとんどがそこで殺害されました。生き残ったのはわずか63人だけです。
1933年に下フランケンに住んでいた他の多くのユダヤ人も亡くなりました。彼らは個々に迫害され、あるいは病気や障害を持っていたかもしれません。中には自殺を選んだ者もおり、他のドイツ国内および占領地から追放された者もいました。迫害を逃れた者は、国を脱出することができた者だけでした。 -
《展示パネルの翻訳》
何世紀にもわたり、ユダヤ人は下フランケンの町や村のコミュニティの重要な一部を成してきました。1932年から33年には、現在の行政区画内に109のユダヤ人のコミュニティがありました。
これらのコミュニティおよび独自のユダヤ人コミュニティを持たないさらに30のコミュニティから、1941年からナチス国家によって追放されたユダヤ人が出ました。彼らの名前とその人生についての情報は、1933年に彼らが住んでいた場所に従ってリストされています。 -
この記念碑(写真)は、スーツケースやカバンの彫刻で構成されており、当時のユダヤ人が強制移送の際に持っていた荷物を象徴しています。この展示は、第二次世界大戦中に行われた強制移送の悲劇を忘れないための場所として設置されています。
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ドイツ(ドイツ人)は本気になってユダヤ人絶滅作戦を実行しました。ドイツの一般市民もそれに加担しました。ユダヤ人達は“絶対に”その悲劇を忘れません。第二次世界大戦後の悲願のイスラエル建国、そして領土防衛は彼らの“絶対条件”なのでしょう。しかし、そこには昔からパレスチナ人が住んでいました。ここから先の見えない民族衝突が起きました。そして、今、まさに戦争状態です。
写真:ヴュルツブルクのメインストリート「カイザー通り」(2019年8月撮影) -
戦争は絶対悪だと思います。それを避けるためには?知性を研ぎ澄ませ政府の言いなりにはならない。自分で考え自分で行動する。日本(日本人)も同じ過ちを犯しました。再び戦争が起こらないことを祈るばかりです。
写真:ヴュルツブルクの「マルクト広場」(2019年8月撮影)
→ローテンブルク観光に続く
※新著出版しました。
『シドニー発着 魅惑のニュージーランド周遊クルーズ14日間:
ロイヤル・プリンセス(ジュニア・スイート)乗船記』
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